第9話

 明くる日、学校に行くと朝礼で担任が次の様に言った。

「昼休みに憲兵さんから重要なお話がある。昼飯は早めに済ませて、全員校庭に集合する事。村の人達も呼ばれている。ご家族が来てもはしゃいだり、騒いだりしない様に」

 皆がざわつく。陸軍の研究所がこの村に疎開してから3ヶ月以上経つが、学校に村人を全員集めるなど初めての事らしい。担任に質問が相次ぐが、彼自身も内容は聞かされていなかった。

「日本中が敵の空襲を受けている。もしかしたら、この村にも敵機が来るかも知れない。多分その事についてだろう。さあ静かにしろ、授業を始めるぞ」

 午前中の時間は問題無く過ぎて行き、昼食を摂った後に生徒達は校庭に向かった。

 そこには既に憲兵隊の兵士達が校舎を背にして橫1列になっていた。その数は30人程か。しかしその端っこに、汚れた白衣を着る1人の痩せた若い男が加わっていた。カーキ色の軍服姿の中で、明らかに不似合いな姿をしたその男は、黒淵眼鏡をかけた顔を神経質そうにあちこちへと動かしている。研究所の職員である事は間違いない。

 兵士達の厳しい視線を受け、緊張した面持ちの私達は教師の指示で彼等と向かい合う形に整列していく。それが完成すると、驚いた事に校長や教師達も我々と同じ側に並び始めた。彼等も話を聞く立場なのだ。

 その内に村の住人達もやって来た。彼等は生徒達の後ろに並んでいく。その中には村長夫人とムラマツも混じっている。こうして見ると、村の規模に比べて人の数が少ない。殆どの男達が戦争に行っているからだ。

 全員が揃った頃、軍服の右脇に拳銃のホルスター、左脇に軍刀を下げた顔面黒髭だらけの大柄な男が隊列の中から進み出ると、私達の前にある朝礼台に立った。

「陸軍技術研究所分室の警備を担当する分隊長、アラシ大尉である!」

 アラシと名乗ったその40台位の憲兵大尉は、マイクもメガホンも使わず、野太い地声だけで群衆に呼び掛けた。

「本日諸君を集めたのは、重大な事項を伝える為である!先日、ここに居るイデ研究員から、とある報告を受けた!イデ研究員、前へ!」

 アラシ大尉は背後の隊列を振り向くと、その端に居た白衣の男ヘ呼び掛けた。若い男は慌てて1歩前へ進むと、短く頭を下げた。

 アラシ大尉は顔を正面に戻して話を続ける。

「彼の報告によると、ここ数日間で研究所の測定器が、複数の正体不明の怪電波を感知したという!電波の性質上、この村を含んだ一帯から発信されたと思われる!本官はこれを、諜報員による謀略通信の可能性有りと判断した!」

 諜報員、つまりはスパイである。

 聴衆が一斉にざわめく。予想もしていなかった言葉だったのだろう。こんな山奥の田舎村にスパイなど考えられない、というのが彼等の本音に違いない。

「静粛に!静粛に!」

 アラシ大尉の怒鳴り声で一同は静まり返る。

「諸君の動揺は充分理解出来る!この様な場所に諜報員など居る訳がない!これまでは確かにそうだっただろう!しかし、今は状況が違う!何故ならば、ここに陸軍技術研究所分室が移転したからだ!分室では、この戦争を我が国の勝利に導く極めて重要な研究を行っている!すなわち、ここは最重要拠点の1つとなったのだ!その場所を諜報員が目を付けるのは至極当然である!」

 それを聞いたイデと呼ばれた男は、居心地が悪そうに頭をかいた。

「今や戦場は沖縄に移り、時局は切迫している!この研究所の機密は断固死守しなければならない!本官は諸君に対して、諜報員摘発の協力を求めるものである!怪しい者、疑わしい振る舞いをする者、疑わしい場所などを知っていたら、即刻憲兵隊に知らせて欲しい!挙国一致でこの難局に打ち克つ為、是非協力を求む!本官からの話は以上である!解散!」

 生徒も、村人もばらばらと校庭を出て行った。彼等は自分以外の者を、何とも言えない眼差しでちらちらと見ている。憲兵隊長の衝撃的な言葉は、それを聞いた全員に猜疑心という毒草の種を植え付けてしまったのだ。

 私は下を向いて校舎へと歩きながら、寒気を感じていた。

 まずい。まずい。まずい……。

 嫌な予感がする……。

 陸軍の研究所がある村で、スパイの疑いがある怪しい者。

 それは誰がどう見ても、最近になって疎開して来た私なのだ。

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