訳あって車椅子生活をしてるTS少女だけど、介抱してくれる男友達の様子がおかしいような……?

小日向葉月

春風の日


 雲が一切ない青空の下で澄み渡る朝のすがすがしい空気。小鳥たちが心地よいさえずり中、カラカラとタイヤが回る音が響く。


 たまにふわっと吹いてくる暖かな風がボクの慣れない長い髪の毛を揺らす。お尻に伝わってくる時々ガタガタ揺れる振動もどこととなく気持ちよく感じられた。


「ふあぁ……さわやかな朝だねぇ」


 ボクの口からはそんなのんびりとしたセリフが女の子の可愛らしい声で再生される。


「こっちは汗だくだけどな」


 久しぶりの外に出て上機嫌なボクに対して後ろでハンドルを握っている男――親友の京介が汗を垂らしながらボクの座っている車椅子を押していた。


 澄み切った朝の風景とは裏腹に彼は熱気に塗れた汗が頬を伝い顎から滴り落ちている。


 ボクはちらりと彼を見て言う。


「そんなに暑いな上、全部脱いだら?」

「バカ言えよ。半裸で登校したら変態扱いされちまうだろ」


「別にいいんじゃない? 周りの人だってそんなに気にしてないよ」

「いやでもなぁ……」


「じゃあせめてネクタイ外せば?首周り楽になるよ」

「うーん……そうするか」


 そう言って京介は首からネクタイを外す。そして襟元を手でパタパタさせながら風を送り始めた。


「ふいぃ〜、生き返る……」


その仕草はまるでお風呂上がりで涼んでいるおっさんのようだった。


「おじさん臭いね」

「ほっとけ! 誰のせいでこんな重労働してんのか分かってるのかよ?」


「ごめんってば~、でも仕方がないじゃん? まだ歩けないんだからさぁ」

「分かってるけどさ、お前重いんだよ」


「そうか? 女になってからは体重とか凄い減ったけど……むしろ、平均的な体重よりも軽いって」

「それでも重いものは重いんだよ! もっと痩せろよ」


「無理言わないでよ、これでも医者からはもっとお肉付けた方がいいって言われててさー」

「いやいや、勘弁してくれよ。これ以上太ったら毎朝学校行く前に俺死ぬぞ?」


 京介の言葉を聞いて苦笑いを浮かべながら、ボクは空を見上げる。雲一つない真っ青な空には太陽がこれでもかというくらい燦々と輝いていた。


 なんだか目に映る物がみんな輝いて見えるような気がする。


「どうしたんだ? 真上なんか向いて感慨深そうな表情して」

「あーうん、久しぶりの外だからさ、なんだか新鮮だなって思って」


「ああ、そういうことね。まぁ、確かに入院してからずっと病院にいたもんな……それにしてもお前さ、そんな体になって脚が動かなくなったのによくそんなに陽気でいられるよな? 普通だったら絶望したりしないのか?」

「うーん……別にそこまでショックじゃないっていうかさ。命あるだけ良いって言うか――あーそれにそのうち動くようにもなるって言われてるしさ」


「でも、その女の体からは戻らないんだろ? いくら世界初の人体再生手術で助かったとしても性転換しちゃう副作用は残るわけだし……俺なら家から出れなくなっちゃうねぇ」

「まぁ、そこはちょっと複雑だよ。もう二度と男の子として生活できないかもしれないと思うとさ……正直悲しい」


 ボクは自分の胸に手を当てた。そこには膨らみがあって、女の子特有の柔らかい肌触りがある――ボクは正真正銘の女になってしまったのだ。それもただの女の子ではない。世界で唯一男性から女性へと完全に変化した人間である。


