第6話 ホムンクルス・グロブスター戦



「それで、どうなったんですか?」


 川のほとりで、ルシアに体の返り血を洗い流してもらう。季節が晩夏でよかった。


「割と本気で火炎魔法の多重陣列を展開して、掴んでいた欄干を壊して、橋から川へ落とした」

「え、落とした? 流しちゃってよいのですか?」


「倒せる気がしなかったから、長期戦は不利だと思った。おまけに頭なし、目や鼻や耳もなし。魔力の感受性だけで敵味方を判断していたようだから、面倒くさいと思ってな」


「頭も顔もない魔物、そんなのいるのですか?」

「俺も千年生きてきて初めて見た。たぶんゴーレムの類じゃないかと思う」


「ゴーレムって、おとぎ話にでてくる土の人形?」

「最初に魔法剣で傷つけたときも、敵から血の匂いもしなかった」


「これだけ返り血を浴びてるのにですか。別の種類、魔法で動かされているのでしょうか」

「そう思ったから、戦闘を回避したんだよ」


 俺が弟子の頃は、弟子ってもっと物知らずだと思ったが、なかなかどうして。


「もういいぞ。あとは川に飛び込んで、しばらく泳いでりゃ落ちるだろう」

「だめですよ。濡れた毛を拭くの、私なんですから」

「んなもん、風にあたってりゃ乾くって」


「そういう横着しないでください。せっかく買ったハーネスもつけるんですから。それに、いまからすぐにミランデアを目指すのですよね」


「なぜそう思った?」


「だって師匠が倒せてないということは、その魔物だかゴーレムだかは、今もまだミランデアを襲う気かもなのですよね? あちこち町を襲っているとしたら、許せないじゃないですか」


 許せない。なぜか少女の正義が眩しかった。


 そんな感情を少しでも抱いて、俺は夜通し走っていただろうか。

 後悔。寂しさ。やり残して置き去りにした中途半端な居心地の悪さ。


 やり直せるものなら、やり直したい。

 会いたい、戻りたい。あの人、あの場所に。


 目覚めるたびに、あの一夜すべてが夢だった気がして、無駄に思えて、気が重い。


 後ろ向きな感情しか浮かばない。獣に堕ちてなお、過去を取り戻したいと足掻く浅ましさに毛が逆立ちそうだ。


「あとは、アストラッドがやるだろう」

「そこまでやって、師匠は肝心な部分を他人に任せられますか?」


 思わず心臓が小さく跳ねて、俺は背後にいる少女を睨んだ。


「お前は、俺の何を知ってるんだ?」


「弟子は、師匠をずっと見つめて学ぶものなんです」

「そうなのか?」

「いいえ、知らないですけど」


 知らねーのかよ。俺はばかばかしく鼻息した。


「でも師匠がその魔物倒したら、領主からご褒美もらえないでしょうか? それって因業買いにはなりませんよね」


 背中に当てられる愚直な前後運動に、俺は身を任せる。


「褒美ねえ。あってもいいが、さあどうかな」




 日が中天に達する少し前。俺たちはマリアルヴァ古城に達した。

 野営はかれて、兵の姿はなかった。


「炭下の土の冷え具合から四、五時間前くらいか」


 ソルティテート軍も今頃はミランデアに帰還しているはずだ。そのあと、どうなったっけ。


「師匠。師匠ー。早く行きましょーよー」


 背中に乗せた弟子は上機嫌だ。いまさらだが師匠に馬乗りする弟子ってどうなんだ。そうは思ったが、ここから人の足でミランデアまで丸二日かかる距離を歩けとも言えない。師弟の序列など人と狼ではあってないようなものと割り切るほかない。


「あの、師匠」

「んー?」

「お尋ねしたいのですが、白塩ってなんでしょうか」


「白塩? ああ、食用の塩のことだ。反対に黒塩は、製塩の粗い、肉や魚を塩漬けにする保存用で、樽塩たるじおといったりもする。食べられない塩だ」


 それでようやく、俺も直感した。


「修道院で塩を売ってこなかったのか?」

「えっ、修道院って、塩を売るところなんですか?」


 質問を質問で返すな。いや、これも俺の説明不足か。それともルシアがそこまでのお姫様だったということだろう。あの国王は親としても領主としても暗愚だったのかもな。


「塩の専売は領主の特権だ。領主が決めた相場より安く売ることも高く売ることもできない」


「えっ」


「塩の売買は、修道院が領主から任されている。肉や魚の塩漬けも知識が必要で、その知識は修道院が統括しているからだ。修道院は塩の他にも、醸造酒やチーズ、砂糖の売買もしてたな。あー、あと週替りで開く市場の運営もしてたか」


