第5話 弟子のお使いと狼の夜散歩



「体力づくりも魔法使いの素養だ、ほら走れ走れっ」

「ぜったい、うそ、だあっ!」


 師匠に鼻先でお尻を小突かれながら、息を切らせて城門を目指して走る。


「ファンダオ方面から、子供が狼に襲われてるぞぉ!」

「衛兵。門を開けて娘を入れてやれ。城壁っ、矢で狼を追い払え!」


 私の頭上を矢が駆け抜けていく。いつ自分の方へ向かってくるか気が気じゃなかった。

 こけつまろびつしながら少しだけ開いた城門に頭から滑りこむ。 


「娘さん、無事かあっ!」

「はぁ、はぁっ。お、おおか、み、はぁ……っ」


「途中からいなくなっていたよ。矢の威嚇が効いたようだ。大丈夫か?」


 膝で支えていた上半身をそびやかすと、私は叫んだ。


「ふぉ、ファンダオ、失陥! 人も、建物も、残ってませぇん!」


 大人たちはとっさに言葉を失い、お互いの蒼白になった顔を見合わせると、バタバタと喧伝に走り出していった。

 師匠の作戦でなんとか守りを固められた、この町の中に入れた。


 ……この後はなんとかしろとか言われても、わかりませんよぉ。


 聖シルヴェストル教会に銀貨五枚をお布施して、一泊の宿を頼んだ。


 ファンダオ壊滅の報を伝えた娘ということで、町の人々が優しくしてくれた。その中で顔役と名乗るおじさんが紹介してもらった修道院だった。


「お嬢ちゃん、これからどうするね」


「はい。わたくしは商人見習いなので、わずかですが塩を売ったお金で、食料と毛織りの上着を買って、北陽都ミランデラへ参りました師匠の隊商に追いつこうと思っております」


「そ、そうか。まだ若いのにミランデラまでな。そしたら古いやつだが背嚢リュックをあげよう、それで旅の備えをするといい」 


「ありがとう存じます」


 ふぅ、完璧に応対できた。師匠は狼なのに嘘を作るのが上手だし、塩とお金を引き換える場所も、どこに宿を求めればいいのかも知っている。きっとその知識も魔法使いの知識なのだろう。


 久しぶりのベッドは板しかなくて、銀貨一枚で借り受けた薄い毛布にくるまって眠る。

 師匠を待つつもりだったのに、気づいたら窓から差しこむ日差しで叩き起こされた。この部屋、一階なのにカーテンもなかったのか。


 昨夜の顔役のおじさんをみつけて、交易所の場所を訊ねた。


「なあ、お嬢ちゃん。その白塩、一袋金貨十五枚でわしに売ってくれないか?」


 白塩ってなに? しかも金貨、十五枚。


 

『いいか、〝旅の因業買い〟つってな。旅をする中で真っ当な売り買いもしてない大金を掴んだら、同じ気持を持った悪党に奪われる。必ずだ』



「それは、真っ当な売り買いではございませんよね?」


「うっ。い、いや、そのっ。まいったな……わ、わかった。金貨二五だ。それで頼むよ。な?」

「うーん。あとで師匠に怒られると怖いですので、銀貨でいただけますか?」


「銀貨? な、なるほどっ……くぅ、若いのに商売上手だね。お嬢ちゃん」


 商売が上手といわれた。塩を売るだけなのに、上手なんだろうか。

 顔役のおじさんの店で、銀貨を袋で受け取った。手持ちの銀貨十五枚よりはるかに重かったので、くたびれた背嚢にいれて、背負って店を出た。


 うんざりするほど重い。もしかすると、これが因業買いなのかもしれない。師匠に怒られる。


 その後、毛織の厚手コートと馬具のハーネスを中古で買う。お腹で擦れない羊毛入り腹帯は新調した。あわせて銀貨で一五六五枚。


 食料は、雑貨店でミランデラまで行くと伝えて、その日数分の食料雑貨を売ってもらって背嚢に詰めた。銀貨で六五枚。合計一六三〇枚。


 あれ、たいして減ってなくない?

