第18話 突撃隣のダンジョン
「道中、あれやこれやがあると思うじゃろ?」
ないんじゃよ。誰ともなく呟いた私、INダンジョン。国境近くにあるって言っていたダンジョンは近いどころか国境を跨いでいるらしくて、ダンジョンを抜けると隣国コールに着くそうだ。そんで、昨日買い出ししたり冒険者の基礎知識も下準備もバッチリチロリンだった私はなぜかゼロさんから待機命令が下されています。
「何故私は待機なのか。我々はその謎を追うべくとりあえずご飯をこしらえている。」
うむ。ちなみに私はいま荷物番という名のお留守番ですので、ゼロさんが不在。つまり独り言を話しているというわ・け☆…うん。ダンジョンの中にセーフティポイントと呼ばれる場所があって、モンスターが入ってこないんだってさ。安全安心だからご飯作ってる。太陽が無くて日付と時間感覚が狂いやすいんだけれど、たぶん今お昼。
「早く帰ってこないかなぁ。」
待ちぼうけなう…寂しい。ソフィラをオサラバしてからずっと考え事してるんだよね。ゼロさんが。でも魔物発見センサー搭載してんのかってくらい正確に魔物を察知して、私が遭遇する前にフラッと消えて倒して帰ってきたりするんだよね。ビビる。どういうことなの。
あ、消える前に一声かけてくれるんだけれどね…おいて行かれるんじゃよ。おかげでまだ魔物に遭遇していない。ゼロさんが強いのはミトラ様達との戯れを見ていたからなんとなく知っているけれど、魔物に関しては剝ぎ取られた討伐証明用の一部を見せて貰っただけで、その場にいないからわからないんだ。がっでむ。
「悪い、遅くなった。」
「あ、ゼロさんおかえり。」
うっすら汗をかいて、心なしかすっきりした顔のゼロさんが戻ってきた。その革袋はなんだね?お肉?やったぜ。でも思い出したら腹が立ってきた。
こちとら安全第一ではありますが、モンスターとか魔物とかそういうの見てみたいんじゃよ。その為にお勉強もしたわけですし、異世界の醍醐味やぞ?お手数おかけしますけどね?わかってはいるけどね?好奇心に勝てないからな、私は!ってわけで直談判しよう。
「ゼロさんゼロさん、私もモンスターみたいんだが。」
「ダメだ。危ないだろう。」
…これである。毎回間髪入れずに即答。そう、毎回って言えるくらいちゃんと意思表示はしているのだ。でもこれ。イラっと来るよね。なんだか過保護に磨きがかかっていないかい?窘める様に言われるのが余計にムカッチーン☆ってなるよね。
「そんなことはわかっているけどね?じゃあ何しに基礎知識付けてからダンジョン来たんだいって話よ。」
「そ…れは、そうだが。」
「聖女としてダンジョンの浄化はするよ?お仕事だからね。でもせっかくだから見てみたいし、自分でいう事ではないけれど好奇心で単独行動するより、ゼロさんと一緒の方が安全では?後顧の為にも今のうちにモンスターに慣れておいた方がいいと思います。」
「…わかった。」
渋々、不承不承。そんな雰囲気で頷かれため息を吐かれるとさ、もおぉおぉおってならない?なるよね。でも大人だから言わないよ。大人だからね!顔には出ちゃうけど。ご愛敬ってことで許して。
「フーンだ。手間をかけて、お仕事増やしてすみませんね。」
あ、いっちゃった。言わないといったな?あれは嘘だ!…だって、ゼロさんばっかり悩んでると思うなよ!私だって君の所為でモヤモヤしてるんだからね!ここ一週間なんども声をかけられては何でもない…。とかすまん。とか言われてるんだよ?気になるに決まってるじゃん!ス・ト・レ・ス!