 だから坊主は領主よりも私腹が肥えた。一方で、儲けのカラクリを見破ることに長けた魔女を悪魔と契約する悪の手先と同族嫌悪した。


「それでは、あの塩の適正なお値段はいかほどですか?」

「お前。誰に、いくらで売った」


「それは、その。顔役というおじさんにえっと、一袋金貨二五枚で」

「俺はコビニャンの町の相場は知らんが、白塩なら一袋金貨三四枚くらいじゃないか?」


 おもむろに足を止めると、俺は背を振りあおいだ。ルシアは両手で口を覆って沈黙していた。


「まあ、なんだ。初めてのことだ。損をしたと思うな。学びを得たと思え」

「申し訳ありません……。あと」

「ん?」


「たまたま銀貨で代金をくださいとお願いしたら、商売上手だといわれました。どういう意味なのでしょうか」


「それはたぶん両替手数料の回避のことだな。金貨から銀貨への貨幣の価値を替えることを両替という」


 このときに両替商から手数料という手間賃を取られる。両替する金貨の貨幣価値の三~八パーセントを銀貨から差し引かれる。これが馬鹿にならない。


「その手数料を省いたから商売上手だとお世辞をいわれたんだな」


 外から来た無垢な少女をだまくらかして、塩の中抜き取引で安く買い叩いているんだ。それくらいの融通は引き受けただろう。


「お世辞……師匠。私は騙されたのでしょうか」

「商売上の騙し騙されは、気づかないほうが負けだ。何事も学びだ。次にうまくやればいい」


 ――何事も学びよ。ジルヴァン。その程度の失敗でくじけてどうするの? やり直せばいいの


 俺が人を励ます側に回るなんて、妙な気分だな。

 

    §


 未明にバケモノを落とした橋を渡る。

 かすかに漂う異様な悪臭と壊れた欄干の跡を見て、夢じゃなかったことを少し残念に思う。


 だが、その先に目をやって、俺は凍りついた。

 川から土手へ這い上がったような引っ掻き跡があった。


「師匠っ、あれ」

「急ぐぞ、しっかりつかまってろ!」


 俺は橋を全速力で渡りきり、北を目指した。

 ここから先は、ミランデアまでわずかなブドウ農園と高草低木の荒野が続く。


「――風よ、集いて我らを運べ!」


 吠えると、地面を蹴った直後の推進が格段に上がった。


「師匠、あれでしょうか!?」


 ルシアの指さした先は、西。ミランデアから南北に流れてくる川向こうだった。


 白い巨大なクモの周りに、兵士が蟻のように取りついている。盾を片手に槍を繰り出してはふっ飛ばされている。気のせいか、白い怪物は橋の上で魔法をぶち込んだときより大きくなっている気がした。


「間に合った、のか?」


 今ならわかる。千年前の俺はまだ、ここに現れてない。

 なら俺はこの光景を見てなかったことになる。見てなかった?


「そうか、ようやく合点がいったぜっ!」


 記憶が抜け落ちていたんじゃない。その逆だ。俺の知らない記憶が頭へ入りこんでいた。

 そして、この知らない記憶は過去にも未来にも確定していない。


 なら、俺が変えていいんだ。


 ヤツをたおしさえすれば、何かが変わる。


 名も知らぬ神よ、間違うな。

 俺は自分の過去を変えたいわけでも、都合の良い世界にしたいわけでもない。

 ただ一人、あの人を……守りたいんだ。


「おい、ルシア」

 声をかけると、ふいに背中が軽くなった。


「荷物はさきほどの茂みに投げておきました。これで軽くなったはずですよ」


 ふりあおぎざま、自信たっぷりに見つめ返されて、俺はとっさに紡ぎかけた言葉を飲みこむ。頭の中で何かがせめぎ合った末に、別の言葉を吐き出した。


「しっかり掴まって頭を低くしてろ。背中の毛に顔が隠れるくらいだ。首だけふっ飛ばされても拾いに行けねぇぞっ。集中しろ」


「はい!」


 ソルティテート軍は怪物を正面から取り囲むように攻勢をかける。

 対して、怪物の方はぶつかってくる相手を足の甲で防御し、六本の腕のうち四本で打ち払い、殴り、捕まえて――食っていた。


 足の甲の向こうに口がある。だが観察していると妙なことに気づかされた。

 昨夜、橋の上で俺に向き直り、攻撃を防いだ足の傷はソルティテート軍と正対していない。 


 何が言いたいか。要するに――、


「もしかしてこいつ、敵に尻を向けて戦っていないか?」


 なら、怪物が俺の攻撃からとっさに庇おうとしたモノとは何か。

 頭はない。顔もない。なら、何だ?

