前夜 砂かぶり姫、後宮へゆく④
後宮へ皇帝がお出ましとあれば、通常ならば早めの
「「本当に、申し訳ございませんでした!!」」
彼女たちは皇帝が着座した瞬間、そう一斉に叫んで冷たい大理石の床に
「……マハスティ、これは何の真似だ」
「おそれながら、わたくしたちは、第十六妃アーファリーンの助命嘆願に参りました。その者が許しなく後宮を抜け出していた件につきましては、我々も同罪にございます。何とぞ、寛大なる
平伏したまま答える第二妃に、だが玉座の主は不機嫌そうに眉をひそめてみせる。今回呼び出したのは、第二妃マハスティだけだったはずだ。そこにマハスティ派である第七妃ロクサーナ、ほか数名の下級妃たちを連れてくるならまだ分かる。だがなぜ、彼女の派閥に連ならぬ第三妃デルカシュや第五妃バハーミーンと、そこに属する下級妃たちまで勢揃いという状況になっているのか──そう皇帝は疑問を感じているのだろう。
そもそもファリンは本来マハスティ派ではなく、強いていうなら中立派で最も古株のデルカシュ派という位置づけだ。皇帝が妃たちの派閥をどこまで把握しているのかは不明だが、これが異様な光景であるということは、さすがに気づいたようだった。
「この頭数には驚かされたが、だからといって情状も分からず酌量してやるわけにはゆかぬ。そなたらは、第十六妃が後宮を抜け出していた真の理由を知っておるのだな?」
「はい……」と辛うじて声を絞り出したマハスティに、無慈悲な声が降りそそぐ。
「ならば、答えよ。答えられぬなら、そなたらも同罪だ」
その瞬間、居並ぶ妃たちの間に無言の緊張が走った。あまりの恐怖に
──私が不用意なことをしてしまったせいで、こんなにも迷惑を掛けてしまうなんて。皆が助けようとしてくれているのは本当に嬉しいけれど、こんなことなら潔く一人で処刑された方がいい……!
そう覚悟を決めたファリンが、すっと息を吸い込んだ、その時。
「理由は……恐れながら、こちらを御高覧たまわりたく存じます」
マハスティが差し出した物をそっと横目で確認すると、目に入ってきたのは一辺をしっかりと糸で
「お待ちください! 私はどうなっても構いません。だからそれだけはっ……!」
するとマハスティは顔をこちらに向けて、有無を言わせぬ
──まさか、よりにもよってあんなものを、陛下ご本人に見られてしまうなんて!
「これは、一体何だ」
しばらくして手を止めると、皇帝は
「それは、アーファリーンが記した『空想の物語』でございます。わたくしはそれらの『物語』に、より現実味ある描写を求め……物語の舞台となる内廷や外廷の様子をつぶさに観察してこられるよう、定期的に手引きをして参りました。全ては、このわたくしマハスティの指示によるものでございます」
「この『物語』とやら……主人公である内小姓の男は、名は違うがサイードのようだな。そしてこちらの『陛下』なる人物は、容姿も、言動も、まるで余そのものではないか」
「偉大なる皇帝陛下、仰せの通りにございます……」
──ああ、とうとう陛下ご本人に知られてしまった。妃である私が後宮を抜け出してまで内廷をうろついていた理由が、お二方をモデルにした『暴君皇帝陛下×堅物忠犬小姓』な
心底申し訳ないやら恥ずかしいやらの感情でぐちゃぐちゃになりながら、ファリンは床に額をこすりつけるようにして平伏し続けた。
──もう本当に、いっそ死んだ方がマシだ。でもせめて、庇ってくれた皆だけは!
「いっ、偉大なる皇帝陛下に申し上げます! これは全て、実際に『物語』を書いた私めの罪にございます。だからどうか、罰はこの私一人だけに……!」
だが、ファリンの決死の言葉は楽しげな笑い声で
「ククッ……、ハッハッハ!!」
文字通り腹を抱えて笑い出したのは、当の皇帝陛下である。
「ハハッ、なんと、なかなかよく書けておるではないか!
皇帝はその端整な顔をニヤリと不敵に
「サイード、愛しているぞ」
「は、はあ……光栄です……」
ニヤニヤと笑う主の様子に顔を引きつらせ、それでも忠臣は辛うじて笑みを返す。その様子をしばし
「ハハッ、これでは罰を与える気も
「では、今回の件は!」
「とはいえ、後宮を抜け出た事実を不問とするわけにはゆかぬ」
「そんな……」
希望から一転したマハスティの悲痛な声に、妃たちの間に再び緊張が走る。
だがその様子を目にした皇帝は、いつもの
「そう心配せずとも、そなたらに免じて極刑にはするまい。第十六妃アーファリーンには、改めての精査ののち別途沙汰を言い渡すとしよう」
◇ ◇ ◇
例の騒動から二日が過ぎた夜、内廷の奥にある皇帝の私室にて。サイードは食後のひとときを過ごす主に向かって膝をつき、報告を始めた。
「陛下、先日のアーファリーン妃の証言について、全て真という裏づけが取れました」
「ああ、くくっ、そうか、全て
サイードの言葉を聞くなり、
「陛下が声を上げて笑われるところ、そういえば初めて拝見したように思います」
「そういう
どうやら自分の方も、今にも笑い出しそうな顔をしていたらしい。サイードは一つ
「まさに後宮に
後宮ができて少し経ったぐらいの頃からだろうか。大小さまざまな事故や不幸が起こるたび、皇帝に処刑された者の恨みだとか、正妃の座を狙う妃同士の
後宮は元より噂好きが多いとはいえ、さすがに悪評を広めるための工作が行われているのではないか──そう考えて、本格的な調査を決めた矢先のことだった。
「ああ。そこで意表を突いて見せられたのが、例のあの情熱的な『物語』ではな」
人は緊張から
「さて、かのアーファリーン妃の裁定を行う前に、ひとつ提案がございます。先日検討しておりました、呪いの噂に関する調査を行うために後宮内部に協力者を作る件、アーファリーン妃を使ってみては
「ほう」という軽いが感嘆のこもった
「調査の結果、かの第十六妃は『物語』の制作を通じ、妃の派閥を超えた交友関係を築いていると確認できました。またあれほどの狂信めいた妄想を抱えている者が、同時に
「そうだな、確かに、密偵は得意技だろう」
再び低く思い出し笑いを始めた主は、よほどツボに入ってしまったのだろうか。だがサイードはそれを
「ではあと七日ほど謹慎させたのち、正式に令を下します」
まだ笑っている主から了承の言葉を得て、サイードは自らも無意識のうちに口角が上がっていることに気がついた。これから調査に協力してもらうとなれば、しばらくは主との話題に事欠かないだろう。もちろん、呪いの噂など、一刻も早く解決するに越したことはないのだが。
主の前を辞したサイードは、すぐさま第二妃を通じてファリンの謹慎継続を通達した。そして七日の間、猛然と
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