入学式前日 2

 私はリビングに入った。テーブルには書類がならんでいて、お母さんはそれらを前に座っていた。

「どうして制服? 入学式は明日だけど」

「りっかちゃんに制服見せたかったの」

「そう、とにかく座って」

 ちょっと緊張する。

 何を言われるんだろうと思いながらも、私はお母さんの前のいすに座った。

「これが、学校に提出する調査票ね。忘れないように」

 お母さんが、書類をわたしてくる。

「うん」

 でも、書類はまだある。

「あと、これは塾の案内。もう申し込みはしているから、入学式の次の日、学校が終わったら行きなさい。お母さんは仕事でいっしょに行けないけど、寄り道しないように」

 お母さんは、また書類を渡してくる。

 学校の近くにある塾。

「塾、行かないとだめ?」

「いい高校に入るためには、今からがんばらないと。1年生だからって遊んでばかりだと、あっという間に受験になるわよ」

 なんか、教育ママみたい。前のお母さんはこうじゃなかった。もっと優しくて、うるさく勉強するように言ってきたりはしなかったのに。

 事故があってから、お母さんは変わってしまった。でも……

「あの」

 私は勇気を出した。

「ん、何?」

「私、中学に入ったらしたいことがあるの」

「したいことって何?」

「またフルート、したいの。中学には吹奏楽部があって……」

「だめよ」

 きっぱりと言ってのけた。

「もうフルートのことは忘れて」

「私にフルートをしてみないって言ったの、お母さんだよね。教室に通わせてくれたのも」

 私が小学生でフルートを始めたきっかけは、お母さんだ。私が生まれる前から趣味でフルートをやっていて、小さかった私にフルートをさわらせてくれた。音の出しかたを教えてくれたのもお母さん。私が初めて音を出せたときなんて、りっかちゃんといっしょに大喜びしてくれたのに。

「何回も言っているでしょう。音楽の話をするだけでもいやなのよ」

 そうだったね。

「ごめんなさい」

 事故があってから、お母さんは音楽がきらいになった。私はフルートの教室をやめさせられ、家にあった楽譜はすてられて、楽器にさわることもゆるされなくなった。

 お父さんとりっかちゃんの事故は、誕生日プレゼントのフルートを受け取りにいって起きた。私がフルートなんかやっているせいで、お父さんとりっかちゃんが亡くなったから。

 もちろん、誕生日プレゼントのフルートも処分された。事故でぼろぼろになった楽器ケース。それをお母さんが家の外に持っていくのを、私は見ることしかできなかった。

 代わりの11歳の誕生日プレゼントは、おしゃれなペンケースだ。

「あなたには塾があるから、部活どころじゃないわね」

 お母さんは、また別の書類を持った。中学の説明会のとき、学校の案内や提出書類といっしょに配られた部活の入部届だ。

「これはいらないわね」

 お母さんは、入部届をやぶった。紙のちぎれる音が冷たくひびく。

 やっぱり、あきらめるしかないんだ。

「……そう、だよね。私、塾でがんばる。いい成績とって、いい高校に行って、お母さんを安心させるから」

 私はなんとか、笑顔をうかべてみせる。

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