第6話 国王になるためにはそれなりのスキルが必要な件について

「それでは今日から国王になるための特訓を行っていきます!」

 僕と陽葵とバンを中庭に呼び出したリュドは、いつも以上に気合いが入った様子を見せていた。

 二日間の休息の後、僕たちは『国王入れ替え大作戦』を行うための下準備に取りかかることになった。

「それで、僕は具体的に何をすればいいの?」

「シャール殿下には、完璧にアルノルド陛下になりきっていただく必要があります。少しでも違和感があれば疑われる可能性があるので、疑われないためにもアルノルド陛下の性格を知り、ある程度の知識を身につけて、礼儀作法やテーブルマナー、乗馬などを学んでいただきます」

「……なるほど。覚えることや礼儀作法はなんとかなりそうだけど、乗馬かぁ。僕、動物は大好きなんだけど壊滅的な運動音痴なんだよね。大丈夫かなぁ」

 僕は始める前から情けない声をあげてしまう。

「大丈夫です。乗馬は運動神経は関係ないですよ。大事なのはバランス感覚なので。今日からみっちり一ヶ月間、私とバンが教えていきます!」

「えっ!? 一ヶ月間? そんな短い期間で覚えなきゃいけないの?」

「申し訳ありません、もう時間がないのです。一ヶ月後にグロワール王国の王宮で王族が集まる大規模な式典が行われます。アルノルド陛下に謁見できる機会があるのはこの時だけ。そこで上手く誘導して隙をついてシャール殿下とアルノルド陛下を入れ換えます」

「上手く誘導って? それに入れ換えたあと、アルノルドはどうなるの?」

「城には協力してくれる仲間の騎士や兵士を何人か忍ばせています。人間の騎士や兵士の中にもアルノルドに不満を持つ者は多くいます。アルノルドは捕らえて一時的に牢獄へ幽閉する予定です。一番問題なのは側近たちですね。彼らを上手く騙さなければこの作戦は終わります。なのでシャール殿下には違和感なくアルノルドになっていただく必要があるのです。入れ替わったあともスムーズに対応できるようにしていきましょう。徐々に側近たちを解雇し、アビゲル王の時代だった時のような政治体制に整えて行きましょう。」

「……なるほど、頑張るよ。でも、僕が今まで聞いた限りだとアルノルドって暴君で自分勝手で、そこまで教養があるイメージはないんだけど」

「自堕落な生活を送っているだけの国王だと思われるのも当然かもしれません……。ですが、アルノルドは美に対して非常に厳しいお方です。気品と優雅さを兼ね備えた美しさを常に求めています。そして独自の感性を持っている……。それでいて内面は子供のように幼く、純粋さもあれば時に冷酷なお方です」

 リュドの話を聞けば聞くほど、アルノルド陛下のことが分からなくなる。

「リュドはアルノルドと話したことあるんだよね?」

「はい……。私がまだ見習い騎士だった頃から国王近衛騎士団の団長を勤めていた頃まで、何度かお話をさせていただいたことがあります」

「独自の感性を持っているって言ってたけど、例えばどんな?」

「そうですね……。印象深いのは、私がまだ見習い騎士で城の警備をしていた時の出来事でしょうか。まだアルノルドが国王になる前の十歳だった頃です。やたら警備の人数が少ないと思っていたら、アルノルドが騎士たちを集めて昆虫の『蝶』を捕まえるように命令していました。私は捕まえて飼育でもするのだろうと思っていましたが、尋ねるとアルノルドは『捕まえた蝶の羽を全部もいで自分の背中に付ければ、私も飛べるようになるんだ』と仰ったのです。私は『飛べるようにはなりませんよ』と返答したのですが『じゃあ、あの空を飛んでいる鳥を撃ち落とそう』と言い出して……。どうしてそのようなことをするのかと尋ねたら『自分よりも高く飛ぶことができる鳥が許せない』と仰っていました。最終的には『妖精族の羽を奪えば飛べるでしょ?』と言うので、当時の私は必死に制止していた記憶があります」

