第5話 黒魔法を使うには等価交換が必要な件について
「どうしたの? また一人で寝れないの? 仕方ないね。こっちにおいで」
白銀色の髪をした獣人の少年が僕の手を引き、僕は少年に促されるままベッドに横になった。同じように隣で横たわる少年が、僕の髪を撫で梳かしながら優しい声音で耳元で囁く。
「シャールは寂しがり屋さんだね」
優しくそっと僕に布団を掛けてくれる青年。
陽だまりの匂いがする――。
僕が縋りつくように少年の身体にぴったりと寄り添うと、少年はそれに答えるように僕の身体を抱きしめてくれた。
僕の背中を撫で摩りながら『大丈夫だよ』って優しい言葉をくれる。
「リュドだいすき。ずっといっしょだよ」
抱き締められた時の安心感と温かい感触が全身に広がっていく――。
あぁ……。これは夢? いや違う。夢の中だけどこれは全部僕の過去の記憶だ。
――そうか。リュドが昔、僕にしてくれていたこと。僕はずっとそれを頭の奥底で覚えていて、自然と同じこと陽葵にしていたんだ。
温かい感触に安堵を覚えていると、僕の視界が途端に赤く染まった。
燃えさかる小さな家。逃げていく人影。
「この場所はもう限界だ」
「リュドヴィック! 俺はシャール殿下を安全な世界へ連れていく。お前はここに残って母さんを支えてやってくれ。あとの事は全部任せたぞ」
「父さん! ……シャール!」
リュドは決意に溢れた父親の眼差しを涙ながらに見つめて、覚悟を決めたように頷いた。
「シャール。……いや、シャール殿下。お別れです」
「リュド! いやだよ!」
「また絶対に会えます。どうかご武運を……」
リュドは跪いて僕の手の甲にそっと口づけをした。
「次に会う時には立派な騎士になってみせます。あなたを守れるような――」
胸が引き裂かれそうな気持ちだったのを覚えている。
大好きだったリュドヴィック。
僕は家族の温かさを知っているんだ……。
*
……遠い日の懐かしい夢を見ていた。閉じ込めていた記憶が次々と夢の中で溢れ出し、僕はようやくグロワール王国での幼い頃の記憶を取り戻した。
なんだかむず痒い気持ちだ。僕はリュドにあんなに懐いていたんだな。
まだ抱き締められた時の微熱が、身体の記憶に残っている――。
小さい頃はリュドのことが大好きで、どこに行くにもぴったりくっついていたことを思い出す。今思い返すと、幼いながらにも恋い慕っていたのかもしれない。
これからリュドにどう接すればいいのだろう……。記憶が戻ったことを早く会って伝えたいのに、なんだか会いたくない気もする。
なんだろうこの不思議な感情は……。
手の甲を眺めながら僕が物思いに耽っていると、なにやら外から騒がしい音が聞こえてくる。
金属が擦れるようなキーンッという音が何度も響いて、僕は眠気眼を擦った。すると指に水滴がついていることに気づく。
泣いてしまっていたのか……。離れ離れになった時の寂しさや喪失感を思い出して、僕は深くため息をついた。
「くっそ! また俺の負けかよ!」
「今のはいい勝負だったね。」
「もうひと勝負! 次はぜっっってぇ勝つぜ!」
中庭から陽葵とバンの声がして、僕はベッドから身体を起こし、窓を開けて中庭を見た。
爽やかな風と柔らかな陽射しが差し込んでくる。
「いいけど、得意の武器に変えてもいいんだよ?」
「んなことできるかよ! 対等な真っ向勝負といこうぜ!」
陽葵とバンが中庭で剣を片手に、真剣な顔つきで向かい合っている。
……えっ、ちょっとまって。それ本物の剣じゃない?
