第8話 「記憶を騙る悪夢」を見た

 夢を見た。

 それは、王宮にいた時の夢だった。


「おいおい、無能がいくら着飾ったところでスキルが使えるわけないだろ?」


 昼下がりの王宮の庭園にて。

 すれ違いざま、僕は兄のギートに突き飛ばされていた。


「うあっ!」


 突然のことに手をつくことも出来ず、思いきり転んでしまう。


「おっとっと、手が滑っちまった」


 相変わらずとろいな、と僕を笑うギート。

 その従者たちも、揃って僕のことを笑っていた。

 囲まれながらも立ち上がると、ギートは僕を見下げて唾を吐きかけた。


「ハハハッ、似合ってるぜマリウス!」


 その表情には嘲るような笑みが浮かんでいる。

 その言葉に何が面白いのか、従者たちは大笑いした。

 笑われ、貶され、唾をかけられ、ふつふつと怒りがわいてくる。


 でも、返す言葉がなかった。

 なぜなら僕は、ギートが言う通り泥まみれがお似合いな無能だからだ。


「………っ」


「おいおい、なんか言えよ。これじゃあ、まるで俺たちがいじめてるみたいになっちまうだろ?」


「――ギート様、おやめください」


 が、続けざまに煽り文句を垂らすギートを遮るように、声がした。

 凛と通る鈴のような声音。

 それは、僕の専属メイドであるラウラのものだった。


 眼鏡越しに輝く紺碧こんぺきの瞳は、ギートたちを射抜くように見据えている。

 気品に溢れた彼女の面構えに、僕は改めて息を呑む。


 僕はただ、彼女の横顔を眺める事しかできなかった。

 

 「本日、マリウス様には大事な儀式がございます。そんな日に大切なコートが汚れていては示しがつきません」


 僕がギートに何かされたら、すぐにラウラが駆けつけて諭しに来るのがお決まりだ。

 ――ラウラが言う、大切な日である今日もそうだった。

 

「マリウス様、大丈夫でしたか?」


「あ、あぁ。大丈夫だよ、ありがとう」


 駆けつけるなり差し出してくれた彼女の手を、握り返して立ち上がる。

 そんな僕を見て、ギートは薄ら笑いを浮かべながら言った。

 

「ハッ、情けねぇ。こんな貧弱な王子がいる時点で、示しなんてつかねえっての。――王家の恥晒しがよ」


「っ! そ、そんな事……」


「お言葉ですがギート様。マリウス様はそのようなお方ではありません」


「あ?」


 ギートが言うなり、僕よりも真っ先にラウラが反論する。


「マリウス様は必ず、儀式を成功されるお方です。……ギート様。今日だけはどうか、口答えしたご無礼をお許しください」

 

「はっ、さいですか。……まぁ。お前は期待に応えねぇとなぁ、マリウス?」


「っ!」


 ギートは視線を落とすなり、座り込んでいた僕を鋭く睨みつけた。

 思わず、目を逸らしてしまう。

 うつむく僕の頭上で、また笑い声が聞こえた。


「あ、そっかそっか! お前じゃムリか!」


「ギート様!」


 ギートがそう言い放った瞬間、僕の傍からラウラの声が響く。


「おー、怖い怖い。じゃ、俺ら行きますんで」


 が、ギートはまるで気にも留めていない様子だった。

 ギートが踵を返すなり、従者たちも次々と背を向け去っていった。


「待ちなさ……!」


「大丈夫だよ、ラウラ」


「ですが……!」


 怒りを露わにして立ち上がるラウラ。

 けれど僕はその手を引っ張り、不服そうな表情でこちらを見るラウラを宥めた。

 