「なんか、とんでもない思考回路してるね」

 陽葵が苦笑いをすると、僕も同調して頷く。

「うん、なんか考えが方がぶっ飛んでるね」

「……幼い頃からアルノルドはどこか感情が欠落しているような行動が多いように思います」

「そんな兄に僕はなりきらなきゃいけないのか……」

 僕は大きなため息をついて肩を落とした。

 僕とは違いすぎる生活環境で育った兄……。思考回路も全く理解できないし、役者でもない僕がアルノルドをしっかりと演じることができるのかと不安が募っていく。

 立ちはだかる壁は大きいと僕は痛感した。

「まず最初は、馬に乗る練習をしましょう。この世界での移動手段は馬だけです。アルノルド陛下は基本は馬車で移動していますが、馬も華麗に乗りこなせますので、乗れないと話になりません。私がシャール殿下、バンが陽葵様に乗り方を教えます。馬は城を出た直ぐの所に厩舎

があるので、今からそちらへ来てください」



 厩舎に入ると馬房には一頭ずつ馬が並んでいた。数は四頭で茶色の馬が三頭と一番端に白馬がいる。

「この茶色の馬三頭で練習をしていきましょうか」

 三頭の茶色の馬はリュドとバンに良く懐いていて、顔にロープを引っ掻けて引っ張ると素直に馬房から出てくる。

「こっちの白い馬は? すごく綺麗な馬だね」

 一目で白馬に惹かれ、僕は指を差して白馬に歩み寄る。

「その馬はとても臆病で、馬房から出るのを嫌がるんです。初めて会う人だと余計に怯えてしまって、威嚇してきたり噛もうとするので危険なので絶対に近づかないように――」

 リュドは慌てた様子で注意するが、僕はすでに白馬の目の前にいた。

 白馬は警戒するように耳をピンと立て、視線を外さずじっと僕のことを見つめている。

「大丈夫だよ。怖くないよ」

 僕は穏やかな声音で呼び掛けて、白馬にゆっくりと近づく。すると白馬は馬房から顔を出してくれた。

 僕が白馬の首辺りを掌で優しく撫でると、白馬は目を細めながら僕の顔に鼻を摺り寄せてくる。

「すげぇ……。ルアンは絶対に初対面の人には懐かねぇのに」

 バンが驚いて声をあげた。

「よしよし。君の名前、ルアンって言うんだ。かわいい名前だね」

 僕もルアンの顔に頬を摺り寄せる。

 様子を見守っていたリュドが白馬の顔にロープを引っ掛けて、ゆっくりと馬房から出してくれた。

 白馬は前掻きをしたあと、舌を出してペロペロと僕の顔を舐めてくる。

「それは馬が相手に対して服従する時に見られる行動の一つですね。ルアンはシャール殿下に心を開いてくれたみたいです」

 リュドは安堵したように胸を撫で下ろした。

「蒼空にぃって本当に昔から動物に懐かれやすいよね」

 三頭の茶色の馬も僕の周りに集まってきて、顔を摺り寄せたり舐めたりしてくれる。

 くすぐったくなって僕が声を出して笑っていると、ルアンが構ってと言わんばかりに三頭の間に割り込むようにして入ってきた。

「大丈夫だよルアン。僕はルアンと練習するね」

 僕はルアンの顔に再び頬擦りする。

 

「では、それぞれで練習をはじめて行きましょうか」

 僕とリュド、陽葵とバンに分かれて、馬の乗り方を教えてもらうことになった。

「まずは馬の左横に立って左手で手綱と馬の鬣をつかんで、右手は鞍を押さえます。左足を鐙にかけたら、勢いをつけて右足で地面を蹴ると同時に馬に跨がります。鞍へ座るときは静かに、鐙はつま先で引っ掛けるようにして踵をしっかりと下げてください。この時つま先で馬のお腹を蹴らないように注意してくださいね」

 リュドは説明を交えながら実際に茶色の馬に乗ってお手本を見せてくれた。

 僕は見様見真似で馬に乗ってみる。

 案外高い……。でも……すごく楽しい!

