第一夜 女子の平和を守るもの①
広大な宮殿の敷地内で、
あれはファリンの入宮から半年ほどが経った頃のこと──ことの始まりは、何気ない雑談だった。目隠し用の薄い
ヴィラが隣という理由からなんとなく仲良くなったレイリは北部にある山脈に近い地域出身で、小柄な身体に小動物のように愛らしい顔立ちを持っている。だが彼女は容姿に似合わぬ深刻そうな表情を浮かべると、重々しく口を開いた。
『ねぇねぇ、あのお二方って……あやしいと思わない?』
暇な午後のひとときをダラダラと過ごしていたファリンは、干した
『お二方って?』
『そんなの決まってるじゃない。皇帝陛下と、内小姓頭のサイード様よ!』
『あやしいって、何が……』
まだ理解が追いついていないファリンに、レイリは
『恋よ、恋!』
『こ、恋!? 陛下とサイード様が!?』
大きな背当てにもたれるように座っていたファリンは、あまりの驚きにポロリと棗椰子を取り落とす。するとレイリは耳元で二つに
『そうよ。だって他にも内小姓はたくさんいるのに、陛下ったらいつもお忙しいはずのサイード様ばかり連れていらっしゃるし……それに、たまにサイード様のことをすーっごく優しい目をして見つめていらっしゃるんだもの! あんな
『それは単に、
そうほんのり冷たい声音で言ったのは、第十八妃のアーラだ。絨毯に
『なっ、なによ! アーラこそ、そんな風に陛下に見つめられたことあるの!?』
『な、ないけど……』
『ほら! やっぱり、お二方はデキているのよ!!』
『さすがにそれは、論理が飛躍しすぎじゃないかなぁ……』
ファリンは
『でもでも、本当にそうだったら素敵じゃない?』
『え、素敵なの!?』
『そうよ! 妃のうちの誰かが特別な
『お、推せる!?』
『確かに……それは推せるわね。あのいつも女に淡泊な陛下が、情熱的に愛をささやくところ……見てみたーい!!』
キャーッと黄色い声を上げ、乙女たちは胸元で両の指を組んだ。つい先ほどまで冷めたことを言っていたアーラも、この一瞬でレイリに感化されてしまったらしい。
すでに二十名を超えた妃たちのうちでも特に年若い者たちには、この三人と同じように、まだ一度も
もちろん夜伽役としてのお気に入りは上級妃を中心として何名かはいるのだが、その妃たちからも、全然心を開いてもらえないと嘆く声ばかりが上がっていた。そもそも上級妃だの下級妃だのという非公式な呼び方を決めているのは『入宮の早さ』その一点のみという、まさかの完全年功序列制なのだ。妃たちの実家は、全てどこかの
そんな皇帝は妃たちから、淡泊だの冷徹だの、だがそこが良いだのと、「女子会」のネタとしていつも陰で好き放題言われているのだ。
しかしいつもの雑談も、その日は少しばかり
そこでファリンは連日の女子会で挙がった三人の妄想を、せっかくなので記録してみることにした。手始めに短い話を書き付けた紙を何枚か集めて、糸で
『ちょっと、これは私たちだけの秘密だって言ったじゃない! 誰よ、お姉さま方に回しちゃったの!』
いつものレイリの部屋に集まるなり、ファリンがじろりと共犯者たちを見まわすと、レイリとアーラは少しだけ居心地の悪そうな顔をして、口を開いた。
『わっ、わたしは、確かにデルカシュ様にちょっとだけ見せたけど、ここだけの話だってちゃんと言っておいたんだから!』
『私も、確かにバハーミーン様にだけちょっと貸したけど、ちゃんと秘密だってお願いはしていたし……』
──少し考えたら、分かることだった。誰もが暇を持て余し、刺激に飢えた者ばかりの後宮で、『ここだけの秘密』なんて何の意味も成さなかったんだ!
ファリンは後悔したが、ご機嫌を損ねたら即首が飛ぶなどという事前情報とは全く違い、本物の皇帝は意外と普通、いや、とても寛大な
しかし、そのわずか数日後。ファリンとアーラがいつものようにレイリのヴィラをたまり場にして、ダラダラしていたときのこと。侍女から上級妃たちが訪ねて来たと告げられて、ファリンたちはぎょっとして顔を見合わせた。相手は上級妃なのだから、通常であれば呼び出しの使いがやってきて、こちらからヴィラまで伺うべきところだ。それがわざわざ向こうから訪ねてくるなんて、一体どんな用件なのだろう。
三人揃ってビクビクしながら出迎えると、そこにいたのは第二妃マハスティと、同じ派閥の第七妃ロクサーナだった。
実はこの後宮に住まう第二妃以下の妃たちは皆、皇帝と正式な婚姻を結んでいない側室だ。つまり正妃は不在という状況で、その役割を実質代行しているのが後宮の最も古株である第二妃マハスティだった。
彼女は存在感のある長身だが女性らしさを損なわぬ
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