 私のしでかした因業は深いらしい。


「もう行くのかい、お嬢ちゃん」

 衛兵たちに、声をかけられた。

「はい。北で、師匠が待っていますから」


 衛兵がうなずいて、門を少し開けてくれた。


「困ったことがあったら、またコビリャンに戻ってくるといい」

「ありがとう存じます。それでは、ごきげんよう」 


 門が閉まる音を背にし、城壁の上で手を振る兵士に向かって手を振り返す。

 私は足を街道の北へ向けた。

 


「へっへっへっ。お嬢ちゃん、一人旅かい?」


 前方で殿方が二人、脇のしげみから現れて声をかけられた。

 こういう時どうすればいいんだろう。


「ご、御機嫌よう」


「はあっ。げはっはっはっ。おい聞いたか。御機嫌ようだってよ」

「もしかするとコイツ、生まれはお貴族様なんじゃねえの?」


 なんで、あっさりバレたの?


「こりゃあ、まるごとか?」

「ああ。まるごといっちまえ」


 男二人が小走りでやってくると、奥襟を掴まれた。


「な、何をなさるんですか!」


「何をなさるんですかぁっ。うへへっ。こいつは金だけじゃなく、たっぷり遊んでから売り飛ばしてやるよ」


「う、売り飛ばすっ?」


「おい、ルシア。何やってんだ?」

「あ、師匠っ」


 私は安堵で声が弾んだ。

 男たちは顔に凄みを利かせながら振り返って、沈黙した。

 馬車ほどもある大きな狼の顔が血まみれで迫るのだから、言葉もないだろう。


「ひぃ、ぴゃあああっ!」


 大の男たちがウサギのような鳴き声を発して逃げ出した。

 二十メートル先で、穴に落ちた。


「ふわぁ……逃がすわけねぇだろうが。タコが」


 師匠はあくびすると頭を翻して、北に向かって歩き出した。


「ルシア。お前、町で大金ちらつかせて歩いてたんじゃねえだろうな」

「師匠、あの……旅の因業買いは、してないはず、なのですけれど」


 しどろもどろに弁解してみる。


「お前、塩を全部売ったろ?」

「あ」

「一袋でよかったんだ。まあ、俺もいわなかった気がするが。それとその馬具ベルト」


「ハーネスです。師匠の背中に乗るのによいかしらと思って」


「町で中古の馬具を売ってるところは大抵、馬喰ばくろって馬買いが目をつけてる。奴らは食い詰めると街道で追い剥ぎもするゴロツキだ。覚えとけよ」


「え、はい。でも、あの人たちは?」

「暇な奴らが助けるだろう。首だけは出てるんだ。死にゃあしねぇよ」


「馬車が来たら轢いてしまうかもですけど」

「その時は、御者が寝てたんだろ。そうなったら、あいつらの因業だ」


 師匠はよたよたと歩きだすと、ふいに大きなしげみに入って横転した。


「師匠っ、師匠、しっかりしてください!」

「魔力を使い、すぎた……ちょっと、寝る。なんかあったら、起こせ」


   §


 夕方。俺じゃない寝息を聞いた気がして目を覚ます。


「……ルシア?」


 元王女は俺の腹に頭を乗せて、背嚢を抱きしめたまま眠っていた。


「あれ、もう夕方……師匠、血だらけですよ?」


「全部、返り血だ。ここからずっと北に行ったドウロ川だったかな……。敵の出迎えがけっこうきつくてな。川を渡る前に引き返してきた」


「敵? 敵ってなんですか?」

「わからん。問答無用で襲いかかってきた。千年前にあんな奴ら、いなかったのに」


 大きなあくびを一つすると、俺はのっそりと立ち上がった。



 俺は過去を知ってる。

 過ぎ去った日々に希望なんて持ちたくもないが、どうやら間に合ったらしい。


 マリアルヴァ古城に駐留していたソルティテートの将軍は、俺とは既知だった。


 年齢は二つ上。茶褐色の巻き髪だが、女によくモテた。あの頃、敵味方に別れていたが、兄弟とはこういう関係なのだろうと思えるほど馬があった。


「アストラッド……アストラッド・ジルベルト……俺だ」


「……っ?」

「将軍、いかがされましたか」

「ん? いや……。ところで国許に発した伝令はまだ戻らないのか」

「はい。妙でございますね。いま一度、確認の伝令を発しましょうか」


「うん。いや、御前伝令だ。もうしばらく待ってみよう。それにしても主上からの帰還命令も不可解なら、その理由確認がここまで手間取るのも凶兆と見るべきか。諸君、一時間ほど軍議を中断する。少し休め。その間に伝令が達せぬ時は、軍を還す方向で軍議しよう。以上、散会だ」


