第一夜 女子の平和を守るもの④

「願い事は……今のところ、特にないですね」

「なんと! お主には何か欲しい物はないのか!?」

「別に、ここにいたら衣食住は満足なので。大好きな麝香瓜ムスクメロンとうみつ菓子だって、一昨日もらってお腹いっぱい食べたばかりですし……」

 こぢんまりとした建物には居室が二つと物置部屋、そして小さなみずがあるのみだけれど、清潔で快適な自分だけのヴィラがある。どんなに豪華に着飾ってもどうせ見せる相手はいないし、『物語』のお礼だと言って、美味おいしいお菓子や果物を差し入れてくれる『お姉さま方』は多いのだ。ファリンにとって、今の暮らしで充分だった。

「ならば権力はどうだ!? お主をこの国一番の妃にしてやろうぞ!」

「別に、一番になりたいとかは思っていません。今のままがいいです」

 権力を握ったところで、ひいしたい実家なんてものはない。さらに正妃なんかになってしまったら、責任ある仕事が増えるだろう。それはどう考えても面倒だ。

「ではせめて、邪魔な者、嫌いな者ぐらいはおるだろう? お主が望むなら、そやつらを今すぐこの世から消してやろうぞ」

 そう言って精霊は悪そうな顔で笑ったが、ファリンは困ったように笑みを返した。

「そりゃあ嫌いな人ぐらいはいますけど……別に、消したいほどではないというか」

 いくら嫌いだからといって、死んでしまえとまでは思えなかった。もしそんな選択をしてしまったら、良心のしやくで余計に悩まされるだけだろう。

「なんだと!? 困るではないか! 一度呼び出された以上、もうお主とは契約が結ばれてしまったのだ。お主ら百人の子孫の願いを叶えねば、吾輩は自由になれぬのだぞ!?」

「そうなんですか? 大変ですね。……って、そもそも精霊様って、強大な力を持っているんですよね。それがなぜ、油燈の中なんかに……」

 ファリンが目を丸くしつつ問うと、子トラは何やら気まずそうな顔をする。

「そこはまぁ、若気の至りで少々やりすぎてなぁ……我が君にお𠮟りを受け、いまだ修行中の身というわけだ」

「若気の至り……ですか?」

 ファリンが首をかしげると、子トラはその丸っこい頭を重々しく縦に振った。

「うむ。愚かなる人間どもが水不足で困ると嘆いておったから、三日三晩たぁっぷりと雨を降らせて、全部流してやったのだ」

「ぜ、全部!?」

 この国の建物は、炎で焼成せず太陽光のみで干し固めた、日干し煉瓦づくりが主流だ。この日干し煉瓦というものは、年に数度ある短時間の豪雨には意外な強さを見せる。だがその一方で、しとしと続く長雨にはめっぽう弱い。三日も雨が続いたら、全てが容易たやすく崩れ去ってしまっただろう。

「そんな、ひどい……」

「いや、酷いのは人間どもの方だぞ。我がほこらに参る信心深い娘が居たゆえ目をかけておったが、水が足りぬと言われても、地下水脈は一朝一夕で回復できるものではないのだ。だが効をいた同じ村の莫迦ばかものどもが神へのにえだなどと言い、あまいの祭壇にかの娘の血肉をささげおった。腹が立ったゆえ、希望の通りにたーんと注いでやったわい」

 そこで言葉を切ると、精霊様はフフンと鼻でわらってみせた。

「贄というのはなんとも酷い話ですけれど……でもその村には、彼女の大切な人もいたのではないでしょうか。やっぱり……」

 やりすぎですよ、と言いかけて、ファリンは続く言葉をみ込んだ。だが何が言いたいのかは、大方伝わっていたらしい。

「まあちょっと、自分でも頭に血が上ってやりすぎたなぁと、反省はしておる。だからこうして、あの娘の弟……お前の祖なる者の手で、油燈に封印されてやったのだ」

 確かに各地に残る精霊の伝承といえば、大半がたたっているものだ。だがまさかあのファリンの故郷が、精霊の怒りに触れて一度滅びた街だったなんて。この『お願い』、扱いを間違ったら大惨事にもなりかねない──そう考えて、ファリンは内心ためいきをついた。

