第7話 北陽の魔女ビウエラ
「――風よ、集いて我らを運べ!」
速度を上げて、魔光線の下を掻い潜る。だが兵士の方へ向いていたはずの右腕が俺の顔面を張った。
「師匠っ!?」
毛躯が吹っ飛びそうになるのを地に爪を立てて踏みとどまり、鼻血をふいた
「ルシア、いけぇええ!」
背から、弟子が怪物に跳んだ。怪物の背から伸びた白い足が乗船を嫌って蹴り払いにかかる。
その膝裏に火炎弾を炸裂させた。
「やらせねぇよ。千年狼の攻撃魔法は基本、無詠唱なんでな!」
ルシアは人でいう太ももに取りつくと、怪物の足がはげしく暴れ始めた。その足が不意に狙いを変える。踵が俺の横腹を蹴った。毛躯がくの字になったまま兵士の中に突っこんだ。
「がぶっ。ぐぅっ! や、やるじゃねえか、寄せ集めの分際があ!」
地面に刺さっていた剣をくわえると、 地を蹴った。
突進するが、接舷はしない。上から足が降ってくる。ワン、ツー。それを地上で右、左に躱した狭間で、円舞。前後二本の足首を両断する。
血は出なかった。かわりに切断面から白い液体が溢れて泡立ちだした。切ったそばから再生を始めているのだ。
再生研究。高次錬成は未達とはいえ、コレを作ったのは蘇生魔法を研究していた師匠と同等クラスの知恵者らしい。
いや、待て。俺は今、何を口走った。師匠が蘇生魔法の禁忌を破っていた? どうして。
「今だ、襲えーっ!」
馬上でアストラッドが怒号を発せば、兵士たちが狂戦士となったように白い肉塊にとりついた。怪物も再生した足をフル稼働させて兵士たちを蹴散らしにかかる。
「ルシア、まだか!」
叫んだ直後だった。それまで激しく暴れていた白い肉塊が、ピタリと動きを止めた。
兵士たちも怪訝そうに剣槍を構えたまま動きを止める。
「まずいっ!」
ヴォンヴォンヴォン! ヴォンヴォンヴォン
撤退三笛を吠えて、俺は怪物の唇の上で剣に必死でぶら下がった弟子をくわえると、その場を駆け去った。
「こ、後退だ。後退しろーっ!」
アストラッドが兵士に叫ぶ間も怪物の白い表面に艶がなくなり、全身にヒビが走った。兵士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
爆発は、火を孕まなかった。
兵士たちは風に背中をどやしつけられ、体は木の葉のように舞い上がって地面を転がっていく。
後に残ったものは、大きく
§
北陽の魔女ビウエラは、私室のバルコニーで横座りする俺を見つけた。
二十代前半の容姿を数百年保ち続ける賢者が、琥珀色の瞳でいぶかしんでくる。
「お前……ジルヴァン? どうしたの、その姿は。怪我をしているかしら」
クローゼットから古い杖を持ち出してくると、治癒魔法をかけてくれる。そういえば師匠と最初に出会った時も、俺はこの魔女に治癒魔法をかけられた。
「恐れ入ります。おかげで楽になりました。よく俺だとわかりましたね」
「瞳がそのままかしら。それ、どうしたの?」
「故あってとだけ。お許しください」
「そう。じゃあ聞かない。それで、ここへきた要件は何かしら」
「はっ。先ほど、南のフレシャス西荒野にて、アストラッドの討伐軍が都に迫った魔物を討伐いたしました」
ビウエラはほっと短く嘆息して、頷いた。俺は報告を続ける。
「その魔物は、ホムンクルス・グロブスターでございました」
「そう」
「それは、未達ながら再生術式まで組みこまれており、我が師すら錬成し得ない粗悪でございました」
「再生術式を組み込んだ人体錬成……黄昏の研究。あの子が手放してしまった研究データを、誰かが持ち去ったと?」
「はっ。そのように愚考いたします」
「確認は?」
「いまだ」
「早急に調査して、わたくしまで持ってくるように。まったく……あの子も良い従者を持ったかしら」
「恐れ入ります」
沈黙不動を維持する俺に、ビウエラはおもむろに柳眉をひそめた。怒っても美人だ。
「ジルヴァン。お前は、わたくしに当時の共同研究者を他に疑えと言いに来たのかしら」
ご明察だ。俺は横座りから居住まいを正して、深く頭を下げた。
「四太陽の太平均衡を保つため、まずソルティテートの誤解を解くことは意義があると考え」
「ジルヴァン、それは勘違いをしているかしら」
「――っ!?」
「まだよ、わたくしはまだ妹ビオラゥンを誅するこの決断を、誤解だとは考えてないわ」
「しかしっ。おそれながら、