 将校たちが天幕を出たのを見計らって、アストラッドが天幕ごしに声をかける。


「おい、そこにいるのか。本当にお前か、ジルヴァンっ?」

「さすがに俺の声を忘れてなかったか」


「たわけた真似をっ。いつこの北陽領内に紛れこんだ。バレて捕らえられたら、首を刎ねるのはおれなんだぞ!」


「しぃっ。声がでけぇ。お前の声だけでも、俺の首が飛びかねん。くくっ」


「お前というやつは、命知らずにも程がある。で、何しに来た、敵情視察か」

「落ち着けよ。それより、何があった? ここはまだ西陽の国境でもないだろ」


 親友の鼻息が、天幕越しの外にまで聞こえてきた。実は相当参ってるな。


「大したことじゃない。些末な連絡トラブルだ。と思う」

「伝令がこないと聞こえたが?」


「ああ、実は……弱ってる。ミランデラからの御前伝令の報せがとどこおった。軍は進退できず、ここで身動きが取れなくなった」


 御前伝令は、軍司令官と君主だけを直接行き来する、いわば軍用のホットラインだ。通信は軍の司令官と君主以外は開封できない親展で、開封した者は大臣であっても死罪となる。


「進発してここまで来た時、主上から帰還命令が達し、おれがその詳細確認の書簡を持たせて、御前伝令を都に返した。ところが四時間まっても、通信がもどって来ないんだ」


 御前伝令は国によって違うらしいが、通常は一人だ。伝令将校の中から一人選ばれ、軍と都を馬を換えて何度も行き来する。かなり体力が要求される最精鋭職務ゆえに栄誉、伝令将校の中でも、最高位のエリートとされる。


「この先に、川があった気がするが」


「ああ、ドウロ川だ。御前伝令が橋から落ちる間抜けでもないしな。ところで、今のうちにヴィオラゥンの真意を聞きたい」


「誤報だ。事実無根だ」

「くっ……やはりか」


「だがこちらも抑止行動はとっている。明朝、国境から十二キロ後方のアルヴァレンガという村に駐留予定だ」


「ジルヴァン。そんな重要な情報を、一軍の将に漏らしていいのか」


「ふん。誤報なんだから、別にいいだろ」

「まったくお前というやつは……。わかった。できる限りこちらも悪いようにはしない」


「頼む。なあ、アストラッド。俺が見に行ってきてやろうか」

「なんだって?」


「御前伝令の行方だ。探しに行ってもいい」

「お前、敵の野営地に侵入するだけでなく……どれだけおれに恩に着せる気だよ」


「親友の善意はそのまま受け取っとけよ。と胸を張りたいところだが、悪いが今、丸裸でな。剣を持ってきてない」


「はあ? お前な……っ。わかった。ちょっと待ってろ」


「待て。猶予はないんだ。コビリャンに部下を待たせてる。すぐに出ないと部下にも怪しまれる。お前のシミターを貸してくれないか」


「えっ?」


「北陽の魔女騎士の証〝三日月コルコバード〟を借りたい。それなら出会った御前伝令も俺がアストラッド・ジルベルトの使いだってわかるはずだ。心配するな、すぐ返すよ」


 コルコバードの原型は、砂漠の国アル・マグリブの王から北陽の魔女に贈られた宝剣で、ハンジャルという湾曲した片刃ダガーだ。北陽の魔女ビウエラが魔女の騎士にのみ下賜した。


 魔女の騎士にとっては半身と喩うべき宝剣。それを貸せといわれて、おいそれと貸せるものではない。


「ジルヴァン、何を企んでる」


「嫌な予感がする。それだけだ。実のところ、御前伝令は最悪のケースを考えておいてくれ」

「わかった。だが返しにこいよ。絶ぇ対、返せよ。借りパクも借り死にも認めんからな」


「わかってるって。鞘はいらんぞ。柄を天幕の下から出してくれ」

「ジルヴァン。その前に一つだけ、確認させろ。もうそれ以上は訊かん」

「なんだ」


「お前、いつから魔法が使えるようになった?」


 返事を渋っている間に、天幕から湾曲ダガーの柄がだされた。柄の中央に赤い光をくゆらせる魔石がはめ込まれていた。


「何いってんだ。御前伝令に警戒されないために、借りるんじゃねえか」


「わかった、もういい。おれも小一時間ほど仮眠をとる。悪くてもいい、確実な情報を持ち帰ってくれ」


「わかった。じゃ、借りとくぜ」


 柄をくわえて拾い、俺は闇を蹴った。



 無明の夜を駆ける。

 何物にも混ざらぬ深淵の黒。


 だが俺には見えていた。


 ぬくもりとは程遠い、硬い敵意、殺意、恐怖を。

 人ならざる闇の気配が、汚臭をさせて殺到してくる。

 雑兵が。


 ヒョォオオオオッ!