「陽葵! なにやってるの! 危ないよ!」
僕は思わず窓から身を乗り出した。
「あっ! 蒼空にぃだ! おはよう!」
僕の存在に気づいた陽葵は、僕のほうを向いて両手をブンブンと振っている。
昨日は学ラン姿の陽葵だったが、今日はこちらの世界の衣服に着替えていた。
グレーのブラウスに黒のベスト、細身のズボンというシンプルな服装をしている。
いつもより大人っぽく見える服装だが、陽葵の無邪気さが良い意味でギャップを出している。……なんてことを今は考えている場合ではない!
「ちょっ、剣振り回すと危ないよ!」
「陽葵、隙ありだぜ!」
僕と陽葵がそうこうしているうちに、バンが間合いを詰めて剣を振り下ろす。
陽葵は瞬時に察知して後方へさがってバンの攻撃を躱し、振り下ろされた剣身を剣先で絡めるようにしてくるりと一回転させて巻き取り、そのまま下から上へ弾き飛ばした。
「バンひどい! 真っ向勝負とか言いながら隙狙ってくるなんて」
陽葵はバンを睨みながら頬を膨らませている。
上空に弾き飛んだ剣の落下と同時に、バンは後方へ倒れ込んで落胆のため息を溢した。
「これでも勝てねぇのかよ。お前化け物すぎ」
「だからバンの得意武器でって言ったじゃん。この武器ってレイピアでしょ。俺が普段試合で使ってるフェンシングの武器のフルーレに似てるんだもん」
陽葵は、自分が持っている先端の尖った細身の剣をまじまじと見つめている。
「本物の剣は初めて持つとか言ってたじゃねぇか。だから油断してたぜ。あーあ、俺に左手があれば身体のバランスもとれるし、もう少しまともに戦えてたかもなぁ」
「でも、レイピアってそもそも刺突用の片手剣でしょ。あの戦い方だと隙がありすぎて左手があっても結果は同じだよ」
「お前って、傷口に塩塗り込んでくるタイプだろ」
バンの小さな虎耳がへにょっと萎れる。
「だから、次はバンの得意なバルディッシュで戦おうよ」
「は? いくらなんでも武器差ありすぎて勝負にならねぇよ。そんな細い武器一瞬で折れるに決まってる」
「やってみなきゃ分からないじゃん!」
なにやら口喧嘩のようなものが始まったが、とりあえず僕は陽葵が無事だったことに安堵して胸を撫で下ろした。
「今からそっちに行くからもう勝負はストップ!」
僕は窓から大声で二人に呼び掛ける。
「よっ、シャール様。おはよう! そろそろ起こしにいこうと思ってたとこだ。それにしてもシャール様の弟、化け物すぎんだろ」
「蒼空にぃ、ごめんって。今のは勝負じゃなくて剣の稽古だよ~」
二人の元に向かおうと思っていたが、それよりも先に二人の方が僕のいる窓に駆け寄ってきた。
「陽葵はフェンシングと剣道でジュニアの世界大会で優勝しているくらいの実力があるからね」
「フェンシングと剣道ってなんだ?」
バンは首を傾げて僕に尋ねる。
「どっちとも専用の剣を用いたスポーツ競技だよ。陽葵は十七歳以下の世界大会で何度も優勝経験があるんだ」
「はぁー。あんたらの世界には、そんなのがあるんだな。そりゃ強いわけだ」
真剣を使っての実践でもこんなに強いとは思わなかったけど、日本で陽葵は『怪物』と呼ばれているほど有名で注目されている選手だ。度々雑誌でも特集を組まれるくらいには人気がある。昨日は武器がなくて、反撃することができなかったけれど、剣を持たせたら水を得た魚のように生き生きとしている。
「じゃあ、リュドとかなりいい勝負するかもしれねぇな」
「えっ、やっぱりリュドさんって国王近衛騎士団の団長やってたくらいだから、めちゃくちゃ強い!?」
陽葵の目がきらきらと輝く。
「あいつは魔法剣技において最強だよ。そこら辺の剣士じゃ絶対勝てないし、大群の兵士や大砲くらい使わないと勝てないと思うぜ」
「魔法剣技……そんなのがあるんだ。じゃあ魔法が使えない僕に勝ち目はないだろうなぁ」
