第2話 モンスターが自分で名乗ることってあるんですか?


 話は、やや時間をさかのぼる。


 とある大学のサークルが、30名近い人数をぎゅうぎゅうに中型バスへ押しこめたまま3時間あまりの旅を終えると、ついたそこは人里はなれた山奥にあるとは思えぬほど、豪壮ごうそうたる洋館ようかんがそびえ立っていた。


 山の頂点の近くに立っているだけあって、道中ながめることのできた景色はおどろくほどよかった。

 空気が清浄せいじょうで、うるさいほどに鳴くセミの声が一同を歓待かんたいしているようにさえ思われる。


 そこへひとりの男がバスから降り立ち、つぶやいた。


「これは想像以上に立派な邸宅ていたくだな……」


 するとうしろから「オーホッホ!」という高笑いが追ってくる。


「“カタブツ”さま、この程度のお屋敷で立派だなんて……。ここは当家とうけが所有する別荘のなかで、下から数えたほうが早いぐらいのものでしてよ」


 男がそのことばにふりかえると、つぎに降りてきた女性が得意満面といった表情でほほえんだ。

 髪の両サイドについている、チョココロネのごとく渦を巻いている縦ロールが胸を張るのに連動してゆれる。


「さすがは“お嬢さま”だな。ぼくのような庶民からすると、こちらの別荘でもじゅうぶんすぎるほど立派だよ」


「ホホホ……でしたら“カタブツ”さま……わたくしのとっておきの別荘へ今度はふたりで……」


 “お嬢さま”がモジモジと、優雅なふくらみをもつスカートをゆらしながらつぶやく。


「わっ、ほんとだ! すごぉく立派! これなら30人ぐらい余裕で泊まれそうだねぇ」


 その声をかき消したのは、さらにうしろから降りてきたひとりの女性であった。

 濃く長い黒髪は、そのなよやかな背なかを彩るように広がり、強くあきらかな陽光をもとりこんでつやめく。


「“可憐かれん”さん」


「ねっ、“お嬢さま”。別荘どれぐらいもってるの?」


「そう言われてみると、かぞえたことがございませんわね……。わたくしのパパうえがその、商才がさほどございませんのに不動産の売り買いが好きなもので……。買ったり売ったりをくり返しておりますからしかとは申せませんが、平均すると10前後かと」


「うちなんか実家でさえ賃貸なのに、別荘でその数ってなんかもうすごすぎてよくわかんないねぇ。どうしてここになったの?」


「売れにくくなることから、当家とうけでは基本的に不便すぎるところの物件は買わないのですけれど、サークルのみなさまの『B級ホラーで殺人事件が起きるような山奥の小屋に泊まってみたい』というご要望におこたえして、なんとか数十年まえに購入したっきりになっていた物件をさがし出しましてよ! なんでもここは曰くつきの物件で、そのむかしにおそろしい事件があったとか……」


「ウウウワァァァァァ!! お、おどかさないくれよ……」


 話す3人のうしろを通りかかっていた“びびり八段”が腰をぬかしたあと、“お嬢さま”に口をとがらせた。

 とにかくなんにでも驚き、すぐに泣きわめく男であるため、ひどく抽象的な「おそろしい事件」という単語だけで想像をめぐらせたものと見える。

 尻もちをついたものだからズボンの尻が茶色くよごれていた。


 立ちあがってビクビクと周囲をうかがいながら洋館へ入っていく“びびり八段”を、一同がかけることばもなく見送っていると、“カタブツ”が突然張り切りはじめた。


「では、掃除からはじめねばいかんな! この人数だ、手分けして進めればすぐだろう」


「いえ“カタブツ”さま。そこはもうこのわたくしが、すでに業者の方にお願いをして万事ととのえておりますわ! みなさまは安心してゆるりとおすごしいただければ」


「あれ、でもここスマホの電波入らないんだね。まあでもそのほうがあやしい洋館って感じがするけど」


「えっ、生活インフラは最低限ととのえたという話でしたけれど……施工せこうもれでしょうか」


「まあ電波ぐらいなんとでもなる! デジタルデトックスということばもあるぐらいだし、こんな邸宅ていたくを貸してもらえるだけで、われわれは感謝こそすれど文句を言う筋合いなどない。ありがとう“お嬢さま”」