作ったスープとサンドウィッチに罪はないから普通に渡すけど、頬っぺたはそりゃあもう膨らむよ。三十路なのに子供っぽいとか、あざといとかそういうレベルじゃないからね。もうね、勝てる事なら拳で語り合いたかったよ。気持ちだけは常に勝つ気でいるけれどね。
「…っ、すまん、そういうつもりでは、」
また謝った。何度も謝られて、その度悪い事をしてしまったのかなって心配になって、気が気じゃない私のことをゼロさんがわかる訳も無くて。もう、謝られるのは嫌だ
「次、私に謝ったら、騎士職を解雇します。」
「はっ?!」
「言いましたからね。」
絶句しているゼロさんから顔をそらして、サンドウィッチを食べることに集中する。酷い事を言っているのはわかっているけれど、もう私にだってどうしていいかわからないのだ。うう、折角作ったのにご飯の味がわからない。ゼロさんの所為だ!
…私の所為かな。状況を打開したいとは思うんだけれど、原因がよくわからない。私なんかやったっけ?身に覚えがなさ過ぎて忘れちゃったかな…とりあえず謝ってみる?いやいや、それは一番やっちゃいけないよね。あとは…ただシンプルに、私といるのが嫌になったけど言い出せないのかな…
「ッシンジョウは、モンスターが見られればいいのか?」
「うん?そうだなぁ…。スライムとかゴブリンとか、定番のモンスター?そういうのが見てみたいです。」
ゼロさんの声に、そういえば漠然と見たい!ってことしか考えていなかったな。もっとモンスターらしいモンスター、例えばラミアとかアラクネだと遭遇しても私には分からなくて反応に困ると思う。あと、怖そう。恐怖遊戯静岡みたいなビジュアルだったら泣くかもしれない。
うんうん悩みながら告げると、なぜか微笑まれた。…うん、わかんないからもう思考放棄しよう。わからないものは、悩んでも仕方がないのだ。
「そうか、なら三階まで下がろう。ここから三階までは駆け出しの冒険者が相手にするレベル帯が出るからな。」
「了解しました隊長!」
やったー!ついにモンスターと初対面だぞ!楽しみ過ぎてサンドウィッチも美味しく感じられる。うむうむ、やっぱりメンタル安定には美味しいご飯ですな。
ゼロさんの、簡単ダンジョン講座!
ダンジョンが出来る理由は不明。たぶん弱肉強食で死んだ魔物の残滓とかが凝ってるんじゃね?っていうのが今のところ有力だそう。魔力が濃い所から突然ダンジョンが現れるんだけど、いましがた通り過ぎた時は何もなかったのに振り返ったら出来てた!とかもあるらしい。何それ恥ずかしがり屋のお化けかな。
ダンジョンは色んな型があって、上から下に下っていくか、逆に登っていくか。横に広がっていたりどこかへ飛ばされたり。今回は典型的なタワー型で、上から下へ進んでいくタイプだった。
一階から下に行くほどモンスターは強くなって、今は魔力が多いからか10階層くらいになっているらしい。魔力が少ないと階層が減るなら、私がここにいるだけでダンジョンくんの商売あがったりになるな。THE立ち退き屋の誕生である。
モンスターにはレベルが割り当てられている。一階のモンスターをレベル1として、人間が倒せる難易度の統計を取って冒険者協会が設定しているんだって。定期的にモンスターのレベル帯が変わっていないか、出現するモンスターの種類に変化がないか調査もするそう。ほほーん。もし変わってるとスタンピードになる可能性が高いから早期発見になるんだね。
「スタンピードは街だけではなく、大きいものだと国も飲み込んでいくからな。」
「そっか…ううん、ゆくゆくは移動の乗り物を検討しないとなぁ。」
浄化一丁大至急!というご要望にお応えできるように、解決策を高じなければ。でも、この世界にバイクとか車はあるのかな…生き物になるのか?測定器の転生者が作ってないかな。うむむ、それは後々考えよう。
「魔物にはレベルがないの?」
「ダンジョンのモンスターを基準にして、近しい物を同レベルと定めているな。」
「ああ、なるほど。」
さては考えた人、天才だな?なんて、お片づけをしつつダンジョンの基本情報を復習したし、さて、それではいざゆかん!