陽葵はがっくりと肩を落とした。
「では、魔法を使わないで剣のみでの勝負をしてみますか?」
突然、僕の背後でリュドの声がした。リュドは僕の横に立ち、同じように窓から顔を出す。
「ビックリした! リュド、ノックくらいしてください」
「ノックもして部屋の外から声をかけましたが、返答がなかったもので……すみません」
僕の肩にリュドの肩が触れ、過去のことを思い出してなんだか胸がドキドキしてしまう。
なんで僕はこんなにリュドのこと意識してるんだ? 落ち着け~。落ち着け~。
僕は頬が熱くなるのを感じ、小さく深呼吸をして、脳内を切り替える。
「えっ! 勝負したい! お願いします!」
陽葵は跳び跳ねて喜んでいるが、そんなの僕が許すはずがない。
陽葵にはどうしても過保護になってしまう自分がいる。
「だめに決まってるでしょ! 危ないから!」
僕が声を荒げていると、リュドが僕の顔を覗き込んで肩に優しく触れた。
「大丈夫ですよ。先程から二人の戦いを見ていましたが、陽葵様は間合いを完全に掴んで見切っておられました。それにお互い本気で切りつけることはありませんよ。陽葵様の安全は私が保証します」
うっ……顔がいい。至近距離で見るリュドの美しく端正な顔立ちに、つい怯んでしまう。
「……絶対にですよ。傷一つでもついたら僕は怒りますからね」
「はい、ご安心ください」
リュドは柔らかな笑顔で答えた。
「……はぁ、仕方ないなぁ。リュドがそういうなら」
僕はリュドの言葉を信用して渋々に勝負を承諾した。
僕って案外チョロいのかもしれない……。
「やったぁ! じゃあ今すぐ勝負しよう」
「なら僕も立ち合います。危険ならすぐに止めますからね」
僕はリュドを睨んで念押しする。
「分かりました。……その前にシャール殿下は……着替えましょうか」
リュドは少しだけ頬を紅潮させ、僕の寝着を一瞥して咳払いをした。
「申し訳ありません。女性用の寝着を間違えて用意してしまったみたいで……」
ふぇ? これってやっぱり女性用なの!? 自分がネグリジェを着ていたことをすっかり忘れていた。
僕は羞恥に一気に顔が熱くなる。
「今すぐ着替えますから! リュドは出ていってください!」
僕はリュドの背中を押し、部屋から追い出した。
「では、部屋の外でお待ちしております」
*
「お待たせしました」
僕は着替え終わると部屋の前で待っているリュドの前に出る。
「お似合いです」
「ありがとうございます……」
僕は白いブラウスにレースの付いたボウタイ、オリーブグリーン色のベストを着て紺色のズボンに着替えた。
ちゃんと男性用の服が準備してあって安心したが……普段は絶対に着ないような格好だから見られるのがちょっと恥ずかしい。
「せっかくなので、髪も結って差し上げますよ」
「えっと……いいんですか?」
「はい。ではこちらへ」
リュドに促されて僕は近くにあるソファに座らされる。
「リュド……。昨日言おうと思ってたんだけど、お互い敬語はやめませんか? ……その……昔はさ、敬語なんか使ってなかった……じゃん? シャールって呼んでたし……」
リュドに背を向けている今のタイミングがチャンスだと思って、僕はそれとなく切り出す。
リュドは肩まである長さの僕の髪をハーフアップにしてくれているが、僕の言葉を聞いて手を止めた。
「……過去のこと、全て思い出したんですか?」
リュドの問いに僕は気恥ずかしくも小さく頷いた。
僕はリュドの反応が気になって、後ろをチラッと振り向くと、リュドは少しだけ表情を緩ませていた。しかし、すぐに表情を引き締めて咳払いをする。
「シャール殿下は敬語をおやめになってください。……でも私は敬語を外せません。自分の身は弁えていますから」