「なーんか、大変だよなお前。女になった上に車椅子生活とか人生ハードモードすぎるぜ……」

「そうだよね……まぁ、いい加減慣れてきたけどさ――それよりもこないだ発売したゲームやってる?」


「ああ、もちろん。あれ面白いよな!」

「やっぱり? 京介のことだからもうクリアしてんでしょ?」


「よく分かったな。初日にストーリーは終わっちまったよ」

「早過ぎだよ、こっちはまだ2章の途中だよ?」


「ちょっ、それは遅すぎないか?」

「いやいや、実は病院で入院してたからそんなにゲームできなくてさ、それで——」


 暗い話は打ち切りにして明るい話題に転換するボクたち。


 あの事故が起きる前までもしていたゲームやアニメの雑談。いつものようにボクたちはオタクトークを繰り広げていた。


 ボクの体はこんなにも変わってしまっていたけど、変わらないボクたちの関係。変わらない会話を繰り広げながらボクはずっとこの時間が続けばいいと心の底から思った——


 あれから特にこれといった内容もない軽い会話をしていると僕が今日から通うことになる学び舎が見えてきた。


「アレが今日から通うことになる学校かぁ……」


 本来ならば二か月前に入学式と共に男子生徒として通うはずになった学校。


 不幸にも中学卒業式の後に起こったあの事故のせいで二か月間通うことができなくなり、挙句の果てに体は女の子になり脚は思うように動かない。


 さんざんたる仕打ちを受けたがなんとかここまで来ることができた。


 ふと、顔を上げるとついにその夢まで見た校舎がどんどんと大きくなって近づいてくる。大きな校門に差し掛かる直前にピタリと車椅子が止まった。


「どうだ? 初めて高校は?」

「めちゃめちゃ感動もんだよっ!だって学校なんてしばらく行ってなかったんだもん! ワクワクするよぉ」


「そりゃよかった、でも、あんまりはしゃぎ過ぎて怪我とかすんじゃねーぞ?」

「もう……大丈夫だって。ボクをなんだと思ってるのさ」


「うーん、そうだな——天然で、ドジっ子で、バカだけどアホじゃなくて……うむ、とりあえずポンコツだな」

「ちょ、それどういう意味!?」


 ボクは抗議の声を上げるものの、当の本人はどこ吹く風と言った感じにそっぽを向いていた。全く失礼しちゃうよ。


「ほらほら、それより行くぞ」

「誤魔化すなよ。さっきのは——」


「はーい! しゅっぱつー!」


 そんな不満を言う暇もなく、車輪は回り出し学校に向かって進み始めた。いつか絶対にこのことを問い詰めてやる。


 正門を潜って中に入るとそこには流石はマンモス校と言うだけあって多くの生徒たちがいた。校舎も大きく綺麗で設備も整っている。


 白を貴重とした清潔感溢れるデザインに所々にある緑化用の木々がいいアクセントになっている。更に驚いたのはグラウンドはサッカーコートが4面取れるくらいの広さがあり、体育館はなんと3個もある。


