第68話 親と兄妹
メルカトール邸の前で馬車から降りると、ライゼル卿は他に寄る場所があるからと私を置いて何処かへ出かけていきました。
恐らく、マイシャの様子を見に行くのでしょう。
思う所はありますがライゼル卿がいない間はお父様達と素で話せますし、人の恋路にあれこれ干渉してもロクな事になりません。
門から出て行くオルカ家の馬車を見送った後、私は応接間へと通されました。
ソファに座っていたお父様とアーティ兄様は予想していた通り、やや暗い面持ちで。
お父様が人払いをして防音障壁を張ったのを確認した後、私は二人に深く頭を下げました。
「お父様、兄様……マイシャの事、本当に申し訳ありません」
「大体の事は新聞で把握している……お前が気に病む事はない。全てはあの子自身が招いた事だ」
「父上……マイシャはこれからどうなるでしょうか?」
「アドニス家からはまだ何の連絡もないが、良くて離縁か軟禁……最悪、始末される可能性もある……ライゼル殿の様子は?」
「公の場で身勝手に人を謗ったマイシャに対して、だいぶ失望しておいででした……それに公爵に暴れ馬と
「……そうか」
お父様は重いため息を付いた後、顔を上げて再び言葉を紡ぎました。
「アーティ、システィナ……お前達には悪いが、ライゼル殿がマイシャを求めないのであれば、私が他地方に家を買ってあの子と暮らそうと考えている」
「父上……!? わざわざ家を出て行かずとも、ここで共に暮らせばよろしいではありませんか!」
動揺の声を上げた兄様に、苦渋の表情を向けたお父様は苦々しく言葉を紡ぎます。
「アーティ、お前もそろそろ身を固めねばならん……私やお前が家を空けている間にマイシャが我が物顔で居座る家に来たいと思う者はいない。そしてスティが言った通り、
お父様の言う通り、どれだけ美しくとも抱えているだけで公爵に睨まれる恐れがある娘を囲ってくれる者など、このウェスト地方にはいないでしょう。
「それなら、修道院に……」
「修道院に預けるには生活費の他に毎年多額の寄付を納めねばならん……それは将来間違いなくお前達の負担になるだろう。マイシャの気性を考えると大きなトラブルも起こしかねんし……」
私も兄様も、お父様の懸念を否定する事は出来ませんでした。
最も慎むべき生誕祭のパーティーでやらかした人間が修道院でやらかさないとは到底言い切れません。
修道院でもお姫様の如く振る舞い、周りの顰蹙を買う姿が目に見えます。
「それに公爵が謗った娘なら虐げても良いだろう、とマイシャをいたぶる者がいないとも限らん……それらを考えると修道院という選択肢はない」
ルヴィス公爵がマイシャを罵ったのは、マイシャがラリマー公爵家の生誕パーティーで自分勝手に騒いだ挙句に愛娘の感性も否定したからです。
マイシャが悪いのに何故その場にいなかったお父様がマイシャの責を負わねばならないのでしょう?
私が何を言いたいのか、お父様は察したのでしょう。優しい苦笑に胸がきゅっと締め付けられます。
「システィナ……親は、子の不始末の責任を取らねばならん。あの子に大切な事を何も教えてやれなかった責任もある。何より、今後あの子が人に蔑まれながら暗い日々を過ごす事になると思うと、気がかりでとても商売に打ち込めそうにない」
後妻にもなれず、修道院にも行かせられない――誰かに虐げられるマイシャを見殺しにするよりは、自分の手が届く範囲で見守りたい。
私達に迷惑かけないように自分一人でマイシャを背負おうとするお父様の気持ちは分かりますが、このままでは共倒れになってしまいそうで。
「お父様……確かに他地方であれば公爵からの罵倒の影響は薄まるでしょうが、今のマイシャを連れて他地方で一からやり直すのは、相当困難かと……」
「……あの子は今回の件で痛い目を見た。流石にこれだけの大事になれば反省もしているだろう」
考えを改めてもらえないかとやんわり紡いだ言葉に快い言葉は返って来ず。
お父様の言う通り、マイシャが少しでも反省して心を入れ替えてくれればまだ望みはあるでしょう。
ですが、あの時の様子を思い返すとその望みは薄い気がします。
「システィナ……私はお前が傷ついている時、何の力にもなってやれなかった事を今でも後悔している。もう娘を失いたくないのだ。どんなに救われない娘だったとしても、あの子はお前達と同じ、私とマデリンの大切な娘なのだ」
