蒼原のハフムード

沙崎あやし

【一】味方殺しのハフムード

 ——初夏、北方高原。


 蒼い草生い茂る高原に、二つの軍勢が睨み合っている。一方は赤の軍勢。他方は青。両陣営とも、騎馬を中心とした軍揃えである。相手の姿が米粒ぐらいの大きさに見える距離だが、いざ騎馬が疾走すればあっという間に戦戈が交わるだろう。


 合わせて万を超える軍勢同士の衝突。一体何人の戦士たちが死ぬのか……いやだね戦争は。人の命が限りなくデフレする。やっぱり平和が一番だ。その為にボクは頑張ってきたのだ。この戦いに勝てば、この地方で長らく続いていた争いも終わる。


 だがしかし、そうは言っても壮観だね。ボクは青の軍勢の先陣にいる。といっても戦う担当では無い。残念ながら腕っ節はあまり宜しく無い。ボクは青の軍勢に雇われた商人の一人、輜重担当ってやつだ。これでも青の軍勢、首脳部の一人なのだ、えっへん。本来は前線に出る必要はないけど、前線視察という責務を果たしつつ、興味本位で大戦場の空気ってヤツを感じて見たかったのだ。


 西方から来た行商人から買った単眼鏡で、赤の軍勢を見る。赤く染められた軍旗が翻り、騎馬の馬具も深紅に染め上げられている。よくもまあ、ここまで見事に統一したものだ。こちら側、青の軍勢側は、中心となる部族の騎馬は青で統一されているが、他は結構バラバラである。


 「やはり一色で統一された軍勢は良いな。勢いがある」


 かぽかぽと、白馬に乗った少女が身を寄せてくる。綺麗に蒼く染め上げた薄手の民族衣が美しい。名はカーシュガリー。この青の軍勢、クリルタイ連合軍を纏め上げたアルタイ族の新族長だ。銀色の長髪が風に乗ってキラキラと輝く。一言言っていいかな? 美しい。銀色の鷹が人になったら、こんな様相になるのだろう。そう思われる美貌だ。


 いいね、その白い太股。細めでありつつ少し筋肉質なのが結構ボク好み。なんでこんなに肌が白いんだろうね? 馬と共に生きる生活、もっと日に焼けていてもいいと思うが。まあ白肌も褐色肌も好みだが。


 「触ったらその手を切り落とすか、それとも婿になるか。どちらかだぞハフムード」


 おっと、見透かされてしまった。危険危険。カーシュガリーはやると言ったら本気でやるからな。そこがチャームポイントでもあるんだけど。


 「側室さんで良ければ、いつでもウエルカムなんだけど?」

「うえるかむ? お前は時々ヘンな言葉を使うな。まあ族長がどこかの側妾では格好がつかん。そういうことだ」

「なるほど、残念だ。正室はもういるんでねー」


 では次の機会を待つことにしよう。話を元に戻す。ボクは再び単眼鏡で、赤の軍勢の方を見る。


 「カーシュ。なんで色を統一していると勢いがあるんだ?」

「名前を略すな。……そうだな、別に色である必要は無いんだが、何かで見た目で統一されていれば敵味方の判別がしやすい。『赤』以外は全部殺して良し! となっていた方が、彼奴ら乱暴者にとってはやりやすかろう?」

「ああ、なるほど」

「それと同族意識だな。志同じくする者たちの間に、一つ象徴となるものがあると結束が高まりやすいというのはあるな」


 ふむふむ、新撰組がだんだら模様の羽織を着ていたのと同じことかな? なるほどねー。そう考えると、粗暴で粗野、暴力の権化と言われる赤の軍勢の大将も、そう単純な脳筋ではないってことだな。


 単眼鏡のレンズの中に一人の騎馬武者が入る。赤の軍勢の前をゆっくりと闊歩している。一回り大きい赤毛馬に、これまた一回り大きい武者。双牙虎の皮で出来た鎧、顔に刻まれた十字傷が漢の素性を雄弁に語る。間違いない、ヤツが暴虐王。赤の軍勢、バダフシャンの頭領だ。


 暴虐王の漆黒の瞳が一瞬こちらを見た。様な気がした。この距離だ、気のせいだよね。まあ確かに、遊牧民の中にはえらい視力の良い人間がいるけどさ。


 「今こちらを見たぞ、ハフムード。どうやら相当恨まれているらしいな」


 愉快そうにカーシュガリーが肩を揺らす。そうでした、この人も遊牧民でした。


 「恨まれるなんてそんな。総勢十名の小商人に過ぎないよ、ボクは。今をときめく暴虐王様のお眼鏡に適うなんて、そんなまさか」

「暴虐王の右腕、オグズの軍勢を壊滅させた手並みは素晴らしかったぞ。あれが無ければ連合軍の結集も夢物語だったからな。褒めてつかわす」

「……なるほど、そうやってカーシュが喧伝して回ったせいか」


 ボクは口元をへの字に曲げる。繰り返し言うが、腕っ節には全く自信が無い。あんな凶暴そうな武人とタイマンになったら、一瞬初手で頓死すること間違いなしである。だからこそこそと裏方で暗躍していたのに……ああ、怖いからそんな眼で睨まないで。


 「さて、そろそろ頃合いだ。例の件を済ませようか」


 ボクは単眼鏡を背嚢に仕舞うと、背後の青の軍勢の中へと入っていく。ずらりと並んだ騎馬が左右に分かれる。いや、良い気分だ。もっともボクに対して道を空けたのではない。背後のカーシュガリーに対してだけどね。ボクに対する視線はとても冷たい。


 まあこれでも良くなった方だ。ちょっと前までは視線で人が殺せたら良いのに、という念がこもっていた。当時はまだアルタイ族々長の一人娘。しかもこの美貌。そこに現れた、虎の威を借りる狐の様な小商人にして、愛人。草原を駆ける戦士たちから好意を持って受け入れられるはずはない。


 でもね、ボクも一言いいたい。愛人呼ばわりはされてもいいんだけど、別に何もしていないからね? アルタイ族の男女関係っていうのはイマイチ理解していないんだけど、とりあえず何もしていない。まことに残念ながら。それなのに槍の距離から離れた位置を通りがかっただけで「ちっ」とか言うのは辞めて欲しい。そんなに刺したいの? 怖い。


 そんな視線に晒されながらしばらく歩いていくと、騎馬の群れが開けて大きな移動式住居の前に出た。青の軍勢の本陣である。周囲を伝令たちが忙しなく往来し、その中心には軍勢の指揮官となる者たち、すなわち各部族の族長やそれに類する者たちが集結している。


 そして。本陣の前には、手足に縄を打たれた漢たちが並べられていた。総勢十二名。大体が屈強な体躯をしているが、中にはまだ幼さが残る少年の様な奴もいる。


 「さて」


 ボクは指揮官たちを背に、殊更大きい声で語りかける。


 「お前たち、なんで捕らえられたのか。分かっているよな?」


 ぎりっと、そんな音がした。十二人の罪人たちは血走った眼でボクを睨み付ける。うへえ怖い。しかしカーシュガリーにはみっともないところは見られたくない。心の中で威勢を奮起させる。


 「連合軍に参加する条件として、ボクは告げた。糧食は我ら商人ギルドが責任を持って補充するので、略奪行為の一切を禁じると」


 罪人たちからは反応は無い。いいんだ、今となってはね。ボクは背後の指揮官たちへ言っているのだ。


 「しかしお前たちは近隣の村落で略奪をし、そして、そればかりか村民を殺害した。何か申し開きはあるか?」


 罪人たちは無言。代わりに、ぺっとボクの足元に対して唾を吐き捨てた。ボクはそれを冷ややかな視線で見つめる。いいんだよ、ボクのことを下に見たりするのはさ。前世でトラック運転手をしていた時は、そりゃあもう酷かったからね。慣れてるさ。


 でも。


 村民を、留守を守っていた女子供を殺したのは不味かった。腹の底が冷えるのを感じる。怒りも一線を越えると、熱くなることはない。人の心が静止し、冷えるのだ。


 「約定を違えた者は処刑する。異論はないですね?」


 これは背後の指揮官たちへの発言だ。罪人の中には自部族の者もいるだろう。しかし彼らは無言だった。一人、口を開きかけた者がいたが、カーシュガリーが冷然と馬首を返すと、開きかけた口を閉ざした。


 「お前がやるのか?」


 近くの戦士から剣を貰ったボクに対してカーシュガリーが問う。その真意は『お前で人の首が落とせるのか?』だ。いや、的確な判断で嬉しいね。ちゃんとボクのことを見ていてくれるなんて。その通り、ボクは商人であって戦士では無い。何度も言うようだけど、腕っ節に自信はまるで無い。剣で枝木を払ったりする程度は出来るけど、人の首を落とすのは初めてだ。


 「まあ大丈夫よ。落ちるまで頑張るから」


 ボクはそう言って、カーシュガリーに笑顔で返した。それを見た彼女は眉間に皺を寄せ、そして眼を伏せた。


 「さて、覚悟はいいかな?」


 ボクは冷えた心の赴くまま、剣を振りかざす。暴れる罪人を、数人の戦士が押さえつける。毛むくじゃらの首筋が眼前に露出する。ボクは無言で、手にしたものを振り下ろした。





 ——そして。


 のちに「アルマトイ会戦」と呼ばれるこの戦いの最初の戦死者として、十二人の首が晒されることになった。クリルタイ連合軍はこの時代にしては良く軍規が守られていたと後世において褒め称えられ、そしてボクは「味方殺しのハフムード」として名を残すことになる。


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