第19話 余裕のない奴らの、戯れ
ゴブリンさんがお亡くなりになった後。二階・三階はモンスターが一匹も出てこなくて変だなぁと思いつつ、どんどこ先に進んでいたら細菌兵器の犬に似た、二足歩行の犬が血走った眼で走ってきた。
「えっ?!な、なにッ?!」
驚きと、何より恐怖で身体が動かない私をゼロさんが後ろにずらした。と思ったら、
「ギャンッ!!」ズダァンッ!!
飛び掛かってきた犬がすごい勢いで壁に叩きつけられた。壁に飛び散る血、痙攣しながら泡を吹く犬は舌をだらりと垂らして動かなくなった。犬が叩きつけられた音に驚いてスライムくんを落っことしてしまった私、あ然。何が起きたかわからなくてゼロさんを見たら、小首を傾げていて、
「ああ、つい蹴ってしまった。怪我はないか?」
ゾッとした。そんな気軽に生物を蹴っているのもだけれど、身長140㎝体重目測50㎏はありそうなのに、見えない速さで蹴りつけた上に、一撃で絶命させる威力を出せることに。
「し、シンジョウ?」
「ごめんちょっとまって、ゼロさんは何も悪くないんです、でもちょっと待って。」
動揺して身体が震え、後退った私にゼロさんが動揺している。イヤ、ほんとごめん護ってもらっておいてなんですが、ちょっと怖い。
ゴブリンさんの時もそうだったけれど、まずゼロさんの初撃が速すぎて見えない。気が付いたら相手が一撃死している。さらに、やっぱり戦いなれているから当たり前なのだけれど、命を奪うことに躊躇いがない。うん。いやね、想像は出来るんだよいくらでも。
殺さなければ、殺される。私のように甘く考えていれば、焼き土下座では済まない目にあうだろう。18歳で高ランク冒険者になるまで、何度も命の危機に晒されて、沢山辛い思いもして、努力して…一国の騎士団長になっているんだ。冒険者時代は、自分のためにモンスターや魔物を殺して、騎士団なら、国や人の為に人を殺したんだろう。
それは、時代として、環境として仕方ないことだ。話し合えば分かり合えるなんて言う奴は、話が通じる相手としか会話していない証拠だ。何の理由もなく、平気で他人を殺す奴だっている。だから自分を守るために、戦わなきゃいけない。そして、それはこの世界で生きる私も同じ。…わかってる。ただ、頭と心が離れすぎて、心がついて行けなくて。息が苦しくて。
「無理を、しなくていい。」
私が何を思っているかなんて、簡単にわかるだろう。それでもゼロさんは困ったように笑うだけ。伸ばされた手に、死んだコボルトが浮かんで、眼を反らせずに肩が跳ねる。
「…気にするな。」
無意識に歯を食い縛って身体を硬直させていたのに気がついたのは、伸ばされた手が私に触れずにさ迷って、ゼロさんが悲しそうに笑ってからで。
パァン!
…思いっきり、自分の顔を叩いた。乾いた破裂音が通路に木霊して、想像よりも強く襲ってくる痛みに涙がにじんできた。うぐぐ、痛い。絶対腫れる。
「お、おい?!何してるんだ、大丈夫か?!」
ああ、やっぱり優しいんだこの人は。無様に赤くなっているだろう私の両頬を見つめながら、手を伸ばしてはひっこめていて笑ってしまう。この人が人を殺すのも、モンスターや魔物を殺すのも。優しいのも、人を守るのも、真面目なのも。全部この人を作る一面でしか無くて、全部本当で、背負っているもので、大切な物だ。
想像でしかないけれど、理由無く誰かを殺したり傷つけたりはしないだろう。誰かを護るために、自分が生きるために戦って、傷ついて、殺めてしまう。その分人に優しい人だ。うん。私もいつか誰かを傷付けて、殺す日が来るかもしれない。そしてそれを、私は私が死ぬその日まで背負って生きることになる。それでもその時の判断を間違わないために、惑わない為に少しずつでも慣れるんだ。ゼロさんみたいに、強くてカッコいい大人になるのだ!
