第9話 百面の狐賽《フォクシーダイス》




「おい。我々、とは誰と誰のことをいってるんだ?」


 俺は不愉快をこめて相手の鼻先に、その顔と同じ大きさの鼻頭を近づけた。


「うあっ。その顔を余に近づけないでもらえるか。それはつまり余とジャイヴ、そして牢にやってきたルシアだ」


「なんだよ、それ。さっぱり理解できねぇよ。だったら、この世界は何なんだよっ」


呪殺魔法術式ランダマイザが作り出す〝魂蝕こんしょくの檻〟とよばれる術中だ。きみはそこに囚われている。防御プロトコルで自分とその周囲を固めてね」


「ここが呪殺魔法の中……俺はいつから?」


「そこまで知らんよ。それこそ千年かもしれんし、十数日、数時間かもしれん。我々はただのプロンプト、誘導術式だ。きみを救出するための案内役だ。誰がなんのために、いつ、どこからきみを牢から出せと命じたのかも知らんよ。ふむ、さしずめ神の啓示によって動かされていた、という感じでな」


 うまいことを言ったつもりになったのか、バトゥカーダは満足げに肩をすくめた。その頭をかじってやろうか。


「具体的にあんたの役割は」

「兄王からこのルシタニアを簒奪し、きみの牢へ近づく足がかりを築くことだった」


 俺はとっさに顔をよそへやり、バトゥカーダと出会った頃のことを思い出そうとした。


「一度、国王に捕まったよな?」


「うっ。あれはまあ、その。なんだ……怪我の功名いや、目的到達の手続きをあえて増やすことで、より確実に段階を踏むことができた。そう、言うなれば迂回策をとったまでだ」


 プロンプトのくせに言い訳がましく自己正当化する。


「要点だけ、正直にいってくれ。怒ったりしないから」


「本当か? んまー、そのぉ。余の役割は、次の誘導術式をきみに近づけるための別動役ブランチだ。そのためランダマイザの外殻となっていた王族に取りつき、簒奪する必要があった。だが計画の途中で、ランダマイザに発覚し、余はきみの牢にぶち込まれた。きみが狼に変化へんげし、かつ、堅牢に閉じこもった。ランダマイザは壊すこともできず扱いに困り、同時に後からできた未分類をすべて、きみが食べていると認識されているようでね。だから余もきみに食べられかけたわけだ」


 結局、俺はゴミ捨て場にされていたのか。なにが、ルシタニアの禁忌だ。


「だが、そのお陰で余は、きみの居場所が特定できた」

「俺はあんたと牢屋で会った記憶しかない。すぐ逃がした記憶はあるが」


「余はきみのプロンプトだ。きみとの敵対因子を持っていなった。だから攻撃されなかったし、脱出も容易だった。だが呪殺魔法術式には目をつけられて、ヤツのプロンプトであるエリゼッチが余の側に常駐を始めた」


「んで、あんたの次はルシアか?」

「いや、その前にジャイヴだ」


「爺が、あんたの後? 何百年も俺の牢を巡回していた気がするが」


「余が捕まったときにも確かにいた。ただ、その時はまだあの牢を徘徊するだけの簡易チェック――牢番幽霊にすぎなかった。それゆえランダマイザもノーマークだった。だから余が牢を出る前にサブとして書き換えておいた」


「ジャイヴ爺を作ったのが、あんただと? 俺はあの爺さんから精霊魔法まで教わったぞ?」


「ふふっ。驚くのも無理はない。精霊魔法は詠唱魔法と違い、呪殺魔法術式と干渉し合わない特性を持っている。幽霊に精霊魔法の知識をもたせたのは、ランダマイザも盲点だったらしい」


「なんで盲点だと分かる?」


「勘違いしないでもらいたいのは、余からジャイヴへプロンプトを複写し、アレからきみが教わったのは知識であって、魔法を実際に使ってみせたわけではない。牢で魔力反応など、居場所を知らせるようなものだ。それだけでランダマイザに発見されてしまう」


「発見されると、どうなる」


「ご覧のとおりだ。エリゼッチの魔法が余の想定より弱まっていたのは僥倖だったが、牢屋の警備がアホな兵士三人では済まなかっただろう。そんなわけで、きみから発動した魔法でこの世界の外へ位置情報を発信することになったのだ。いや~、呪殺魔法術式とそなたの両方から敵対因子とみなされないプロンプトをあの牢に置くのに、ずいぶん苦労したぞ」


「じゃあ、ルシアもプロンプトなのか」


 ルシタニア王国の簒奪者は腰からおもむろにナイフを抜くと、四阿あずまやに敷き詰めた石畳の隙間に挿し入れて、石床を返し始めた。


「ルシアは、呪殺魔法術式へのアンチプロンプトとなる蘇生魔法を注入するための道案内役として送りこまれた」


「頼むから、端折はしょらないでくれ。俺にわかるように話してくれ」


「ふむ。あの娘には、余がジャイヴを使いざっくり居場所を範囲特定した次の段階として、より精密に居場所を特定する指示がされていた。そのためきみを牢から連れ出す必要があった。それゆえにあの娘は呪殺魔法術式にとって明確な敵対因子、排除対象にもなった。きみの牢に入れられたとき、ズタボロだったはずだ。だがそれは想定されていたことだった。そなたが精霊治癒魔法を使う理由になるのだからな」