 見晴らしが良く視界が広くなったように感じてテンションも上がる。ルアンもめちゃくちゃ大人しいし全然怖くないや。

「とりあえず今は上手く走ることよりも、騎乗感覚と騎乗姿勢を身に付ける意識してみましょう。気を付けないと落馬してしまう恐れがあるので、姿勢を正して中心に重心を置くイメージでバランスを取ってください」

 僕は視線を真っ直ぐにして、肩の力を抜いた。

 リュドは馬から降りて、僕の耳、肩、お尻、踵のラインが直線になるように指示をして姿勢を整えてくれる。

「もう少し踵は下げて、腰はもっと真っ直ぐに」

 指示だけでは伝わらなかったのか、リュドは徐に僕のお腹に左手を添えて、右手を腰とお尻の間くらいのところに添える。

 僕の腰に添えられたリュドの右手にグッと力が込められて、ゆっくりと押すように背筋を整えられ、僕は変な声が出そうになるのを必死に我慢した。

 なんでだろう。集中しなきゃいけないのに変に意識してドキドキしてしまう。

 僕は鼓動が速くなるのを感じつつ、リュドの話に耳を傾ける。

「この姿勢が自然と身につくまで毎日練習を繰り返しましょう。次に馬の簡単な操作方法を教えます」

 リュドは再び実演を交えて僕に分かりやすく解説してくれる。

「両足の踵で馬のお腹を軽く蹴ります。これが歩く合図で、曲がる時は行きたい方の手綱を横へ開きます。そして手綱を両方引くと止まります。今日はここまでをしっかり理解して覚えておきましょうか」

 リュドは華麗に馬を乗りこなしている。

「すごい! ちゃんと指示に従ってくれるんだね」

 僕も見様見真似で教えてもらったことを実践してみる。

 リュドのようにスムーズにはいかなかったが、ルアンが優秀すぎたのか僕のやりたいことを察して動いてくれる。

「さすがシャール殿下、飲み込みが早いですね! バランス感覚が素晴らしいですし、なによりもルアンに心を寄せていらっしゃるので、ルアンも不安なく指示に従っています。これなら次のステップに移っても問題なさそうですね」

 リュドに褒められて僕は満更でもない気分になってくる。日本にいた頃は部屋に閉じ籠ってばかりだったし、こんなにワクワクする感覚は久しぶりだ。

「次は馬を軽く走らせましょうか。歩いている状態のまま手綱を引いて再びお腹を軽く蹴るのが合図で馬は走り出します。走り出すと馬の反動を受けるので、馬が走るリズムに合わせて立つ座るを繰り返し行う動作が重要になります。しっかり前を向いて、お腹を突き出すイメージで立ち上がってみてください。座るときは軽く、鞍にお尻の接地面が少なく、すぐ立ち上がれるように意識をしてください」