「そんな経緯いきさつがあったのですね。でもすみません、それを聞いたらなおさら願い事はできなくなってしまいました」

「どういうことだ!?」

「さっき、百人の子孫とおっしゃったでしょう? つまり願いを叶えて私との契約が切れたら、他の子孫の願いを叶えに行こうとするのではありませんか?」

ろんだ!」

「では無理です。義父たちの手に渡らないように、ずっとここに居てもらわなければ」

 そう静かに言い切りファリンが意地の悪い笑みを浮かべると、バァブルと名乗った精霊は先ほどまでの偉そうな態度から一変し、情けない声で嘆いた。

「なんと冷酷なるおなごであろう、あの心優しき姉弟の子孫とはとても思えん! 自分の願いを捨てるほど、お主は家族のことが嫌いなのか!?」

「まぁ、おっしゃる通りです」

 確かに殺したいほどではないけれど、やはり嫌いには違いない。ファリンが片頰を上げつつ肩をすくめて見せると、子トラはガックリとその場に突っ伏した。

「なんと、無情な……」

 その姿に少しだけ同情しかけたが、あの義父や義妹の願い事なんてきっとロクなものではないだろう。神話によると、精霊は『すさぶ神』と『のどむ神』という二つの側面を、あわせ持つ存在なのだという。願い方を間違えたら、いつまた街が滅ぶか分からない。世のため人のためにも、ファリンのもととどめておくに越したことはないだろう。

 祖母はそれを見越して、油燈を託してくれたのだろうか──などと考えていると。

「アーファリーン妃様、どなたかいらっしゃるのですか?」

 不意に部屋付の侍女の声が聞こえて、ファリンは慌てて入口の方を振り向いた。この部屋の入口に扉はないが、代わりに目隠し用に厚めの垂幕が下がっている。声はその向こうからで、幸い中は見られていないようだ。

「ごめん、猫に向かってひとりごと言ってたの!」

「猫、でございますか?」

「そう、迷い込んじゃったみたいで!」

「左様でございましたか……あの、第三妃デルカシュ様がいらっしゃったのですが、いかがいたしましょう?」

 侍女は少し迷ったようだが、上級妃を待たせる方が良くないと考えたのだろう。特に謹慎中に訪ねて来たということは、皇帝から特別な許可を得ているはずだ。

「分かった。応接室に入っていただいて、高脚の方の卓子テーブルにお茶の用意をお願い!」

「かしこまりました」

 困惑しつつも職務に忠実な侍女の気配は去って行く。ファリンはそれを確認すると、慌てて子トラの方を振り向いた。

「すみません、私ちょっと行ってきますね!」

「なにっ、ならばわがはいも連れてゆけ! もう何十年も狭いところに閉じ込められて、ヒマでたまらなかったのだ!」

 義父の願いをかなえていないことを考えると、最後にこのバァブルを呼び出したのは祖父である可能性が高いだろう。それ以来ずっと小さな油燈の中に閉じ込められていたというのなら、確かに気の毒だ。

「えっと……ではしやべらずに、普通の猫のフリをしていただけますか?」

「仕方ないにゃあ」

 自称精霊様はそう言うと、ファリンに向かって飛びついた。

「わっ!」

 フワフワの塊を慌てて受け止めると、それはスルリと器用に腕の中で丸まった。そのまま猫(仮)は入口の方へ、無言のままクイッとアゴをしゃくってみせる。これは黙っていてやるから早く行け、ということだろうか。ファリンは苦笑しながら大きな毛玉をしっかり抱え直すと、垂幕をめくって寝室を出た。二つの居室をつなぐ短い廊下を数歩ゆき、応接室の方の垂幕をくぐる。

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