第5話 旅立ちの時

 母の遺体の組まれた手に触れ、彼女に別れを告げる。彼女の前で色々語りたいことはあった。しかし、彼女にはもう伝わらない。どうか安らかに。

 彼女が亡くなった翌日、今度は大広間に呼び出しを受けた。

 随分と集まっているな。

 父である辺境伯は当然として、彼の跡を継ぐことが確定している一番上の兄までは分かる。

 他、いけすかない次男と彼の母である正妻。

 妹たちは来ていないようだけど……。

 まあでも、だいたい言われることは予想している。

 母が亡くなったので看病の必要が無くなった。なので、身の振り方を考えろというところだろう。どうするかねえ。

 俺の予想があっていれば、父だけでよいのだけど家族が多い。

 脳筋鍛錬に明け暮れていなくても、一応これでも辺境伯家の三男である。

 貴族の領主らしいといえばらしいのだけど、我が家族はなかなか複雑だ。

 長男と俺の一つ下の妹は既に他界した元正妻の子。次男はいまここにいる正妻の子。俺は元メイドの母の子。そして、一番下の妹は妾の子である。

 母がバラバラだし、家族は同じ辺境伯宮の中だし、ということで派閥とかが大好きなんだよな。脳筋なのにさ。

 長男につくのか次男につくのか、身の振り方を決める会で口を出そうという腹なのだろう。

 口火を切ったのは一家の長たる父だった。


「近衛に入らんか? お前がパオラの看病にかかりきりで体がなまっておるのは分かっておる。一から鍛えるうもりでやってみんか?」

「近衛……ですか」


 近衛とは近衛騎士のことだ。

 ご存知「辺境伯領で最も脳筋の集団」である。

 いくらなんでも近衛はないよ、父様。一応数年間の鍛錬経験はあるとはいえ、まだほんの子供だった時代だ。

 16歳で一から鍛えて、心の底まで筋肉で染まった彼らとうまくやっていけるとは思えない。

 俺の表情を見て取った長男が得意気に口を開く。


「ならば我が部隊に来るか? 行軍は楽しいぞ」

「グレイグ兄様の部隊に私が入ると妬まれます。近衛より周囲の目が厳しいかと」


 長男グレイグの率いる部隊は長距離行軍当たり前の鍛え上げられた部隊だ。

 近衛は辺境伯直属の護衛部隊なので、辺境伯の息子である俺が横から入っても特に何も思われることはない。

 むしろ、辺境伯の血族が入ったと喜ばれさえするだろう。

 一方、グレイグの部隊は実力が認められればどれだけ貧しい平民であっても入隊することができる。

 完全実力主義の部隊な上、俺が入ると一人分枠が減ると捉えられてしまう。

 グレイグの目の届くところでは表だって騒ぎはしないだろうけど、自ら不和の種を撒きに行きたくはないよな。

 渋る俺に対し、次男ヘンリーと正妻が揃って嫌らしい笑い声をあげる。

 

「父様、グレイグ兄様。土いじりが好きなイドラには近衛も精鋭部隊も不可能ですよ」

「そうですわよ」


 ヘンリーに正妻が続く。

 続いて正妻がワザとらしく「今思いつきましたわ」といった感じでポンと扇子を叩く。

 

「そうですわ。レイブン様」

「よい考えがあるのか?」


 正妻の言葉に頷く父。

 すると彼女は我が意を得たりと得意気に喋り始める。

 

「イドラは見事な植物園を一人で作り上げておりました。母のために献身的に。この経験を活かすにはエルドを治めさせてみてはどうでしょう?」

「イドラ、どうだ?」


 聞いてくる父もどうかと思うが、彼の表情からほんの冗談のつもりだというのが見て取れる。

 ところがどっこい、俺に取って辺境宮から離れ自由に暮らすことができるエルド地域の領主と言うのは悪くない。

 エルドは作物が育たぬ枯れた大地だと聞く。広い地域にたった一つの寒村しかない。その寒村も辺境伯領の領都からの補給物資頼りだ。

 種の図書館を持つ俺ならば、枯れ木に花を咲かせることができるかもしれない。いや、できるはず。

 

「行かせてください。若年ではありますが、これまで母のため薬草を栽培した経験が必ずや活かせるかと」

「ほ、本気か」

「はい。本気です」

「お前に長年母の看病をした褒美をと思っていた。半年間、やってみるがいい。辛くなれば戻って来ても良い」

「うまくいけばずっと務めさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ははは。強気なことだ。やってみるがいい」


 お、とんとん拍子で進んだぞ。

 こうして俺はエルド地域を治める領主として旅立つことになったのだった。

 

 ◇◇◇

 

 行くと決めたらすぐ行動だ。

 父以外に俺を止めようとする人なんぞおらず、次男ヘンリーと正妻コンビなんてうっきうきだったよ。

 俺がエルドに向かうとこれまで世話を焼いてくれていたメイドのシャーリーに伝えたら、彼女も「お供する」と即申し出てきた。

 俺が渋るも立場上、俺の意見を否定できない彼女は涙目でじっと見つめるばかり。

 根負けした俺は彼女に同行してもらうことに決めた。本音を言うと彼女が来てくれて嬉しい。俺に好意的な数少ない友人の一人であるのだから。

 立場上、俺に好意的だったのかもしれないと思うこともあったけど、彼女の態度からそうじゃないと思えるようになった。

 辺境伯の息子だからとおべっかを使う貴族や使用人は……そういやいないな、と同時に気がついたことも懐かしい話だ。

 脳筋辺境伯領は腹芸が苦手な者が極めて多い。好意をひとかけらも持っていなかったら、表面上だけ好意的に振舞える人が……いたかなってくらい見かけないのだ。

 俺の知り合いの中でそれができるのはジャノくらいかな?

 いや、彼はやろうと思えばできるけど、やらないタイプか。魔法使いは研究者気質を持つ者が多く、世間体を敢えて無視したりすることがある。


「どうしたんだい?」

「あ、いや、すごい馬車の数だなって」


 そう、ジャノもついて来ることになったんだよね。俺がエルドに行くと言ったら、「じゃあ僕も行こう」って。

 枯れた大地のことを知らぬ彼ではない。彼は知識欲が非常に強く、本の虫だ。

 エルドといえば彼にとって未知の大地で、俺が領主なら好き勝手できるし、ってことでついてきてくれたのかな?

 理由はどうあれ、彼がいてくれると非常に心強い。

 来てくれるのは大歓迎なのだけど、彼の荷物が多すぎだろ。

 何台の馬車を手配したんだろうか。中に入っているものは大量の本、本、本である。俺も種を運ぶために馬車を増やしたが、彼の手配した馬車の量と比べるとほんの些細なものだ。

 これだけの馬車が並んでいたら何事かと思われるかも。

 長男のグレイグが率いる部隊と同じくらいの馬車の数になるかもしれん。彼らの場合、馬車が通行できない場所だったら馬車を置いて行軍することもあるから、兵士が馬車の荷物を持ち、なおかつ行軍に支障がでないようにしなきゃならない。なので、荷物は最小限なのである。

 こちらは真逆。現地に到着してから使うものばかりで、旅路に必要なものが少ない。

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