 くわえた宝剣の隙間から戦の咆哮を猛らせた。

 宝剣の玉が俺の感情に呼応し、くわえた刃が左右に炎を吹きだした。



 〝〽さぁさっ、敵陣突破の単騎駆け、これぞ武人の花道なれば、

 前後左右天上天下なんでもござれ~。

 千客万来。捲土重来。愛想はねぇが容赦もしねえ。

 布を剃刀かみそり裂くよに、敵がパッと左と右に分かたれば~、

 彼奴きゃつは何者ぞとおののく喝采、あの世でそらんじそうらえ。

 万勇不当の魔狼ジルコシアス、狼藉上等、いざ推参つかまつる~〟


 

 一気呵成に吶喊とっかんする。

 異形どもが立ち塞がるや、四肢五体が火の粉となって宙を舞い、飛散し、闇に帰っていった。

 地を這う火炎の流星が、尾を引いて、血を引いて、夜の街道を北に駆け抜ける。

 俺はひと戦で毎回、馬を最低三頭、乗り潰す。だが今は身一つで縦横無尽だ。


 不意に前方がひらけたので後ろを振り返った。

 闇に澱む血臭と、南の彼空かなたに星屑が昇っていた。

 妖魔の陣営を貫けたらしい。そのままの速度で北へ駆け抜ける。


 俺が千年前に置いてきたであろう後悔の一つは、この先に、いる。

 石橋の上で馬蹄が忙しくステップを刻む音がする。白い閃光が弧を描き、ひるがえってはまた弧を描く。

 兵士が単騎で戦っている。だが何と?

 

 ヴォウォオオオオン!


 遠吠えに魔力を混ぜて放つ。咆哮を物にぶつけて跳ね返った時に、その物が魔力に感応して赤く光る。人だった頃には考えもしなかったワザだ。

 だが声に魔力を混ぜたことが、少しだけ仇になった。


 橋の上に、巨大な異形が通行を塞いでいた。


 六本の腕で手探りするように石橋両端の欄干を掴んで踏みとどまり、俺へ向きを変えた。背中から生えた四本の長い足が、甲虫の顎さながらに左右で噛み合わせ、ガチャガチャと鳴る。


 頭がない。顔もない。白い肉塊の寄せ集め。

 名状しがたい冒涜的な白塊が、橋に踏みとどまる。


「狼か山犬か知らんが、恩に着るぞ」

「待て!」

「んっ。どこだっ。狼か、人なのか?」


「何でもいい。北陽の賢母ビウエラに伝えてほしい。国境南部の町ファンダオ、ベルモンテが失陥。サン・ヴィゼンテが半壊。コビリャンのみが無事だ。敵影はここまで見当たらなかったが、先ほど妖魔に苛烈な攻撃を受けた。目の前のバケモノが町を喰らう、その先駆だ」


「なんだと……失陥っ」

「それと、もう一つ。西の魔女の反乱は誤報だと」

「誤報っ。貴様、何者だ」


「ジルベルト卿に雇われたセルティベロだ」山岳にすむ狩猟先住民のことだ。

「セルティベロ? ジルベルト将軍の使いという証拠は」


 俺は全身を振って〝三日月〟から赤い閃光を放った。怪物は二本の腕を交差させて防いだ。目はどこだ。手傷を負わせられたようだが浅いか。さっきまでの有象無象の妖魔とは格が違うらしい。


「今のは〝三日月コルコバード〟かっ」

「北陽に信はあかした。さあ、行ってくれ。なんとか時間を稼いでみる!」


「ジルベルト将軍の使いなら騎士への口の聞き方を覚えろ。恩に着るぞ!」

 一言余計なことをいって御前伝令は走り去っていった。


「さあ。橋の上でバケモノ同士、サシの勝負と行こうかねえ」



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