「隊長!めっちゃ怖いので手を借りたいです!」
気持ちだけは、やる気満々なんですよ。気持ちだけは。まって、投石は止めて。話し合えば私達分かり合えるはずよ!…だってさ、私って暴力とは無縁の世界で生きてきたんだよ?これから始まる命のやり取りなんて、ゲームの話ならいざ知らず。一般人には縁が無いよ…っ!
あとね、単純にダンジョンがお化け屋敷。鍾乳洞とか旅行で行った経験がある人はわかるかもしれないんだけれど、薄暗くじっとりした空気が身体に纏わりついて、しかもたまに生臭い匂いとかが生暖かい空気と共に漂ってくる。四方の壁からの圧迫感も感じるし、外の光がないって結構な恐怖だよ。うん。…怖い。
「大丈夫か?」
「ゼロさんいるからだいじょうぶ…がんばる…っ。」
あんな啖呵を切っておいて、それ見たことか。と言ってこないゼロさん優しい。好き。うぐぐ、そうだよ。ゼロさんという名の最強の盾(多分)で最強の矛(恐らく)がいるのだから、私が悲鳴を上げようが泣こうが命は助かるのだ。深呼吸して、気を取りなおしていざゆかん。あ、手は繋いだままでお願いします、泣きそうなので。
「…ッ、んん゛。あー、スライムは大体人間の頭ほどのサイズだ。中心にある核以外は透明で、種類が多い。基本はみな同じだが、黒と紫は危険だから近寄るなよ。」
「黒と紫…。」
「黒は酸を吐いてきて、紫は毒液を出すんだ。肌に触れれば焼けただれるか溶け落ちる。」
「ヒェッ」
誰だスライムを雑魚とか言った奴!とんでもねぇ個性をお持ちじゃないか。これが多様性の時代…今度からスライム様とお呼びしても差し支えないのでは?確実に私より強いぞ。戦慄している私にゼロさんが優しく教えてくれるけど…内容が恐ろしすぎるわい。逆に怖いわ。
「このダンジョンには…ああ、あそこにいるな。」
「えっ?!」
い、いるの?!思わず身体がバッタみたいに跳ねてゼロさんを盾にしてしまった。ごごごめ、違うんです手を繋いでたから引っ張ったら本体が付いてきただけだよ。ほんとほんと!腕にしがみ付いてるのはバイタルチェックしてるからだよ!やり方知らんけど!
「ど、どこ?」
きょろきょろ辺りを見回しても、それらしいものが見当たらずに首を傾げる。おんや?透明って本当に見えないレベルなの?心臓がバクバクうるさくて、掴んでいるゼロさんの腕に力が入る。そうだ、ゼロさんがついてるから安全なはずだ、落ち着かねば。深呼吸しつつもう一度見渡していると、頭上からゼロさんの噴き出した声がして。
「ふ、…さっきまでの威勢はどこに置いてきたんだ?」
「へ、」
思わず呆然と見上げたら、悪い顔で笑っているのを手で隠しているゼロさんと目が合って。すぐにわかった。
揶揄われた。
じわじわと、顔に熱が上がってくるのが自分でもわかる。恥ずかしくて手が震えるし、何なら涙も出てきた。うぐぐぐぐ…、優しくなかった。ゼロさんからすればスライム如きにビビり散らかして、その癖モンスターが見たいなんてわがままを言ったから。ゼロさんから離れて手で顔に触れたら、まあそうだろうな。とわかるくらい顔が熱い。
なにか、言わないと。そう思うけど、声が震えて上手く出ない。ゼロさんに過保護だなんだって文句を言っていたのに、結局無意識に守られるのが当たり前になっていて覚悟なんて出来ていなかった。安全地帯から大口を叩いて調子に乗って。…それでも、今じゃなくてもよかったじゃんなんて、言い訳が生まれては甘えたな考えの自分が悔しくて涙が出て、恥ずかしくて喉が渇く。わかってる、これは八つ当たりだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…ッ、きらい。」
