第4話 王女にゼロから魔法を教える



 城門の外で、ボスを失った狼たちが遠吠えを繰り返していた。


「ここ、どこなんですか?」


「それを確かめるために、しばらく俺に付き合ってもらう。人が生き残っている町を探す。俺の記憶が正しければ、ここから街道をつかって南にコビリャン、国境のファンダオまで行く」


「聞いたことない町の名前です。それに、もうすぐ夜になりますけど」


「夜だからだ。この姿でも街道が使えるからな。コビリャンが無事なのを確認して素通りし、ファンダオで寝床を探すか。途中、何か食い物があれば狩って食いつなぐ。それでいいな」


「構いませんけど。あの、ちゃんと答えてくれますか」

「なんだ」

「あなた、魔物なんですか?」


 一瞬、言い淀む。なぜか、この娘には肯定したくなかった。


「なんでもいいだろ、見ての通りだ。名前が必要か?」


「もちろん。私はルシーア・イザベラ・ブラガンサ……ボサノヴァです」


「俺は、千年狼のジルコシアス」


「ぷっ。それ、名乗ってて恥ずかしくないですか?」

 なぜ笑う。エルフでもないのに千年も生きてしまったのは事実だ。

「ふぅん、千歳まで狼だと、魔法が使えるようになるんですか」


「その、魂になんとなく不快に引っかかる言い方、やめてもらえる?」


 俺はしゃがみ込むと、小娘を睨んだ。


「早く乗れ。日没までに食料を調達しなかったら、多分お互い動けなくなる」

「あ、はい。たしかに」


 もそもそと背中によじ登ると、きゅっと股で背中を絞められた。


「私、乗馬の経験が少しありまして」

 意外そうに振り返ると、少女は得意げに笑った。

「数か月前に、ちょっとだけですけど」


「なら、前傾姿勢はとるなよ。できるだけ俺の頭より先の景色を見ていろ。晩メシの鳥やうさぎを探すつもりでな」


「はい。あの、どこを持てばいいですか?」

「馬で言う、前肩とたてがみが交差する線だ。その辺りが一番動かないはずだ」


 換毛期のことは、まあいいか。立ち上がると、落狼せずにしがみついてきた。

 最初はゆっくり、それから少しずつ歩速をあげた。

 まさか自分の背に人の娘を乗せて走る日が来るなんてな。どんな因果なんだか。



 コビリャンの町。

 切り立った山岳を背にすることで防備とし、東の国境へ攻守にわたって睨みをきかせる要衝都市だ。城壁も厚く、高い。


「あっ、町から明かりが見えます」

「よし、俺たちはこのまま南のファンダオまでいくぞ」

「はい」


 ぐぅ~。 可愛らしい不平を漏らされて、俺も足を止めた。


「すまん。あとで、食料を見つけてくる」

「大丈夫です。右も左もわからない状況はお互い様ですからっ」


 ファンダオは、東の強国から追放されてきた異教の承認と職人たちがその地にコミュニティを形成、北陽の魔女ビウエラがこれを容認したことで、町へ発展した。


 土地勘があるわけじゃないが、そこも落ちていれば、北陽ソルティテートの首都はもう戦場だろうか。

 やはりここは俺が残してきた後悔、千年前の世界なのか。


 だとしたら、十年生きようと千年生きようと、過去は取り戻せやしない。

 思い出せ。俺は結局、間に合わなかったんだ。

 

「よし、踏ん切りがついた。メシを探そう」


 俺の記憶が正しければ、ファンダオまでの途中に渓流があったはずだ。


「ルシアは、王女なんだよな。魔法は使えるのか」

「それが。実は、初歩の手ほどきすら受けさせてもらえなくて」


「受けさせてもらえなかった? 王族、魔女の血統だぞ」

「そのはずなんですが」


「ふん、王が平和におごったか。なら、国が滅びても仕方ねぇか。ルシアは悪くないぞ」


 そっ気なく応じ、俺は渓流を目指して速度をあげた。


 流れの緩やかなふちに、チャブ(コイの仲間)の子供がいたので、尻尾を入れてしばし待つ。三匹が好奇心で食いついてきたところで、凍結魔法。尻尾を引き上げる。三匹で一食分といったところか。それを尻尾にぶら下げたまま、ルシアの所へ戻る。