 プールは屋外だけではなく屋内にも完備されていて冬でも泳げるようになっているらしい。他にもテニスコートやら何やら色々あってとにかくその他施設も充実しているのだ。


「うわぁ……すっげぇ大きい」

「だろ? 中も凄いぜ? 教室は1年だけでも10クラスもあるし、食堂に購買部、図書室——他にもかなりの数だ」


「へぇ……じゃあ、移動するの大変そうだなぁ……」


 ボクはふと自分の座っている車椅子を見た。うん、確かにこれは大変だ。ボクは苦笑いしながら小さくため息をついた。


「ん? どうかしたのか?」

「いやさ、そんなに広いならボクの乗っているコレってかなり不便だなぁって……」


「あ~なるほどな、確かにそれはあるかもな……」


 京介は腕を組んで唸るように考え込み始める——するとすぐに何か思いついたのかパッと表情が明るくなった。そしてニヤリとした笑みを浮かべるとボクの方を見る。


「よしっ決めた!」

「何を?」


「俺がお前の移動を手伝ってやるよ」

「えっ? いいの? 登下校でも手伝って貰ってるのに……」


「ああ、いいっていいってどうせ休み時間はそれなりに暇だし……それに……お前以外の友達少ないからさ……」


 最後の方はボソッと呟くように言ったためよく聞こえなかったがどうやら手伝ってくれるみたいだ。京介には感謝しかない。


「ありがと! 京介!」


 本当にいい親友を持った! 嬉しくて思わず笑みがこぼれてしまう。


「い、いいから早く行こうぜ!」


 何やら表情を見られたくないのか、明後日の方を向くと再び車輪が回り始める。


 しかし、その彼の横顔からは照れているのか耳まで真っ赤になっていた。ふふ、感謝されて嬉しかったのかな? くく、変なところは可愛いんだから……


 クスッと小さく笑いを零しながらボクは後ろにいる彼を視界から外すと初夏の雰囲気を纏う風を感じながら辺りを見渡す。


 すると、男女問わずチラチラと見られていることに気がつく。気のせいかな……? いや、気のせいじゃないな。明らかに見られてる……


「なんか、見られてない?」

「そりゃあ、車椅子の奴なんてなかなかいないしな、乗ってるヤツもなんか浮かれてそわそわしてるから余計に目立つんだろ」


「そうだね……って、う、浮かれてる!?別にそんなつもりないのに……」


 そんなボクの否定に対して京介は呆れながら答える。


「いーやお前は完全にはしゃいでるよ。さっきからずーっとヘラヘラ浮き浮きしてるじゃねーか……ってか、昔からずっとか」

「そんなに浮かれてないって!」


「それはどうかな? さっきも言ったけど天然というか気が抜けてるというか……ちょっと、不思議ちゃんって感じするし、事故の前もソワソワしてたし、修学旅行の時に迷子になってたりとかしてたし……」

「む……昔の話じゃん……」


「今も昔も変わってないぞ」

「うぅ……」


 痛いところを突かれてしまい言葉が出てこない。何も言えず黙り込むしかなかったボクは恨めしい表情で京介のことを睨むことしかできなかった。その視線に気がついた京介は小さく笑うと再び歩みを進める。


「……はは、まあ、それがお前のいいとこだけど」

「思ってないないくせに……」


「ホントだって、怒るなって」

「……怒ってないもん」


 何だか悔しい気分になりつつ前を見ると目的地の昇降口前に到着する。目の前のガラス戸の向こうにはたくさんの下駄箱が見える。


 流石マンモス校だ、玄関だけでもかなりの広さがある。しかも一つ一つが高級そうな木目調で出来た物で統一されており、上履きを入れるロッカーも大きくて靴以外のモノも入りそうなほどだ。


「やっぱり玄関も広いねぇー」

「だろ? 最初の頃は自分のロッカーがどこにあるのか迷ったな。お前も自分のロッカーがどこにあるのか覚えておけよ」


「うん、覚えとく」

「じゃあ、中に入るぞ」


 そう言うと前に進み始め、やがてボクを乗せた車椅子が施設内へと侵入する。玄関にもたくさんの生徒たちが行き交っており、みんな上履きに履物を替えるために忙しなく動いていた。


「こりゃもの凄い数だな……あ、すいません。ちょっど避けてくれますか?」


 ボクを運んでいた京介がそう言いながら前を歩いている人を避けてくれる。道を開けてくれた生徒たちは例にも漏れずにボクに注目を浴びせていた。流石のボクもこれだけの人数からこんな近くから視線を浴びたら緊張しちゃうな。


「人多いねぇ……」

「ああ、こりゃあ車椅子登校には改善点がたくさんありそうだな……この時間にお前を運んでここに入るのはちと迂闊だったかな……」


 京介がぶつくさ言いながら進んでいく。確かにこの生徒数の中を車椅子でズカズカと通るのは無理があるのかもしれない。登校時間を工夫するなり考える余地はありそうだ。


 キョロキョロと玄関を観察していると、1年生と書かれた場所に来た。それから1年6組と張り紙がしてあるロッカーのところまで移動するとピタリと止まった。


「ここがお前のクラス。確か、出席番号は6番だったな……えーっと、あった……大宮恋。これだな」


 彼が指差す方向にはボクの苗字が書かれたネームプレートがあった。車椅子をその前まで移動させるとカチッと動かないようにロックで固定してくれる。


「上履き、カバンに入ってるのか?」

「うん、リュックの大きなポケットに入ってるから出して貰えると助かるんだけど……ほら、引っ掛けてあるやつの」


「おう、はいよー……おっ、これこれ……ほいっと!」


 京介がボクのバッグの中から取り出した上履きを取り出すとボクの足元の床に置いてくれる。


「サンキュー京介!」

「おうよ……そういえば、靴を履くのにも一苦労だろ? 履かせてやるからジッとしてろよ」


 そう言って彼はボクの目の前に来てしゃがみ込こむとボクの足を持ち上げる。うまく動かせないけど感覚は無くなったわけじゃないから触られるのは少しくすぐったい気分になる。なんだかこそばゆい感じがするような……


