第11話

「もう……行ったかな?」

「天道くん、少し黙ってもらえるかしら?」


 二人は現在、路地に設置されていた横幅二メートル程のダストボックスに身を隠している。


「しばらくここに身を潜めてやり過ごすわよ」

「それはいいけど、ちゃんと説明してくれるんだよね?」


 盛大なため息を吐き出した彼女が「ええ」うなだれるように頷いた。


「その前に一つ確認しておきたいのだけど、現実世界に戻るときはどうするのかしら?」

「来たときと同じように能力を発動させると戻れるよ」

「そう、なら安心ね」

「……?」


 何が安心なのだろうと考え込む奏多に、「仮に撃たれたとしても生きていれば魂を現実世界に戻すことができるわ。そうすればすべて幻よ」彼女は聞き捨てならないことを口にした。


「ちょっと待って! その言い方だとまるで撃たれるのが前提みたいじゃないか! それに生きていればってのはどういうことだよ!?」

「あら、さっき撃たれたじゃない。運よく外れたみたいだけど。それに魂が消失すれば、当然肉体に戻るべきモノがないんだから、廃人――死んだも同然じゃない」


 とんでもないことをさらっと口にするミチルに、奏多は茫然として虚脱状態。すぐにかぶりを振って意識を取り戻す。


「襲われることを知っていたような口振りじゃないか! いや、知っていたんだよな? 危うく僕は殺されかけるところだったよ!」

「殺されかけたのは天道くんだけじゃないわ。それに言い訳をするようで気が引けるけど、ここで襲われることは本当に知らなかったのよ」

「信じられるか! 幾つもの可能性を視てきたんだろ!」

「天道くんは私の能力を誤解しているわ」

「誤解だって!? 未来が視れるって自慢げに話してたのは裏道さんじゃないか!」

「誰も自慢なんてしていないわよ。誇張するのはやめてもらえるかしら。それに、私は視たい場面を自由に視れる訳じゃないって言ったはずよ。私が視ているのは断片的な映像なの、それも些細な事がきっかけでいつ、別の世界線に切り替わるかもわからない、不安定で確証のない未来――可能性なのよ」


 ゴミ箱の中で口論する二人。奏多は生まれてはじめて命の危険にさらされて気が立っていた。一度深呼吸して冷静になることをミチルに提案された奏多は、素直にそれを快諾した。


「わかったよ、もういい! それよりも僕たちがウイルスのような存在だってことと、あの黒スーツについて説明してもらってもいいかな?」

「そうね。話を戻しましょう」


 アビルにとって天道奏多はバグであり、バグが発生したことによって裏道ミチルというウイルスが発生してしまった。それはアビルにとっての非常事態でもある。アビルにはあらかじめ緊急時に発動するセキュリティシステムが備わっている。それはウイルスを感知すると自動的に発動する仕組みになっていた。それが先程二人を襲った黒スーツだ。


 彼女の説明で自分がバグでありウイルスであることを理解した奏多だったが、どうも彼女がまだ何か隠している気がしてならなかった。彼女の言葉を借りるとするなら、男の第六感がそう告げていた。


「他に話しておくことは……?」

「もうないわよ。本当よ! ……天道くん、疑り深い男の子はモテないわよ」


 怪しいと眼を光らせる少年に、少女は珍しく唇をひん曲げた。


「ならどうして『556号室』の扉は開いていたんだ? 本当は知っているんじゃないのか?」

「知らないわよ」

「怪しい……」

「はぁ……この通り、神に誓って知らないわよ」

「裏道さんに信仰心があるとは思えないけど?」

「ええ、まったく、これっぽっちもないわね」


 なら何のために神に誓ったのだと思う奏多だったが、これ以上は無意味だと判断した。


「で、これからどうするつもりなんだよ。一旦戻るか?」

「いえ、このまま探索しましょう」


 ダストボックスの蓋を軽く持ち上げたミチルが、隙間から慎重に外の様子を確認する。


「大丈夫、そうね」

「……だといいけど」


 悪臭漂うダストボックスから抜け出した二人は、ひとまず大通りに出て人混みに紛れることにした。


 風呂上がりだった奏多の服装はキャラ物のTシャツにスウェットとシンプルな装いだったが、ミチルはサテン生地のブラウスにショートパンツのセットアップパジャマ。街中で悪目立ちすること間違いなしの恰好だったにもかかわらず、なぜか誰も彼女の服装を気にすることはなかった。ミチルのいう通り、ここに居る人たちは与えられた役割をただこなすだけのプログラムに過ぎないのだ。


「靴、履いて来ればよかったね」

「天道くん、そういうことはもっと早く教えてもらえると助かるわ」

「……ごめん」


 ぺたぺたと素足でミチルの隣を歩く奏多は、ふいに奇妙な視線を感じていた。視線の主を探すようにホテルの入口に顔を向けた奏多は、先程とは別の黒スーツと目があってしまう。


 ――やばっ!?


 慌てて顔をそらした奏多は、また撃たれるのではないかと内心びくついていた。が、男が襲ってくる気配はない。念のためもう一度視線をそちらに向けると、男は慌てて建物の中に入って行った。


「ねぇ……ねぇ裏道さん!」

「そんなに声を張り上げなくても聞こえているわよ」

「今、黒スーツの男と目が合ったんだけど」

「それは天道くんの気のせいよ。何度もいうけど、ここの人たちは他人に興味がないの。それにもしもそれがセキュリティだったなら、私たちは今頃追いかけられているわ」

「でも、確かに目が合ったんだよ。ねぇ聞いてよ!」


 奏多はミチルの腕を掴んで足を止めさせると、強引に自分のほうに身体を向けさせた。


「天道くん、怒るわ――」

「目が合ったら慌てて建物に入って行ったんだよそれも逃げるように」


 ミチルの言葉を遮り、奏多は一息に言い切った。


「逃げる……? 天道くん、それはどの建物かしら?」


 数瞬、考えるように右上に視線を走らせた彼女が、訝しむように聞き返した。


「あそこの建物だけど……」


 斜め前のホテルらしき建物を指差すと「行くわよ」ミチルは男の跡を追うと言い出した。


「えっ、追いかけるの!?」

「当然でしょ」

「マジかよ……」


 立ちすくむ奏多を置き去りにホテルへと歩き出すミチル。奏多は仕方なく後を追った。

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