 ルシアは川原の石を叩いて火を起こすのを任せたが、夜間だし、初めての作業にひどく苦闘していた。


 火起こしは、まず乾いた落木から皮をはぎ、皮内を石で掻いて繊維をだす。それを火口にして石で叩いた火花をそこへ移す。言うは易しで、風向きや石の叩き方にコツが必要だ。コツを掴めなければ百年経っても火はつかない。


 なら、魔法を使えばいいじゃないか。という愚問を、あの人は鼻先で笑ったもんだ。


「魔法はな、人の生活に使うには不向きなんだ」

「えっ?」


「昔。俺が火起こしなんて魔法を使えばすぐじゃねえかと師匠に不平をいったら、そう返されたんだ。魔法は火加減を強くすることはいくらでもできるが、弱くすることはできない。俺も魔法を使えだしてからようやく、師匠の言葉を理解したもんだ」


「そう、なんですか」

「ルシア、火口のそばに、そっちの大きい方の石を置いてみろ」

「はい。……ここで、いいですか」


 俺は火口そばに置かれた石めがけて、川原の石を後ろ足で蹴った。三つ立て続けに火口の石に跳ね返り、大きな火花が火口に降り注いだ。火口から煙が上がり、小さな明かりが生まれた。


「すごい。着きました!」

「すぐ枝をくべろ。最初は小枝で、後から太い枝を折って足すんだ」


 それから釣ってきた魚の頭を左脚で押さえて、右脚の爪で腹を裂き、内臓をかき出す。


「これを川でよく洗って、口から枝に刺しとおし、火の周りに立てかけるんだ」

「大変ですけど、なんか楽しくなってきました」

「これをこれから毎日やるんだ、飽き飽きするぞ」


 俺の仕事は終了したので、ちょっと横になる。


「あの、ジルコシアス」

「ん?」


「私に……魔法を、教えていただけないでしょうか」


 俺は少し頭を持ちあげて、焚き火を見つめるルシアを見、また寝そべる。


「なら、川原で手を濡らして、石を拾ってこい」

「石?」

「いいから、もってこい。魚は見ておいてやるから」


 ルシアは言われた通りに濡れた手で石を拾ってきた。


「これ、どうするんですか?」

「それを握りしめて、石から水を搾り出せ」

「はいっ?」


「お前の濡れた手から零れた水なら、ただの水。石からにじみ出てきた水なら、魔法だ」

「そんなの、意地悪ですぅ!」


「違う」俺はきっぱりと断言した。「俺もそうやって、師匠にゼロから教わったんだ」


「ゼロから?」


「俺だって最初はクソババアとかペテン女とか、さんざん師匠に悪態をついた。けどあの人は、こと魔術に関しては、一度だって嘘やいい加減な教え方をしなかった。普段はちゃらんぽらんな大酒飲みだったくせにな」


