吹奏楽部のほだかくん 2

 学校の授業を受けて、放課後になる。

 私には塾があるんだけど、始まるまで時間があるし、そんなすぐに行きたいとは思わない。ぼんやりと中庭を歩いていた。

 もうとっくに、学校は授業モードから部活モードに切り替わっていた。中等部の校庭からはサッカー部や野球部、陸上部の子たちが大きなかけ声を上げているし、体育館の開いた窓からは、バスケ部の子たちがボールを床につく音が聞こえてくる。

 そのとき……

 私は、中庭を歩くあいちゃんを見つけた。三つ編みをぴょこぴょこゆらして、中等部の校舎のほうに向かっている。

 あいちゃんは放課後児童クラブに通っていて、ほだかくんが部活を終える時間に合わせて帰っている。あの子がまだ学校にいるのは、別におかしいわけじゃないけど。

 中等部の校舎に何の用だろう? 私はそっと、あいちゃんをつけてみた。

 音楽室がある1階のろうかでは、吹奏楽部の子たちが個別練習をしている。もちろん、ほだかくんもいて、トランペットの調整をしていた。

 初等部からの小さい訪問客を、吹奏楽部の子たちは追い返そうとはしない。むしろ、

「よっ、また兄のところに用事?」

「また来たんだ。音楽ほんとに好きなんだねー」

「いくらでも聞いていっていいよ」

 そんな言葉をかけて、あいちゃんを歓迎していた。そのたびに、あいちゃんは「ありがとー」と返している。

 私は柱のかげからその様子を見ていて、あいちゃんの背中しか見えない。でも、きっとうれしそうに笑っているんだろうな。

 そうこうしているうちに、あいちゃんはほだかくんのところに着いた。パイプいすに腰かけたほだかくんは、マウスピースから口をはなして、「よく来たな」とあいちゃんを迎える。 

ほだかくんのそばにはもうひとついすがあった。あいちゃんは、そこに座る。

「じゃ、やるよ」

 ほだかくんは、トランペットをかまえた。曲を奏でる。

 その様子を、私は柱のかげに隠れたまま見守っていた。

 ――部活中なのに……

 でも、ほだかくん、やさしいな。あんな風に妹にトランペットを聞かせてあげるなんて。

「……何? のぞき? ストーカーのマネ?」

 私の背後から女の人の声がした。

「ひゃ! も、桃山先輩?」

「ごめんびっくりさせちゃって」

「何ですか? 後ろからいきなり」

 桃山先輩は、フルートと楽譜スタンドを持っていた。背の高いこの人に近くから見下ろされると、本当に大人っぽい。

「こそこそ盗み見をやっているから、つい話しかけちゃった。どうしたのこんなところで?」

「あいちゃんを見かけたんです」

 こうしている間にも、ほだかくんの演奏は続いている。

「それでつけてきた、と」

「いいんですか、あんなことさせて。今は練習時間中ですよね」

「私が認めたから。鈴森くん、今年の入部第1号かつ経験者だからね。特権はあたえないと。田中先生もそうしてって言っているし」

「桃山先輩、年下に甘いんですね。きびしい先輩や顧問の先生なら、練習に集中しろ、部外者はあっち行けって、怒るところですよ」

「鈴森の妹ちゃんのあの顔を見て、そんな冷たいこと言える?」

 桃山先輩に言われて、私は再びふたりのほうを見つめる。あいちゃんはうっかりと、ほだかくんの演奏に聞き入っていた。心地よさそう。お母さんの子守歌を聞いているみたいだ。

「言えないですね」

「私だって、ふたりの様子を見ていたらいやされるし」

「ですよね。私もほっこりします」

「……でも七川さん、こんなところにいて大丈夫なの?」

 桃山先輩の話し方が、急に変わった。私のことを心配しているのかな?

「大丈夫ですよ。私、することもなくてぶらぶらしているだけで……」

「ちがう。こんな楽器の音がたくさん聞こえる場所にいて、平気なの? つらくならない?」

「あっ……」

 そうだった。

 私はフルートが好きだった。桃山先輩の前でも、何度も吹いたことがある。それなのに、フルートをやめた理由。本当は、お母さんにやめさせられたからなんだけど……

 桃山先輩には、音楽がきらいになったからと話した。フルートをやっていることが、りっかちゃんやお父さんの事故のきっかけになった。音を聞くだけでもつらい、と。

 嘘をついた。

 だって本当のことを話したら、桃山先輩はお母さんを悪者あつかいする。フルートを取り上げるなんて、ひどいって。でも、お母さんだって、ふたりがいなくなって悲しんだんだ。それなのに悪者あつかいされるなんて、私にはいやだ。

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