第2話
「アビルが残したカーテンは繭だって説があるのを、あなたは知っているかしら?」
「え!?」
大の字になって寝転ぶ奏多の前に突として現れた少女。彼女は胸元まで伸びた黒髪を耳に引っかけながら、眉一つ動かさずにじっと少年の顔を見つめている。
慌てて上体を起こした奏多に、そんなに慌てなくても大丈夫よと、少女は無表情で口にする。
「私、天道くんがさぼっていたことを先生に報告なんてしないもの」
風に煽られた前髪を手で押さえつけた少女は、どこか儚げな瞳で空を見上げた。
彼女はクラスメイトの裏道ミチル。
クラスメイトとは言っても、二人に接点はなく、当然奏多は話をしたこともなかった。
高校進学と同時にこの街に越してきた彼女には友人もおらず、教室ではいつも一人。
クールで知的な印象を放つ切れ長の目に、日頃まったく日光を浴びていないのではないかと思うほど白い肌。ぴくりとも笑わない彼女は、どこか他人を拒絶しているように見えた。
入学当初は彼女の美貌に目が眩んだ男子が、話しかけたりもしていたのだが、結果は惨敗。
『目障りよ。いますぐに私の視界から消えてもらえるかしら?』
そんな言葉を真顔で浴びせられれば、二度と近づこうなんて気を起こさないのが普通である。だから奏多もすぐにこの場から立ち去ろうとした。
「質問の回答がまだよ、天道くん」
「えっ!?」
彼女が空を見上げている間に屋上から立ち去ろうとした奏多の背中に、無機質な声が届く。反射的に振り返ると、彼女はまだ空を睨みつけていた。
「どうして世界中にあれは張り巡らされているのかしら?」
「あれ……? もしかしてアビルのカーテンのこと?」
言われて奏多も空を見上げる。
夜に見るカーテンは幻想的で美しいが、昼間のカーテンもこれはこれで好きだった。
「天道くんはあれが一体なんのためにあそこにあるか知りたくはないかしら?」
「うーん……と。オーロラってのは太陽風と呼ばれるものだって聞いたことがある、かな? 太陽の表面でときどき起きる爆発が引き起こしたものなんだって。もう少し詳しくいうと、表面で爆発が起きると『プラズマ』――つまり電気を帯びた粒子が勢いよく飛び出して、地球に向かって強い風のように吹きつけて……だったかな?」
「そう、物知りなのね」
とても感心したわという彼女の声音には、大方感情と呼べるものが込められていない。適当に相槌を打った程度の感心したわが返ってくる。奏多は少し不満に思った。
むっとする奏多に、彼女はでもねと話を続けた。
「あれは太陽風……だったかしら? それとは異なるものよ」
奏多はカーテンに手を伸ばし、それを掴み取ろうとする彼女の後ろ姿に、幼き日の自分を重ねていた。
まだ保育園に通っていた頃、奏多も如雨露で作った虹を掴もうと必死に手を伸ばしていた。
「そうかな? 小惑星が爆発したときに太陽風に似た原理が発動したのかもしれない、って説が一般的だと思うけど……」
「ええ、そうね。だとしてもあれは別物よ」
「そう、ですか……」
きっと彼女には何を言っても否定されるのだろう。なんとなくだがそんな気がしていた。
実際、彼女は奏多にまったく興味を示さず、空に漂うカーテンをずっと見上げていたのだ。
「あれはアビルの意識よ」
「……………アビルの意識?」
意味不明な彼女の発言に、奏多はつい聞き返していた。
「アビルとは宇宙の意識みたいなものなの。分かりやすく説明すると……そうね。宇宙の記憶。ニュアンス的にはそれが一番近いのかもしれないわ。人は死後、肉体を離れた魂が天国、或いは地獄と呼ばれるところに誘われるというおとぎ話があるわよね? あれは真っ赤な大嘘よ。そんなところに魂が集められてしまえば、あっという間に定員オーバーになってしまうもの。だからといって死後は無へ還る、なんてものを一体誰が信じるのかしら。では人は死後どこへ向かうと思う? 答えはアビルの深層深くよ。アビルの深層は幾つもの層によって構築されているの。例えるなら、そうね。オンラインゲームのサーバーをイメージしてくれればいいわ。仮にaサーバーに送られた魂の数が一定数を越えると、次からやって来た魂はbサーバーへと転送される。そうすることによって、定員オーバーになることを未然に防いでいるの。送られた魂たちは星を、或いは宇宙そのものを持続させるための働き蟻としてアビルの中で強要される。アビルのために忠実に働く蟻へと変えられてしまう。分かりやすく人間に例えるなら体内を体循環する血液、白血球かしら? そして七年前突如世界の上空に現れたあれは、アビルの意識が漏れたもの――つまり宇宙のバグみたいなもの。それを浴びた一部の人類が特異な力に目覚めたのは、たまたま輸血した血液が一致したから、程度なんでしょうね。分かるかしら?」