 後部になる方も足が庇っている。傷が残っていなければ、見分けもつかなかった。


「ルシア」

「はい?」

「翠玉を今、いくつもってる?」

「六つです。どうするのですか?」


「あの尻を足で隠してるところ、わかるか。あそこに一個投げろ。俺の推測が正しければ、やつは翠玉を食べる」


「食べる? 石をですか?」

「ゴーレムは魔石を食べる。食べなかったら、また別の何かだ。まあ、物は試しだ。いくぞ」 


 俺は左からゆるカーブを描きながら敵の間合いに侵入する。


「おい、黒狼が紛れ込んできたぞ!」

「かまうな。目の前のバケモノが先だ!」


 進行方向にむかって四本の腕が兵士たちを払いのける。そのタイミングを待った。


「今だ、放て!」 

「えぇいっ!」


 ルシアの投げた翠色の石は放物線を描いて怪物の足の甲に跳ね返る。

 左右の足が素早く開いて、その石を喰った。


 真っ赤な紅を引いたような唇と、炭を喰ったように真っ黒な老婆の歯。


 そして唇の上に【eath】の文字が刻まれていた。


 俺はすぐに反転して逃げた。俺たちのいた場所に踵が降ってきて土煙をあげる。


「チィッ! ホムンクルス・グロブスター……っ!?」

「師匠っ?」


 逃げから急速反転しドリフト、そこから右へ走る。滑走した場所に、怪物の口から魔光線が駆け抜けて炎のカーテンができた。


「くひひっ。テメェの正体が割れて、大慌てて俺を狙ってきやがったな」

「師匠、なんなのですか?」


「ホムンクルス・グロブスターか? ……さあて、どう訳せばいいんだ? 錬金術における人体錬成の失敗作、とでもいえばいいのか?」


「失敗作?」

「錬金術なんて、お前にはまだ早い。先に学ばなきゃいけない基礎は山のようにある。とはいえだ」


 追ってくる魔光線を尻尾の先に感じながら、走る。  


「ヤツが足で器用に守っているのは、口じゃなく〝eath〟というプロンプトだ」

「プロンプト?」


 ルシアは目をパチクリさせる。当然だ。魔法式学なんて知識は、千年後も高度すぎる。


「ゴーレムなどの人造擬人を錬成する際に、死滅を意味する終了プロンプトは錬成エチケットとして用意しなくちゃいけない。でないと町を滅ぼしても止まらない怪物になる」


「町……あっ」

「そういうことだ。ファンダオやベルモンテを滅ぼしたのは、こいつだ」


【eath】は、[食べる]という開始プロンプト。

 これを終了プロンプトに書き換えなくてはならない。


「どうやって書き換えるのですか?」


「直接やつの所まで近づいていって書き換えるしかない。【eath】に【d】の一文字くわえて【death(死)】に書き換えるんだ」


「失敗したら?」

「お前が食べられる。俺も助けようがない」

「師匠、私が行く前提なのですかっ!?」


「俺は狼だぞ。羽根ペンとインク壺が持てるように見えるか?」

「そういう狼がいたっていい! むしろ可愛いです!」


「冗談やってる場合じゃねえ。次にソルティテート軍がヤツの足を止めたら、行くぞ」

「あ~、細身剣も荷物と一緒に投げちゃいました~」


 仕方のないやつだなあ。俺は倒れたソルティテート兵の剣をかっ攫うようにくわえる。


「ほれ」

「師匠の悪魔ーっ」


 いや、だって俺、魔狼だし。


「ここで成し遂げれば、ルシアは北都ソルティテートの英雄だ。褒美は望むままだぞ?」

「うわ、本当の悪魔みたいに唆すのですね。ひどくないですか?」


「魔狼だからな。それに嘘はいってない。事実だ。やるかやらないかと、その次の段階のできるできないは別の問題だ。ルシア、お前が自分で決めろ」


「そんなの……」


「わかったよ。師匠が弟子ばかり無理をさせるのも後で恨まれるからな。俺がヤツの注意を引きつける。失敗して転がり落ちたらまた拾ってやるよ」


「怖いです、こんなの……」

「俺もだよ」


 魔光線が横を掠めた。脚は止めない。


「でもな、こいつを倒せれば、死ななくていい連中が助かる。家族の元へ還れる。俺は戦場に出たとき、そう思って戦ってきた」


「師匠……わかりました。やりますっ」

「よし。飛び移るとき、やつの背中に気をつけろ。あの足の可動範囲は腕より広いぞ」


 俺は外を廻って魔光線を大きく躱しながら、一気に間合いへ突っこんだ。



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