「……身は弁えてるって……今の僕は国王でも何でもないのに……。そっか、分かりました! じゃあ僕はこれからは敬語を崩しますね!」
なんだか僕だけが舞い上がっているようで恥ずかしい。すぐに昔のように距離が近くなるのは難しいとは思うけど、せっかく記憶を取り戻せたのに……。
僕は苛立ってつい語気を強めてしまった。
リュドはそんな僕を見て、ただ笑っていた。
*
太陽に薄雲がかかって隙間から光が差し込んでくる。
リュドと陽葵は中庭の真ん中で向かい合った。
二人とも真剣な顔つきで緊迫感があり、僕まで緊張してしまう。
「じゃあ俺が手をあげたら開始の合図だ」
バンの言葉にリュドと陽葵は頷いた。
――キィィィィン。
バンが手を上げたと同時に二人は前方に一気に間合いを詰めて踏み込み、鍔迫り合いをする。
激しい押し引きの末、二人は再び同時に後方へさがってお互いの出方を待っている。
リュドは何度かフェイントをかけるように剣を突き出す。
陽葵はじりじりと間合いを詰めて、剣先でリュドの剣の動きを華麗に捌いている。
目の前で繰り広げられる瞬く間の動作の応酬に、僕は口を開けて見ていることしか出来ない。
こうして見ていると瞬発力や剣技も大事だけど、相手の先手を読む頭脳戦でもあるんだな……。
僕はハラハラしながら二人の戦いを見守っていた。
リュドが一瞬の隙を見つけ、腰を低く構えて陽葵に飛びかかる。
「私の勝ちですね」
剣先が陽葵の胸の前でピタリと止まった。
「うっ……負けたぁ」
陽葵は膝から崩れ落ちて、落胆のため息を溢した。
「陽葵が負けたところ初めて見たかも……」
僕は驚きのあまり声を洩らした。
「リュドさんの動き速すぎて防ぐので精一杯だったよ」
陽葵は悔しそうに嘆いている。
「陽葵様の動き、とても素晴らしかったです。もっと練習すれば私なんてすぐに追い越せますよ」
「ほんと? じゃあこれから毎日稽古つけてよ。リュド師匠!」
「……師匠ですか。わかりました。」
目を輝かせた陽葵に、リュドはたじたじな様子で頷く。
「こんなに強いのに、これに魔法が加わるってことでしょ? バンの言ってたリュド師匠の魔法剣技ってやつ見てみたい! 駄目?」
陽葵は甘えた声でリュドにせがんだ。
「いいですよ。それに魔法については、まだお二人に教えていないことがたくさんありますので、今から実践を交えて教えていきますね」
魔法は異世界の物語には必要不可欠と言っても過言ではない。僕は異世界嫌いで魔法に関してはあまり触れたことがなかったから、こんなに間近で魔法が見れる日がくるとは思わなかった。
リュドは目を閉じて集中する。すると足元に青色の魔方陣が浮かび上がり、それを確認したリュドは剣の刀身を中指でなぞるように滑らせた。
リュドの中指から血がポタポタと垂れていく。
「えっ、待って」
僕は目の前の光景に絶句する。
「これが黒魔術を用いた対価交換の魔法です」
垂れた血は魔法陣に吸い込まれ、それと同時に炎が舞い上がった。炎はリュドが持っている剣の周りを凄まじい勢いでとぐろを巻いている。
「すごい……!」
陽葵は目の前の光景を食い入るように見ている。
「この世界には白魔法と黒魔法が存在しています。白魔法を使える種族は妖精、獣人は黒魔法を使います。白魔法は精霊の力による回復治癒術ですが、黒魔法は魔族の力を借りた戦いにおける攻撃術になります」
リュドは剣を地面に向かって振るうと、剣から炎が放たれて地面を焼き焦がした。
「その『対価交換』って……もしかして、血を使って強い魔力を呼び出してるってこと?」
僕が尋ねると、リュドは小さく頷く。
「さすがシャール殿下、その通りです。獣人は人間より少し体力があるくらいで、通常は魔力も微々たるものしか持っていません。そこで強い魔法を得るために魔族と契約して対価交換を行う必要があるのです。血は多ければ多いほど、そして自分にとって大事な物を捧げれば捧げるほど、強い魔法が使えるというわけです」
