第10話

 能力を発動させると、二人は何かに意識が吸い寄せられるような奇妙な感覚に襲われる。それは眠りに落ちる瞬間に似ている。けれど、意識が途切れることはない。


 一時、強烈な眩暈に目の前が曲折する。きっと世界が崩壊する時とは、こんな感じなのだろうと奏多はいつも思う。


 ゆっくりと景色が移り変わり、体からスーッと魂が抜け落ちるような感覚に包み込まれると、二人の意識は夜空に煌めくアビルのカーテンに吸い込まれていく。


 次に気が付いたときには、二人は真っ白な空間に佇んでいた。


「間違いない。アビルの中だわ」


 目を見開いたミチルが息を呑むように囁いた。少年の手を握りしめる手にグッと力が込められる。彼女の表情は硬く、緊張していることが見て取れた。


 道幅五メートル程の通路には、無数の扉が等間隔で設置されており、各扉の中央には『1』『2』『3』番号が振り当てられている。


「父の居場所は何処なの!?」


 またこの意味不明な空間に来てしまったかと、なんとも言えない気分に陥る少年に、興奮した様子の少女が声を張り上げた。


「少し落ち着いてよ、裏道さん。見て分かると思うけど、ここには扉が無限に近い数だけあるんだ。この空間は信じられないくらい広くて、僕がこれまでに確認しただけでも、あの扉に振られている番号は終わることなく、ずっと続いているんだ」

「……そうだったわね。父が言っていたサーバーとはこの扉のことよ」


 奏多の手を離したミチルが、取り乱して悪かったと謝罪する。


「裏道さんはこの扉について何か知ってるの?」

「扉の先はそれぞれ異なる世界サーバーに繋がっているの、その一つ一つに亡くなった人たちの魂が集められているわ。そこで亡くなった人々は世界を――宇宙を維持するために働き続けているのよ。当然、やって来たばかりの人々は戸惑うことになるわ。けれど、途方もない時間の中で働き続ける彼らは、いずれそのことにも疑問を持たなくなり、やがて自分が死んだことも忘れて働き続けるのよ」


 周囲の扉に目を配りながら、ミチルは早口言葉のように言ってのけた。


「扉の向こうに別の世界があることは知ってるけどさ、みんな自由に生活してたよ……?」

「自由……? 天道くん、あれは自由とは言わないわ。彼らは自分の名前すら忘れ、ただ働き続けているだけなのよ。父はそんな魂を解放し、この世界を手に入れようとしていたわ」

「それが人類永久計画……?」

「ええ、そうよ。でも一番の目的は母を探し出すことにあったわ。けれど、この無数にある扉のどこに母がいるのかが分からなかったのよ」

「そんなの僕だって分からないよ」


 しかし、ミチルは首を横に振り、奏多にならわかるはずだと断言する。


「なんで会ったことも見たこともない裏道さんのお母さんやお父さんの居場所が僕に分かるのさ」

「それは天道くんが案内人――シェルパだからよ」


 といわれても、奏多には自分がシェルパだという自覚がなかった。


「そのシェルパって一体なんなの……? いまいちよく分からないんだけど」

「七年前にアビルが地球に墜ちた際、システムの一部が破損してこぼれ落ちてしまったの。それを受け継いだ者を父はシェルパ――アビルの案内人と呼んでいたわ」

「それが僕だと……?」

「アビルの中に自在にアクセスできることこそが、天道くんがシェルパである証拠よ」


 あり得ないと言いたいところだったが、七年前から世界はあり得ないことだらけ。未だに常識にとらわれている自分の方が時代についていけてないのかもしれないと思ってしまう。


「でも、僕には本当にどの扉に裏道さんのお父さんがいるのかが分からないんだけど……」

「各扉にはシステム管理者がいるはず。その人物はシェルパである天道くんにしか分からないの。逆に言ってしまえば、その人物を一目見れば、天道くんならそれがシステム管理者だと分かるはず」