「んへへ、…思ったより痛かったでござる。」
「お、お前なっ…!」
決意も新たに困惑しているゼロさんに飛び掛かってみる、なう。案の定というか、驚いてはいるけど受け止めてくれるし、動揺はしてるけど嫌がらないよね。あと、本当は私の襲撃なんて余裕で避けれるよね?甘やかされている!
試しにぎゅうぎゅう抱きしめて、おでこをぐいぐい押し付けてみるてすと。さっきビビってしまったからな!もう大丈夫なんだぜ。触られても平気。気にしないで、構ってくれていいよ!ほれほれ!
「撫でてくれていいよ!」
「うっ、…ぐ、しかしな…、」
「へいき!だいじょうぶになった!」
手を上げろ、さもなくば撃つぞ!な感じに両手を上げたまま、私に触れないようにしているゼロさんがめっちゃ面白い。私が怯えたから気を遣わせてしまったなぁ。しかし、へっへっへ。ボディががら空きで隙だらけだぜ…そういえば、ゼロさんって軽装だよなぁ。シャツにスラックスとベルトにボディバックみたいなの。胸当ても皮っぽいけど強いから要らないのかな?バフ付き防具なのか…後者かな?ヴォイスさん辺りがご提供してそう。
あと、ゼロさん体温高い。あったか稲荷。筋肉の方が発熱するもんねぇ防寒具要らないのかも。うらやま。折角だからここぞとばかりにボディチェックしてたら、ゼロさんの身体がビクッと跳ねた。…お?
「…っ、」
くっついたまま見上げたら、耳を赤くしてるゼロさんと目が合った。隊長!愉快な気配を察知しました!
「ゼロさん…くすぐったいの?」
「お前な…ッ、!」
へっへっへ!ゼロさんの弱点を発見してやったぜ。ニヤニヤ笑いながら背中を撫でたら、焦ったように逃げ始めてとっても楽しい。さっき揶揄われたしね。仕返しじゃ!やられたら、やり返すでござる。ほうふく報復ぅ!
「っ、この、やめんかっ。」
「おあっ!」
追撃、成らず。高い高いみたいに持ち上げられて、地に足すらつかぬわ。んぐぐ、三日も天下持たなかった。三分天下。下剋上ならず。
「ひきょうだぞ。」
「こっちのセリフだ。」
宙ぶらりんのまま文句をいったら笑いながら言われてしまった。確かに、ゼロさんは反撃できなかったもんね。というか、これあれだ。叱られてる時の猫。
「解放を要求する!」
「しばらくこのまま反省しろ。」
「鬼畜!反省してます隊長!」
「どこがだ。」
くっ、ダメか。宙ぶらりん飽きてきた。そのまま移動している辺り、周りにモンスターとかはいないんだろうけどさ。あ、スライムくんが付いてきてる。一生懸命移動しててかわいい。わかるよ、ゼロさん足が長いから一歩が大きいよね。頑張れ応援してるぞ。さて、どうやって降りるか…ふむ。
「ゼロさん、胸に手があたってるー。えっち。」
「!?」
騙されるかは五分だけど、ワンチャンあるかと軽く考えて嘘ついたら、ビックーッ!って面白いくらいゼロさんの肩が跳ねて、すぐに下に降ろされた。やったぜ。
「嘘だよ!解放、なう!」
「お、まえ、ーーっはぁあ…。」
スチームポットみたいに真っ赤になっているゼロさんにピースしてたら、えっちらおっちら追っ掛けてきていたスライムくんが寄ってきた。愛いやつめ、このこの。スライムくんを撫でまわしている私にゼロさんの深いため息が降ってくる。
「おやおや、大丈夫かい?」
「誰の所為だ。」
「間違いなく私だな!」
ドッヤGAOで胸を張ると、目の据わったゼロさんに髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜられてしまった。おおん…しかもそのまま頬を横に伸ばされた。痛くないあたり手加減されている。くそうくそう。
「あにすふんふぁ!」
「五月蠅い。」