「それじゃあ、あの韶環しょうかん魔法のバックドアは?」


「そう。ルシアがどんな状態にあっても、きみを牢から出すための転移手段として発動した。……おかしいな、ここでもないか。どこだ?」


「さっきから何を探してる?」

「いや何、かまわないでくれたまえよ」


 バトゥカーダ。この男、また何かトチってるのか。思いきり怪しいんだが。


「俺の質問に答えてくれるか?」

「ふむ。いいとも」

「ルシアは、なぜ消えた?」


「さっきもいった。あの娘は呪殺魔法術式にとって明確な敵対因子、排除対象になっていた」

「つまり、殺された?」


「あれはプロンプトだ。人の姿をとった記号でしかない。余もそうだ。きみがこの世界で魂を蝕まれながら、とっさにみずからを狼となった意味合いとはまるで違う」


「でも、ルシアが……俺を守るって」


 バトゥカーダは石床をめくるナイフを止めた。


「プロンプトは、指示以外のことはできないが?」


「本当にそういったんだ。そしたら、師匠が火刑で呪詛を吐く声がルシアに変わった。それにエリゼッチが途中から、俺を師匠と呼び出した」


 バトゥカーダは、再び石床をめくる作業を続けた。 


「この呪われた世界は、きみにとって間に合わないことが繰り返される無間地獄だった」


「無間地獄」


「呪殺魔法術式は、きみを魔女ビオラゥンの処刑場へ向かわせ、広場の人間を虐殺し、彼女の心臓を喰らう。そこまでがもう何百回と繰り返されていた。目的はもちろん、呪殺。きみの魂を殺すためだ。狼となった後も、火刑の炎へ飛びこんで心中することもまた、この世界は想定済みだった」


「想定済み。ならどうしてビオラゥンは……ルシアの声で、俺が、見捨てたといった?」


「オラゥンの形をなした呪詛こそがきみに対する呪殺魔法術式の呪毒であり、この世界の終着。その毒によってきみの魂はけがされ、再び牢へ引き戻されることは、すべて決まっていたことなのだ」


「じゃあ、なんでルシアは、師匠の……頭がどうにかなりそうだっ」


「もはや余から説明できることは多くない。ここは呪殺魔法術式が、きみの魂を腐り殺すためにしつえた、きみだけの世界だ。きみにとって誰の口から呪詛を投げかけられたら、汚れたナイフのごとく心へ深く突き刺さっていたか。そこに呪殺魔法術式のいやらしさがあるのだよ」


 とっさに反論できなかった。

 心臓を食べた俺が魔女ビオラゥンに「私を見捨てた」といわれたら、きっと俺は立ち直れない。魔女騎士にとって魔女への裏切りは悪であり、忠誠こそが愛と信頼の昇華であると信じ切って育てられた。