 リュドが合図を送ると馬は颯爽と走り出す。

「……かっこいい!」

 白銀の髪を靡かせて優雅に馬を操り、走らせるリュドの姿に思わず感嘆のため息を溢してしまった。

 もっと練習すればいつか僕もこんな風にかっこ良く馬を乗りこなすことが出来るだろうか……。期待に胸が膨らんでいく。

 そんなこんなで午前中は、乗馬の軽速歩まで習って練習は終わり、午後からはリュドによるマナー講座が開かれることになった。



「では、午後からはテーブルマナーについて学んで行きましょう」

 リュドは張り切った様子でテーブルに食器を並べていく。

「もう、僕ヘトヘトだよぉ……」

 僕は情けない声をあげて、ソファに身体を預けるように突っ伏した。

 部屋に閉じ籠って運動を一切してこなかった付けが回ったのが、普段使わない筋肉を使いすぎて身体が悲鳴をあげている。節々が痛いし、ずんっと重い。

 これ絶対明日、筋肉痛で動けないよ……。

「陽葵は平気なの?」

「え? 俺? 全然平気だよ! 乗馬楽しかったなぁ。明日も楽しみだね」

 うっ……さすが体育会系。けろっとして笑ってるよ。これが普段から運動している者としていない者の差かぁ。

 僕の様子を見兼ねて、陽葵は僕の腰をマッサージしてくれる。

 ……うっ、めちゃくちゃ気持ちいい。

「陽葵は飲み込み早すぎて、もう乗馬の練習は必要ないんじゃねぇか」

 バンは目を細めて陽葵を睨むようにして見ている。

「えっ!? もう乗りこなしてるってこと?」

 僕は驚きのあまり、勢い良くガバッと陽葵のほうに振り向く。

「いてててててっ!」

 身体が悲鳴を上げて僕は大声で叫んでしまった。陽葵は心配そうな表情で僕の腰を撫でる。

「参ったぜ。一回教えただけで、もう完璧に乗りこなせてるんだぜ? 信じられるか?」

「そんなことないよ。まだまだ教えてほしいこといっぱいあるし、細かいところも練習したい。まだ鞭の使い方だって習ってないし」

 陽葵が天才だってことは分かっていたが、僕がリュドに『飲み込みが早い』って褒められて喜んでいたのが馬鹿みたいに感じる。

 それに、こんなことで値をあげていたら、この先の『アルノルドになりきる』という目標には到底到達することが出来ない。

 僕は陽葵とは違うし、今は練習あるのみなんだろうな。

「準備が整いました。はじめていきましょう」

 リュドが声をかけると、僕は身体の痛みを堪えながら、食卓用のテーブルの椅子に腰かけた。

「まず、アルノルド陛下は普段は奴隷にすべて食べ物の切り分けや、口まで運ぶ作業、口を拭う作業などを任せています」

「えっ、奴隷!? じゃあテーブルマナー必要ないんじゃ?」

「いえ、そうもいかないのです。普段は奴隷に任せているのですが、きちんとしたテーブルマナーを学び、重要な社交の場では完璧な姿を見せています」

「へぇ。そうなんだ」

「はい。なので普段の食事では堂々とした態度で指示をして、奴隷に全て任せてください。そして食べ物の好き嫌いが激しいです。準備される食事には嫌いな物は入っていないと思いますが、万が一のことがあるといけないので一応伝えておきますね。基本的に肉とパンと穀物中心の食事で魚介類は一切口にしません。海草類も同様です。野菜も好き嫌いが多いので分かりやすく紙に記載したものを後で渡しますので、それを完璧に覚えてください。珍しい調理法も警戒して食べることはありませんが、見映えが綺麗なものには惹かれることがあるそうです。甘いものが好物で食後には必ず紅茶とデザートが出てきます」

「僕魚介類は大好物なんだけどな……分かった。全部覚えるよ」

 一卵性の双子って一致するところが多いと勝手に思い込んでたけど、現状だと僕らの似てる部分って顔だけなんだよな。

 僕はそんなことをぼんやりと考えた。

「城にある食器類はすべて撤去されてしまったので、今回は町で購入した中古の食器やカトラリーを使っていきます。貴族はアンティークで高級な陶磁器を好んで使っているので、そこは違いが出ると思うので使用する際は音が出ないように静かに食事をするのを心がけてください」

「町で購入って……獣人は追放されたんじゃないの?」

 僕はリュドに疑問をぶつけた。

「町といっても中心部から離れたここから一番近い場所です。検問はあるのですが事情を知っている私の友人の兵士が多いので、ローブで耳としっぽさえ隠せば通してくれます。頻繁に通うことは出来ないので一ヶ月に一度くらいのペースで必要な物や食料を買い溜めしています。……と言っても食料はどんどん高額になってきているので、たくさんは買えませんけど……」

「そうなんだね。僕もタイミングが合えば行ってみたいな」

 僕はこの戦場跡地しか知らないから、他の場所がどんなふうになっているのか自分の目で確かめてみたい。

「分かりました。危険も伴いますがシャール殿下には今のグロワール王国の現状を見ていただく必要があります。一番近い町といっても距離があるので、馬に乗れるようになった頃にお連れします」

「ほんと? やった!」

「俺も行きたい」

 僕が喜んでいると、隣に座っていた陽葵が勢い良く手をあげる。

「そうですね。その時はみんなで行きましょうか」

 リュドは穏やかに微笑んだ。

「では、テーブルマナーに戻りましょうか。まずは基本です。食事の時は会話はならべく控えて静かに。食事中は自分の身体には触れず、テーブルに寄りかかったり、食べるときは口を開けて咀嚼しない」

 僕はリュドの言葉に頷いた。これくらいのマナーなら僕にも理解ができる。

「食事は前菜からメインまでの流れがあります。ナイフとフォークは並べられた外側から順番に使っていきます。肉を切るときは人差し指でしっかり支えて、ナイフは手前に引いて切ってください。食べるときは前屈みにならないように気をつけて」