「ジルヴァン。魔女が悪と見なされた時代の起こりは、自称魔術師を吹聴する愚か者たちが外法の人体実験をこの国の隅々に喧伝したからよ」
「……」
「人体実験を治験と
「……はい」
「元々、あの子が黄昏の研究に加わったのは、再生術式のためじゃないかしら」
「えっ。それではなんのために」
ビウエラは俺をまっすぐ見つめて、確定的に言い切った。
「もちろん蘇生術式よ。わたくし達の研究は、次の高次研究へ移るための踏み台にされたかしら。反魂分野に人体実験は避けて通れない。だからそれを止めるために、わたくしはアストラッドにソルティアを攻めるよう命じた」
「ですが、大姉公様はその軍をこのミランデアへ戻されました」
「それは……妹殺しの是否を三度占って、三度とも
「えっ」
妹の命を占いで決めるのかと笑う者はいるだろう。だが魔女の占いはそれほどまでに未来予測に関して示唆に富む。ビウエラ自身も躊躇い、苦しみ、迷った末に決断したのだ。
「それで昨日よ。四度目を占った終局に、今度は窓の外からふたつの石が投げこまれたてきたの。白と黒の無刻牌よ。それがわたくしの石牌を弾き飛ばし、占い術式そのものを壊した。あなたも魔女の従者なら、コレがどういうことかわかるかしら?」
「破滅天道の打破、回天でしょうか」
ビウエラはゆっくりと深く頷いた。
「だから兵を退かせて、いましばらく外からくる白と黒の石を待ってみることにした。そしたら三階のテラスに大きな黒い狼が怪我をして飛び込んできたかしら。それでもう一つの石は、今どこかしら?」
「おそらく城下町の宿でまだ、眠っておるかと」
「あら、あなた今一人じゃないのかしら?」
うわっ、ずりぃ。誘導尋問かよ。
「あー、まあその……行きずりに、なりゆきで、弟子を取りまして」
「ん、なんの弟子? 剣のかしら?」
俺は思わず目をそらした。弁解すればするほど、やぶ蛇じゃねえか。千年前の俺、どうしてもっと魔法を勉強しとかなかったんだよ。
「なんと申しますかぁ、いまだ芽も葉もでぬ小娘ですので」
「あら、女の子?」
頼む、もう勘弁して。ガラじゃないのは俺が一番良く知ってる。
ビウエラは俺の
「ま、いいわ。とにかくソルティア討伐は当面の間、凍結するかしら」
「はっ。かたじけのうございます。それでは」
俺は逃げるようにしてバルコニーから屋根伝いに城下へ降りていった。
「大姉公様っ! アストラッド将軍が戻られましたぞ!」
侍従長がノックもなしに飛びこんできたが、ビウエラは別のことを考えていた。
「あの呪い、ずいぶん古い式だったかしら。古代呪術の降霊術。悪魔との霊合……精霊魔法?」
「大姉公様?」
「ジルヴァンがとっさに、自分に誠実の悪魔マルコシアスの呪いをかけてまで、私に会いに来た。白と黒の飛び入りでソルティテートの窮地を救ったこともまた事実。ん?」
ビウエラは半信半疑の面持ちで占盤を取り出すと、小袋から無造作に石牌をつかみだすや、占盤へ放った。
「そう。もう長くは持たないかしらね。でも、それでようやく呪殺術式が隙を見せる。これでこちらの術式が前進する。――アストラッドをここへ。次の段階に進みます」
「御意」
§
論功行賞に、ルシアが勲三等の二十人に選ばれた。
褒賞は、感状一枚と金貨五枚。
「あれだけ頑張っても、これっぽちなのですね」
小袋をチャラチャラ揺すって、ルシアは尖らせた唇の先から不平をこぼす。俺の背中で。
「論功行賞は、ソルティテート軍のものだ。俺たちは飛び入り。部外者に褒美がでただけでも御の字だ。本当だったら、兵士たちの手柄を横取りしたんだからな」
「あのような仕組み、師匠だからわかったのです。兵士にはわかりませんよ」
「ま、それはそうだが」
「これからどうします」
「お前の服を買おう」
「私はこれでかまいません。スカートでは師匠に乗りづらいですから」
俺に乗る前提かよ。若いんだから歩きなさいよ。
「ここ、山道多いですよねえ」
「北陽は山岳の領土だからな」
「海が、見てみたいです」
「海を見たことがないのか?」
「師匠はあるのですか?」
だから質問を質問で返すな。いや、ないって言いたくないのはわかるが。
「俺のいたソルティアは、海の領土だ。西都のポルトゥスは港の都でな」
「じゃあ、今度はそこへ?」
ルシアにいわれて、初めて気持ちがそちらへ向いていないことに無理やり気づかされる。