 師匠の失望はすなわち、死だ。牢へ戻った無力な自分を許せなくなり、牢屋から出ることはなかっただろう。


 魂の腐蝕――。それこそが呪殺魔法の目的だという。


「それじゃあ、ルシアは俺のために……?」


「にわかに信じがたいことだがな。ルシアは呪殺魔法術式ランダマイザにとりこまれながらも、この世界のビオラゥンに無理やり介入してのだ」


 ルシアの声だったから、俺はとっさに自分の魂に被虐の刃を突き立てなかった。

 ルシアが、あの人との切れかけた絆を守ってくれた。


 あの没落王女がプロンプト? いいや、あいつは――、


 俺の弟子だ。


「おっ。やれやれ……やっと見つけたよ」


 石畳の一枚を浮かせてひっくり返す。そこに韶環しょうかん魔法のバックドアとなる魔法陣が輝いていた。たちまち四阿あずまやいっぱいに魔法陣が広がった。


「さあ、いきたまえ。我々にできることは、ここまでだ」


 バトゥカーダからナイフを刃に持ち替えて柄を差し出されると、俺はその柄をくえわた。


「この後に、何が起きる?」

「さあね。プロンプトは役目を終えれば消える。ここから先はきみの目で確かめたまえ」


 バトゥカーダが日焼けた顎で階下をさした。

 ジャイヴ爺は亡霊だったけど、既にどこにもいなかった。役目を終えたらしい。


「さあ行け、ジルヴァン」


 聞き馴染んだ名に一度だけふり返ると、バトゥカーダも四阿も光の中に消えていた。

 かすかにくすぶった薔薇の残り香があったことさえ。


    §


 黄昏よりも暗い闇が静寂の底に、澱む。


『ここは呪殺魔法術式が、きみの魂を腐り殺すために設えた、きみだけの世界だ』 


 バトゥカーダの言葉を何度繰り返しても、実感なんて湧いてこなかった。

 今の俺には進む以外の手段は残されてなかった。


「師匠、どうして私を見捨てたんですか?」

 闇の前方から声をかけられた。姿は見えない。

 俺は穏やかに目を細めた。


「見捨てちゃいないさ。だから、迎えに来ただろう」

「うれしいですっ、師匠」


 少女の声とともに闇の中から蒼黒い影がのっそりと動いた。

 恐怖よりも怒りが全身を駆け巡る。


 俺とルシアの師弟の関係は始まったばかりだった。師匠ビオラゥンから教わったことをルシアに教えられるのが、喜びとなりそうだった。


 それなのに、俺から初めての弟子を奪いやがって。


「今日は、詠唱魔法の基本から教えよう」


「はいっ」

 闇の向こうから弾んだ声が多重にかわり、濁った。

「あれ? でも師匠は狼だから、基本は無詠唱でしたよね」


「よく覚えていたな。それじゃあ、始めるか」

 くわえていたナイフが、左右に紅蓮の刃に伸長する。

「さあ、来いっ!」


 闇の帳からバタバタと地面を這い駆けてくる音が迫る。


 目尻が裂けるほど見開いた女の顔が上下反転し、血涙を流す上目遣いで俺に突進してくる。 口から下顎の牙が上唇を突き破って曲がり伸びる。もはや顔とも頭とも呼べない塊が、壊れたデッキブラシさながらの無数の手に支えられて這い走ってくる。


 地面をさらうほどの二本の太い角が、俺をかち上げる。

 その角を足場にして跳躍。錐もみ旋回しながら顔面を斬りつけて、背後に回った。 


「師匠、やりますねえ」


 巨顔面に炎を浴びながら、余裕でこちらに方向転換してくる。

 俺はちらりと視線をよそへやった。


「魔女ランダマイザ。思い出したよ。これ、呪殺魔法〝百面の狐賽〟ダブルオー・フォクシーダイスだよな?」


「……」


「呪殺魔法が対象を呪い殺す方法が大きく二種類ある。時間をかけて呪いをじっくり蓄積させて殺す方法と、何回も呪殺魔法をかさねがけを続けて死亡確率を上げる方法だ。ランダマイザは魔女の名前じゃない、呪殺魔法の種類のことをいっていたんだな」


「今それがわかったから、なんだっていうんですか?」


「お前の正体だよ。この呪殺魔法は大別でいうところの、後者のパターンだ」

「へえ。それじゃあ師匠は日頃の運が悪かったんですね」


「あのビオラゥンに一目惚れて弟子入りを口にしたのが運の尽き、いやそうじゃねぇよ。狐賽――、つまりイカサマのサイコロだ」


「イカサマ?」


「そう。呪殺確率を上げるために、あらかじめサイコロを振る回数を増しておくやり方だ」

「回数を増やす? まあ、そうでしょうね。いつかは当たるでしょうから」


「じゃあ、そのいつかって、いつだ?」

「は?」


「呪殺魔法の効果は、ランダマイザ。つまり事象の発生に規則性がなく、予測不可能な状態をあえて作り出す不安定な術式だ。その中で〝百面の狐賽〟は百回のうち一発が確実に呪殺できるランダマイズの制限範囲があった。なら、その百中の一発を予測できる方法があるとすれば?」


「師匠を確実に殺せますね」

「そうだ。なら、その百回の中でその確実を掴むには、どうすればいい?」


「さあ。他の人にもかけてみますか?」

「呪殺魔法で死んだかどうか、どうやって確認する?」


「そもそも死んでしまったら、魔法やり直しじゃないですか」

「そうなるな。だからな?」


 俺はニヤリと笑った。


「術者が、標的にも自分にも呪殺魔法をかけ続けた。最大確率である50/50になるまでな」

「はあ、それで結局、何がいいたいんですか?」


「いや、うちの師匠がさ」

「師匠の師匠?」


「俺が呪殺魔法にかかって、そのままにしておくはずがねぇんだよ」

「そのまま? 師匠を生き返らせようとしてる?」


「それもそうなんだけど。呪殺魔法をかけた相手も、ただじゃ置かねえ、って話」

「え~? なんですそれ、どういうことですか?」


「呪殺確率50/50。このうち、術者と標的に入っているはずの蓄積回数は九九回で50:49だったはずだ。その百回目で確実に呪殺できる一発を、俺がもらって死んだ。とすれば、うちの師匠が術者に同じ呪殺魔法をかけ返していたら?」


「あっ」

「そう、その術者とってその呪殺魔法〝百面の狐賽〟の死亡確率は、1/100なんかじゃなくて、50/50だったはずだ。そこに同じ呪殺魔法〝百面の狐賽〟を食ったら?」

「詰みですね。ん~。それで結局、何がいいたいんですか?」


 俺は地を蹴った。


「術者はもう死んでる。お前は誰のために、俺を殺そうとしてるんだ?」


「知りませんよっ!」


 錐もみ旋回、車輪を描く紅蓮の刃を異形の顔面に叩きつけた。

 卵殻を砕いた軽い音とともに、下から白銀で顔を隈取りした黒い巨狐が姿を現した。


「私は師匠を殺すためだけに存在してる、ただの術式なんですから!」



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