「それもお父さんの受け売り?」

「システム管理者がいるはずだって言うのは確かに父の立てた仮説だけど、天道くんがそれを見れば分かると思ったのは、私の勘よ」

「勘って……」

「あら、動物的第六感は意外と当たるのよ。そこに女の勘が合わされば鬼に金棒よ」


 鬼に金棒の使い方はいまのが正しい使い方なのかと思案する奏多だったが、あえてつっこむことはしなかった。


「まずは天道くんの――シェルパの勘に頼ることにするわ」

「頼るって……僕は何をすればいいのさ?」

「天道くんがどの扉に入るか決めるのよ」


 といわれても中々決められない。困り顔で両サイドの扉を交互に見比べていると、


「軽い気持ちでいいのよ。……ここだ! て思った扉にすればいいんだから」


 そう言われてもやはり決められず、奏多は一つ一つ扉を確認しながら前進する。


 この空間は五○メートル進む毎に十字路が訪れる。延々と似たような空間を進んでいると、奏多は前進しているのかすらもわからなくなってくる。唯一それを確認することができる方法は、扉に割り振られた番号を確認することだけだった。


「天道くん、レストランでも言ったと思うけれど、競争社会を生き抜いていくためには決断力は必要よ」


 歩き悩むこと三十分。苛立った様子のミチルが奏多を急かし始める。焦った奏多が首を左右に振りながら足早に移動すると、不意にあり得ないものを発見してしまう。


「裏道さん……これ。扉が開いてる?」

「……」


 声をかけても返事がないことに違和感を覚えた奏多が振り返ると。そこには悔しそうに下唇を噛みしめたミチルが立っていた。


「どうかしたの……?」

「……いえ、なんでもないわ」

「ならいいけどさ。にしても、なんでこの扉だけ開いてるんだ?」


 わずかに開いている扉の番号を確認する。


「556号室か」


 以前来たときに閉め忘れてしまったのかと考え込む奏多に、「ここに入るわよ」結局ミチルが入る扉を決めてしまった。


「なによ! 天道くんがいつまで経っても決めかねているのがいけないんじゃない!」


 僕が決めるんじゃないのかとジト目を向ける奏多に、彼女から理不尽な言葉が投げつけられる。


「ま……別にいいけどさ」

「ならいちいち文句言わないの。あと、次その目で私を見たら目潰しするから」


 案内人を置き去りにしたまま、ミチルは真暗な扉の中に入っていく。


「えっ!? あっ、ちょっと――!?」


 彼女のあとに続き、奏多も慌てて扉をくぐった。


 トンネルのような闇の中を慎重に進むと、前方に小さな灯りが見えてくる。奏多は駆け足でその中に飛び込んだ。


「――うわぁっ!?」


 次の瞬間、奏多は悲鳴を響かせていた。


「バカヤロウー! 急に飛び出してくんやつがあるか!」


 あと数センチというところで、黒い車体が奏多の前方で停車する。運転席から身を乗り出した男性は鬼の形相で奏多を怒鳴り散らしていた。


「す、すみません!」


 慌てて頭を下げた奏多に、「天道くん、こっちよ」少し離れた歩道からミチルが声をかけた。

 奏多は急いで彼女の元に駆け寄った。


「なんなのここ!? 前に扉を抜けた時とは全然違うんだけど!」


 暗闇を突っきった先は交通量の多いタイムズスクエア前だった。


「ニューヨーク……? ん……でもニューヨークになんで『108』があるだよ。あれって東京の渋谷だったはずだよね……?」

「天道くん、少し落ち着いてもらえるかしら? ここは誰かの生前の記憶を元に創られた世界なの。だから私や天道くんの見覚えのある場所があっても不思議じゃないのよ」


 要はデタラメな世界ということなのだが、奏多にはここが宇宙を維持するための世界には到底思えなかった。


「これのどこが働き蟻なのさ。みんな普通に生活してるけど……」

「天道くんがそう思ってしまうのも無理ないわね。でもよく見ておきなさい」


 そういうと、ミチルは道行く女性に声をかけた。


「すみません。いま何時か教えてもらえるかしら?」

「……ごめんなさい。言っている意味が分からないわ」


 ――……は? 言葉が通じているのに意味が分からないってのはどういうことだ?


