第2話 脳筋貴族

「イドラ、あなたはあなたのやりたいことをしなさい」

「母様……」

「あなたは辺境伯の子。ううん、言わずとも聡明なあなたなら分かってくれる」

「俺のことやっぱり」

 

 母は俺の記憶の事、気が付いていたんだな。

 彼女の言う「辺境伯の子」である俺には辺境伯領の貴族としてやるべきことがある。何故なら辺境伯領は王国の中でも特別な役割を与えられているからだ。

 それは、辺境の防備と開拓。辺境伯領の北部は共和国と接しており、東部は帝国と接している。

 南部は未開の地であるが、辺境伯領として収益を出すべく奮闘していた。

 南部地域の一部は開拓が進んでいるようだけど、殆どはエルドと呼ばれる地域に属し、この地域はまるで作物が育たず領都からの補給物資頼りで何とか保っている状況である。

 王国の領域である西部以外は全て防備の必要があり、エルドは未開の地を拓いていく役目を担っていた。

 その分、与えられた地位は公爵に並ぶほどと高いものなんだ。

 ここまではいい、ここまではいいのだが、辺境伯を始め貴族たちの「防備」に対する意識が高過ぎる。

 鍛錬、鍛錬、行軍、狩、鍛錬、模擬試合とひたすら自らの武勇を鍛え上げることを是としているのだ。脳筋過ぎてついていけない、ってのが俺の本音である。

 母は俺が辺境伯の子として鍛錬に励んでないことを知っていた。

 俺のスキルのことも、前世の記憶のことも全部。

 今は母の看病ということで父である辺境伯の許可をとって鍛錬他、脳筋業務の全てを免除してもらっている。

 そして、俺のやりたいことが辺境伯の子としての責務と異なることも……。

 やりたいことをしなさい。辺境伯の子であることは気にせず、と言ってくれているのだ。

 母の枯れ木のような手を握り、じっと彼女を見つめる。

 

「母様。俺は母様を元気にしたい。それが俺のやりたいことだよ」

「イドラ、あなたの献身的な介護と薬で私はあなたの成長を見守ることができました。母としてこれほど嬉しいことはありません」


 母様、それ答えになっていないよ。まるで自分がもう長くないと言う彼女に悔しさがこみ上げて来くる。

 俺だって分かっているさ。薬草を「種の図書館」で強化しても一時凌ぎにしかなっていないってことを。

 薬草は傷を癒してくれる。体力を回復してくれる。そして、自己治癒力を高めてくれる。

 だけど、母の病気を治療できるものではないのだ。

 俺は諦めないぞ。組み合わせ次第できっと母の病気に効果があるものができるはずだ。

 今は対処療法を行っているに過ぎない。きっと俺が全快させてみせる。

 

「母様、また後でね」

「待っているわ」


 顔には出さぬよう、笑顔を作り彼女の手を離す。

 

 母の部屋を辞し、意気込み新たに種の強化をすべく父にお願いして作ってもらった植物園に足を伸ばす。

 植物園は俺たちの住む辺境伯宮の一角にある。

 俺の住む辺境伯領の領都コトラムは日本の都市部とは比較にならないほど人口密度が低い。広い土地に少ない人数が住んでいるので、土地はたんまりとあるのだ。

 植物園を増設するなどわけもないほどにね。

 南欧風の外廊下を歩いていると、柱に背を預け手には分厚い本を持った学者風の青年と目が合う。

 俺を見た彼は本を持っていない方の手を少しだけ上げ、長い髪を揺らす。


「ジャノ。君がこんな場所にいるなんて珍しい。ひょっとして俺を待っていてくれたのか?」

「そのまさかさ。君を待っていたんだ」

「俺なら大体植物園にいるから、その時でもいいのに」

「植物園に行ってきた帰りだよ。あの場にいないとなれば、マルグレーデ様の元だと思ってね」


 学者風の青年ジャノは「ふう」とおどけてみせ、分厚い本を俺の手にドスンと置く。


「これは?」

「新しい本が手に入ってね。薬草学の本さ」

「おお、ありがとう! 母様に効果がある薬が記載されているかもしれない」

「余り期待をしない方がいい。病というものは千差万別。僕の魔法、君の『種の図書館』でも解決できないものの方が多い」

「それでも、少しでも可能性があるなら何でも読んでおきたい」

「そう言うと思って持ってきたんだ。読んだら一日だけ預かりたい」

「それって、読む前に俺に貸してくれるってことかよ!」

「大声を出すほどのことかい?」

「出すほどのことだよ。本当にありがとう、ジャノ」


 ジャノは腕を上にあげ、首を振り戻す。俺の肩をポンと叩こうとして、自分らしくないと思ったのだろうか。

 だったら俺がやってやる。

 彼の肩を叩き、がっちりと握手をした。「ありがとう」という感謝の意を込めて。

 

「君には何度も手伝ってもらっているからね。それに、辺境伯宮でまともに会話ができるのは君くらいしかいない」

「俺だってそうだよ」


 筋骨隆々の鎧姿の男二人の姿が見え、声をひそめる。

 紫色のモヒカン兜を小脇に抱え、白銀の鎧の胸に鷹の姿が描かれていた。

 彼らの後ろにもう一人、まだ20歳に満たないほどの金髪をオールバックにした青年もいる。

 会いたくない奴を見てしまったが、一本道の外廊下のため向こうから来るということはこちらに近づいてくるわけで、会いたくない奴といえども挨拶をしないわけにはいかない。

 

「ヘンリー兄様。おはようございます」

「相変わらずみずほらしい体だな。少しは鍛えたらどうなんだ? 出来損ないと言われていようがお前も辺境伯家の者なのだろう」

「鋭意努力いたします」

「お前はいつもそればかりだな」


 ヘンリーはふんと鼻を鳴らし、取り巻きのモヒカン兜たちと共にズカズカと去っていく。

 

「いつも同じことを言うのはあの人だろう」

「言うな、学より筋肉なのだよ、あの人は」

「あの人だけじゃあないけどね」

「そうだな、ははは」


 ジャノと陰口を言い合い、くすくすと笑う。

 全く、せっかくの感動が台無しだよ。

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