ほっぺは痛くないのにゼロさんの手首を引っ張ってもビクともしない。どういうことなの。ボサボサにされた髪を直しつつ文句を言ってみたけど、話してくれないんだぉ。凄い悪い顔で笑ってらっしゃる。ヒドス。スライムくんでぐいぐいゼロさん本体を圧しても、スライムくんの形状がプニるだけでふらつきもしない。体幹ぇ…。
「ふっ、く…、」
「うむぅうう。」
抵抗虚しくされるがままの私に声を押し殺して笑ってるけど、漏れてるからね?いまだむにむにと頬っぺたを押されているので、諦めずに手首を引っ張っていたら、ゼロさんがふ、と真顔になってほっぺが釈放された。
「お?許され、」
大きな手が頭を撫でて、頬に触れていた親指が唇をなぞって…鼻先が触れる程、ゼロさんの顔が目の前に近づいて。あ、と思った時には、
「ぐっ、…コイツ!!」
ゼロさんの横っ腹にスライムくんが体当たりをかましていた。おお、何か見えないゴングが、戦いの火蓋が切って落とされたのを幻視できた。
「…ゼロさん、スライムくん処しちゃダメだよ?」
もしやスライムくん、さっきまでは舐めプだったのかい?ってくらいスライムとは思えない機敏な動きだ。聞こえているのかいないのか、ゼロさんは逃げ回るスライムくんを捕まえようとしていて、こっちには目もくれませんね。うむ。
「…びっくりした。」
じわじわと恥ずかしさが上がってきて、触られた頬が熱い。絶対に赤くなってる。はよ冷めろはよ冷めろ…ッ!いやいや、だってさ、ゼロさん顔がいいんだよぉ…ッあんな真剣な顔で、至近距離にいたら誰だって緊張するし、照れるよね?!…ちゅう、されるかと思った。んんん、大丈夫勘違いとかしてないデス。あれでしょ、漫画とかによくある、睫毛にゴミついてたから取ろうとしたとか、そんな奴。わかってますとも!
この間も似た様な事があったから…。あの時もあれ?ちゅうされた?って思ったけど、ゼロさんその後ソフィラでもいつも通りだったし。むしろ何か悩んでて上の空でしたし?だからあれも、私の勘違いなのだろう。お陰でだいぶ恥ずかしかった。勝手に期待してそわそわして、でも何もないからアンニュイな妄想に悶絶してのた打ち回ってた。おああ、うぬぼれんなよぉ!馬鹿じゃん!馬鹿じゃん!
…うぬぬ。頑張れスライムくん。もう少しゼロさんを翻弄しててくれ。それまでに、
「はやく、さまさねば…。」
自分から行くのは平気なんだけどなぁ…。来られると、困る。ぐにぐにほっぺをマッサージして、赤色を誤魔化せないかな、なんて。ほれ、早くなかったことにするのじゃ。散々子供っぽいと言われて、世話を焼いてもらってさ…そんな保護対象に惚れられて
『お前を護ると誓ったのは俺だ。』
『お前を守る人間は、俺だけがいい。』
勘違いされるなんて、迷惑じゃないか。痛くなる心臓を押さえ付けて、宥め透かして深呼吸。
「迷惑行為、良くない!」
「っ、はぁ、なんの、ッ話だ。」
「あ、ゼロさんおかえり。」
よっしゃー!と手を上げたら、ゼロさんがスライムくん小脇に抱えて戻ってきた。おかえりんこ!肩で息してるけれど、大丈夫かい?
「スライムくんご存命でよかった!おかえりぃ。」
ゼロさんから救出して、お顔…あるかわからないけれど、同じ高さに持ち上げる。うんうん、元気だね君は。いいことだとおも
ちゅう♡「んむ、ぅ?」
おお?寄ってきたスライムくんにちゅうされた。いや、ちゅうというか、ぺとっとくっつかれたら私の口だったって感じなんだが。…なんだね、青スライムみたいに消化器官から侵入して捕食する気かね?でも今ハートマークが見えた気がするんだが気のせい?捕食する気だったのかどっちなのか、本当のこと言いなさい先生怒らないから。なんてスライムくんと見つめ合ってたら、
「殺そう。」
ゼロさんにスライムくんを上から鷲掴みにされた。え、ぞわぞわするんですが、殺気出てない?