 リュドは僕の正面の席について、カトラリーの正しい使い方を実演する。もちろんお皿には食べ物は乗っていないが、代わりに料理に見立てた粘土が皿の上に乗っている。

「置くときはナイフとフォークは皿のふちに掛けておく。皿の中央に斜めに並べるのが食べ終わりのサインです。料理は必ず主役からナイフを入れてください。盛り合わせは時計回りの順番で食べるのが基本です」

「どうして時計回りに?」

「盛り合わせは味の薄いものから濃いものの順番に並んでいるので、時計回りに食べると美味しく感じられます」

「へぇ、そうなんだ。すごい」

 僕は単純に感心して声を漏らす。

「野菜は繊維にそって切る。デザートはスプーンをまっすぐにおろす。などマナーやルールがたくさんあるので、これから毎日身体に染み込むまで練習していきましょう」

「分かった。がんばるよ」

「次にワイングラスの持ち方について。シャール殿下はどう持ちますか?」

 リュドが尋ねると僕はワイングラスの脚の部分を親指と人差し指で摘まむようにして持った。

「こう?」

 昔テレビ番組で観たことがあったのを思い出す。グラスのボウルの部分を持つと、注いだワインに手の温度が伝わって、風味が変わってしまうことがある。だからそれを防ぐために脚を持つのが正解だと。

「こっちが正解です」

 リュドはワイングラスのボウル部分を手で包むように持った。

「えっ! 違うの? ワインの温度で風味が変わるから脚の部分を持つのが正解だと思ってた」

 僕は驚いて目を見開く。

「王宮にあるワイングラスには全て脚の部分に美しく繊細な装飾が施されています。その部分を手で隠さないのが正しい持ち方です。それに細い脚部分を持つよりも、ボウルを持つほうがグラスが安定します」

「なるほど……」

 僕は再び感心して唸る。

「でも僕お酒飲めないんだよね……」

「そう、日本では二十歳以下は飲んじゃいけない法律があるんだよ」

 陽葵の言葉を聞いてリュドとバンが驚いたように口を開く。

「そんな法律があるのか! こっちの世界では十六歳から酒ガンガンに飲んでるぜ」

「それはまずいですね。お酒も飲めるように慣れていきましょうか……」

 リュドの表情が途端に曇る。

「もしかしてアルノルド陛下って、かなりの酒豪だったりする?」

 僕は苦笑いしながらリュドに尋ねる。

 僕の質問にリュドは同じように苦笑いをして返した。

「なんか前途多難だなぁ……」

 僕はリュドの表情で察して、肩をガックリと落とした。

「せっかくだから俺もお酒飲めるようになりたいな。あとテーブルマナーも蒼空にぃと一緒に勉強する。基礎くらいは出来ないと蒼空にぃの隣にいるのに相応しくないし」

 陽葵は気合いを入れて居住まいを正した。

「……そうですね。陽葵様には教えたいことがあるので、礼儀作法やテーブルマナーの他にも特別メニューをこなしていただきます」

 ……特別メニュー? 陽葵だけどうして?

 怪しい……。二人は僕に何か隠している気がする。

「蒼空にぃの側に要るために必要なことをリュド師匠が教えてくれるんだ。だから心配しないで」

 訝しげに二人を見ていたら、僕の気持ちを先読みするように陽葵が笑顔で宥める。

 そんなことを言われてしまったらこれ以上は深く聞けなくなってしまう。

「……わかったよ」

 僕は大きく溜め息をついたあと、気持ちを切り替えてリュドに教えてもらった手順でお皿に乗った粘土を切っていく――。



 三時間のテーブルマナー講座を終えて、僕は身体がふらふらになりながら次のレッスンに取りかかる。

「次は社交界の催しとして欠かせない舞踏会でのダンスです。アルノルドはダンスが好きで見るのも踊るのも好きです。踊りが上手な者は出世させて、下手な者は左遷させた事もあるくらいです」

