【第一章完】第12話 鳥の羽ばたき、デス畳のきらめき


 砂塵さじんが落ちつくにつれ、まず見えてきたのは、長方形のシルエットヽヽヽヽヽヽヽヽヽであった。


 ご存じの読者も多かろうと信ずるが、ゴリラという動物は長方形ではない……つまり、生き残ったのがデス畳であろうことを、サークルのメンバーは見てとった。


「イヤァァァ!」


 “愛・ゴリラ博士”の慟哭どうこくがひびく。

 リビングから見ている“わけ知り顔”たちもまた、くやしそうにうつむき、歯をくいしばった。


「待て……見ろ!」


 声をあげたのは、“カタブツ”である。

 衝撃波をもろに浴び、横たわってひたいから血を流しながらもデス畳のほうへとふるえる指を向ける。


 思えば、これまではデス畳に挟まれることで即座に被害者の肉や血が飛散していたが、どうも、今回はその様子が見られない。


 さらにもやが晴れてくると、一同は信じがたい光景を目にした。


 たしかに、たしかにシルエットとして浮かびあがっていたのはデス畳であった。


 そして、「挟まれれば死」を意味するその二枚の畳のあいだには、まちがいなく“ゴリラ”がいる。


 しかし、見よ。

 デス畳の面積では“ゴリラ”の巨体をまるごと挟むことはかなわず、“ゴリラ”の上半身のみにとどまっている。


 さらに驚くべきは、“ゴリラ”の屈強くっきょうなる上半身のかたちに沿って、モッコリと立体アートのごとく畳が盛りあがっていることである。

 いぐさに平たく圧殺あっさつされることへのその強靭きょうじんな抵抗は、さながら革命のため立ちあがる民衆のようでもあり、「容易よういに殺されはせぬ」という“ゴリラ”の力強き意志の発現でもあった。


 徐々に、いぐさに挟まれた“ゴリラ”的立体が、動きはじめる。

 一同はどよめいた。


「あれは、ドラミング……デス畳に挟まれてなお、ドラミングをしようとしているのではありませんか!?」

「さすが“ゴリラ”だぜ! 勝利のドラミングってわけだな!?」

「バーニー、お願い、あなたなら勝てる!」


 力をこめて、声援を送る面々。

 デス畳が人間であったならば、あるいはこの“ゴリラ”のたくましきあらがいに、「敵ながらあっぱれ」と手心を加えることもあったやもしれぬ。


 しかし、デス畳に人に近似きんじした心があるものかどうか……

 デス畳は、面倒をいとうような調子で、蚊の羽音はおとほどかすかにこうつぶやいた。


「……奥義、<エサは圧搾されるのみデス・ウルトラプレス>」


 あまりにかぼそい声量だったため、至近しきんの“ゴリラ”以外の者にはきこえなかったであろう。


 つぶやくやいなや、瞬間的にデス畳のからだが風船のごとくふくれあがる。

 両側からのデス畳の圧が急速に幾倍いくばいにも強まり、メキメキと、“ゴリラ”の筋肉が、骨が、悲鳴をあげる音がひびいた。


「やめろ、デス畳……!」


 たおれながら、血をぬぐいながら、“カタブツ”がかすむ視界でデス畳を制止しようとする。


 が、やはりデス畳に、軟弱なる人間ごときヽヽヽヽヽの制止をれる義務など、あろうはずがない――


 バグンッ


 無惨な音を立てて、“ゴリラ”はその血を肉をまき散らした。

 まさにドラミングの最中の、勇ましき“ゴリラ”の姿を、飛散した血がえがき出す。


「ウウウワァァァァァ!!」


 “びびり八段”が腰をぬかし、“愛・ゴリラ博士”の悲痛のさけびは、もはや言葉にならない。


 “ゴリラ”は腰から下だけがのこっており、その断面から血を噴出させていた。


 衝撃波の影響で、“愛・ゴリラ博士”はまともに立てぬのか、それでも彼のもとまでのたうつように這いずり、“ゴリラ”の太くたくましい足首へと腕をからませる。


「バーニーが、バーニーがいない世界なんて……」


 そうつぶやくと、“ゴリラ”の下半身ごと、デス畳にのみこまれた。


 バグンッ


 あまりにもあっけなく、ふたりはその命を散らした。


「“ゴリラ”が、あの“ゴリラ”までわれちまうなんて……もう、終わりだ。おれたちは、みんな死ぬんだ……」


 “びびり八段”はハラハラと涙をながした。

 “わけ知り顔”も、もはやわけ知り顔を保っていることができず、メガネだけをクイッとあげる。

 いつのまにやらこちらへもどってきていた“可憐”は、くちびるを噛んで、意識を失ってしまっている“お嬢さま”を胸に抱いた。


「に……げろ……いまうごける人たちだけで……」


 “カタブツ”が、声をしぼり出した。

 それに対して、“わけ知り顔”が一度口をひらくが、おのれの無力を噛みしめるように押し黙った。


 そのときだった。


 デス畳がギロリと周囲に視線をめぐらせ、またかすかにつぶやいたのである。


「……愚かな」


 今度は、ほかの者にも聞こえる声量であった。


「おまえ、しゃべれるのか……?」


 “カタブツ”の問う声に、しかしデス畳はなんの反応も示さない。


 ため息にもきこえる音をもらすと、デス畳は和室のただなかで、突然二枚の畳をその場で何度も開閉しはじめた。


 まるで、鳥が翼を羽ばたかせるのに似た動きである。


「まさか……っ!」


 そう驚愕の声をあげたのは、だれだったか。

 その「まさか」という推測そのままに、そう、デス畳はまさしく鳥のごとく浮きあがったのである。


 バサッ、バサッ、という音を立て、和室の窓から陽光ようこうかがやくそとへとデス畳は飛び去っていった。


「あいつ、飛べるのか……」


 絶望の吐息をもらすと、“わけ知り顔”が


「謎がとけました」


 とつぶやいた。


「実は、バスが、バスのエンジンがなにものかによって破壊されていたのです。巨大なワニに噛みちぎられたかのような跡があったことから、人間のしわざではないのでは、と懸念けねんしていたのですが、あの飛翔を見るにデス畳がバスを壊していた、ということでしょう……。つまりそれだけの知能があるということ。ここは陸の孤島ともいえる場所です。歩いてふもとまで行くには、おそらく5時間はかかります。それ以前に、デス畳が飛べるのであれば、われわれは……」


 言葉を切って、一同を見まわす。


「おそらく、もうこの別荘から生きて出ることは、できないでしょう……」


 そうきいた“カタブツ”は、張りつめていた気もちの糸が切れたのか、ふっと意識を失った。

 リビングにいるひとりひとりの肩へと、重い静寂がのしかかる。

 だれかがあえぐように呼吸をした。

 だれかが押し殺した声で泣いた。

 だが、だれからも、なぐさめのことばはあがらない。


<第一章 完>

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