「いやいやダメだよッ?!何言ってんの?!」
ほらスライムくん凄いブルブルして拒否してるよ?なんでそんなに怒ってるのだ。追い駆けっこ嫌だったの?わからないけれど一瞬で握り潰されないあたり、話せばわかると見た!
「スライムくんは連れて帰ります。」
「テイマー職以外は、ダンジョンからモンスターを連れ出せない規則だ。」
冷静に話し合おうぜ!って意気込みに淡々と規則を持ち出されて、焦る。テイマー職しか連れ出せないなんて聞いてないよぉっ!連れていけないのは寂しいけど、でもそれより今すぐ始末されそうなのを阻止せねばっ!
「うう、じゃあ、帰るまででいいから!」
「いま捕食されそうになっただろうが。」
「捕食されてない!」
「結果的にだろう。」
「違う、と、思いたい…うーん、ええと…あ、そうだ!ちゅうしてただけ!愛情表現!セーフ!」
むしろ、こっちを事実にすれば良いじゃないか天才か?
「仲良しだもんね?」
スライムくんに同意を求めるてみる。いや、これで無反応だったら恥ずかしいけれど追ってきてくれたし、多少懐かれてるのでは?
「あ、ほら懐かれてるよ?お友達です!」
未だ鷲掴みにしているゼロさんから逃れるためだとも思えるけど、私の方に向かって進もうと動いてる。か、可愛い!にょいっと腕?が私に伸びてきてかわい過ぎる!ついつい頬が緩んでスライムくんに手を伸ばしたら
「…か、」
「うん?」
「愛情表現であれば、口付けてもいいのか。」
ゼロさんが鷲掴みにしていたスライムくんが、ポーンと宙を舞って後方に跳んで行った。す、スライムくーん!?思わず受け止めねばと駆けだそうとして、足が空を蹴る。
「えっ、へっ?!」
下を見たら足が地面に着いていなかった。ひょい、とゼロさんに抱えられて、おおお?向かい合わせで抱っこされてます、なう。反射的に、両肩に手をついてしまう。え、なんですか?どういうことなの。斜め下に不機嫌顔のゼロさん。眉間に皺が寄ってますよ?ゼロさんより背が高いの、久しぶりだね?
「いいんだろ?」
なんだっけ、何の話だっけ?スライムくんを仲間にしたそうに私がゼロさんを見ている話しじゃなかった?スーパーボール顔負けにバウンドしているスライムくんが気になるし、至近距離のゼロさんはなんだか怒ってるし情報が多すぎて大混乱で
「は、え?そうで」
すね、と、続く言葉が出なかった。ゼロさんの口に、塞がれて。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
やってしまったと思いつつも、シンジョウの髪に指を差し入れて逃げられないよう後頭部を押さえる。甘い唇に浅く重ねては角度を変えて吸い付いて、柔らかさを堪能する。
「ちゅ、んッ…はぁ、あ…ンぅ、まって、」
「は…煩い。」
「ん、ふ」
混乱しているのか上手く息継ぎできていない、すがり付くように服を掴んで震えているシンジョウ可愛らしくて、興奮が上がってくるのがわかる。ああ、抱き上げて正解だったな。
少しずつ状況がわかってきたのか赤面し始めたシンジョウに、素知らぬ顔で何度も口付けた。それに抗議したいのか肩を叩かれているが、力が弱すぎる…むしろその反応が可愛らしく止めてやれない。
「っ、ふ…はぁっぁ、の!ゼロさんっ?!」
「なんだ。」
「なんだ?!なん、なにごと?!」
「愛情表現であれば、口付けてもいいんだろう。」
寝ていた時や酔っていた時よりも、反応が返ってきて気分がいい。当たり前か。当然の事に笑ってしまった俺に笑われたと思ったのか、シンジョウが心配になるほど赤くなって、瞳に涙が溜まっている。その様にゾクゾクと背中がざわついて。浮かされた気持ち良さにシンジョウを引き寄せると、簡単に空いていた隙間が埋まる。
「ちゅ、んン…はぁ、…ふっ、んぅ」
「…は、」
漏れる吐息と、混ざるシンジョウの甘い声に、脳が痺れて止まらなくなってきた。んん、まずいな。そろそろ我慢するか。額に、瞼に口付けて、絶対に勘違いが起こらないよう先手を打つ。それから…耳が、弱いんだよな。
「リン、好きだ。」
