第一夜 女子の平和を守るもの⑤
「お待たせいたしまして、本当に申し訳ございません!」
「あら、いいのよ。それよりも、その猫は……」
驚いた様子のデルカシュの視線は、すっかりファリンの腕の中に
「どうやら迷い猫みたいで、ちょうど今このヴィラの中で見つけたばかりなんです」
「まあ! 後宮に迷い猫だなんて……珍しいわね。妃たちの飼い猫では見かけたことのない顔だけれど。どこから入ってきたのかしら?」
ファリンは笑みが引きつりそうになるのをなんとか
「どうかこの子を、私のヴィラで飼う許可をもらえませんか?」
精霊様は腕の中から不満そうにこちらを見上げたが、ファリンはその抗議に気づかないフリをした。油燈の外で自由にしていたいなら、飼い猫ということにしておいた方が何かと便利だろう。
「他の妃に何かを許可する権限は、わたくしにはないけれど……でも、問題はないんじゃないかしら。猫ならバハーミーンなんてたくさん飼っているものね」
そう言って苦笑するデルカシュに、ファリンは勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます!」
第三妃デルカシュは九年前に後宮が新設された際に入宮した妃二名のうちの一人で、第二妃マハスティとはほぼ同期である。年齢はマハスティより三つ上の妃たちの最年長で、その面倒見のよい性格も相まって、後宮のお母さん、もとい皆のお姉さま的存在だ。みなぎる野心を隠さず、なにかとマハスティと対立することの多い第六妃ですら、デルカシュにだけは一目置いている。
さらに彼女は西方伝来の新しい品や流行をいち早く後宮に紹介してくれる情報通でもあり、実はこの後宮の設備保全まで取り仕切ってくれているとあって、ここに住む者は皆、少なくとも一度は彼女の世話になっていた。
かくいうファリンも、入宮したばかりで不安と孤独でいっぱいだった頃に、一番に優しく声をかけてくれたのがデルカシュだった。右も左も分からぬ新入りに、後宮のルールを教えてくれただけではない。困ったことがあれば親身に相談に乗ってくれて、とても心強かったことを覚えている。
デルカシュは南西の国境にある砂漠最大の交易都市を治める部族に生まれ、祖先にいくらか西方人の血が混じっているらしい。そのためか、ゆるく三つ編みにされた豊かな髪は、
通常であれば、いずれどこかの派閥に入り、後はそこの上級妃が面倒をみてくれるものだ。しかし中立派と呼べば聞こえはいいが、実際にはどこにも入ることのできないファリンのような者たちは、何かとデルカシュの世話になりっぱなしだった。いつかこの恩を返せたらと思っているが、
そうこうしているうちに、侍女が良い香りのするお茶とお菓子をお盆に載せて現れた。どちらもファリンの見覚えのないものだから、きっとデルカシュの手土産だろう。彼女は妃ながらお菓子作りを趣味としていて、よく皆に振る舞ってくれていた。
ファリンは子トラをそっと床に下ろすと、丁寧に礼を言ってデルカシュに椅子を勧めた。すると彼女は座るなり、心配そうな顔で口を開いた。
「今回訪ねた理由はね、謹慎が長引いているけど何か困っていることはない? と聞こうと思ったの」
「お心遣いありがとうございます。おかげさまで、何も問題なく過ごしています。このたびは私が調子に乗ったせいでご迷惑をおかけすることになり、本当に申し訳ございませんでした。それなのに、皆さまあんな風に助けに来てくれるなんて……」
鼻の奥がツンとして、目頭がじわりと熱を持つ。
「いいえ、どちらかというと調子に乗りすぎたのは、マハスティやわたくしたち上級妃の方よ。危険なのを分かっていて行かせたんだもの。
「デルカシュ様……」
感極まったファリンが言葉に詰まっていると、彼女はどこまでも優しく続ける。
「裁定が下されるまでもう少しの辛抱だから、がんばって。謹慎が明けたら、また皆でお茶会しましょうね。そうだ、今日はもう一つ用事をお願いしに来たのだけれど……今日持ってきたこの新作の試食につきあってもらえないかしら」
「はい……。お心づかい、本当にありがとうございます」
とうとう涙がひと粒こぼれると、デルカシュはクスクスと小さく笑いながら水晶
「あらあら、だからこれは試食のお願いだと言っているでしょう?」
そのまま彼女は自らの手で、小さな茶器ふたつにさっと香草茶を注ぎ分ける。とたんに青い
「この花は……」
「これはね、
優しく微笑むデルカシュに重ねて礼を言うと、彼女は笑顔で菓子も食べるよう勧めてくれた。すると香りに釣られたのか、子トラがぴょんとファリンの
「あらあら、これは猫ちゃんにはダメよ。今度甘くないものを焼いてきましょうね」
卓子にぶしゅっと突っ伏して不満そうな顔をする子トラを膝に乗せたまま、ファリンは小さく焼かれたカークに手を伸ばした。この国で作られる焼菓子は、
「そういえばこの香り、
「ええそうよ。
「そうなんですね、今日のも美味しそうです!」
早速生地にさくりと歯を立てると、デルカシュの気遣いがじんわり身にしみる。
「デルカシュ様、本当にありがとうございます。他の皆さまも私なんかに優しくしてくださって……本当に、この後宮に来られて良かったです」
「そうね、わたくしも……この後宮に来られて、本当に良かったわ」
再び
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