「俺たち人間は、白魔法や黒魔法は使えないの?」
陽葵はリュドに疑問をぶつける。
「ごく稀ですが、遺伝により使える人間は少数いるみたいです。ですが、ほとんどの人間は使うことはできません」
「じゃあ僕は? 僕には神の血が流れているかもしれないって言ってたでしょ?」
「昔の文献を読む限りでは、シャール殿下の力は魔法というよりは、神通力に近いものだと思われます。私もこの目で見たわけではないので定かではありませんが……何かが切っ掛けで使える用になるかもしれませんね。この城にもいくつか古書が置いてあるので後で調べてみましょう」
「……うん、そうしてみるよ。それより指は大丈夫? 大分深く切ったように見えたけど」
僕はリュドの手首を掴んで引き寄せて中指の状態を確かめる。指先がバックリ切れていてとても痛そうだ……。
「バン。包帯か何か血を止めれるようなもの持ってる?」
僕が尋ねるとバンは早々と『救急箱持ってくる』と言って走っていった。
「こんなのは日常茶飯事なので気にしなくても大丈夫ですよ。それに獣人は人間より回復力も高いので」
僕は気になってリュドのブラウスの袖を恐る恐る捲り上げる。
指先から腕にかけて無数の深い傷跡があった。
「傷だらけじゃないか」
今までどれだけの戦いを強いられてきたのだろうか。僕には想像もつかない世界だ。
歴戦の傷跡が残るリュドの腕を見て、僕は胸が苦しくなる。
「申し訳ありません。お目汚しですね」
リュドは小さく笑って、僕を制してすぐにブラウスの袖を下ろした。
「私の傷なんて、バンが失った腕に比べたら大したことないですから」
「えっ、もしかしてバンの腕って……」
「バンの腕が失くなったのは対価交換によるものです。獣人族が虐殺された現場で……バンは瞬時に自ら、自身の腕を切り落としました。そして地の防壁魔法を使って、私たちを兵士の銃撃から守った。最前線で戦うバンを残し、私は生き残った獣人たちを守りながら誘導するのが精一杯で……。もっとあの場でやれることがあったのかもしれないと、今でも悔やんでいます」
自分の腕を犠牲にしてまで仲間を守り抜いたバンの勇敢さを尊敬していると、リュドは僕と陽葵に語ってくれた。
「俺はその場にいなかったから説得力ないかもしれないけど、冷静に誘導できるのもすごいよ。リュド師匠のような人も絶対必要だったと思う」
「そう言っていただけると、少しだけ胸が救われます」
陽葵の言葉にリュドは憂いを帯びた顔で笑った。
僕がもし国王になったら市民を守らなければならない。僕はバンのような勇敢な行動が出来るのだろうか……。きっと恐怖で仲間たちを見捨ててしまうかもしれない。
そんなことを考えていたら、自分の顔が青ざめていくのを感じた。
小さい頃は正義感があって、施設や学校で苛められていた陽葵を上級生から守っていたこともあったが……。今では陽葵の方が強いし、この世界に来て、僕は無力でちっぽけだと思い知らされる。
「ほら、ガーゼと包帯持ってきたぞ!」
急いだ様子で戻ってきたバンが僕に包帯を手渡す。
受け取った僕は、バンの指先をすぐに手当てした。
「なんか三人とも深刻な顔してっけど、何話してたんだ?」
「リュド師匠から聞いたんだ。バンの腕のこと。等価交換だったんだね」
バンは陽葵の言葉に神妙な面持ちになる。
「その話か……。なんか一部の間では英雄みたいに言われてっけど、結局は守れなかった獣人の方が多いんだ。それにこの話になるとリュドがいつも辛気臭くなるからな……。今みたいに」
バンは慰めるようにリュドの肩を優しく叩く。
「リュドはリュドで禁術使ってんだろ。俺はそっちの方が度胸あると思うけどな」
「バン、シャール殿下の前でその話しは……」
