第一夜 女子の平和を守るもの②
『ねぇ、例の同人誌のようなもの、他にはないの?』
『どうじんしって……なんですか?』
首をかしげるファリンに、マハスティは一層笑みを深めてみせる。
『同人誌とはね、
『し、詩人!? あれは、そんな
『あら、やっぱり貴女たちだったのね。あの皇帝陛下の物語を書いたのは』
落ち着いた美女の口から飛び出てきたのは、思いもよらない言葉だった。ファリンは慌てて両手を上げると、マハスティをとどめるようにその
『お、恐れながら、あの物語のことはどうかお忘れください!』
『どうして? とっても素敵なお話だったのに』
『しかし、もし陛下ご本人の目に触れてしまったら……』
身を
『大丈夫、貴女たちのことはわたくしが絶対に守ってあげるわ。だから安心して、新作を作ってちょうだい。他の皆も、協力は惜しまないと言っているのよ?』
『で、でももう、ネタも尽きたと申しますか……』
レイリとアーラは完全に
『ねぇ、アーファリーン。もし他のお話が読めないというのなら……わたくし、寂しくて陛下に実演をお願いしてしまいそうだわ』
小首をかしげてちょっと困ったような顔をするマハスティは、同性すら目のくらむような魅力を漂わせている。だがその月夜に咲く大輪の
──なんか、ものすごく脅されてるっぽいんだけど……。いつも慈悲深そうな笑みを浮かべている裏側が、本当はこんなに黒いお方だったなんて!
こうしてファリンたち三人は、公然の秘密として活動を続けることになったのだ。
とはいえ後宮という特殊な環境下で、あの物語に需要があるのは
皇帝を
──なにはともあれ、自分の所属する
そんなことを思いながら、ファリンがやがて断片的な
『わたくしの要望をもとに書いてもらった、あの大宰相の陰謀を乗り越えて愛を確かめる二人の話……ハラハラドキドキさせられて、とっても読み
『それは魅力的なお話ですが、妃である私たちが後宮の敷地から出ることは……』
『大丈夫、わたくしがこっそり出してあげるわ。わたくし付の内小姓として、外へおつかいに行かせてあげる。だから外廷で起こる陰謀劇なんかをもっと絡めて、危機を乗り越え深まる愛!……的な物語、書いてみない?』
確かに、様々な雑務を抱える上級妃には、その手足となる内小姓が付けられている。だからといって妃が後宮から抜け出したとバレたら、大問題になるだろう。
だが本当はファリンにとって、後宮での生活は楽しいが少しだけ退屈なものだった。以前のように朝から晩まで働かなくていいのは本当に有難いことだが、後宮から外に出ることは一切できないし、日々の楽しみといえば女同士で集まってお茶を飲みながら、毎度同じような内容のおしゃべりを延々と繰り返すことだけである。
だから同じ宮殿内にありながら全く違う世界である外廷には、とても興味があった。そこには一体どんな世界が広がっているのだろう。気が小さく大胆なことは中々できないファリンだが、父譲りなのか好奇心だけは強い方だった。しかも普段なら自分からは絶対に言い出せないことでも、今回は『マハスティ様に頼まれたから仕方なく』という大義名分がある。ちょっぴりソワソワし始めたファリンとは対照的に、レイリとアーラはこれにも『絶対にムリ!!』と千切れんばかりに首を横に振っていた。
こうして、ファリンが男装して外に出ることになったのだ。
そして、いざ決行の日。ファリンは内小姓に変装するために、マハスティのヴィラを訪ねた。集まったメンバーは、マハスティといつも一緒にいる第七妃ロクサーナ、そしてレイリとアーラである。背中までの髪を西方風の巻き毛にしたロクサーナは、北西の国境にある豊かな交易都市の出身だ。上級妃ながらマハスティ派に属したきっかけは、マハスティ同様、建国戦争でいち早く皇帝派についた部族の出身ゆえだった。しかし近ごろは、娘を持つ母親同士で話が合うという理由も大きいだろう。
そんなロクサーナは上品かつ優雅な雰囲気で、育ちの良い奥様といった風情の人だ。だが彼女はニコニコしながら
『仮装を美しく仕上げるためなのです。このくらい我慢なさいな』
思わず顔をしかめたファリンの背中をポンとたたくと、次にロクサーナは軽いが厚みのある織物を取り出して、腹のくびれを消すよう巻きつけた。こうして念入りに身体の凹凸を消されてから、ファリンはようやく白いお仕着せに身を包む。だがそこで行き当たったのは、少年にしては豊かで目立つ黒髪を、どう隠すかという問題だった。
『しまった、うっかりしていたわね。まさか切るわけにもいかないし……』
悩む皆を前にして、ファリンはとうとうカツラであることを告白することにした。髪に挿していた固定用のピンを抜き、長く波打つ黒髪を脱ぎ去ってみせると、皆は驚いた顔を見せた。『
以来、取材と称してファリンはたまに後宮の外に出るようになったが、その成果は予想以上だった。わざわざ聞き込みしなくても、皇帝の噂話は宮殿中にあふれていたからだ。だがそれは、独裁的な暴君に対する
やがてファリンは内廷を越え、外廷で行われている御前会議の場にまで足を伸ばすようになった。鮮やかな
そこに堂々と
『陛下はまさに尊いというお言葉が
『尊い……そうか、そうだな。本当に、尊い御方だ……』
その夜、帰還したファリンの筆がこれまでになく走ったのは、言うまでもない。
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