耳にも口付けてそのまま囁く。小さく跳ねて震えている身体を抱き締めた。よし、聞こえたな?聞こえていないとは言わせないからな。それから、逃がす気もない。
「大丈夫か?」
「だいじょうぶじゃない…っ、」
蚊の鳴く様な声で返事が返ってきた。全身赤くしたまま顔を両手で隠しているリンに、こう、悪戯心が擽られるというか…泣かせたくな…いや、待つが。流石にここで下手は打てないからな。
「うぅ…こしぬけた…、」
俺の肩に額を押し付けて、弱々しく呻いていて可愛い。これは…すぐに返事をもらうのは難しいだろうか。まぁ、先程までとは違い鬱屈とした気分がかなりすっきりしたからな、待てないこともない。早く伝えればよかった。過ぎたことだが。
動かずなにも話さないリンを急かすわけにもいかないだろう。暇になってしまった手でリンの髪を梳いて弄んでいると、ぽす、と足元になにかぶつかった。見ればスライムが跳ねては存在の主張を繰り返している。またお前か…お前に煽られてこの状況だとおもうと、殺し辛いな。どうするか。
「…あの、」
「ん?どうした。」
「本気です?」
ぼそぼそと小さな声で尋ねてくるリンに、一瞬、ここで抱き潰してしまうか。という考えが頭を過って、すぐさま捨てる。が、少し強く出ても許されるだろうこれは。
「…もう一度、初めからやるか。」
「結構ですッ!間に合ってますっ!!」
右肩に顔を埋めているリンの片手を取って、手の平に口付ける。ビクッと身体を跳ねさせて、手を引き抜こうとする勢いを引き返し、リンを抱え直すと今度はしっかり顔が見えた。
「そうか。俺は一向にかまわんぞ。」
頬に赤みを残し、困惑して泣きだしそうになっている顔が。
「リン、返事は。」
「…っ、私、何もできませんよ。」
「そうか。俺が出来る事は引き受けよう。一人では難しくとも、共にいれば解決できることもある。」
息苦しそうに吐き出された言葉に、ふ、と笑いが漏れてしまう。一人で生きられる奴などいるか。俺はお前ほど旨く飯を作れんし、回復魔法も使えんぞ。
「子供っぽいのでしょう、私は、」
苦々しい雰囲気に一瞬気後れる。やはり気にしていたのか…、幼稚という意味ではなかったんだが、勘違いさせたのは俺だ。これから挽回させてくれ。
「無邪気で可愛らしいとしか思っていない。それに、現実を知って前を向き、傷つくと分かっていても戦い、自分の足で歩こうとする者を大人と呼ぶんだ。リンは大人だろう。」
お前は強い女だから、一人でも覚悟を決めて歩いていこうとするだろう。だから俺はお前を一人にするつもりはない。この手で初めて命を奪った日を未だ夢に見る。傷付ける不快感もわかってやれる。今日、お前が俺を理解しようとしたように、俺もお前にしてやれることがあるはずだ。だからもう少し頼ってくれ。それからもっと、甘えてほしい。
「神聖力なんて、大聖女なんて、きっと後々面倒ごとがたくさん起きますよ。」
リンが抱える必要のなかったものだ。お前は
「それでもお前は、この世界の為に、ここで生きると決めたんだろう。俺が隣にいるのは迷惑か?」
面倒事なんていくらでも持ってくればいい。お前が笑う場所で、俺以外の誰かがその隣に居ることに比べればなんの問題もない。お前がいま生きるために必要な
「…いいえ。私も、ゼロさんが好きなので。」
諦めたように、困ったように笑うリンを引き寄せて、口付けた。心臓に指先に染み込むような高揚感と満足感に、浮足立っている気がする。啄む様に何度も口付けていたら、焦った声で口を押えられた。
「っ、あの、お忘れかもしれないけれどここダンジョンなので!危ないからね?!」
「索敵ならしている。問題ない。」
「ええっ、どういう事なの…。」
話す度にリンの柔らかい指が触れて、くすぐったいのか身をすくめている。…これはこれで。甘そうなんだが、流石に舐めると怒らせる気がするな。
「外敵がいれば感知できるスキルを持っているから、問題ないというだけだ。…口付けてもいいか?」
「だっ…ダメです!降ろしてっ!」
「何故。」