リュドは隠し事があるのが明白なほど、僕から目を背けている。
「そうだ。禁術……」
対価交換について学んだ今、禁術に関して聞きたいことが僕にはあった。
「禁術を使うのにはどれだけの対価が必要になるの? リュドもリュドのお父さんも、その禁術を使って世界を行き来したんだよね?」
僕は真剣な面持ちで素直に疑問をぶつけた。僕の中では禁術と聞くと恐ろしいイメージしかない。
リュドは僕の顔を一瞥し、観念したように肩を落とした。
「禁術を使うには自分の寿命を削る必要があります。私は自分の寿命の半分を削って、シャール殿下をこのグロワール王国へ連れてきました」
「……そんな」
衝撃の事実に僕は頭が真っ白になった。
「そして私の父は、シャール殿下を守るために禁術の他にも戦いの中での対価交換によって多くの魔力を使い、力尽きて命を落としました。最後まで忠義を貫き通した……父は私の誇りです」
「忠義……そこまでして僕を……。リュドは? さっきも魔力使ってたけど平気なの?」
「よっぽどの魔力を使わない限りは大丈夫ですよ。それに獣人は人間よりも平均寿命が長いですから。半分失くなったくらい平気で――」
「全然平気じゃないだろ!! 命を削ったんだよ? なんでそこまでして……」
僕は拳をきつく握りしめ、声を荒げてリュドの声を遮った。
「シャール殿下はこの国を救えることが出来る唯一の存在だからです」
リュドは身体を震わせて、振り絞るような声でいい放つ。
それは僕にとって胸に突き刺さるような言葉だ。
そんなことを言われたら逃げられない。
「……そんなのずるいよ」
「申し訳ありません」
リュドは僕の気持ちを察してか、深々と頭を下げた。
「でも……リュドが自分の命を削ってまで僕を連れてくるってことは、僕にはそれだけの価値があるってことだよね?」
リュドは僕の言葉に面を上げて、僕の顔を見据えた。
「はい」
一点の曇りもない真っ直ぐな瞳だ。
「父と私はシャール殿下の幸せを願っていました。日本で幸せに暮らしてほしいと……。このような形で連れ戻してしまって申し訳ありません。ですが、私はシャール殿下こそがこのグロワール王国の国王に相応しいと思っております。そして私は幼い頃より貴方に忠誠を誓っておりました……」
リュドは僕の手を取って、僕の前に跪いた。
「このリュドヴィックは命に換えてもシャール殿下をお守りすると約束します。アルノルド陛下とシャール殿下の入れ替え作戦は必ず成功させてみせます! この国を救うためにどうかお力を貸してはくださいませんか?」
リュドが寿命の半分を削ったと聞いてから、僕の中で答えはすでに決まっていた。
「僕が断った場合はどうするの?」
「……シャール殿下が望むのであれば、再び日本に送り届けます」
「寿命の半分をまた削る気? それって死んじゃうってことだよね? ……リュドって案外馬鹿なの? 頭良さそうなのに行動は大胆だし……」
僕はリュドの顔を睨んだ後、大仰にため息をつく。
「僕はリュドやリュドのお父さんの命を無駄にはさせたくないです」
僕の言葉に、リュドの瞳にぱっと光が灯る。
「僕はグロワール王国の国王になります。但しやるからには徹底的に! 絶対に一人も死なせないでやり遂げる」
言葉にするだけで声は震えるし、重圧に押し潰されて本当は怖くて逃げ出したい。
でもそう決意した。
きっとそれが僕に枷かれた運命だから。
「シャール殿下……。本当にありがとうございます。全力でサポートさせていただきます」
リュドは凛とした力強い声で答えた。
傍らにいたバンも僕の前に跪く。
「陽葵……。ちょっと二人きりで話せないかな?」
僕は神妙な面持ちで、視線を陽葵の方に滑らせる。
陽葵は僕の言葉に小さく頷いた。
「わかった。俺も蒼空にぃと話したい」
