第2話

 何回かの乗り換えを経て、武骨な蒸気機関車は信州のとある駅に到着した。固い座席からゆっくりと立ち上がり、不似合いに大きなカーキ色のリュックを背負ってホームに降りる。東京を出発したのは朝だが、既に夕方前になっていた。改札口を出ると濃緑色の国民服を着た男が声をかけてきた。

「お前がエイジか?」

「……はい」

「俺がムラマツだ。お前の母親から疎開中の面倒を頼まれている。随分待ったぞ」

 出発前に母から教えられていたが、縁戚のムラマツは50代半ばで、五分刈りの胡麻塩頭をした中肉中背の、黒味がかった顔をした男だった。初対面にも関わらず全く無愛想な態度に、私は嫌な印象を抱いた。

「汽車が遅いんです。途中で何度も停まったし……」

 私の言葉に男は小さく舌打ちした。

「今じゃ女が車掌で、ガキが機関車の釜焚きをやっているからな。素人ばかりでまともに動く訳がない」

 この頃になると中年以下の男達は軒並み軍に召集されて、社会インフラで働いているのは動員された若年層と年寄りばかりだった。この国が急速に痩せ衰えて行くのを、誰もが肌身で感じていたが、それを口に出す者は居なかった。

 ムラマツはいきなり歩き出した。着いて来いとも言われなかったので私は面食らったが、何もしないと置いていかれると思ったので慌てて後を追う。木造の駅舎を出た所に荷車に繋がれた馬が居た。

「乗れ」

 ムラマツは短く言い捨てて荷車の前部に乗り込む。私は1番後ろの縁にリュックを放り込んで飛び乗った。ムラマツは後ろを1度も振り向く事なく馬を出発させる。直後に彼は前を見たまま言った。

「俺の住んでいる村は、ここから未だ遠い。この分だと着くのは夜中だな」

 駅周辺にある小さな街を抜けて、馬車は未舗装の細い道を進んだ。蛇の様にくねった山道を登り下りする間、ムラマツは基本的に無言だったが、夕陽が落ちる前に荷台に掛けている提灯を灯す時、1度だけ口を開いた。

「母親から礼金を受け取っているが、今の時勢じゃカネなんか持っていても、ろくな物が買えない。だからお前には働いてもらう。学校には行かせてやるし、飯も食わせてやる。その代わりに学校から帰ったら俺の仕事の手伝いをするんだ。日曜日も仕事だ。わかったか?」

 母には、疎開先の手伝いをする様に言われていたので予想はしていたが、ムラマツの言い方が余りにも冷たく聞こえたので、私は自分が人買いに合った気がした。不安のせいで、少し震える声で返事をする。

「……はい」

「それから、今の内に言っておく。検閲に引っ掛からない様に母親への手紙には書かなかったが、お前よりも先に東京から来た連中がいる。陸軍の研究所だ」

「研究所?」

「東京が危なくなったから、今年の始め頃お前みたいに疎開して来たんだ。村の小学校を半分徴発して、そこで何かを研究している。学校に居る間はそいつらと一緒になるから、決して無礼な真似をするなよ」

 予想外の話を聞かされて、私は動揺した。川崎の登戸に陸軍の技術研究所がある事は知っていたが、それが自分と同じ場所に逃げていたとは。少なからぬ数の軍人が同居する村での生活に、私は先行き不安なものを感じた。ムラマツは、そんな私の様子などお構いなしに、それっきり口を閉ざした。相手の機嫌がわからず、私の方も何も言わなかった。

 お互いが無言のまま数時間後、すっかり夜が更けた頃、山地を抜けた前方に開けた場所が現れた。灯火管制の為に真っ暗で何も見えなかったが、そこが目的地の疎開村だった。

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