行かなくちゃいけない。きっと間に合う。でも過去は変わらない、どうせ何をやっても、やっぱり変わらない。気がする。
「なあ、ルシア」
「はい」
「過去って、変えられるものかな」
「無理でしょうね。私だって元王女ですから」
「あ、うん……だよな」
「やっぱり千年狼を名乗ったこと、後悔しているんですか」
「そこじゃねえよ。なんで俺がそこに悩んでると思った?」
人であっても狼であっても、俺はいつも踏み出す一歩が遅い。
――ジルヴァン。後悔しないように生きる人生なんてつまんないわよ
自分でこの道を進むと決めたことを後悔しない。気にしない
最後まで進みきって、どん詰まりまで行き着いて初めて、次を決めるの
そこでもやっぱり後悔しない。縛られない。振り返らない
そう生きることにしたから、私は今、魔女と喚ばれるのよ
師匠の言葉が今頃になって蘇る。
「海を、見に行くか」
「いいんですか?」
「そのかわり、この道を全力疾走だ。海も見て、ポルトゥスにも行く」
「わかりました」
走り出そうとした時、ふいに背中から重みが滑り落ちた。
「ルシアっ? おい、ルシア。大丈夫か?」
地上で四つん這いになっている弟子の傍にちかづいで、鼻先を近づける。怪我をしている様子はないが、ひどく狼狽していた。
「なんでもありません。……ええ、なんでも、ないですから。ふふ、ちょっと油断です」
「そうか。本当に大丈夫か?」
「ええ。もう、大丈夫です。意識は保ててます」
意識を保つ。何の話だ。
ハーネスを掴んで背中に乗ってくると、ルシアはぽんぽんっと俺の背を叩く。
「ほら、師匠。もう大丈夫ですってば。行きましょう、海!」
元気よく号令をかけるので、俺も一抹の懸念を払って走り出す。
ミランデアから南西の街道沿いの山野を走り、ヴィラ・レアルという山岳の巡礼町にはいる。ここが西のソルティアと北のソルティテートの国境となる。
俺はそこを左へ、南に向かう。このまま街道を西へ進めば、アルヴァレンガの町に駐留する俺の部隊とかち合うからだ。
狼の姿になっても、人であった頃の自分の姿を見るのは気まずい。
「ルシア。大丈夫か?」
「大丈夫です。というか、ここ暑っつい!」
ヴィラ・レアルは高地にある盆地だ。周りを山に囲まれているので、熱がこもる。「一年で九ヶ月の冬、三ヶ月の煉獄」といわれるほど。交通の要所でもあり、水が清らかなことで有名だ。
そこから少し南下して、ドウロ川に沿って西を目指す。
中陸部にはいる。ドウロ川の川向こうにはビゼウの町があり、その町がソルティアと南陽の魔女バンドゥリア領ソルートの国境町となる。
「し、師匠……っ」
「よし、休憩にしよう」
俺は立ち止まり、獅子座りしてルシアをおろす。弟子は降りるとすぐに尻餅をついて、俺の心配を見ないようにして笑った。
「大丈夫か?」
「兵士たちにボッコボコにやられちゃいましたから。そりゃあ、多少はガタが来てますよ」
王女の言葉が急に砕けた。まるで師匠が酔っ払った勢いで、酔客と喧嘩した後のような言い訳だ。師匠は酔っ払うと喧嘩っ早くなるので、店の主人から出禁をよく食らっていた。
痛がっているが、精霊魔法の治癒はすべて終わっている。
ふいに立ち上がろうとしたルシアの左手が粒子のように砕けて崩れた。すっ転ぶ。ルシアはとっさに左の袖をひっぱって胸に押し抱いた。
「師匠……っ」
「見なかったことに、したほうがいいか?」
「……できれば」
事情は訊いてほしくないらしい。いつから始まっていたのかも。
「わかった。とにかく休憩しよう。だが」
「心配ないですってば!」
ルシアは震える声を荒げた。
「ごめんなさい」
「師匠は、弟子の心配をするものだ。遠慮はするな。ただ俺も人じゃなくなったから、できることは限られている。犬のように飼い主に寄り添ってやることしかできない。それだけはわかってくれ」
「私が飼い主ですか」
「なんだ、養ってくれるのか?」
「無理です、大きすぎます。もふもふベッドとしては最強ですけど」
俺は家具ぢゃねえ。
「やっぱり師匠、昔、人だったのですね」
「その話も、したくない。おあいこだ」
「ですよね」
「とにかく、何か食べておけ。海はもうすぐだぞ」
ドウロ川のせせらぎが俺と弟子の沈黙を流していく。
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