僕のせいでこの世界に巻き込まれてしまった大事な弟の陽葵。僕には陽葵を守る責任がある。
僕はもうひとつの重大な決断をしなければならなった。
陽葵は僕のことを恨むかもしれない……。そして、この関係も終わってしまうかもしれない。でもどうしても伝えなきゃ――。
*
「陽葵そこに座って」
僕は陽葵を応接室のソファに座るように促した。
「うん」
僕は陽葵が座ったのを確かめると、テーブルを挟んで陽葵の対面にあるソファに腰かける。
「国王になること……決めたんだね」
陽葵は少し寂しそうに笑った。
「うん、ごめんね。一人で決めて。……やっぱりこの世界の人たちのことをほっとけないんだ」
「蒼空にぃって昔から正義感強かったもんね。俺も小さい頃、何度も蒼空にぃに助けてもらったし。……正直俺ね、蒼空にぃは絶対に国王になるって決断すると思ってたよ」
「え……?」
僕は陽葵の言葉に驚いて目を見開く。
「蒼空にぃ、今まで俺のことちゃんと見てきてくれたじゃん? それは俺も同じだよ。ずっと蒼空にぃのこと近くで見てきたんだから……分かるよ」
「……陽葵」
陽葵の言葉に目頭が熱くなった。
「……それで俺はどうしたらいい?」
陽葵は僕の顔を窺うように恐る恐る尋ねる。
「怒こらないで聞いてくれる?」
僕の言葉に陽葵は覚悟するように、真剣な眼差しで頷いた。
「単刀直入に言うね」
「……うん」
「……巻き込もうと思う」
「えっ?」
「陽葵を巻き込む。本当に図々しい話だと思うけど、僕が国王になるための手伝いをしてほしいんだ。危険なことも絶対にあると思う。……それでも一緒に戦ってほしいんだ」
この世界に陽葵を巻き込んだのは僕だから、こんな身勝手な願いなんて聞いてもらえるはずないと箍は括っている。
僕らの関係性にヒビが入ってもおかしくないと思っていたが……目の前にいる陽葵は吹き出すように笑った。
「そっか……。よかった。ごめん、蒼空にぃのことずっと見てきたから分かってるって、さっき言ったばっかりだけど……これは予想外かも」
「えっ?」
「いつもの蒼空にぃなら、俺を守るために危険なことなんて頼まないでしょ? 蒼空にぃって俺に対してすっごく過保護で、俺が部活でフェンシングや剣道がやりたいって言っても危ないからって、めちゃくちゃ反対したし。……だからめちゃくちゃ予想外。すごく嬉しいよ、頼りにされて。……分かった。蒼空にぃの頼みなら全力で協力するよ!」
「ありがとう……陽葵。もちろん本心では陽葵をぜっっっったいに危険な目には遭わせたなくないよ! でも今回は隣に頼りになる陽葵にいてほしいんだ。僕もすごく不安で……」
「蒼空にぃに、必要とされて嬉しいよ。俺、ずっと蒼空にぃの力になりたいと思ってたからさ。昔の恩返しさせてよ」
陽葵は真っ直ぐな眼差しで僕の顔を見る。
「僕、陽葵に出会えて本当に良かった。ありがとう」
僕は泣きそうになるのをぐっと堪えながら笑った。
「でも、本当に危ないと思ったら絶対に無理しないでね。自分の命を最優先にして!」
「わかった。でも、それは蒼空にぃもだよ。約束――」
陽葵は立ち上がって僕の横にちょこんと座って小指を差し出す。僕も同じように小指を差し出して互いに見つめ合った。
「指切りげんまん」
小指と小指を絡ませて笑い合う。
まるで子供の頃に戻ったみたいだった。
今後どんな試練が僕たちを待ち受けているのだろうか。……まだわからないけど、だからこそ僕たちは今の幸せを噛み締めていた。
この時の僕は、笑顔の裏に隠された陽葵の本心を知る由もなかった。
檻の中に閉じ込められた獣のような……隠された本能と檻から抜け出すことが出来ない葛藤。ほの暗い闇の底に眠ったどす黒い感情に。
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