第3話
「じゃ、またな」
「うん」
「ばいば~い」
放課後、奏多は家に帰ったらすぐにバイトを探そうと考えていた。
友人二人に心配をかけないためにも、自宅から離れた場所で働くことを決めている。
「……あれ」
門口を抜けて住宅の鍵を開けようとした奏多が、ピタリと動きを止めた。
「鍵が……開いてる?」
今朝学校に向かう時には確かに鍵をかけたはずなのに、玄関の引き戸がわずかに開いていた。
「泥棒か……?」
我が家に取るものなんてなにもないぞと思いながらも、おそるおそる引き戸を開ける。
立て付けが悪いのか、あるいは長年にわたり蓄積された歪みのせいか、引き戸は持ち上げるようにスライドさせなければ上手く開かない。若干苛立ちながらも慎重に足を踏み入れる。
「ん……?」
見覚えのないローファーが一足、玄関に丁寧に並べられていた。
「誰の靴だ?」
奏多の靴のサイズは25.5センチ。日本人男性の平均サイズ。
しかし、いま彼が目下に捉えている靴はそれよりも一回り以上小さい。目測で23.5センチほど。サイズからして靴の持ち主が女性である可能性は非常に高かった。
「……ずいぶん几帳面な泥棒だな」
まさか泥棒に感心してしまう日が来るなんて、奏多は思いもしなかった。
自宅に泥棒が入ったというのに妙に落ち着いている自分自身にも、多少感心していたりする。仮にこれが男性のものであったとしても、靴のサイズからして犯人が小柄な人物であることが容易に予想できたからだろう。
「なんの音だ?」
耳をすませば微かにトントントン、なにかを叩くリズミカルな音が台所の方から聞こえてくる。靴を脱いで慎重にリビングの扉を開くと、焦げ臭い匂いが漂ってくる。
ドアの隙間からそっと台所の様子を窺う奏多は、黒い馬の尻尾のようなものを確認する。
「あれは……なんだ?」
目を凝らして数秒、注意深く観察すれば、それは長い黒髪を後頭部あたりで一纏めに結った毛髪であることが判明する。
――人の髪の毛……だよな?
その人物は黒いセーラー服を着用しており、今朝がた散々目に焼きつけた後ろ姿に瓜二つ。唯一違う点があるとするなら、髪を束ねているかいないかという些細な点だけであった。
犯人の正体を確信した奏多は、緊張の糸が切れたように息を吐き出した。次いで勢いよく台所の扉を開けた。
「そこで一体何をしてるんだよ!」
普段あまり激情に身を委ねることのない奏多でも、さすがに泥棒紛いの行いには腹を立てていた。たとえ盗み目的で侵入したわけでなくとも、人様の家に勝手に上がり込むなんて非常識だ! あり得ない! と内心カンカンだった。
厳格な態度で犯人と向き合う奏多だったが、「あら、おかえりなさい。早かったのね」犯人はまるで新妻のような雰囲気を纏いながら何食わぬ顔で口にした。
「…………え、あ、うん。……ただいま?」
あまりに堂々としている彼女の態度に奏多は自分が間違っているのかとしばし沈思黙考。やがてそんな馬鹿なことはないとかぶりを振り、気持ちを切り替えた。
「なんで裏道さんが僕の家にいるんだよ! これは不法侵入、犯罪だよ!」
毅然とした態度で彼女へと詰め寄った。
「あら、私ちゃんと玄関でお邪魔しますと声をかけさせてもらったわよ?」
「えっ、そうなの? ……って、そうじゃないだろ! お邪魔しますって言えば勝手に入っていいことにはならないから!」
「あら、そうなの? ドラマやアニメなどでは『留守か、なら勝手に上がらせて待たせてもらうか』ってシーンを何度か観たことがあったのだけど、あれは誤った情報だったのかしら?」
この人は本気でそんなことを言っているのだろうかと、奏多は開いた口が塞がらなかった。
「天道くん、埃が入ってしまうわよ。できれば口を閉ざすことをおすすめするけれど……」
少し前屈みになった彼女が、不思議そうに奏多の口内を覗き見ては、「虫歯はおろか、治療の痕跡一つないのは感心ね。歯は健康の源というものね」感心感心と頷いている。
「そんなことはいまはどうだっていいんだよ!」
誤魔化そうったってそうはいかないぞと床を踏み抜いた奏多が、珍しく自分を奮い立たせている。