「よいしょっと……こうして小さくなった足と靴を見てるとさ、お前ってさ本当に女の子になったんだなって思うわ……」


 脱がせた靴とボクの小さな足を交互に見つめながらそんなことを言ってくる。


「ちょっと前までは同性だったのにね。今じゃ異性なんだから驚きだよ」

「ああ、そうだな……えっと、上履き履かせるからそのままにしててくれよ」


 そう言うとゆっくりと丁寧に両足に靴を履かせてくれた。足の甲までしっかりと包み込むようにしていく。つま先の部分もしっかり入れ込んでくれて最後にギュッと紐を締めた。


「……よしっ、できたぜ。どうだ?きつくないか?」

「うん、ありがとね。大丈夫みたい……助かったよぉー」


「気にすんなって、これくらいのこといつでもしてやるからな」

「さっすが男前〜頼りになるー! きっと、高校ではモテると見た! 可愛い彼女楽しみにしてるよ〜」


 ボクはからかうようにして肘で軽く突く仕草をする。そんな様子を見て彼も笑いながら返してくれると思っていたのだが、何故か反応がなかった。


 あれ、どうしたのだろうと思って顔を覗き込むと、そこには何かを考え込むような表情をした京介がいた。一体どうしたというのだろうか?


「ど、どしたの?」


 そんな表情に不安を覚えたボクは恐る恐る聞いてみることにした。するとハッと我に返ったかのようにこちらに顔を向ける彼だったがすぐにいつもの表情に戻った。


「なんでもねぇよ。ほら、次は職員室で担任との顔合わせだからさっさと行くぞ」

「え、あ、うん……」


 さっきのは何だったのだろう……すごく気になる。でも今はこれ以上詮索するのはやめておこう。また後で聞いてみればいいか。


 あまり深く考えることは止めた。京介も先程までの感じに戻るとボクの靴をロッカーにしまってくれたあと、背中の方に回り込むと職員室に向かって前進し始めた。


 玄関を抜けるとそこには綺麗な廊下と入ってきた生徒を迎えるかのように大きな掲示板が待ち構えていた。


 そこには学校行事やや部活動紹介など様々なお知らせが掲示されている。その中でも一際目立つように大きく貼られているポスターに目が行く。


 それはどうやら生徒が作った作品のようだ。色とりどりの色鉛筆を使って描かれた風景画はどれも見事な出来栄えだ。


「どうだ? 見ての通りこの学校は部活動にも力をいれてるんだ。運動部はもちろん文化系の部活も結構あるんだぜ」


 説明を聴きながら各部が頑張って作成したであろうポスターをじっくりと見ていく。


「へぇー、ホントだね……吹奏楽や美術、書道とかもあるんだぁ……あっ、演劇もあるんだね!」

「ああ、他にも将棋同好会やら囲碁愛好会やら……とにかく色んな部が活動してるぜ」


「へぇー、楽しそう……って、何これ? お嬢様倶楽部……? こんなのあるんだ」

「ん? ああ、それな……なんか数年前に作られたらしいんだが誰も入る人がいなくて結局廃部寸前なんだとよ」


「そ、そうなんだ……」


 確かに部活動名から何をするのか分かりにくいし、どんな内容もよくわからないから入ろうとする人は中々いないよね。それにしてもこういったマイナーな部活もたくさんあるなぁ……


「どうだ? あらかた見終わった?」

「うん、一通りには」


「そっか、それじゃあ次は職員室に行って担任と顔合わせだっけか?」

「そうそう、担任の先生に車椅子で学校生活を送る上での注意事項とか、こっちから手伝って欲しいところとかをお願いしにいくんだよ」


「なるほどなぁ……職員室は2階だから階段登るけど大丈夫か? 少しだけなら歩けるんだろ?」

「うーん……ちょっと今は自信ないかなぁ……ごめんだけど、抱っこしてもらってもいい……?」


「はぁ? ったくしょうがねぇな……とりあえず、階段の方に向かうぞ」

「よろしくねー」


 再び車椅子が動き出すと正面玄関口から廊下を歩いて少し進んだところにある階段の方に向かう。揺られながら校内をキョロキョロと見渡しているうちにあっという間に目的地に到着したようだ。


「さて、まずはお前を背負って2階に行ったあとに適当なところに座らせてから、ここに置いてある車椅子を取りに来る……そうしようか」

「うん!」


 京介は段取りを決めると早速行動を開始する。まず初めにボクのことをおんぶするために車椅子が勝手に動かないようにロックをかける。


 次に固定し終えた京介がボクをおぶるためにしゃがむ体勢に入る。大きくてガッシリとした背中を正面にしたボクは首に腕を回したあとに彼の肩に顎を乗せる。


「よっと……んじゃ、持ち上げるぞ」

「うん、いいよ」


 そう返事をすると同時にグッと体に重力がかかる。そして、次の瞬間には視界が一気に高くなった。


「どうだ? 大丈夫か?」

「バッチリだよ。ありがとう京介」


「どういたしましてっと……それじゃ、行くか」

「はーい」


 ボクたちは階段を登り始める。一歩ずつゆっくり踏みしめるように登っていく。生徒数の割にはここの階段を使う生徒は居ないようで二人だけの時間が続く。


 ——揺れる体。伝わる体温。心臓の音……そして、京介の臭いが鼻腔を刺激する。なんか洗剤変えたのかな……いつもとは違う香りがする気がする。


 それにしても、京介って体鍛えてるのかな? このゴツゴツとした感触といい筋肉のつき方と言い……何かスポーツやってるのか? 触り心地いいな……


「お、おい……あんまり動くなよ……バランス崩すだろ……」

「ごめんごめん、しっかりしがみつくね」


 深く腕を首に回すと、更に体が密着する形になる。うおぉ、さらに筋肉を感じられる。たぶん、これは鍛えてるな。


 ゲーム尽くしのインドア系だと思ってたけど意外とそうでもないのかな。高校デビューってやつなのかも。


「ねぇ、もしかして鍛えたりしてるの?」

「……え、えっ、ごめんなんて言った?」


「ん? 鍛えてるのかなって?」

「そんなわけ無いだろ……ってか、お前さ、確かに振り落とされないように気をつけろって言ったけどさ。そんなに密着するなよ……さっきから……その、お前のアレが」


「ん? あたってるって? なに?」

「いや、その……お……っ! む、胸が当たってるんだよ!!」


「……へ?」


 そう言われて視線を自分の胸元に向けると、むにゅっと潰れたそれが京介の体に当たりながら形を変えていた。


「どうかしたの? そんな気にする?」

「そりゃそうでしょ……だって、俺一応男だぞ? んで、お前は女」


「体だけならそうかもだけど、元々は男同士だしいいじゃん別に」

「よくねぇわ! 少しは恥じらい持てよ! ったく……」


「えー、そんなこと言われても……」


 正直よくわからない。確かに恥ずかしいかもしれないけど、今の京介みたいに変な意識したことなんてないし。


「はぁ……お前らしいっちゃお前らしいな。ますますその姿で一人にしておくことに心配になってきたよ……」


 京介は大きくため息をつくと再び歩き始めた。


「ねぇ、さっきから変だよ?」

「お前が無自覚すぎるだけだろ……もういいよ、俺が気を付ければいいだけの話だからな。ったく、先が思いやられそうだ……はぁ……」


 京介がヤレヤレと首を横に振って踊り場から階段を踏み上ろうとしたその時――ボクとの会話で足元が狂ったのか倒れてしまう。


「うわあっ!?」

「きゃあっ――!?」


 地面に投げ出されるボクたちは幸い京介が機転を利かせて受け身を取ったことで地面に衝突するということはなかったが、ボクは京介の背中から投げ出されてそのまま地面に尻もちをついてしまう。


「だ、大丈夫か!?」

「うん、平気……京介こそ大丈夫?」


「ああ、すまねぇ……こんな――ッ!?」

「ど、どうしたの!?」


 床にぺたんと座っているボクを見て何か見てはいけないものを見たような反応をする。京介の目線はボクのスカートの中に向いていた。


 視線の先――そこには捲れたスカートから覗かせたボクのパンツだった。あちゃー、やらかしたな。京介の表情を見る限り、ボクが女の子だと再認識させたんだろうな。


「あ、えと……そ、それはだな……ち、違うんだ!」


 慌てふためく様子の京介。顔が真っ赤になって必死に弁解しようとする。まあ、僕が男の頃に女の子のパンツなんて見たらこういう風な反応をしてしまっただろう。


 まあ、同性だからそんな気にしないけど――いや待て、これは復讐してやるチャンス……!


 ぐふふふ……じゃあ、僕がすべき対応は一つしかない。普段、ポンコツとか言ってバカにしてくるからな――仕返しでもしてやろ……僕はスカートをパッと押さえつけて顔を両手で覆うと芝居かかった声で言い放った。


「ばかぁ……エッチぃ……」

「ちょ、待てって!」


「変態!! 見ないでぇ……うぅ……グス」

「分かった、分かったから泣くな!」


 全力の嘘泣きを見せる僕の姿を見た彼は慌てた様子で駆け寄ってくると慰めようと必死になった様子を見せてくれるのだが、それも計算の内なのだぁ〜ふははっ!


「うえーん……ぼくぅ……ぐすっ」


 そう言ってボクは顔を覆って泣いている演技をする。それを見ている彼はかなり狼狽えている様子だった。そりゃそうだ、今まで一度も見たことのない表情と声色を見せているんだから。


「ああ、マジで悪かった……わざとじゃないし……な? な?」


 京介は焦りながらもボクに対して頭を下げて謝罪をしてくれたのだが、流石にここまですると逆に申し訳なくなってくるな。よし、ここら辺にしておこう。ボクは泣き止んだ振りをして京介に問いかける。


「じゃあ、今度……大盛牛丼奢ってくれる?」

「はぁ……それくらいなら……」


「やった! それじゃ許す!」


 手を放してパッと笑顔になると京介はムッとした表情で僕を見つめる。


「お前、本当に泣いてたのか?」

「あははーなんのこと?」


「ったく……お前ってやつは本当に……」


 呆れ顔で頭を抱えるとやれやれと首を振る京介だった——……


 その後、気を取り直すとともに階段を駆け上がるとともに2階に到着した。ここも一回に負けず劣らずでとても綺麗で清潔感溢れる空間だった。


 所々に観葉植物などが置かれており、全体的に明るい雰囲気を漂わせている感じだ。廊下の奥には職員室と書かれたプレートが見える。どうやらあそこが目的の場所のようだ。


「よっと、到着だな。どこかお前を降ろせそうなところ——あ、確かあそこに……」


 そのままボクを抱えたまま廊下を歩いていくと、廊下の突き当りの一角にちょっとした広いスペースが現れるとともに自販機やベンチが置かれた休憩所のような場所に辿り着いた。


「よし、ここでいいか。降ろすからな……よいしょっと」

「ありがとねー」


 ゆっくりと背中から降ろされ、そのままベンチに座るようにして腰掛ける姿勢になった。


「ふぅー……」

「ここは、職員室の先生とかがよく来るちょっとした休憩場みたいなところだ。まぁ、今は誰もいないみたいだけど、俺は車椅子を取ってくるからちょっと待っててくれよな」


 そう言って京介は再び来た道を戻っていった。


 それにしても、京介がこんなに世話焼きさんだとは知らなかった。いつもはクールな感じなのに今日はなんだか違う一面を見せてくれて嬉しい気持ちになる。


 それからしばらくして彼は戻ってきた。


 手にはさっき預けた車椅子を持っており、タイヤがカラカラと音を立てていた。どうやら持ってきてくれたみたいだ。わざわざありがとうね、ホントに助かるよ。


「ありがとう、それじゃあ職員室に向かおうか」

「おう、じゃあ……また俺が——」


「ううん、ボク一人でやれる」

「おい、大丈夫なのか? 脚、まだ動かないんだろ?」


「ダイジョーブだって! こう見えても予定より早く車椅子卒業できそうだってお医さんから言われてるんだから」


 ボクの下半身麻痺は一般的な半身不随と違って治らないものではない。小難しいことはよく分からないけど、再生手術によって引き起こされたこの麻痺は一時的なものであり、いつかは順調に回復してくる。


 リハビリ師の人も言ってたけど努力すれば早く治る——京介に頼りっぱなしならないようによく動いて早く直さないと……


 ボクは車椅子に移ろうと足を動かそうとする。ベンチの背もたれに手をかけて体を支えながら、椅子から立ち上がろうとする。


「うおっと……」

「だ、大丈夫か?」


 なんとか転けずに立ち上がったまではよかったのだが、ふらついて倒れそうになってしまいそうになるが、ベンチの淵を掴んで何とか持ちこたえることに成功する。


 ふぅー、危なかったぁ……ほっと胸を撫で下ろす。でも、これでも手術当日に比べたらかなり動くようになった方なんだよねぇ。そう思って顔を上げるとすぐ近くにはこちらを心配するような表情をしている彼の顔があった。


「大丈夫か?」

「だ、大丈夫だよ……えへへ……」


 あははと照れ笑いしながら誤魔化そうとしてみたものの、どうやら無理があるみたい。その証拠に彼の表情が晴れないままだ。こんな顔をした京介は初めて見たような気がする。


「やっぱり、まだ一人で歩くのは無理だって……俺が——」

「ううん、心配しないで、一人でできるよ」


 彼に余計な気遣いをして欲しくなくて咄嗟に言い返すと、ボクは再び立ち上がって自力で歩こうとする。しかし、案の定というべきか足がうまく言うことを聞いてくれない上に、力が入りづらくてよろけてしまいそうになる。


「んっ……!」


 頑張ってボクの脚……! リハビリの成果を京介に見せる時だぞ。踏ん張るんだ!


そんな想いを込めつつ歯を食いしばると震える脚をどうにか前に出して、重心を低くして体勢を整えようとしたその時——……ふわっ——!


「あっ……」


 努力虚しくボクは前のめりになって倒れるような体制になってしまう。このままいくと顔面から思いっきり地面にぶつかってしまいそうだったが、間一髪のボクは彼の胸板に顔を突っ込む形で受けとめられることにより顔面を強打する危機を回避した。


「ほら、やっぱり! 危なっかしいじゃねぇか! だから言ったんだよ」

「だって、早く歩けるようになるためには自分の脚を使わないと思って……」


「な? あのな、それでまた転んで怪我したらどうするんだって話なんだよ。いくら早く治したいからって無理して悪化させたらダメだろ?」

「うぅ……ごもっともです」


 何も反論できなかった。確かに京介の言う通り、今みたいに転倒してしまうとそれこそ取り返しがつかないことになりかねない。


 それに今回は運良く受け止めてくれたから良かったけど、これが階段だったり大きな段差があったりしたら最悪の場合は頭を強くぶつけてしまって命の危機に晒された可能性もあっただろう……反省しないとな……


「分かったならいいが……それじゃあ今度こそ俺が運ぶから大人しくしといてくれよ。リハビリならまた別に付き合うからさ」

「うん、分かった。心配かけてごめん……さっそくだけどお願いね」


 お言葉に甘えて運んでもらおうとする。でも、本当に京介に頼ってばかりになってしまったな……せっかくこうして高校生活の第一歩を踏み出せたのにこんな有様じゃ情けないなぁ。京介――ボクのこと嫌がったりしてないかな……?


「ねぇ、京介はボクのこと邪魔だったする?」

「ん? 突然どうしたんだよ?」


「だって、こうして迷惑ばっかりかけて……嫌じゃない?」


 京介にしがみ付きながらバランスを取ると顔を上げて彼の瞳をジッと見つめた。ボクが真面目な顔をすることが驚いたのか、彼はハッと驚くと顔をヒョイと背けたと思えばそのまま……


「べ、別に俺はなんとも思ってない……」

「ホント? 気を使って嘘とかついてない?」


「つ、ついてないって! それよりも離れろって――こんなところ見られたら勘違いされちゃうだろ?」

「――え? 勘違い?」


「気づいてないのかよ? そんなしがみ付いて顔を近づけて……」

「あ――」


「ったく……だから、お前は女! 俺は男! 初日早々に学年で変なカップル指定されたらどうすんだよ……からかわれたりしたら面倒だろ……」

「あ、ああ! そうだったね! ごめんごめん!」


 ボクはそう指摘されると彼の体を杖代わりにして車椅子に座る。ボクが離れて気が楽になったのか「ふぅ」と一息つくと抱き着いたことで崩れた制服を正しながら車椅子のハンドルを握る。ボクは後ろを振り向くとニコッと笑う。


「京介――本当にありがとね!」

「――……別に友達だからな。お互い様だよお互い様……」


 照れくさいのか彼の視線はボクの目から逃れるようにして離れていく。よく見てみると頬が若干赤くなっていた。京介、本当にありがとね……!!

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訳あって車椅子生活をしてるTS少女だけど、介抱してくれる男友達の様子がおかしいような……? 小日向葉月 @Atsuki2427

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