一章 逃がし屋 ♯4
修道院の裏手を回るようにして、街の大通りへ進んだ。日が落ちてあまり時間もたっていないため、人々の往来はまだ多いが、皆帰路の途中であろう。露店を開く商人や職人が、急いで店じまいをしている。街の中心地から離れるほど街灯は少なくなり、家も疎らになるころには、星々だけが夜道を照らす。
ルーダは腰に吊り下げられていた小さなランタンを手に持つと、その中から蝋燭を取り出し、おそらく街の一番端にあるであろう松明台の火で灯した。ルーダは光の宿ったランタンを胸の前へ掲げ、街の外を目指す。そのうち視界から建物の影もなくなり、収穫の終わった寂しい畑が広がるばかりになった。
「遠いな」
トーゲンが言った。続けて「怪我人なんだが」と嫌味が口を出そうになったが、振り向いたルーダがニヤッと笑ったのを見て言葉が引っ込んだ。
「トレントンでここまで慎重になる必要もないんだけどね。念のため人に聞かれたくはないんだ。このまま歩きながら話そう」
トーゲンは、そう言って前を向きなおしたルーダの横に並ぶと懸念を示した。
「荒事の依頼は勘弁してくれ。犯罪ならなおさらだ」
「仕事の依頼ってとこは合ってるね。犯罪には……ならないかな。場合によるけど」
雲行きが怪しくなって、トーゲンは立ち止まる。数歩先に進んだルーダも、彼の様子に気が付いて足を止めた。そして振り返って言葉を続ける。
「荒いことは、それが必要な事態にならなければ上々だけど、場合によってはコイツも抜くね」
コイツと言いながらルーダは、腰に吊られた剣の鞘を軽く叩いた。畑に点在する干し草の山が、ほのかな甘さと土臭さを混ぜたような匂いを運んでくる。トーゲンはそのまま何も言わずに踵を返した。ルーダは咄嗟に「待って」と声を掛け、立ち去る背中を呼び止める。そしてトーゲンが立ち止まったことを確認して、説得するようにはっきりと、弁明を口にした。
「悪いことじゃない。むしろ正しいこと。立ち去るかどうかは、話を聞いてから判断して」
トーゲンは背を向けたまま目を伏せて、無意味にブーツの先端を見つめた。ランタンの光が生みだした自身の影が足元から伸びて、胸の辺りで夜の暗がりに混ざって消えている。ルーダからどんな話を持ち掛けられるにせよ、少なくともよこしまな人間ではないと、心のどこかで確信していた。トーゲンは振り返って歩き、ルーダの目を見ることなく彼女の横に並ぶと、こぼすように言葉を発した。
「歩こう。少し付き合ってやる」
「ありがとう」
そうして二人はまた、並んで歩きだした。
星に淡く照らされたなだらかな一本道の先には、月を背にした林が巨大な黒い壁のように待ち構えている。ルーダは依頼について説明を始めた。
「この国で竜人が虐げられていることに疑いを持つ者はいないでしょう。かつて何人もの王や諸侯が、人間に劣る存在だと言明してきた」
トーゲンはかつて、川に流されていた自称歴史家の竜人を助けたことがある。彼がトーゲンに礼をしたいというので、川上にある村へ同行することになったが、その道中、竜人の歴史を聞かされた。活舌が悪く早口だったため、適当な相槌を打ちながら聞き流していたが、概略は理解できた。
かつてこの地には、七つの部族と、それらを統治する首長によって形成される竜人の国が存在した。首長は代々カーサルキスを襲名する。カーサルキスの治める国はいくつかの隣国と陸路で接しており、隣接地域では紛争も起こったが、世代を超える長い対話を経ながら対立の激化は避け、不安定な国交を続けていた。
しかし、東に位置する人間の国家ヨルゴンが、後に狂王と呼ばれるグティエル王の即位後ほどなく、竜人の国へ攻め入った。当代のカーサルキスは、多くの同族の血が流れた末、竜人の生命の保護とカーサルキス一族の存続を条件に降伏する。一部の部族はこれに反抗してヨルゴンとの戦いを続けたが、孤立した戦士たちは数の前に為す術もなく、より多くの血で大地が染まった。ヨルゴンは竜人の地をソルドランと名付け、軍を率いた大騎士ガルシアが初代領主となる。その後ソルドランは国として独立し、そして三百年の時を経て、今に至る。
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