「というかどうやって入ったんだよ! 鍵は確かに今朝閉めたはずだ!」
「ええ、心配しなくてもしっかり閉まっていたわよ」
「な、ならどうやって入ったんだよ!」
「ちゃんと玄関から上がらせてもらったけど、まずかったかしら?」
「いや、そうじゃなくて……。鍵しまってたって言ったよね?」
「ええ、言ったわ」
「なら、入れなくないかな?」
「これよ」
彼女は彼になんの断りもなく彼のエプロンを着用しており、何食わぬ顔でエプロンの前ポケットから四つ折りのチラシを取り出した。
「はい」ってな具合にそれを差し出す彼女からチラシを奪い取った奏多は、このチラシがどう関係しているのかとチラシを開いた。
「え……」
チラシに視線を落とした彼は絶句していた。そこには巨大な鍵を携えた制服姿の犬のイラストが描かれており、『鍵の110番』とでかでかと書かれていたのだ。
「鍵屋のチラシじゃないか」
「ええ、そうね。鍵が閉まっていたから鍵屋さんを呼んだのだけど、まずかったかしら?」
「まずいとかまずくないとかいう問題じゃないよね!? なんで人の家の鍵を鍵屋さんに開けさせるんだよ! そんな大胆な犯行を白昼堂々やってのけたのはきっと空き巣業界でも裏道さんだけだよ!?」
「あら、天道くんは面白いことをいうのね。鍵をなくしたら鍵屋さん以外に一体誰に開けてもらえというのかしら?」
「失くしたもなにもそもそもこの家の鍵持っていないよね!?」
「ええ、そうね。さっきまではたしかに持っていなかったわ。でもほら、今はこの通り、持っているわよ」
制服のポケットから真新しい鍵を取り出した彼女は、それを顔の横に掲げている。
しかも驚くべきことに、自宅の鍵などと一緒にキーホルダーリングにセットしていたのだ。
「なにやってんだよ!? なんで裏道さんが僕の家の鍵を自宅の鍵みたく所持してんだよ!」
「天道くん、それは作ってもらったからに決まっているじゃない。バカでもわかることよ? それより天道くんのために夕食を作ったのよ。少し早いけど食べながら話すというのはどうかしら?」
「……」
「どうやら決まりみたいね。なら天道くんも早く手を洗ってきてもらえるかしら?」
奏多がポカーンと今世紀最大の間抜け面を晒していると、話が勝手に進められていく。
洗面所の鏡に映った冴えない顔の男をぼんやりと眺めながら、奏多はなぜ自分は手を洗っているのだろうかと思案する。考えるまでもなく手を洗ってきてとクラスメイトに言われたからなのだが、何か釈然としない。
「なんで裏道さんが僕の家に居るんだよ。それも合鍵を作って料理をしていた……? 狂ってるんじゃないのか」
警察に通報すれば一発で解決する問題なのだが、相手はクラスメイト。さすがに警察はやり過ぎかもと思う奏多。
第一なにも取られていなければ、脅迫紛いの脅し文句を言われた覚えもない。
ただ勝手に合鍵を作られて家に上がり込まれて料理を作っていた、ただそれだけのこと。
「………っ」
冷静になって考えればひどく恐ろしいことのように思えてならない。一歩間違ったら一生トラウマになりそうな状況に背筋が凍る。
「やっぱり頭おかしいのかな?」
思い出すのは今朝のトンチンカンで電波な会話。アビルのカーテンが宇宙の記憶に繋がってなんたらかんたらという、例のあれである。
屋上を去る間際、彼女が必死に意味不明なことを叫んでいたことを思い出す。
――空に連れてけ、か。
ここまで頭のネジが外れてしまった人を、自分なんかが説得できるのだろうかと不安になってしまう。
しかし、説得できなければ、彼女のことだから毎日やって来る可能性がある。
――それは困る。
これから奏多はアルバイトを探さなければならない。友人の言っていた通り、生徒手帳にはアルバイト禁止が明記されていた。もしも彼女にアルバイトをすることがバレたら……。
考えただけで胃痛が襲ってくる。
「ここはやっぱり穏便に済ませて、帰ってもらうしかないよな」
冷水で顔を引き締め直した奏多は、意を決して彼女の待つリビングへと向かった。
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