誘拐されて価値を失った私以上に選択肢が無いマイシャを、自分の人生を犠牲にしてでも救ってやりたいと思うお父様。
その気持ちの中に『もう娘を失いたくない』というトラウマがあるなら、それを植え付けてしまった私に物申す権利などあるはずがなく。
でも、お父様はこれまでずっとスミを消す薬を探したり、ティブロン村の援助を続けてくれたり――私はそれらに大いに助けられてきました。
その反面、お父様が諦めてきた事や我慢してきた事は山ほどあるはずです。
私はマイシャともう関わりたくありません。血を分けた妹と言えど、これまでされた事を思い返すと、手を差し伸べて助ける気には到底なれません。
ですがお父様には多大な恩と情があります。そして、お父様とマイシャの相性が悪い事も分かっています。
(お父様が決めた事だから)と見殺しにするのはあまりにも心が痛みます。
兄様も私と同じ気持ちなのでしょう。
何をどう言えば止められるだろうか――そんな表情でお父様を見る兄様に、お父様は苦笑を返しました。
「心配するな、これ以上お前達に迷惑をかけるつもりはない。他地方にも商人仲間がいるから、そちらを頼って細々とやって……」
お父様が話している最中に、ノック音が響きました。
お父様が防音障壁を解いて入るように促すと、年配のメイドが困った表情で恐る恐る入って来ます。
「あ、アドニス伯……いえ、コンラッド様がおいでてす……」
メイドの言葉は、応接間の空気を凍らせました。
「……マイシャは?」
「おっ……お一人で、来られたようです……」
「…………用件は?」
「ス、ステラ様がいたら会わせて欲しいと……話したい事があるそうです……」
この状況でマイシャを家に置き去りにして、私に会いに来たコンラッド様――お父様も兄様も今にも辛辣な言葉を吐き付けそうな程冷たい怒りを感じます。
私自身、自分の表情が凍り付いているのが分かります。
「どっ、どど、どうしましょうか……?」
メイドが気の毒になるくらい口を震わせています。
彼女は何も悪くないのですが、この表情を溶かすには少し時間が必要です。本当に、メイドが気の毒です。
「丁度いい……この家を出て行く前に彼を一殴りしていきたいと思っていたところだ」
「パーシヴァル様、落ち着いてください……殴ってしまえばメルカトール家の名誉に関わります」
スッと立ち上がったお父様を慌てて止めると、兄様もゆっくりと立ち上がり。
「スティ、父上は落ち着いているよ……落ち着いてなかったら一殴りじゃ済まない。私だって父上から家を任されていなければ可愛い妹達の人生を台無しにした彼を殴って蹴り飛ばしたいと思ってる」
「アーティ様も……ウェスト地方の貴族らしからぬ物言いはおやめください……どうか、賊に成り下がらないで」
お父様と兄様がコンラッド様に対して激しい怒りを抱いているのは分かるのです。
でも――かつて賊に殴られた記憶が僅かに体を震わせます。
お父様と兄様に、私を襲った賊と同じような事をしないでほしい。
その想いが伝わったのか、二人の顔が少しだけ和らぎ、再びソファに座ってくれました。
「……すまない、スティ。君はどうしたい?」
会うも、会わないも私次第。
(……事前の連絡もなく、一人で訪れるなんて、あの方は一体何を考えているのでしょう?)
どう考えても嫌な予感しかしません。
会いたくない。「いない」と言ってもらえばいいだけ。もう関わりたくない。
かつて愛した人の醜態を、これ以上見たくない。
(でも……今会わない事を選ぶのは「逃げ」でしかありません)
私はもう、誰からも逃げたくありません。それに、逃げたら追いかけてくる可能性もあります。
ティブロン村にまで追いかけて来られたらと思うと、ゾッとします。
それに――お父様や兄様が彼に激しい怒りを抱くように、私の心の奥底にも、色んな感情が渦巻いています。
かつて伝えたかった事。今、伝えたい事。
それらを全て押し込めてしまったままでいいのでしょうか?
色んな感情が、想いが静かに混ざり合って、出た結論は――
「私も……あの方とお話したいです」
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