第4話

 翌日早朝、昨晩と同様の簡単な握り飯を1つ食べた後、ムラマツに連れられて疎開先の小学校に行った。

 そこは村の規模に似合わず比較的大きな木造2階建ての校舎と校庭を持ち、周辺にある幾つかの農村に住む子供達も教えているらしい。只、2つある校舎の内、校門から見て奥にある建物は明らかに雰囲気が違った。明るいのに全ての窓には黒いカーテンが引かれ、入り口や周囲には兵士が立っている。

 この建物に、ムラマツが言っていた陸軍の登戸研究所が移転して来たのだろう。校庭にも幾つかのカーキ色をした天幕が張られて野営地になっている。

 奇妙なのはそれらの兵士が皆、憲兵の腕章を付けている事だ。如何に重要な場所とは言え、警備なら普通の兵士で充分の筈。私には、こんな田舎に大勢の憲兵隊が派遣される理由がわからなかった。

 教員室で簡単な手続きを済ませると、ムラマツはさっさと帰ってしまう。後に残された私は心細い思いで担任教師に教室へ連れられた。引戸を開けて中に入ると、教室内にびっしりと並べられた机の上から、強い圧力を伴った視線が私に注がれた。

 担任に手短に紹介された私は名前を言って頭を下げたが、誰1人として拍手をする生徒は居なかった。

 まずい事になったと私は思った。

 そのまま最前列の机に着席して授業が始まったが、依然として私の背中に刺すような視線を感じる。それは紛れもなく敵意がこもっていた。

 初日の授業が終わり、仮の住まいに帰ろうとした時、私は10人位の生徒達に囲まれて学校から離れた空き地に連れて行かれた。

 その場に突き飛ばされた私は、彼等から殴る蹴るの暴行を受けた。その内の1人、猿の様な顔立ちをした6年生が私の胸ぐらを掴んで言う。

「お前ら東京者が来たせいで、食い物は取られ校舎は取られ、俺達は大変な目に遭ってるんだ。とっとと出ていけ」

 言いたい事は大体わかっていた。昨夜ムラマツから、陸軍の研究所が近隣の農村から食糧を徴発した話は聞いた。実際にそれをやったのは憲兵隊だろう。尊大さで悪名高い彼らは、厳しい臨検と徴発を行ったに違いない。

 何年も前から全国の農村に対する米食糧の供出は義務付けられていた。それは戦争が長引くに従い厳しくなっていったが、農民達は自分達の食い扶持だけは巧みに秘匿していた。

 この村も同じ事をして食い繋いでいたのだろうが、今年に入り、大規模な軍集団が突然やって来て、彼らの生活基盤を根こそぎ奪ったのだ。

 おまけに子供達は学校の半分以上と校庭も接収された。教室内に過密度で机が置かれていたのは、元来の校舎が使えなくなったせいだ。それに加えて学校内では憲兵隊が威圧的に振る舞っている。

 彼らが重いストレスを感じて怒りを抱くのは当然だが、軍隊にそれを向けるのは危険極まる。だから同じく東京から来た私に、その怒りの矛先を向けたのだ。正確には登戸は神奈川県だが、彼らにとって、そんな事はどうでもいいのだろう。

 無論、私にとっては理不尽な話だ。だから懸命に抵抗したが、何年も満足に物を食べていない都会っ子のひ弱な力では、食べ物に困らなかった田舎の野生児達に敵う筈が無い。更に多勢に無勢で、一方的にやられ放題だった。

 結局私は、彼らの嘲笑が遠ざかり消え去るまで、身動きできずにボロ雑巾の様に地面に転がるだけだった。

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