第14話
白く、縦に長い、正体不明の物体が沼の中から突き出ていた。初めて見るそれに、私は思わず驚きの声を上げながら後ずさる。その音に反応したのか、物体が素早く動いた。正確には振り向いた。
異様な程白い顔をした少女が、私と同じく驚愕の表情を浮かべて叫んだ。
「誰!誰なの!」
私の全身は雷に撃たれた様な衝撃を受けた。その少女が全裸だったからだ。若い女の裸を見るのは、これが初めてだった。彼女は素早く胸元と下半身を手で隠し、私から遠ざかる。
「誰かと聞いてるんや!」
沼の端に背を着けて、尚も鋭く詰問した。
私は心の動揺を何とか押さえつけて小さく返事をした。
「む、村に住んでいる者です……」
「嘘!村の子供が、そんな小綺麗な格好している訳ない!」
土や泥に汚れていたが、その時の私は白い長袖シャツにカーキ色の長ズボンと黒い革ベルト、そして靴を履いていた。実にシンプルな出で立ちだが、学校の生徒達はもっと野暮ったい服装で、着物姿の子供も少なからず居た事を思い出した。殆どの男子生徒が下駄を履き、西遊記3人組ですら靴ではなかった。成る程、完全な洋服姿の私が東京から転校して来た時に、彼らはその姿に最初の反感を抱いたのかも知れない。私は初日から失敗していたのだ。
「東京から疎開して来たんです。まだ1週間も経ってません……」
その言葉を聞いた少女は私の全身を凝視した後、鋭い口調で言った。
「後ろを向いて。服を着るから」
私は慌てて反対側を向いた。少女が沼から上がる音が聞こえる。ごそごそと動く気配の後に声がした。
「もうええよ」
再び私が振り向くと、少女は全身を白の袖無しワンピースに包み込んで立っていた。背の高さから見て、私よりも幾分歳上だろう。先程は初めて見る裸身にばかり驚いていたので他に注意が向かなかったが、こうして改めてその姿を見ると、彼女の異様な容姿に気付く。
とにかく白い。全身が真っ白だ。白い服を着ているのだから当然なのだが、その服から出ている手足も白すぎる。普通の日本人の肌の色ではない。顔に至っては眉毛すら白く、形の良い唇のみが血の様に赤い。そして何よりも、腰の辺りまで伸びている髪の毛までが無数の絹糸を束ねた様に純白だった。私が1番最初に目にしたのは、沼の中に入ってこちらに背を向けた彼女の、髪の毛に全身を覆われた後ろ姿だったのだ。
そんな私の視線など気にもかけず、少女は薄灰色の瞳を鋭く光らせて詰問を再開した。
「東京から疎開したあんたが、どうしてここに居るの?ここが〈迷いの森〉と呼ばれているの知っている?」
「知っています……」
「ここが危険な場所だと知っているのに、どうして入って来たの?」
「それは……」
私は、東京から疎開してから、これまでの経緯を少女に説明した。彼女は黙って聞いている。話を続けながら、この白い少女がどういう人間なのか、私には何となくわかってきた。
看護婦の母は勉強家で、多くの医学書を買い集めて読んでいた。そういった本には外国の物も含まれており、私は幼い頃から興味本位で内容も理解せずにそれらの書物を眺めていた。その中の1冊に、目の前の少女の様な人間の事が書かれていた。
アルビノ。
先天性のメラニン色素欠乏症だ。この症状を持つ人間は、産まれつき肌や体毛が極端に白く、紫外線に弱くなる。日本人にも数は少ないが、アルビノは存在する。しかし、この少女の彫りの深く整った顔立ちは白人に近い。その反面、喋っているのは日本人の関西弁そのものだ。外国人との混血なのだろうか。
数日前に私が耳にした、ある生徒の祖父が目撃した幽霊というのは、おそらくこの少女だろう。彼女が今の様な白いワンピースを着て森の中を歩いていれば、その姿は遠目には幽霊そのものだ。
全てを話した私に、白い少女は漸く警戒を解いたらしく、幾分その口調を和らげた。
「なるほど。エイジと言ったか?ひどい目にあったんやね」
無言で俯く私に、彼女はある提案をした。
「私なら、あんたを森の出口まで連れていける。私の事を誰にも言わないと約束するなら、森から出してあげるわ。もっとも、今のあんたなら、たとえ喋っても誰も信じてくれへんやろうけど。どうする?」
暫く考えた後、私は答えた。
「もう……、あんな所には戻りたくない……」
「戻りたくない?」
「帰っても、また同じことの繰り返しだ……。奴らはもっとひどい事をするだろう……。そうなったら、今度こそ僕は殺されてしまう。これ以上あんな所に居られない……」
「だったら、どうするんや?」
「……わからない。わからないよ!でも、あの村にだけは絶対に帰りたくない。もう嫌なんだよ!何もかもが!」
〈迷いの森〉を彷徨い、死を覚悟した私は、村に戻る事に強い恐怖を抱く様になっていた。私は叫ぶ様に言うと、計らずも泣き出してしまった。少女は、ぶざまに嗚咽する私を見ながら何かを考えていたが、やがて語りかけた。
「どうしたら良いのかわからんのなら、テストを受けてみるか?」
「テスト?」
思ってもいなかった言葉を聞いて、私の嗚咽は止まる。
白い少女は頷いた。
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