小さく、細く吐き出された呟きにギュウと心臓が音を立てて締め付けられた。羞恥で顔を赤くさせたシンジョウは、口を引き結んで、零れる涙を手で拭っては瞳を潤ませて。その様子に、いまさら罪悪感が襲ってきた。ま、拙い、やりすぎた。
「シンジョウ、す」
すまん、と言おうとして、先ほど次に謝罪したら解雇だと宣言されたことを思い出し咄嗟に口を噤む。…いや、だからといって、どうすればいんだ?!謝罪することは許されず、かといってそのままにできるわけがない。
危機感のないシンジョウにお灸を据えてやろうなんて、実際にはただ年甲斐もなく悪戯に揶揄ったのだ。やり方なんていくらでもあるというのに、シンジョウが驚くだろうと一番選ぶべきではない方法を使って…最悪だ、こんな子供の様な、嫌われて当然のことをしていた。それでも、
「っもうしない、泣かないでくれ。頼む…。」
俺は、与えられた大聖女の騎士という立場があって初めてお前の隣に立つことが許されている。それが、有難くて煩わしい。騎士としてではなく一人の男としてお前の隣に居たい。だが気安い友人関係がシンジョウの望む物なのだと言葉や態度で感じる。ただの友人ではなんの力もなく煩わしくとも肩書が必要なのだと、シンジョウに跪く教皇達を見て思い知っている。
望まれる友人であるべきか、与えられた騎士であるべきか。同じ場所をグルグルと回り続ける玩具のように、そこから動けず答えも出ないまま。わかっているのはただ、好きだと。一方的な思いが強くなり過ぎていた。少しでも傷を負わせたくなくて、安全な場所で待たせていた。友人としても騎士としても、問題はないはずだと勝手に決めつけて。そんなことを、シンジョウは望んでいないとわかっていて。結局、答えの出ない苛立ちをシンジョウに八つ当たりして、俺自身がシンジョウに傷を付けているのだから、救いようがない。
「シンジョウ。」
離れてしまった距離をゆっくりと埋めて、俯くシンジョウに合わせ膝を付き、零れる涙に触れる。
「…なんですか。私が滑稽で面白かったですか。」
「いや、すぐに後悔した…、やらなければよかった。」
パシ、と軽い音を残して振り払われた手を、そのまま握りしめて本音を飲み込む。まだ赤い眦に、涙の溜まる瞳が、むくれている様が可愛い。と思っているなんて、どの口が言うのだ。
そもそも弱々しく怯えているシンジョウが可愛らしくて、調子に乗ったというか…怖がるほど抱き着いて来る所為で、箍が外れたというか。本当にどうしようもないな俺は。
「…じゃあ反省してください。私も反省します。」
「わかった。」
喧嘩両成敗じゃ。と言いながら提案され、すぐに頷いた。よかった、一先ず泣かずに居てくれれば。そんなことを考えているうちに、先ほど叩き落とされた手を取られ、
「ごめんね?」
小さな手に指を絡められて、はにかむように微笑んで、爪先に口付けられた。ドッと、心臓が早鐘を打って息が詰まる。唇の柔らかさに、つい視線が攫われてあの紫の教皇への苛立ちに任せて口付けた事や酔った勢いでのやらかしを思い出した。
「んん゛っ、…大丈夫だ。」
…本当に俺は、救いようがないな。熱の集まる顔に手を当てて、自分の欲を押しやった。
「仲直り!良きかな。良きかな。」
喧嘩するの向いてないんじゃ。とシンジョウは俺の手を握ったまま楽しそうに振っている。可愛い…いや、学習しろ俺。というか、俺はこんなに女に弱かっただろうか?…そもそも好意を寄せたり、恋人として付き合っていたことがないな。人として好ましく思う事はある…ぞ。しかし、言い寄られることはあったが打算や思惑あっての事だったし、仕事以外に興味が持てなかったからな…。
「あ、」
「うん?どうしたんだい?」
「っ、いや、行こう。」
首を傾げているシンジョウから目をそらす。よく考えなくとも、そういった感情を向けたことがないのだから、対処方法などわかるわけがない。幼い頃はヴォイスとダズが共に居たが、その後は教会と騎士団で男ばかり。部下から色恋の話を聞くことはあっても経験したわけではないのだ。振り回されて当たり前だが…それこそ、子供の恋愛レベルなのか。
『うちの弟、気を引きたくて好きな子をいじめるンすよ。』『ああー、子供あるあるだね。』『はぁ~、オレの純粋さどこに行ったんだ?』
可愛らしいな。と、その当時は微笑ましく聞いていた部下の話を、自分が起こすことになるとは。俺はシンジョウの気を引きたくて虐めていることになるのか?恥で暑くなってきた。いかん、今はダンジョンに居るのだから昔を思い出すのは止めよう。…自分の為にも。
「お、行き止まり?迷路みたいだね。」
「ああ、ここから階下に降りるんだ。階段か転移陣の二択だな。」
「へぇー…、うん?転移?!転移陣っていった?!」
驚愕しながらも、きらきらした目で見上げてくるシンジョウに、思わず笑いが漏れる。魔法のない世界というのは、想像がつかないが…こういった可愛らしい反応が見れるのは、悪くないな。
「陣の上に乗った者の魔力に反応して動くんだ。」
「え、それって私動かせなくないかい?魔力ないよ?」
「神聖力でも動くんじゃないか?」
階層を移動するためのこの場所は、セーフティポイントと同じでモンスターは入ってこない。一人で試させても問題がないだろう。そういうと、何度か陣と俺を見たあと意を決したように、そっと陣の上に乗った。
陣の中心から光が走り、転移陣が浮かび上がるように光ると、シンジョウが消えた。…いままでなにも思わずに使ってきたが、こうしてみると不安になってくるな。すぐに転移陣を踏み階下へ降りると、感動しているのか震えたまま右往左往しては悶えているシンジョウがいた。
「ふ、面白かったのか?」
「それはもう!それはもう!…っもう一回やりたい!」
わぁわぁとはしゃいでいるシンジョウには悪いが、未踏破の場合、一階層ずつ先へ移動することはできても戻ることはできない。
「そっか…あれ?ここ十階まであるんだよね?」
「ああ、俺は何度か最下層まで降りているから、階下に降りる際に入り口に戻るか選べるんだ。」
「便利機能ェ…。」
歯に物が挟まったような複雑そうな顔のシンジョウに笑ってしまう。なにか思う所でもあったのだろうか。
「二階からはスライム・ゴブリン・コボルトが出るが…わかるか?」
「軟体生物と、小さい人間モドキ、二息歩行の犬?」
「まぁ、間違ってはいない。一番近い物だと…そうだな、角を曲がったところにスライムがいるぞ。」
随分と大雑把な表現だが想像は出来ているのか。しかし、本物を見たことはないようだな。そわそわと落ち着きなく、示した方と俺を交互に見て。どうした?
「えっなんでわかるの?」
「今さっき横切っていったからな。」
「…うそ?」
「…っ、嘘ではないから、気になるなら見てみるといい。」
疑うように眉を顰めてじっと見上げられ、罪悪感で血の気が引く。…あまりからかうのは止めよう。少し訝しまれただけでここまで精神的にキツイとは…信頼されていることが当たり前だと思い上がっていた。痛む心臓を抑えている俺に、首を傾げながらそろそろとセーフティポイントの角まで歩いて行くと、ゆっくり顔を出して、止まった。
「シンジョウ?」
「ぜ、ゼロさんゼロさん…!アレって標準的なスライムですか?!」
興奮気味に、それでも小声なのは気を遣っているからだろう。シンジョウの隣から同じように覗き込めば、先程横切って行ったスライムと、もう一匹。二匹のスライムが蠢いていた。
「そうだな。特筆するところは無いが。」
「おっふ…、4つくっつけたら消えるビジュアルしてる…。」
竜探求するような顔かと思った。もしくは水饅頭。と唸っているかと思えば、いやよく見ると気持ち悪いな…?と腕をさすっている。シンジョウの世界に似た生物がいるのか?
「大丈夫か?」
「思ったより大丈夫です…。クラゲに目玉を…いや、水に漬けると膨らむビーズに眼球が浮いてる…?」
「アレは眼球に似ているが、スライムの核だ。」
覗き見ているシンジョウを置いて、スライムを一匹掴む。もう一匹も捕まえて戻ると、腰の引けているシンジョウがこちらを見ていた。
「え、それ素手でいけるの?」
「これは緑だからな。」
即答すれば、おおん…。と、謎の声を上げている。複雑そうな心境は伝わるけどな?なんとも形容しがたい、そんな顔になっていて面白い。
「水色は緩くて粘性が強い。獲物の器官に入って窒息死させる。水に強いため撥水材として使われるな。緑は触れられる程度に弾力がある。体当たりしてくるが、まぁ当たり所が悪ければ痣になる程度だな。加工されて生活用品に並んでいるぞ。」
「若干恐ろしい単語がチラリズムしてるんだが…、わかりました。」
俺に捕まれている所為で逃げられないスライムを、シンジョウの前に差し出す。それにおそるおそる手を近づけて、指先で突いている。…そこまで緊張するものか?
「うわぁ、なんだこれ…低反発?ぷにぷにしてる。」
二・三度突くと、慣れてきたのか手の平で撫で、両手で握ったりと感触を確かめながら瞳を輝かせている。
「も、持っても大丈夫ですか?」
「一定の距離があると体当たりをしてくるが、動きが鈍いから平気だろう。他は特に害はない。」
「えええ、どんくさ可愛い…。タヌキかな?」
抱える様に受け取ったスライムを、優しく撫で、頬を寄せて頬擦りをしては感嘆の声を上げている。それに対し、スライムが心なしかシンジョウの胸にすり寄っていて。
グシャッ
「おおお?!す、スライムくんっ?!どうしたのゼロさん!」
シンジョウの声に右手を見れば、持っていたスライムを握り潰してしまっていた。…いや、別にイラついてなどいないぞ。核が潰れた所為で形を保てなくなった体液が、ぼたぼたと地面に落ちて色を変えていく。
「力加減を間違えた。」
「ええ…、スライムくんカワイソス…。ん、なにこれ?」
つい、じっとりとシンジョウに抱かれているもう一匹を見つめる。シンジョウが飽きたらすぐに潰そう。そんなことを考えていると、スライムの体液が染み込んだ場所に核が転がっていた。
「それが、モンスターを倒したときに出てくる素材だ。スライムだと、金・体液・核のどれかだな。」
「そっか。うう、私も素材初ゲットしたいけど…すでにスライムくんが可愛くて殺せぬ…。」
うんうんと唸りながら悩んでいるが、情が移るのが早いな。
「これから先も出てくるぞ。その後でもいいんじゃないか?」
「うぐぐ…。でも、なんとなくこの子がいい…。うん、次見つけたら殺ろう!」
この子はキープです!と言いながら、頬を摺り寄せて完全に飼う気でいるな。意志が通じるのかはわからないが、スライムはスライムで大人しくされるがままになっている。…テイマー職でないと、モンスターをダンジョンから連れ出すことは出来ないのだが…今言うべきだろうか。
いや、教えたとしてギリギリまで連れて行くとシンジョウに言われると、あのスライムを握り潰したくなってしまうな。
それなら出口で置いていく方が、まだ我慢できる…気がする。シンジョウは落ち込むかもしれないが、そんなものはいなくてもいい。何があるかわからないからな。危険だから、万が一のためだ。そう言い訳を並べたてながら、機嫌よくスライムを抱えるシンジョウと、離れてしまった手のぬくもりに溜息をついて先へ進むことにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「だんご、だんご、だんご、だんご、だんご、ふんふふふーん。」
団子じゃなくて見た目は水饅頭って感じだけどね!常温で、ゴム風船に砂を詰めたような、癖になる感触なのだ。重さは二キロ無いくらい?あと、全然逃げようとしない。むしろちょっと擦り寄ってくれてて、可愛い。
胸キュンしちゃうぜ!