「…………………………………………………は?」
なに言ってんだ? というのが奏多の率直な感想だった。
変わった子だとは思っていたが、まさか電波系と呼ばれる人だったとは思わなかった。人は見かけによらないとはよくいったものだが、よくも長々とこちらに見向きもせず、妄想話を恥ずかしげもなく披露できるものだなと、奏多は内心あきれていた。
「そしてここからが本題よ」
「えっ!? まだ続くの!?」
てっきり終わったものだと思ってホッとしていた奏多だったが、どうやら彼女の電波話はここからが本番のようだ。
しかし、彼も彼でいまはとてもナーバス。彼女の電波な妄想話に付き合える気分ではない。なのでまた今度聞かせてくれるかな、やんわりと断った少年に、「聞きなさい!」語気を強めた彼女が憤怒の色をにじませた。
驚き肩をすくめる少年のことなど気にする素振りも見せずに、少女は話を再開する。
「私がなぜこの街にやって来て、なぜこの学校に入学したか天道くんには分かるかしら?」
知らないし知りたくないと思う少年に、ずっと上を見上げていたミチルがようやく奏多へと顔を向けた。
その瞳と視線が重なった刹那、奏多は金縛りに遭ったかの如く動けなくなってしまう。裏道ミチルが恐ろしかったからではない。その目に見つめられると、まるですべてを見透かされているような、奇妙な感覚に陥っていたのだ。
「私の声、小さかったかしら?」
「あっ、いや、その……」
「では質問を少し変えるわ。天道くんは自分が能力者であることを、なぜ隠しているのかしら? 端的に教えてもらえると有り難いのだけど」
この時少年の脳内は猛吹雪に襲われていた。
思考が数秒間、もしくは数分間、完全にシャットアウトしていた。
――彼女はなぜ、僕が能力者だということを知っている!?
彼が能力者だということを唯一知る人物は、先月この世から去ったばかりだった。
「意外、という顔をしているわね。では一つヒントをあげるわ。私も天道くんと同じ能力者よ」
「能力者……って、裏道さんも能力者なの!?」
「あら、そんなに驚くべきことかしら? 能力に目覚める確率は千分の一。それほど珍しくない数字だと思っているのだけど」
確かにアビルの光を浴びた千人に一人が何らかの能力に目覚めているということが政府によって発表されている。
「まぁ……そうだけど。能力者って普通自分が能力者だってことを明かさないからさ」
自分から能力者だと明かして得られるメリットがあるほど、世界は寛容ではない。得体のしれない能力を持つということは、持たない者からすればそれだけで脅威なのだ。
場合によっては迫害の対象になってしまうこともある。
「そうね。自分が能力者だと明かしたところでデメリットをこうむるだけだもの。そこは激しく同意するわ」
淡々と述べる彼女だが、どうも言っていることとやっていることが噛み合わない。デメリットしかないとわかっているのならなぜ、彼女は自分に打ち明けるのだろうかと奏多は納得がいかなかった。
「つまり、私にメリットがあるから明かしたのよ。これだと天道くんの仏頂面も少しは晴れるのではないかしら?」
「仏頂面って……」
「あら、ふくれっ面の方が良かったかしら?」
「どっちも嫌だよ。第一、僕に話すことで裏道さんが得られるメリットなんてなにもないと思うんだけど」
「意外と自己評価が低いのね。むしろ天道くんでなければダメ。不可能なことよ。私は天道くんに会うためだけに、今ここにいるのだから」
なんかいま物凄いことをさらっと言われた気がするのは自分だけだろうかと、奏多は反応に困っていた。
「天道くん!」
「はい!」
「顔が赤いわよ。ひょっとして熱があるんじゃないかしら?」
「…………うっ」
真顔でズカズカと歩み寄る彼女が、躊躇うことなく額に触れる。そのせいでまた彼の体温が上昇してしまう。
「ね、熱はないから!」
慌てて彼女から離れるように身を引いた。
「あら、触った感じ三十八度はありそうだったけど?」