「いいって。それよりラウラ。僕は……」


 僕は確かにギートの言う通り、スキルの一つも使えない貧弱な王子だ。

 だけど、そんな事を言いたい訳じゃない。


 僕もスキルさえ使えれば、ラウラへここまで迷惑を掛けることはないはずだから。

 どれだけ笑われようと、今日こそはみんなを見返してやる。

 そう言いたい。


 儀式の日を迎えてからずっと、ラウラにはそう伝えたかったんだ。

 が、そう言いかけた途端に口ごもって、僕はたまらず吹き出してしまった。


 あまりにも、恥ずかしくて。


「……? なにがおかしいのです?」


 怪訝に首を傾げるラウラへ微笑みながら、照れ隠しにコートについた泥をはたく。


「いや、ごめんごめん。ちょっと伝えたい事があってさ」


 そう言って、僕は軽く咳払いして。

 決意を込めて、言った。


「いつも庇ってくれてありがとう、ラウラ。――だけど。もうそんな必要がないように僕、立派な王子になってみせるよ」


「…………!」


 瞬間、ラウラの瞳から涙がこぼれた。


「えぇっ!? ご、ごめん! そんなに信用できないくらい情けなかった!?」


 そんなラウラは端麗な顔を手で覆いながら、嗚咽おえつ混じりに首を左右へ振っていた。


「そうじゃありません……っ。マリウス様がぁ……いつの間にかここまで立派にぃ……ひぐっ」


「そ……そうなの!? 嬉しいけど落ち着いて!?」


「はいぃ……」


 涙でぐちゃぐちゃになったラウラなんて、初めて見たかもしれない。

 そう思いながら、僕はコートの袖を差し出す。


「そんなラウラに、今日一番の大仕事。……このコート、スキルの水魔法で洗ってくれない?」


「――喜んで!」


「ありがとう! ……じゃあ、よろしく」


「承知しました! では――水の精霊オンディーヌよ! その名にいて、揺蕩たゆたう水のごとき、清流の加護をここに与え賜え!」


 詠唱と共にラウラがコートへ手をかざすと、青い光と共に水流が顕現けんげんする。

 術者の掌から放出されたそれは、螺旋を描きながら純白のコートを這う。


 すると、コートに染み着いた泥汚れはあっという間に洗い流されていた。

 着用中のコートを洗浄しても、僕が濡れる事は一切ないのがこの“スキル“の不思議な所だ。


 改めて、目の前でスキルを体感させられて思う。

 “僕だって、スキルが使えたらいいのに”と。

 みんなが落ちこぼれの僕を笑う中、ラウラだけは僕の傍に居てくれたから。


 ――ここで役に立てるようにならなきゃ、それこそ


 だから僕はそう意気込んで、今も広場で待っているであろう父上のもとへ向かった。


 広場に続く庭園は、父上が園芸を趣味としていた事もあって、念入りに手入れされていた。


噴水の音やコツコツと響くタイルの足音、子鳥のさえずりが聞こえるほどに静かで、澄んだ空気が心地いい。


 通路の脇に植えられた生垣や木々を揺らすそよ風は、僕の頬も撫でるようにして吹き抜けていく。


 しばらく歩いてバラのアーチを何度かくぐると、メイドたちとすれ違った。

 慌ただしくティーカップやポットを運ぶ様子を見るに、みんな来賓の方々へ淹れるお茶の準備をしているのだろう。

 

「ご苦労さま」


 思わず労りの言葉をかけてしまうが、すぐに後悔した。


「あぁ! ………いえ、どうも」


 一瞬でも嬉しそうにしたメイドだったが、声の主が僕だと分かるなり睨まれたから。

 やっぱりそうだよな。


 そんなスキルの一つも使えない僕は、決まってこんな扱いだった。

 それからも、庭園中の人たちから同じような目を向けられた。


 僕の背丈では梯子を借りても決して届かないであろう高い生垣を手入れする使用人も、花の手入れをするメイドからも。


 みんな忙しいはずなのに、目の前を通るたびに睨まれた。

 歳を重ねればじきに理解できるもの、か。


「そうだね、オーエス。スキル次第で人生が大きく変わるってこと、嫌というほど知ったよ」 


 いつかの友達の言葉を噛みしめるように、僕はつぶやいた。

 その時の僕は、こぼれそうな涙をこらえるのに必死だった。

 それでも僕は、頑張って儀式を完遂してみせた。


 でも、それがどんな儀式だったかは覚えていない。


 ただ、そんな夢を見ただけだ。

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