落ちてきた髪を耳にかけて、赤くなっている眦を撫でる。このスライム以外にモンスターが居ないのは本当だ。恐らく、リンがいるから浄化の影響が出ているのだろう。本人が全く気が付いていないが。
「なん、だから、」
「危なくなれば、判る。問題ない。」
「問題あるからッ!は、恥ずかしいから降ろしてっ!」
…なるほど。何か聖女にしかわからない問題でもあるのかと思ったんだが、そんな可愛らしい理由なら、もう少しこのままでいるか。
「今まで散々煽られたんだ。これくらい我慢してくれ。」
たまさか我慢できずに手を出したが、教えるわけもない。それに、俺を意識して慌てていると思うと気分がいいしな。上がる口角に気付いたリンが、ムッと口を引き結んで悔しそうにしているのも可愛い。
「なんで私が窘められてるのかな?!」
「それとも、俺に口付けられるのは不快か?」
散々口付けておいて何を、という話なんだが。リンの唇を撫でてジッと見つめてやると、困っているのがわかりやすく言葉を詰まらせて頬を染め、うろうろと目を泳がせていて愛らしい。ここには逃げ場も助けもないぞ?
「そ、ういう事じゃなくてっ、うう、す、スライムくん!!」
「っ、この、お前はまたか!」
まるで指示を待っていた。といわんばかりに、スライムが突っ込んできた。来ると分かっていれば避けられる。が、何度も絶え間なく来られると、抱えているリンが危ないだろう!一瞬、蹴り飛ばしてしまうか。と頭を過ったが、そうすればリンが傷つくのは目に見えている。折角リンと通じ合ったというのに、泣かれるのも嫌われるのも御免だった。
渋々リンを降ろし、体当たりしてくるスライムを叩き落す。そのまま地面で跳ね上がり、落ちてきた所を捕まえた。中々の速度で動いているが…コイツは本当にスライムか?ここは高レベルモンスターはいない。それなのにそこらのスライムよりコイツは頑健なうえ、速度も知能も高すぎて可笑しい。本来スライムは、分裂と捕食を繰り返すだけのはずだ。
「スライムくん、生きてる?生きてる?」
俺の手からスライムを受け取ったリンが、すぐに回復魔法で治療を施しているが…そもそもこいつに外傷はない。いや、まて。なぜ外傷が一つもないんだ。
「リン、少しいいか。」
「うん?なんだい?」
マジックリングから薄いカードを取り出してリンの抱えるスライムに翳す。一呼吸程で、カードに簡単な鑑定結果が浮かび上がった。
「…ああ、やはりか。」
「え、なにごと?」
表示された鑑定結果に頭痛がする。いや、リンは喜ぶだろうが…黙っているか?いっそ鑑定結果が間違っていればいいのだが、ウォンカ様のお手製だからな…。不具合以外で鑑定結果に間違いなどないことはわかっている。カードを覗き込んできたリンに見せれば、次第に嬉しそうに顔を綻ばせて。
「スライムくん、私のものって書いてるよ?!」
「そうだな、リンの従魔になっている。」
種族・スライム、名前・未登録、生後6ヵ月など、簡単な鑑定結果と共に、『光属性・希少種』『大聖女の従魔』と書かれていた。緑のスライムは元々風属性のはずだ。それが、リンに懐き浄化の余波を浴びながら行動を共にしたことで、光属性になったのか。希少種、は神聖力の事だろうか。あの移動速度や頑健さは、しっかりした鑑定を受ければわかるだろう。
しかし、なぜ従魔になっているんだ?モンスターはテイマーの持つ調教や服従の技術が無ければ、従魔にはならないはずだ。…いや、ここで考えても仕方ない。ここを抜けて隣国コールにいこう。国境近くの大きい街にテイマーギルドがあったはずだ。タイミングが良ければあの人がいらっしゃるだろう。
「リン、コイツに名前を付けた方がいい。名前がないとダンジョンの外へ連れていけない。」
「名前?!ええ、えっと、うーん…っあ、サスラ!」
逡巡してすぐ、思いついたと言わんばかりの満面の笑みでスライムを呼び、今度はやってしまった。と言わんばかりに青褪めだした。何をしたか知らんが、もう遅いぞ。
名前を認識したスライムが発光したかと思うと、緑だった身体は真白に変わり、ひし形の核が正面と思われる位置に固定されていた。…お前それは、弱点がむき出しになるんじゃないか?