「シンジョウ、近くにゴブリンがいる。」
「ヒエッ」
スライムくんとのイチャイチャに終止符、うたれる。すぐさまゼロさんの後ろにさがって、通路の先をみる。…ん?あ、確かに何か動いてるような?薄暗くてよくわからないんですが、え、ゼロさんあれ見えるの?
「マサイ人なの…。」
「なんだ?」
「暗いところも見えるのかい?」
「ああ、慣れだな。」
当たり前のように言うのね。んん、元騎士団長でしたねそういえば。兄のような保護者のような感覚が強すぎる上、Bランク冒険者の肩書きが大きすぎて忘れ気味でした。
「流石にゴブリンを撫でるのは無理だ。シンジョウは女だから尚更な。」
「ああ~…、なんとなく理解してるので。ゴブリンと致すのはちょっと。」
ここのゴブリンとかオークってそういう生き物なのか。ごめんなぁ、くっ殺女騎士じゃなくて。まぁエロ同人以外で君らと関わると死んじゃうから、御免被るんだが。来世は小鬼絶対殺すマンさんの世界線に生まれないようにだけ祈ってる。
「…では、此処で待つように。」
「了解しました、隊長!」
思考を飛ばして、返事だけは元気に返したけれど…ああ、わかっていた。生き物を殺すということ。
濁った緑色の肌を持つ、尖った耳の子供。見た目はそれが一番近い。顔は険のある鋭い老人。目は澱んだ黄色の白目を充血させて。開いている瞳孔は、ただ虚空を見つめて。だらりと舌を垂らす口には鋭い歯が並び、赤黒い血が滴っていた。
ゼロさんに胸を一突きにされたゴブリンの死体は、まるで特殊メイク。何処か遠い映像のようなリアルな作り物を、生臭い空気が、生暖かい血の匂いが、それが本物であることを証明している。
「シンジョウ、無理をするな。」
迫り上がってくる胃液を、気合いだけで押し返していた。嗚咽が零れないように、きつく唇を噛んだ。震える指先を誤魔化すように、スライムくんを抱き締めて。それでも、青ざめる顔はどうしようも無くて。
「ッ大、丈夫…この世界で生きるなら、慣れないと。」
少しずつでも慣れていかなければ、私はいざという時に何の役にも立たなくなってしまう。いつ来るかわからない、来て欲しくない日のために、私は備えなければいけない。
そっと、ゴブリンの死体に触れる。乾燥した肌は紙ヤスリのようにざらりとして、熱の抜けた蝋のような身体はいましがたまで動いてたとは思えないほど、固く。ふる、と、腕の中のスライムが震えた。
「君達は、ダンジョンに作られたのか。それとも囚われたのか。誰を傷付けて、誰を殺したんだろうか。まだ、何も成さずに死んだのか。もしそうなら…次は、明るい日の下に生まれてくれ。こんな所よりは、きっと幸せに生きられるはずだ。」
魔物は魔力を吸った生き物が変質したもの。だから魔物になった後も、生き物としての繁殖も生もある。
でも、ダンジョンは違う。
何度も生まれて何度も殺して、何度も殺される。それだけを繰り返し、繰り返し、繰り返し。もし君達に、意志があるなら。
…ダンジョンなんて、まるで地獄だ。
ゴブリンの死体に、自分が重なって見えた。ちっぽけで弱い私は、強い者の手によって紙屑のように、簡単に
この世界に呼ばれて、向こうの私が
しゅうしゅうと音を立てて、ゴブリンの死体が溶けるように消えた。遺ったのは、小さな石。
「ゴブリンの核だ。…先に、進むか?」
拾い上げた石を、壁につけられている松明に梳かすと濁った緑色をしていた。ゴブリンにそっくりなその色に少し笑って、
「進む。」
いずれ、殺す側にまわる覚悟をつけるために。先ずはここから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます