2.

 ——Mutabilisムタビリス。それが今日、私が戦う相手の名前だ。

 リングの上で対峙するその姿は、まさに人間そのものだった。私と何も違わない。二本の腕、二本の足、二つの青い目に白い肌。ブロンドのような髪の毛は会場の照明に反射し、キラキラと輝く。背格好は……大体、私と同じくらい。女性型だ。

 彼女がサイボーグではないという証明は、既に行われている。

 正真正銘、あらゆる部位が機械化され、一切の生体パーツを持たない——機械だ。

 しかしその立ち居振る舞いに、一切の違和感はなかった。

 私にはそれが人間に、あるいはサイボーグに見えた。

 ——全ての準備が終わり、レフェリーが私とムタビリスの間に立つ。いよいよ戦いが始まる。

 いや……冷静になれ。

 これくらい「人間らしい」振る舞いをするヒューマノイドなんて、珍しくないではないか。存在しなかったわけじゃない。作られなくなっただけだ。

 人間がいるのに、機械が人間をそっくりそのまま真似する必要がないと判断された。機械は機械らしい身体を持ち、人間を補助するだけでよいと、そうなっただけなのだ。

 だからいつも通りに戦えば良い。

 いや——負けなければいい、それだけだ。

「フヨウ、今回の戦いは人間派にとって、思想の楔になるかも知れない」

 今回の興業を受けた社長の言葉を私は思い出す。

 私は人間派だとか、機械派だとか、そんなのはどうでもいい。

 戦って金になるからやる。それだけだ。

「いつも通りだよ、フヨウ!」

 リング外からイゼッタの檄が飛ぶ。

 円形のリングは、周りを鉄柵で囲われている。さらにそのリング全体から客席を隔絶するように、全体は目の細かい金網で覆われている。これは機械部品が飛び散った際の安全策のひとつだ。

 レフェリーやセコンドはリングの外側に待機し、リングの上はあらゆるところに仕込まれたカメラとセンサーで、全球を完全な形でモニタリングされている。

 試合が始まれば、リングの中にいるのは私と、彼女だけ。

 どちらかが壊れるまで。どちらかが立ち上がれなくなるまで。どちらかが音をあげるまで、戦う、戦う、戦う——。

 レフェリーが私とムタビリスの目を隠すように両腕を広げる。

 間もなく——

 間もなく——

Bataliバゥタァーリ!」

 レフェリーの合図と共に、ゴングが鳴った。

 そしてレフェリーがリングから掃けたと同時——目の前に拳が現れた。

 それはあまりに速く、重い。

 私は寸でのところで、バックステップでそれをかわした。

 踏み込みは甘い。ムタビリスは深追いせずに私から距離を取る。

 ——彼女の厄介なところは、戦闘スタイルが分からない点だ。今回が初お披露目の機械であり、事前研究がない。「あらゆる格闘技を学習した」という喧伝はあり、この興業の宣伝を兼ねたデモンストレーションではキックボクシングのスタイルだったように思う。

 私の格闘技のベースはカポエイラから始まっているが、壊すが勝ちのこの格闘賭博では、結局バーリトゥードのスタイルである。

 なんでもあり。結局はこれに尽きる。

 相手のスタイルが分からない以上は様子見——と行きたいところだが、悠長には構えられないだろう。

 今度は私が仕掛ける。

 私は彼女が距離を取り、身体のバランスを取ったその瞬間、低い姿勢で飛ぶようにタックルをした。

 彼女の腹に私の肩が食い込み、ドンと床に倒れる。彼女の身体が軽いことは、事前の身体測定で知っていた。生体が無いとは言え、サイボーグ技術がふんだんに使われているのだろう。

 私はそのまま彼女に馬乗りになり膝で肩を押さえ、顔面に拳を入れる。一発、二発、左右からゆらすように殴る。目潰しは禁止されているが、サイボーグなら頭部への攻撃は有効だ。機械ならどうだ? 私はそれを確かめるように拳を叩き込む。人工皮膚を殴るぬたぬたとした気持ち悪さ。その奥にあるカーボンの強化骨格がミシミシと音を立てているのが分かる。何かしらのセンサー不良でも起こしてくれれば重畳だが——

 ——機械だからといって、黙って殴られつづけるわけは、もちろんない。彼女は軽い身体を、蛇がのたうつように大きく身体をひねった。その力は想像より強く、私は一瞬膝を上げてしまう。

 その僅かな隙をついて、彼女の腕が抜けた。

 ——まずい。

 彼女は自由になった腕を振り上げ、馬乗りになっていた私の脇腹に、ためらうこと無く手刀を刺した。

 彼女の手が私の中まで食い込む。

 電気系統のコードが一本やられたらしい、少しだけ脳がチカチカとする。

 痛みは無い。ほとんどのサイボーグには触覚に防壁があるからだ。強い痛みを遮断するようになっている。

 機械との大きな違いはここだろう。私たちサイボーグは「神経伝達」を再現した仕組みで動いている。その結果、脳髄をそのままに身体を機械にして動かすことができる。

 機械はサイボーグ技術を取り入れているとしても、神経伝達のシミュレーションなんていう無駄なことはしていない。痛みは感じず、不具合が起きれば内部でエラーアラートを感知しているだけのはずだ。

 私はこれ以上の手刀は致命傷になりかねないと、急ぎ、彼女から目を離さず、距離を取ろうとしたが——

 風切り音と共に、顎に衝撃が走った。

 ふと見やると、彼女が姿勢を低くし、胴体でリーチを伸ばすように私の顔を蹴り上げたのだ。

 ——躰道たいどうの蹴り上げ!

 油断してよろめいた私に、続けざまに彼女の蹴りが入る。

 躰道は隙が少なく、視界から消えたと思った瞬間に蹴りが入る。

 ……しかし、これは完全な躰道ではない。だ。

 おそらく彼女には「スタイル」がないのだ。

 その場その場で最適な身体の動かし方を選択しているだけ。

 私を追いかけ、私を叩き、私が最も壊れやすい方法を選んでいるだけだ。

 ——機械がムタビリス

 私は彼女の蹴り上げを見切り、前屈でかがみ込んだ。そして前屈でた力を利用し、一気に回転して蹴り上げる——コンパッソ。カポエイラの蹴り技だ。

 彼女の胸元に当たった蹴りは、その身体が浮き上がらせる。

 そして体勢を戻そうとした私と、飛び上がった彼女の目が合った。

 ——それは、やはり何かセンサーが壊れでもしたのだろうか。

 彼女が不適に笑ったように見えた——。

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