「ま、まあそんな“カタブツ”さまからそんなもったいないおことばをいただけるなんて……」


 “カタブツ”たちが話していると、ほかのメンバーはみな続々と荷物をもってバスから別荘へと移動していく。

 おおよそどの人物もほがらかで、和気あいあいということばがピタリと合う。

 が、先行して入ったある男たちが、


「おい、なんだよコレ!」


 と頓狂とんきょうな声をあげた。


 その声にサークルの面々がわらわらと集まると、とある部屋のまえで“調子のり”のグループがさけんでいる。

 その部屋は、引き戸によってかたく閉じられていた。

 引き戸には、草書そうしょで書かれた達筆の『瞑想の小部屋』という表札のようなものの上に、貼り紙がぺらりと1枚貼ってあり、そこにはこう書かれている……



  猛畳キケン

  この和室、入るべからず

  この静謐せいひつおかすべからず

  この安寧あんねい乱すべからず

  とこしえにたいらかならんことを



 それを見た“調子のり”はこうさけんだ。


「猛犬かっつーの! 猛畳ってなんだよ、タタミが犬みたいに噛みついてくるってのか? バカバカしい」


 ベリリとその貼り紙をはがす。

 かたわらにいた“ヤギ”と呼ばれる男が、その貼り紙を卒然そつぜんムシャムシャと食べてしまう。


「うーん、紙質も安っぽいね。89点」

「高得点じゃねーか。なんでもかんでも紙を食うんじゃないよ」

「こりゃ『猛ヤギキケン』に替えて“ヤギ”を入れておかねーとダメだな」

「ギャハハ」


 グループが一団となってさわぐので、“カタブツ”は制止をこころみる。


「おい、ここは“お嬢さま”のお屋敷だぞ! あまり勝手をするんじゃあない」


「おーおー毎度“カタブツ”はうるせーな。じゃあ中に猛畳がいたらあやまってやんよ」


 “調子のり”が言いながらガラリと乱暴に戸をあけた。


「ウウウワァァァァァ!!」


 突然“びびり八段”がさけんで腰をぬかし、「ひぃぃ」と泣いてうめいているが、中はなんの変哲もない和室である。

 四畳半しかなく、屋敷全体の面積からすると相当に狭い。


 とこもあるが、そこにはなにもかざられておらず、簡素なものである。

 建物全体に合わせているのであろう、天井はかなり高い。


 そとへ目を向けると、人の背丈以上の高さがあるし窓がある。

 障子しょうじもなく、またカーテンなどもなく窓はむき出しのままである。

 窓からは広々としたウッドデッキの一部と、山の木々しか見えず、なにかおかしなものが見えるわけでもない。


「やっぱなんもねーじゃーか」


 “調子のり”たち数人は、遠慮会釈えんりょえしゃくもなくズカズカと中へ入ってゆく。

 部屋には入らず、中をのぞきこんでいた“わけ知り顔”が、クイッとメガネをあげながら声をかける。


「な、中におふだとかは貼っていませんか? こういう一室が舞台になってるフィクションだとよく見かけるんですが」


「札ぁ? 札どころかマジでなんもねーぞ。タタミしかねー」


 部屋の中央に立ち、“調子のり”がぐるりと室内を見まわしながらこたえると、ふと、異変が生じた。


 それははじめ、どこから生じたものかわからぬ。

 が、やがて異変がこうじてくると、わかる者にはわかる程度に、ズズズと、なにやら整然と並んでいたはずの畳のいぐさが、流れるようにうごめきはじめたではないか。


 畳のうちの二枚は、やがてゆがんだいぐさで禍々まがまがしくもりあがった目を形成しはじめる。


「おい、“調子のり”……」


 呆然ぼうぜんと、ながめていたひとりが、なんと言っていいものか困惑げに“調子のり”が立つ畳を指さす。


 そのときであった――


「あ?」


 “調子のり”が振りかえった瞬間、


 バグンッ


 と大きな、むようなみこむような音を立て、右目が浮かびあがっていた畳と、そのとなりの左目が浮かびあがっていた畳との二枚が卒然そつぜん重なり、“調子のり”のからだをはさみ込んだ。


 まるで、巨大なサメに捕食ほしょくされでもしたような、一瞬のできごとであった。


「ウウウワァァァァァ!!」


 今度は“びびり八段”だけでなく、男も女もみな恐怖をみなぎらせてさけんだ。


 “調子のり”の血が、肉の破片が、飛び散ったからだ。

 二枚の畳は、こどもが親に注意されたあとでもあるかのように、何度も執拗しつようなほどに“調子のり”の肉体を咀嚼そしゃくする。

 その肉を、血を、いぐさへと染みこませてゆく。


 “調子のり”に近づこうと部屋に入っていた“ヤギ”もまた、突然の事態にかたまっているあいだに、このおそるべき畳のえじきとなった。


 ふたりの血が飛び、まざり合い、まるで畳が勝ち名乗りでもあげるように、ビシャリと壁に飛散ひさんした赤黒い血液がひとつの単語をえがき出す。


 そこにはこう書いてあった。


 「デス畳」と――


 だれもが恐怖におののくなか、どこからか生じた「タミ、タミ、タミ……」という耳をおかすぶきみなささやきだけが、この洋館にうすくひびきわたっている。

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