あなたに向かって
よし ひろし
あなたに向かって
彼の住むマンションに向かって車を進める。
ここからなら十分ほどでつくはず。昼過ぎ、道路はさほど混んでない。
ちらりと助手席に目を向ける。
そこに無造作に置かれたハンドバッグ――その中には三百万の札束が入っている。先ほど銀行でおろしてきたものだ。自分の預金、ではない。会社の金だ。
「これで、最後ね…」
誰に言うともなくつぶやく。
今日出社したら、明日緊急の監査が入るではないかとの話を聞いた。どうやら、私のしてきたことがバレてしまったようだ。
今まで横領した金額は、いくらになるのだろうか?
自分でもわからない。昼食を摂りに外に出た足で銀行に向かい、最後のお金を引き出した。
お金の使い道?
そんなの決まっている。彼の為――十歳年下のあのひと、私の運命の人。
出会いは図書館だった。お互いに本好きで、歳の差なんて感じさせないほど話が合った。彼は脚本家の卵で、今はバイトをしながら小さな劇団で脚本と演出をしている。将来は自分の脚本で映画を撮りたいと、キラキラした目で話す姿に、私は惹かれた。久しぶりの昂り。
恋なんてもう面倒くさい――そう思っていたのに……
付き合いだして一年と半年。
劇団の公演チケットのまとめ買いから始まり、色々と彼の為にお金を使ってきた。自分の貯えだけでは足りなくなり、会社の資金に手を付けて半年余り、さすがにやりすぎた。
明日になれば事件は明るみになり、自分は犯罪者になるのだろう。
せめて最後に――そう思って今彼のもとに向かっている。
マンションが見えてきた。そこの角を曲がれば、もうすぐだ。
今日はバイトがあったかしら?
そんなことを考え、ハンドルを左に切る。そこで、思わずブレーキを踏んだ。
彼がいた、女と一緒に――
マンションを出てすぐの路上。若い女と親し気に話し込んでいる。その顔には見覚えが――
劇団の女優だ。
綺麗な子。小柄で、長い黒髪――いまその黒髪に赤いリボンが……
「あれは――」
先日彼の寝室で見つけた赤いリボン。彼は芝居のアイデア用だと言っていたが――まさか、あの女の……
いや、違う。たまたまよ。今日も芝居のことで会いに来たに違いない。
そう思ったのもつかの間、二人は、どちらからともなく抱き合い、キスをした。
「――――」
どうして……
私はあなたの為に、犯罪にまで手を染めたのよ。なのに、何故――?
やっぱり、若い子がいいの?
美人がいいの?
だめだ、頭に血がのぼり、何も考えられない。
気が付くと、右足がアクセルペダルへと乗っていた。
急加速。
近づく二人。
驚きの表情。
そして――
ドスン!
私は来たわ、あなたのもとに。そう、あなたに向かって走ってきたの……
あなたに向かって よし ひろし @dai_dai_kichi
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