試しに核に触れると、バチっと結界に弾かれて爪がはがれた。ああ、なるほどな。人差し指を見ると指が潰れたり切断されたりという事はなく、爪が半分無くなっていた。じくじくとした痛みはあるが、変色はしていないあたり毒などは無い様で、単純に爪が弾き飛ばされたことがわかる。サスラの今のレベル帯がどれほどかはわからんが、強くなれば自分の身だけではなくリンも守れそうだな。…ふむ。
「ぜ、ゼロさん?!」
考えることに意識を向けすぎて、怪我を放置してしまった。いや、これくらいならなんともないんだが。そう伝えようとして、シュル、と何かが指先に巻き付いてきた。みればスライムから光の粒が帯の様に伸びてきて、負傷箇所をくるくると器用に包み込んでいく。
そして包み終わった途端、光が弾けて消えた。霧散した光に指先を確認すると、しっかり傷口は無くなっていて。それどころか爪まで生えてきていた。
「さっちゃん天才では?!」
「さっちゃん…。」
固唾を飲んで見守っていたリンが、嬉しそうにスライム…サスラを抱えてくるくると回っている。サスラもどこか得意げだ。ペットは飼い主に似る。と言う奴だろうか。
「というか、そいつは雄じゃないのか?」
「え、不定形に性別ってあるの?」
リンの言葉に、お互い首を傾げてしまう。そういわれるとそうだな。分裂により個体数を増やすのだから性別などないか。というか、
「お前が『スライムくん』と呼んでいただろう。」
「語感がいいから…。さっくんよりさっちゃんの方が言いやすい!」
胸を張って言いきるリンの額を小突く。本当にこいつは…。誤解を引き起こしても結果的に見れば悪くないのがまた問題なんだが…
「なぜ『サスラ』なんだ。思い入れがあるのか?」
そういえば名付けで青褪めていただろう。碌な理由ではない気がするが、今のうちに聞いておくか。
「う…ええと、架空の神様の名前からとりました…。」
「…、良いのかそれは。」
予想の斜め上を行く理由に、つい呆然と呟いてしまった。
「アルたーん!問題あったら言ってねぇ!!」
虚空に向かって叫ぶリンに笑いが込み上げてくる。創造神、女神アルヘイラの愛娘が架空とはいえ他神の名を従魔に付けるのか…。
「くっ…、ふ、」
「うん、嗤ってくれていいよ…。でも認証されている辺りアルたんは気にしてないと思う。」
何とか笑いを押し殺して煤けているリンに手を差し出すと、不思議そうに見つめられた。
「このダンジョンはおそらく10階まで存在していないだろう。2階・3階を索敵したが、モンスターがほぼ消えていた。浄化で消滅した可能性が高い。」
「え、そうだったの?」
「ああ。だから、ここから出て次は隣国に向かう。そうすれば一つの街に少しは長く留まれるだろう。」
テイマーギルドでサスラの登録もしないとな。そう言えば、嬉しそうに微笑んで。握られた小さな手を引いて、転移陣へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます