前夜 砂かぶり姫、後宮へゆく④

 後宮へ皇帝がお出ましとあれば、通常ならば早めのさきれが行われるものだ。御前にはべる前に充分な支度の時間を与えようという、妃たちへの配慮である。だが今日はつい先ほど出されたばかりのお触れにもかかわらず、後宮の中心にある大広間で待っていたのは、呼び出しの対象となった第二妃マハスティの姿だけではない。よほどの大慌てで部屋を出たのか、二十名近い妃たちが皆、普段着のままひざをついていた。

「「本当に、申し訳ございませんでした!!」」

 彼女たちは皇帝が着座した瞬間、そう一斉に叫んで冷たい大理石の床にぬかずいた。第二妃マハスティのほかは、欠員および第六妃を除く全三名の上級妃と、第六妃派以外の下級妃が全員揃っている。玉座の足下に引き出されたファリンは、しばしぼうぜんと辺りを見渡した後で──ハッと我に返ると、皆にならってひれした。

「……マハスティ、これは何の真似だ」

「おそれながら、わたくしたちは、第十六妃アーファリーンの助命嘆願に参りました。その者が許しなく後宮を抜け出していた件につきましては、我々も同罪にございます。何とぞ、寛大なるをたまわりますよう、伏して願い奉ります」

 平伏したまま答える第二妃に、だが玉座の主は不機嫌そうに眉をひそめてみせる。今回呼び出したのは、第二妃マハスティだけだったはずだ。そこにマハスティ派である第七妃ロクサーナ、ほか数名の下級妃たちを連れてくるならまだ分かる。だがなぜ、彼女の派閥に連ならぬ第三妃デルカシュや第五妃バハーミーンと、そこに属する下級妃たちまで勢揃いという状況になっているのか──そう皇帝は疑問を感じているのだろう。

 そもそもファリンは本来マハスティ派ではなく、強いていうなら中立派で最も古株のデルカシュ派という位置づけだ。皇帝が妃たちの派閥をどこまで把握しているのかは不明だが、これが異様な光景であるということは、さすがに気づいたようだった。

「この頭数には驚かされたが、だからといって情状も分からず酌量してやるわけにはゆかぬ。そなたらは、第十六妃が後宮を抜け出していた真の理由を知っておるのだな?」

「はい……」と辛うじて声を絞り出したマハスティに、無慈悲な声が降りそそぐ。

「ならば、答えよ。答えられぬなら、そなたらも同罪だ」

 その瞬間、居並ぶ妃たちの間に無言の緊張が走った。あまりの恐怖にそうはくとなり、伏せたままぶるぶる震えている下級妃も少なくない。

 ──私が不用意なことをしてしまったせいで、こんなにも迷惑を掛けてしまうなんて。皆が助けようとしてくれているのは本当に嬉しいけれど、こんなことなら潔く一人で処刑された方がいい……!

 そう覚悟を決めたファリンが、すっと息を吸い込んだ、その時。

「理由は……恐れながら、こちらを御高覧たまわりたく存じます」

 マハスティが差し出した物をそっと横目で確認すると、目に入ってきたのは一辺をしっかりと糸でつづった、手作りの紙の束だった。各ページがたわんでフワフワになっているのは、何度も回し読みされたからだろう。ファリンはそれを見た瞬間、弾かれたように身を起こすと、無礼を承知で声を張り上げた。

「お待ちください! 私はどうなっても構いません。だからそれだけはっ……!」

 するとマハスティは顔をこちらに向けて、有無を言わせぬひとみでそっと首を横に振る。それ以上何も言えなくなったファリンが再び平伏していると、陛下のす方からパラパラと紙をめくる音が聞こえた。

 ──まさか、よりにもよってを、陛下ご本人に見られてしまうなんて!

「これは、一体何だ」

 しばらくして手を止めると、皇帝はいぶかしげな顔でこうべを垂れる第二妃の方を見た。

「それは、アーファリーンが記した『空想の物語』でございます。わたくしはそれらの『物語』に、より現実味ある描写を求め……物語の舞台となる内廷や外廷の様子をつぶさに観察してこられるよう、定期的に手引きをして参りました。全ては、このわたくしマハスティの指示によるものでございます」

「この『物語』とやら……主人公である内小姓の男は、名は違うがサイードのようだな。そしてこちらの『陛下』なる人物は、容姿も、言動も、まるで余そのものではないか」

「偉大なる皇帝陛下、仰せの通りにございます……」

 ──ああ、とうとう陛下ご本人に知られてしまった。妃である私が後宮を抜け出してまで内廷をうろついていた理由が、お二方をモデルにした『暴君皇帝陛下×堅物忠犬小姓』な衆道BL小説を書くためだったなんて……!

 心底申し訳ないやら恥ずかしいやらの感情でぐちゃぐちゃになりながら、ファリンは床に額をこすりつけるようにして平伏し続けた。

 ──もう本当に、いっそ死んだ方がマシだ。でもせめて、庇ってくれた皆だけは!

「いっ、偉大なる皇帝陛下に申し上げます! これは全て、実際に『物語』を書いた私めの罪にございます。だからどうか、罰はこの私一人だけに……!」

 だが、ファリンの決死の言葉は楽しげな笑い声でさえぎられた。

「ククッ……、ハッハッハ!!」

 文字通り腹を抱えて笑い出したのは、当の皇帝陛下である。

「ハハッ、なんと、なかなかよく書けておるではないか! いにしえの王には小姓をちようあいした者も少なくないとは聞くが……そなたらはそういった話が好きなのか? ふうん」

 皇帝はその端整な顔をニヤリと不敵にゆがめると……傍らにひかえるサイードの方へとわずかにあごを上げ、流し目を送った。

「サイード、愛しているぞ」

「は、はあ……光栄です……」

 ニヤニヤと笑う主の様子に顔を引きつらせ、それでも忠臣は辛うじて笑みを返す。その様子をしばしあつにとられたように眺めていた妃たちだったが、すぐに我に返って臨界点を迎えた。キャーッという黄色い歓声が上がると共に、バタバタと卒倒する音が広間に響く。推しが尊すぎて死んだのだろう。

「ハハッ、これでは罰を与える気もせるというものよ。この『物語』の存在が、不自由な身であるそなたらのいくばくかの慰めとなるならば……まあ、続けることを許そう」

「では、今回の件は!」

「とはいえ、後宮を抜け出た事実を不問とするわけにはゆかぬ」

「そんな……」

 希望から一転したマハスティの悲痛な声に、妃たちの間に再び緊張が走る。

 だがその様子を目にした皇帝は、いつものれつかつ冷徹な印象からはごく珍しい、微苦笑を浮かべて言った。

「そう心配せずとも、そなたらに免じて極刑にはするまい。第十六妃アーファリーンには、改めての精査ののち別途沙汰を言い渡すとしよう」


   ◇ ◇ ◇


 例の騒動から二日が過ぎた夜、内廷の奥にある皇帝の私室にて。サイードは食後のひとときを過ごす主に向かって膝をつき、報告を始めた。

「陛下、先日のアーファリーン妃の証言について、全て真という裏づけが取れました」

「ああ、くくっ、そうか、真実まことであったか」

 サイードの言葉を聞くなり、あるじは茶器を持ったまま肩を震わせた。その揺れる水面みなもへ、次いで我慢しきれず頰をけいれんさせている主へ視線を移し、サイードは思わず目を見張る。

「陛下が声を上げて笑われるところ、そういえば初めて拝見したように思います」

「そういう其方そなたこそ、いつものしかめつらはどこへやったのだ」

 どうやら自分の方も、今にも笑い出しそうな顔をしていたらしい。サイードは一つせきばらいしてみたが、いつもの緊張感はそう簡単に戻ってきてはくれなかった。

「まさに後宮に蔓延はびこる呪いの噂への対処を検討していたところに、いかにも不審な妃が現れたのです。どこの部族の手の者か、機密はどこまで漏れたのかと、こちらは極限まで張り詰めた状態でしたからね」

 後宮ができて少し経ったぐらいの頃からだろうか。大小さまざまな事故や不幸が起こるたび、皇帝に処刑された者の恨みだとか、正妃の座を狙う妃同士のじゆだとかの噂が立つようになった。その噂はやがて後宮の外にまで及び、皇帝に恨みを持つ者や、ただ面白がった者たちの手によって、さらに誇張、拡散され続けているらしい。

 後宮は元より噂好きが多いとはいえ、さすがに悪評を広めるための工作が行われているのではないか──そう考えて、本格的な調査を決めた矢先のことだった。

「ああ。そこで意表を突いて見せられたのが、例のあの情熱的な『物語』ではな」

 人は緊張からかんへの差分が大きいと、思わず笑ってしまうのだという。ねんされた背景とは正反対の、平和極まりない陰謀──あんな真相を突きつけられて、失笑せずにいられる者はいるだろうか。主従はしばし無言で笑いをかみ殺していたが、ようやく我に返ったサイードは小さなからせきのどを整えてから、話題を変えた。

「さて、かのアーファリーン妃の裁定を行う前に、ひとつ提案がございます。先日検討しておりました、呪いの噂に関する調査を行うために後宮内部に協力者を作る件、アーファリーン妃を使ってみては如何いかがでしょう」

「ほう」という軽いが感嘆のこもったあいづちを受けて、サイードは説明を続けた。

「調査の結果、かの第十六妃は『物語』の制作を通じ、妃の派閥を超えた交友関係を築いていると確認できました。またあれほどの狂信めいた妄想を抱えている者が、同時にはんを隠し持っているとは考えがたいでしょう。しかもあの度胸、まさに密偵向きかと」

「そうだな、確かに、密偵は得意技だろう」

 再び低く思い出し笑いを始めた主は、よほどツボに入ってしまったのだろうか。だがサイードはそれをうれしく思うと共に、少しだけあんしていた。主は内務に外務に絶え間なく届く懸案に頭を悩ませては、四方八方へと神経をすり減らす日々を送っている。たまにはこんな平和な話題でけんのシワがゆるむのも、悪いことではない。

「ではあと七日ほど謹慎させたのち、正式に令を下します」

 まだ笑っている主から了承の言葉を得て、サイードは自らも無意識のうちに口角が上がっていることに気がついた。これから調査に協力してもらうとなれば、しばらくは主との話題に事欠かないだろう。もちろん、呪いの噂など、一刻も早く解決するに越したことはないのだが。

 主の前を辞したサイードは、すぐさま第二妃を通じてファリンの謹慎継続を通達した。そして七日の間、猛然とまった業務を片付けつつ──彼女が次は一体どんな面白い話題を提供してくれるのかと、少しだけ楽しみにするのだった。

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