第13話
私は出口を求めて薄暗い森の中を歩いた。しかし、どうしても見つからない。真っ直ぐ進んでいるつもりが、気が付くと右に行ったり左へ曲がったりで、目指している所に一向に行き着けないのだ。理由は不明だが、方向感覚がおかしくなっているのは明らかだった。
〈迷いの森〉は迷信などではなかった。私は徐々に森に取り込まれつつあった。
木々の間からわずかに見える空が、急速に暗さを増すのを見て私は焦る。もうすぐ日が暮れてしまう。夜になったら益々出口がわからなくなるだろう。そうなったら、もうお手上げだ。
冷静になろう。無闇に先を急ぐから、思わぬ方向に曲がってしまうのだ。やり方を変えてみよう。
私は少しでも直進するように、慎重に歩を進める事にした。試しに、目印になる様な近めの樹を定めて、そこを目指して1歩ずつゆっくりと近付いていく。やがて私はその樹に到達出来た。よし、この方法でいける。森を出るのに大分時間がかかるかも知れないが、もうこれしか手がない。
私はそれから、手近の樹を目標にして少しずつ進む事を繰り返し、数時後にはかなりの距離を直進出来た。疲れたので樹の根本にしゃがみ込み、休む事にする。今日1日、殆ど何も食べていないのに等しいのだから、只歩くだけで疲れが溜まるのは当然だ。暫くの間、息を整えて深呼吸を続けていると、幾らか体力が回復する。再び立ち上がり、次の樹ヘと1歩踏み出した時に私は愕然とした。
斜面を昇ろうとしているのだ。今まで歩いてきた後方を振り向くと、下りの斜面が延々と先まで伸びていた。漸く私は、自分が森の先に続いている山を登っている事に気付いた。
そんな馬鹿な!斜面を登る感覚なんて全くなかったのに!どうして今までわからなかったんだ!
私は〈迷いの森〉の恐るべき特性を思い知った。この森は中に居る者の方向感覚だけではなく、平衡感覚までも狂わせるのだ。私はこれまで平らな地面の上で、森の出口を目指して歩き続けていると思っていたが、実際は一直線に山を登っていたのだ。若干の休憩をした為に平衡感覚が回復しなければ、気が付かなかった。この有り様では僅か数歩進んだだけで、出鱈目の方向を行く事になる。
今まで〈迷いの森〉に入った者が戻って来れなかった理由は、まさしくこの特性のせいだったのだ。
「そんな……。そんな……」
私は落胆の余り再びその場にしゃがみ込んだ。その時、落ち葉に隠れて白い物が近くに転がっているのをたまたま目にする。何だろうと思いながら更に近寄って見る。
人間の頭蓋骨だった。その辺りにはあばら骨や手足の骨が散らばっていた。
「うわっ!うわわあっ!」
大声を上げた私は反射的に、脱兎の如くその場から逃げ出した。力尽きるまで全力で森の中を駆け抜ける。落ちた枯れ枝につまづいて転ぶと、地面に仰向けに倒れ込んだ。脇目も振らずに走り回ったせいで、既に何処に居るのか完全にわからない。〈迷いの森〉からの脱出はもはや不可能になっていた。
視線の先には夜空に瞬く星の群れがあった。空腹と喉の渇きで体力は尽き果てている。もう限界だった。もう何も出来ない。
先程見た骸骨と同じく、ここで行き倒れて死ぬのだ。或いはムラマツが言った通り、熊に食い殺される。
どうして、こんな事に……。
私の両目から涙がこぼれ落ちる。星々を見上げながら私は泣いた。
悔しかった。恨めしかった。
面白半分に私を痛め付けた奴らが。簡単に見捨てた教師が。全く関心を持たなかったムラマツと村長夫人が。そして、そいつらに対して何も抗えなかった私自身の非力さが。
私は一切の努力を止めて、手足を投げ出したまま、成り行きに任せる事にした。このまま眠ってしまおう。そうすれば、少しは楽になるだろう。その先は敢えて考えなかった。
土と枯れ葉の匂いに包まれたまま身動きせず、どの位の時間が流れたのかわからない。夜の森の静寂さが聴覚を敏感にさせたのか、私の耳に虫の声に混じって、それまで聞こえなかった音が微かに流れ込んで来た。
滴が水面に落ちる音。水面がさざ波を立てる音だ。ここから遠くない場所に水がある証だった。
絶望の奈落に沈んでいるにも関わらず、水への欲望が沸き上がって来る。飢えはともかく、渇きだけは満たせるかも知れない。私は最後の気力を振り絞って立ち上がり、よろめく足で水音の聞こえる方に向かった。今度は迷わなかった。〈迷いの森〉は聴覚までは狂わせる事が出来ないらしい。
音を頼りに100メートル程山を登った所、若干の広さを持つ空き地に出た。そこには透明な水を湛えた小さな沼があった。
その沼の中に何かが居る。
私はそこで幽霊を見た。
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