残念至極

三鹿ショート

残念至極

 恋人が出来たと彼女から聞かされたとき、私は己を責めた。

 彼女が私に対して好意を抱いているということは、その言動から察していたのだが、私は気が付いていない振りをしていた。

 何故なら、必死になって気を引こうとする彼女の姿に対して、愛らしさを感じていたからである。

 普段とは異なり、薄着の状態で顔を赤らめながら私のことを誘惑しようとしていた姿など、赤子や子犬などといった存在よりも、私を笑顔にさせた。

 何時の日か、彼女の好意を受け入れようとは考えていたが、それよりも眼前の姿を優先させていたことが、悪かったのだろう。

 好意を抱いているがそれを受け入れてくれることがない人間よりも、自分のことを心から愛してくれる人間の方が、己にとって良い存在であることは、明らかである。

 だからこそ、彼女は私ではない人間を恋人として選んだのだろう。

 自分が選択を誤ったということは、理解している。

 だが、今さらどうすることもできなかった。


***


 喪失感を埋めるかのように、私は多くの女性と関係を持った。

 しかし、いずれも一時的な快楽であるために、満たされることがない日々を過ごすことになっていた。

 そんな生活を送る中で、私は彼女に再会した。

 疲れたような表情を浮かべていたために話を聞いたところ、どうやら彼女の恋人は、彼女を愛してはくれているが、勤労意欲というものを持ち合わせていないらしい。

 ゆえに、彼女は昼夜を問わず、働いているということだった。

 その話を聞いた私は、好機ではないかと考えた。

 私は彼女の恋人とは異なり、馬車馬のように働いているために、彼女に苦労を感じさせることはない。

 それに加えて、彼女は好意を抱いていた私と共に、同じ時間を過ごすことができるようになる。

 つまり、誰にとっても、良い未来が訪れるということになるのだ。

 私はそのことを伝えようとしたが、彼女は苦笑を浮かべると、

「それでも、彼と共に過ごす時間に対しては、不満を抱いていません。彼は私のことを、心から愛してくれていますから」

 そのように告げた後、彼女はその場を後にした。

 その姿を見て、逃した魚の大きさを、改めて知ることとなった。

 だからこそ、彼女の恋人に対する黒い感情が、私の中で渦巻き始めたのだろう。


***


 彼女の恋人がこの世から姿を消せば、私が彼女を手に入れることができるのではないか。

 他者を殺めてまで手に入れるほどの価値が彼女に存在するのかと問われれば、私は迷うことなく頷く。

 かつて彼女が私に対して愛情を示してくれていたように、私もまた、彼女に心を奪われていたからだ。


***


 背の高い建物の屋上から彼女の恋人を突き落とし、地上へ向かうと、彼女の恋人が履いていた靴を手に入れ、屋上へと戻る。

 そして、私が作成した遺書の上に靴を置くことで、彼女の恋人が自らの意志で屋上から飛び降りたという状況を作り出した。

 この世を去ることになった理由は、恋人である彼女を働かせていることに罪悪感を覚え、自分が存在していなければ彼女が楽になるだろうと考えた結果だということにした。

 事情を知っている人間なら、怪しむこともないだろう。

 そして、傷心状態の彼女に優しくすれば、彼女はかつて抱いていた私に対する恋心を思い出し、私に身を委ねることとなるに違いない。

 考えただけで、私は笑いが止まらなくなってしまった。

 だが、そのような都合の良い未来が訪れることはなかった。

 私が思っていたよりも、彼女は恋人を愛していた。

 恋人の跡を追うかのように、彼女は歩廊から飛び出すと、やってきた電車に跳ね飛ばされる道を選んだのである。

 その話を聞いたとき、私は頭を抱えながら、叫んだ。

 周囲の人間がどのような視線を向けていようとも、気にすることができるような状態ではない。

 私は、間違ってばかりだった。

 素直に彼女の好意を受け入れていれば、今も彼女は私の隣で笑っていたことだろう。

 しかし、私が選択を誤ったばかりに、彼女は私以外の男性と愛し合うことになり、私は罪を犯すことになり、そして、彼女がこの世を去ることになってしまった。

 全ては、私が悪い。

 生きている限り、私は彼女のことを思い出し、同時に、後悔し続けることになる。

 そのような未来など、私は望んでいない。

 私は自宅に戻ると、台所に置いていた包丁を手にした。

 そして、それを自身の首に突き刺そうとしたが、私が痛みを感ずることはなかった。

 自身の幸福を優先させ、それによって愛する人間を失いながらも、この世を去ることに恐怖を抱く。

 これほどまでに愚かな人間など、他に存在していないだろう。

 それから私は、彼女に謝罪の言葉を吐き続けた。

 彼女の恋人に対しては、何の感情も抱いていないために、同じような言葉を口にすることはない。

 そもそも、名前も憶えていなかった。

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残念至極 三鹿ショート @mijikashort

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