「ならあなたの名前を教えてもらえるかしら?」


 続けてミチルが名前を尋ねると、女性は先ほどとまったく同じ言葉を返した。


「どういうことだよ?」


 立ち去る女性の後ろ姿を怪訝に見つめる奏多に、ミチルはそういうことよと言った。


「そういうことって?」

「この世界の住人には、そもそも名前という概念がないのよ。それでもあえて名前を付けるとしたら『1番』『2番』といったところかしら」

「そんな……でも待ってよ! 彼らは元々生きていた人間なんだよね? だったら生前は名前があったはずだよ」

「ええ、そうね。でも、何十年、或いは何千年もの間名前を呼ばれなかったとしたら、天道くんは自分の名前を覚えていられるかしら? そもそも名前とは一体何なのだろうと自問自答を繰り返すんじゃないかしら? それどころか、生前の記憶はただの夢だったと思い込むこともあるかもしれないわ」

「なら、時間は……?」

「この世界にはそもそも時間という概念がないのよ。あの太陽だって作り物。それ自体に意味なんてないの。働くということをインプットされたプログラム、それが彼らよ」


 彼女の言っている言葉の意味が奏多には半分も理解できなかった。自分にもわかるよう説明してほしかった奏多だが、とてもそんなことを言い出せる雰囲気ではない。ミチルは先程から何かを警戒するように、周囲に目を向けていたのだ。


「行くわよ」

「行くってどこに?」

「天道くん、少し質問が多すぎるわよ。言ったわよね? 私は仏様じゃないの!」

「でも、全然わからないんだよ」

「ここだと人通りが多くて目立つから移動するって言っているのよっ!」

「――――」


 はじめてミチルに怒鳴りつけられた奏多が、子供のように肩をすくめる。


 この世界にやって来て数分、ミチルは明らかに焦っていた。いや、何かを恐れていると言った方が正しいだろう。


「天道くんが車に引かれそうになってくれたお陰でかなり目立ってしまったわ。それに、まさか寝間着の恰好で来るなんて予想外よ」


 さっと周辺に目を配らせながら足早に移動する彼女が、小言を口にする。


「目立ったら何かまずい事でもあるのかよ」


 理不尽に怒鳴られたことで機嫌を損ねた奏多は、ムキになってつい言い返してしまう。


 彼の言葉にピタッと足を止めたミチルは、振り向きざまに奏多の首元にガンッ! 腕を押しつけた。そのまま流れるような動きで壁に叩きつける。


「なっ、なにすんだよ!?」

「天道くん! 一度しか言わないからよく聞きなさい。もしもこの世界にシステムの管理を行う者がいたとして、そこにウイルスみたいな存在である私や天道くんが紛れ込んだと知ったら、そいつは一体どうするのかしら?」

「どうするって……それどういう意味?」

「――しっ!」


 ミチルは奏多の唇を素早く指で塞ぐと、いましがた歩いてきた方角を睨みつけた。


「……バレた!? 走るわよ天道くん!」

「えっ……ちょっ、ちょっと!?」


 ミチルに腕を掴まれた奏多も引きずられるように駆け出した。途中何度か転びそうになりながらも何とかバランスを保つ奏多。後方を気にするミチルは入り組んだ路地を突き進む。


「あっ!」


 ゴミ箱をひっくり返してしまった奏多が反射的に声を上げると、「そんなこと気にしてる場合じゃないわよ!」甲高い声音が耳をつんざく。


 バンッ! バンッ、バンッ!!


「なっ、なんだ!?」


 突として狭い路地に乾いた音が幾重にも重なった。


 走りながら後ろを振り返ってみると、ダークスーツの男がトカレフTT-33を構えていた。


「裏道さんっ!? おっ、おおお男が銃を撃ってきてるよ!?」


「見なくても分かるわよっ! 天道くんも振り返らず死ぬ気で走りなさい!」


 奏多はパニックに陥りそうな頭で必死に考えていた。以前何度か扉を通ったことがあったが、その時はこのような危険な経験はしなかった。


 ――何がどうなっているんだよ!?


 混乱する少年とは違い、少女は意外と落ち着いていた。

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