「今でも尊敬、されているのですね」


「どうだかな。付き合いがアホほど長くて、結局一度も越えられなかった。俺は……不肖の弟子だったからな」


 焼き魚を食べさせたあと、少女は疲労で気を失うまで石を握りしめていた。



 朝。俺は自分の手の魚臭さに、目を覚ました。


「出た。出たっ。なんか出ました! ジルコシアスっ!」


 おいおい、まじかよ。いくらなんでも早くないか。それともこれが王家の血統か。


 俺は空へ大口を開けて、あくびを一つ。寝ぼけ眼で、朝っぱらからはしゃぐ小娘を眺める。


「石、見せてみろ」

 ルシアから差し出された石は、魔力の集約で翠玉すいぎょくに結晶化していた。

「風のマナと感応したらしい。とりあえず、入門おめでとう、だ」


「ありがとうございます! ジルコシアス師匠っ」


 師匠。俺が? 弟子取りねえ……ガラじゃないが、これも成り行きか。


「まあ、なんだ。魔法の世界は、千年中九五〇年は理不尽で不条理な世界だ。根気強くがんばれ」

「はいっ。次は何をしますか」


 俺の適当な訓辞にも、ルシアは泣き出さんばかりに顔をクシャクシャにした。若さは希望か。


「翠玉は、このくらいの大きさの石三つで銀貨一枚と交換できた、はずだ。あと二つがんばれ」

「はいっ、任せてください」


 たぶんここが俺の知ってる世界なら、黒パン一個で銀貨一枚と銅貨三枚が相場だったはず。

 旅にはやはり、金が必要だろう。


 世の中は魔法が使えれば、使えない人間たちより優位に立てるようにできていない。

 あの四魔女を除いて。



 ファンダオの町、だった場所には何も残ってなかった。

 真っ青な空。まっ平らな砂荒野。南風はどこまでも乾いていた。


 俺は地面に鼻を利かせてあちこち歩き回り、やがてかすかに人の匂いを探り当てる。


「ルシア。ここを探ってみてくれ」

「なんですか?」 


 俺が前足で砂を掘っていると、やってきたルシアに地面を探らせる。


「あ、鉄輪ですね。地面に扉でしょうか」


「ここは商人の町があった場所だ。定住していた商人は万が一の〝備え〟をするもんだ」


 ルシアが両手で地下への扉を開けると、大きな革袋がろ六つ。小袋が八つ。あとは大判の皮巻きがいくつか納まっていた。


「師匠。どうしましょう」


「そこの大判の皮巻きをほどいて見せてくれ。重要な情報だ。あと拝借する金は、銀貨で二十枚までにしとけよ」


「こんなにたくさんあるのに、全部持っていかないんですか?」


「運ぶのは俺だぞ。いいか、〝旅の因業買い〟つってな。旅をする中で真っ当な売り買いもしてない大金を掴んだら、同じ気持ちを持った悪党に奪われる。必ずだ」


「必ず……わかりました」


 皮巻きは思惑通り、地図だった。


 描かれた国は、四つ。商人にとって、地図は常に最新を手許においておきたい大事な情報だ。予感していたとはいえ、予感通りで愕然とする。あとは人の噂を集めて吟味するだけか。ファンダオでこの有り様だ。北の首都はもう、だめだろう。


「違うな……」


 あの時の俺は諦めたか。いいや、向かったはずだ。そして見たはずだ。


 何かが、北陽軍を飲み込んでいくのを。

 そうだ。俺はあの時から既に、間に合わなかった。

 あの戦場で、北陽軍は生き残れなかった。


 俺が諦めたのは、その後。ソルティテートは長くないと判断し、馬を返した。


 だが北陽軍に何が起きたことまで見届けなかった。

 何かとは何だ。わからない。変だ。記憶が欠けている。

 なぜ俺は、都ミランデラに入らなかった。北陽の魔女ビウエラに会わなかった。

 俺は何を見て、落都を悟った。


 千年も経てば、記憶の消失くらいありうるか。

 否。忘れてない。忘れられるわけがない。忘れるべきではない。


 そのために俺は自分に呪いをかけたんだ。あの人との記憶ごと。

 だったらこれは、誰かに意図的に書き消された感覚なのか。


 記憶の欠落感――、魔女の仕業か。


「師匠?」

「地図だ。これは持っとけ」

「ここ今、どの辺りなんですか」

「北陽ソルティテートの南端だ」

「ソルティテート?」


「俺の感が当たってるなら、ここはルシタニアだ。千年前のな」

「えっ、千年ッ!?」

「理由は訊くなよ。俺にもわからん」


 俺は商人の隠し棚を離れようとして、ふと脚を止めた。


「ルシア。そこの小袋の山から二ついただいて行こう。それなら袋ごと盗んでも足がつきにくいし、真っ当な金になる」


「これですか。中身はなんなのですか?」

 俺は嗅覚だけで、断言した。

「塩だ」



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