第11話
重い足取りで教室に入ると孫悟空の声が聞こえてきた。
「スパイが戻って来たぜ」
私の心臓が大きく跳ね上がった。恐れていた事が起こったのだ。教室中の全生徒が私を見ている。私は震える声でそれを否定した。
「違う……。俺はスパイなんかじゃない」
「怪電波が出始めたのは、お前がここに来てからだ。たった1人でわざわざ軍の研究所がある村に疎開するのも怪しい。普通は集団疎開をする筈だ」
「そんなのは只の偶然だ。研究所がある事は村に入る直前に知ったんだ。それに、集団疎開をしない奴なんて他にも一杯いる。俺はスパイじゃないんだ」
「いいや、お前はスパイだ。研究所の秘密を探っているんだ。スパイ野郎め」
孫悟空は周りを見渡して顎をくいと動かした。
「スパイだ」
誰かが言った。
「スパイよ」
誰かが続く。
「スパイ」
「スパイ」
「スパイ」
生徒達が全員で合唱の様に声を上げた。良く見ると、うつ向いたままや目を伏せたままで言っている者も居る。本音ではそう思ってはいないのだろう。だが、小作人を親に持つ彼等は地主の孫である西遊記3人組には逆らえない。そんな事をすれば、今度は自分が標的にされてしまうからだ。
堪えきれず耳を塞ぐが、スパイと決めつける声が洪水の様に押し寄せ、私は倒れそうになる。そこへ、戸を荒々しく開けて担任教師が飛び込んできた。
「やめんか!」
私への口擊は廊下からも聞こえていたのだろう。教師の一喝で一瞬、教室が静まり返る。しかし、沙悟浄が反論しだした。
「スパイをスパイと呼んで何が悪いんだ?」
「彼はスパイじゃない!お前達と同じ小学生だぞ!スパイの訳ないだろう!」
「こいつは東京から来たんだぞ。田舎者の俺達と違って、外国人と会う機会なんて山程あるベ。スパイの仲間になったとしても不思議じゃねえわ」
「そんな仮定の話でスパイ扱いするな!」
「先生、そいつの味方をするのか。先生もスパイなのか」
「な、何を!馬鹿な事を言うな」
担任はあからさまに狼狽えた。沙悟浄は追い討ちをかける。
「スパイの疑いがある奴を先生が庇った。この事は憲兵さんに知らせるわ。俺の爺ちゃんはこの村の地主だ。俺みたいな子供じゃなくて、地主の爺ちゃんから伝えれば憲兵さんも本気にするだろう」
「な、何だと……!」
担任は顔を真っ赤にしてわなわなと震えた。その心が大きく揺らいでいるのが、私にはわかった。
一般人にとって、絶対に関わりたくないのが憲兵隊だ。たとえ根も葉もない噂であっても、村の有力者から通報があれば、憲兵隊は必ずその相手を連行するだろう。過去の経歴を詳しく調べ、尋問の中で暴力を奮うかも知れない。そして釈放された後も、目を付けられたままだ。社会的な信用は台無しになる。学校教師にとっては致命的な痛手だろう。
「と、とにかく、学校内での苛めは許さんぞ!これから臨時の職員会議があるから、今日の授業は終わりだ!全員今すぐ帰れ!帰れ帰れ!」
担任教師はそう言い捨てると、早足で教室を出ていった。授業の中止を知った生徒達が歓声を上げる中、私だけが絶望に染まる。今のやり取りで、私に関する主導権は完全に担任教師から西遊記3人組ヘ奪われたからだ。スパイと憲兵隊、この2つの言葉を持ち出せば、担任教師は3人組に注意出来ない様になってしまった。
担任は学校内の苛めは許さないと言った。逆に言えば、学校外では何をしても関知しないのだ。私は教師に見捨てられたのだ。
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