不思議そうに掌に視線を落とし、おかしいわねと小首をひねるミチル。
これまでに女の子に額を触られるなんて経験がなかった奏多は、全身が燃えるように熱を帯びていた。心臓はドクンドクンと早鐘を打っている。
そんな彼の気持ちなど露知らず、彼女は長い睫毛をパチパチと鳴らしている。
「どうかしたかしら?」
一般的な女の子ならなんとなく察する場面でも、裏道ミチルは鈍感なのか察することがない。本気で奏多が風邪を引いたのではないかと、心配そうに眉根を寄せている。
そこでようやく、無表情だった彼女の顔に変化が訪れた。
彼女の困り顔を見た奏多は、ちゃんと人間らしいところがあるんじゃないかと妙な安心感を覚えていた。
「話を戻すけどさ、僕に能力者だと打ち明けることで裏道さんが得られるメリットってなに? まったく検討がつかないんだけど」
「私が天道くんに自分が能力者であることを教えるメリットはひとつよ。それは天道くんが能力者であるということを素直に認めるということ」
「……それのどこがメリットなの? まったく意味がわからないんだけど」
「なら聞くけれど、私が能力者であることを打ち明けずに、天道くんは能力者ですか? と尋ねて、はいそうですと天道くんは答えてくれるかしら?」
「いや、それは……」
「でしょ? でも私が能力者であることを打ち明けたあとに、天道くんも能力者なのよね? 聞けば、天道くんは警戒心を解いて認めてくれるんじゃないかしら? それこそが私が能力者であることを天道くんに明かすメリットだと言えないかしら?」
筋は通っているし、言っていることの意味もなんとなくだが分かる気がする。
しかし、それだけで納得できるかと言われれば、到底出来るわけがない。そもそも彼女はなぜ、自分に能力者であることを認めさせる必要があるのかという最大の疑問が残る。
「裏道さんのメリットだけど、なんか意味あるの? 僕にはそれがメリットだとは思えないんだけど」
「あるわ。なぜなら私は天道くんの協力を得たいと思っているのだから」
「協力……? 能力者デモへの参加とか? 言っとくけどそういうの興味ないから」
「いいえ、違うわ。というか私も興味ないもの、そんなこと」
「だったら協力ってなに?」
「私をあそこに、
「は?」
真顔で空を指差すミチルに、少年の喉からは素頓狂な声音が漏れてしまう。
「もちろんただでとは言わないわ。もしも私の願いを叶えてくれるのなら、天道くんに私のすべてを差し出すつもりよ。私が持っているもの、この身体も心もすべて!」
胸に手を当てとんでもないことを言い出したミチルに、奏多は目を丸くさせていた。
「ちょっ、ちょっと待ってよ! 意味が分からないんだけど。第一どうやってあのカーテンに連れて行くのさ。あれは光の屈折によってできた靄みたいなものなんだよ?」
「天道くん、言ったはずよ。あれはアビルの意識なの」
――ダメだこりゃ。完全に頭がどうかしちゃってる。
奏多は早々に話を聞くだけ時間の無駄だと諦めてしまう。
「悪いけど、アビルが作ったカーテンに行きたいのなら僕じゃなく、空軍のパイロットにでもお願いした方がいいと思うよ」
「天道くん、それ本気で言っていないわよね?」
「僕は本気だよ。無理なものは無理なんだ」
これ以上は時間の無駄だと判断したのか、奏多はミチルに背を向けてしまう。
「天道くん! ひょっとして天道くんは自分の能力の正体に気づいていないのではないかしら?」
「……」
――僕の能力……?
ミチルのいう通り、奏多には自分の能力が何なのかわからないでいた。
しかし、ではなぜ自分自身すらわからない事を、今日はじめて言葉をかわした彼女が知っているというのかと思案して、すぐに馬鹿馬鹿しいとかぶりを振る。
「他を当たってよ」
「天道くんじゃないとダメなの! 天道くん以外にアビルゲートを開けられる人なんていないのよ!」
大音声を背中で受け止めながら、彼は校内に消えて行ってしまった。
彼女の電波な話に付き合うよりも、真面目に授業を受けることを選んだのだ。
その日、裏道ミチルが教室に戻って来ることはなかった。
奏多は授業中も彼女の叫び声が頭から離れずにいた。普段感情を表に出さない彼女があんな風に叫ぶとは思いもしなかったのだ。
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