「ダ……ダンス。なんかその話を聞くとかなり重要そうだね。……そんなことまで覚えなきゃいけないのかぁ」

 僕は運動神経も破滅的だが、リズム感も絶望的にない。しかもダンスなんて一番苦手な分類だ。

「それにしてもリュド師匠ってなんでも知ってるんだね。ダンスまで踊れるの?」

 陽葵は感心したように問いかける。

「幼い頃から父親にみっちり仕込まれましたので。騎士になるためには全て必要なことです」

「それをこの短期間で覚えなきゃならないのかぁ。不安でしかないよ」

「シャール殿下なら大丈夫ですよ。私がきっちり教えて、一ヶ月後までに完璧に仕上げて見せます」

 毎日このハードなスケジュールが続くと思うと頭がおかしくなりそうだ。

 僕は何度目か分からないため息をついた。

「王の舞踏会に参加を許されているのは王族の血を引く者の他に公爵、公爵夫人、その他の宮廷の貴族たちです。顔もしっかりと記憶しなければなりません。宮廷の集まりでは、身分の順番に席や位置が決まっていて、中央奥に王の座る椅子があります」

「うっ、覚えることが多すぎて頭がパンクしそう……」

 僕は頭を押さえてその場に踞った。

「一気に覚えなくても大丈夫ですよ。とりあえず今日は楽しくダンスレッスンをしましょうか」

 リュドは僕の目線まで屈んで優しく肩に触れる。

「楽しくって言ったって、僕ダンスなんて一度も踊ったことないよ」

「フォーマルな舞踏会は細かいルールがありますが、それ以外にも変装や仮装をして自分の身分を隠して色んな人と楽しく踊ったりするものもあるんですよ」

 リュドはそう言いながら僕に手を差しのべる。僕がリュドの手を掴むとリュドは立ち上がると同時に僕の腕を引っ張って腰を引き寄せた。

「まずは感覚をつかみましょう。私に身を任せてください」

 リュドの身体と僕の身体がピッタリと密着する。僕は驚きのあまり身体を強張らせた。

「もっとリラックスして」

 リュドが僕の耳元で囁く。リュドの吐息が耳に掛かってくすぐったい。

 この状況でリラックスなんて無理でしょ!

 自分の心臓の鼓動の速さがリュドに伝わらないことを願って、僕はリュドに身体を預けた。

「ワンツースリー、ワンツースリー」

 リュドはリズムを取りながら僕をリードするように身体を揺らす。リュドが重心を前に移動させると、僕も自然と足が前に出る。

 しばらくリュドに身を任せて踊っていると、だんだんとリズムをつかんでくる。

「どうですか? ダンス楽しいですよね」

 リュドが黄金色の瞳を狭めて穏やかに微笑んだ。

「……うん」

 目線を上にするとリュドと視線が交わり、心臓が爆発しそうになる。

 揺れる白銀色の髪と整った顔立ち。こうしてリュドの顔を間近で見ると、その顔の美しさに見惚れてしまう。

「今度は四人でリズムをとりながら踊ってみましょう」

 リュドの提案で陽葵とバンもダンスに参加することになった。

 リュドは簡単なステップだけ教えて、再び僕に手を差しのべる。

 リュドと一通り踊り終わると僕の身体がくるりと回されて、その間に目の前に陽葵の姿が現れる。

 僕は次に陽葵の手を取ってステップを踏んで踊り出す。

 なんだか陽葵とダンスするのは照れ臭い。身近にいる存在だから平常心でいられると思っていたけど、黙って僕を見つめながら踊っている陽葵の姿はめちゃくちゃ大人っぽくてクールでかっこいい。

 そんなことを考えているうちに再び身体をくるりと回されて、今度はバンが僕の手を取った。バンの筋肉質で引き締まった身体が僕の身体をリードしてくれる。相変わらずちゃんと目は合わせてもらえないが、気恥ずかしそうに踊っているのが意外だ。豪快に踊るのだろうと予想していたので、これにはビックリした。

 ……あぁ、これが世に言うイケメン回転寿司ってやつかぁ。

 なんだか特別な気分になる。僕は女の子の気持ちが少しだけ理解できた気がした。


 こうして怒涛の一日は終わった。あとはこれをひたすら繰り返すだけの日々が始まる。

 僕は不安と少しの希望を胸に目標に向かって突き進んだ。

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