第67話 麗しの女傑


 生誕祭から、数日後。私達はウェス・アドニスにいました。


 ウェス・アドニスはラリマー領の主都ウェス・セルパンティブロン村近くの都市ウェサ・クヴァレの中間にあるので、両都市を行き来する際は余程の理由が無い限り通る事になる場所です。

 

 生誕祭に向かう時にもお父様の厚意でメルカトール邸で一泊させてもらいました。

 3年前と変わらぬ街並みと館に懐かしさを、メイドや従者達には「システィナ様によく似ていらっしゃる」と驚かれて気まずさを感じ。


 そしてお父様と兄様と頂く食事の温かさが身に染みて。

 『帰りも是非一泊していって欲しい』とお父様に言われた時は、笑顔で応えたのですが――


(……私の口から、お父様達に伝えねばならないのは分かっているのですが)


 ここに来る前の街で買った新聞に、生誕祭のパーティーの事が書かれていました。


 パーティーでマイシャが私に言いがかりや難癖をつけるなど領主夫人らしからぬ失態を犯し、それを止められなかったコンラッド卿がその責を問われて爵位を剥奪、前アドニス伯が復帰する事になりそうだ、と。


 お父様も兄様も、私を責めはしないでしょう。ですが、私を満面の笑顔でも迎えてはくれないでしょう。

 私自身、二人に笑顔を向けられそうにありません。


「……マイシャ夫人の事が気にかかりますか?」


 馬車の窓の向こう、どんよりとした空を見上げる私の心情を察したのでしょう。

 向かい側に座るライゼル卿が問いかけてきました。


「ええ……パーシヴァル様やアーティ様の心労を思うと、胸が痛みます。こうなる前に何とか出来なかったのか、他にやり方があったのではないかと……」

「あれはもう、どうしようもなかったと思いますよ。私も……彼女があそこまで愚かだとは思わなかった」


 本当に。メルカトール家にいた頃はまだ自身の立場を弁えていたのに。

 アドニス家に嫁いで、甘やかされて、自分をお姫様だと思い込んでしまったのかもしれません。

 本当のお姫様の前ですら目を覚ませなかったあの子を思い出すのが、辛い。


「……ライゼル様は、これからどうなさるおつもりで?」


 話題を変えるとライゼル卿は持っていた新聞を畳み、天井を仰ぎました。


「さて、どうしましょうか……まあ貴方のお陰でこれから忙しくなりそうですし、しばらく失恋に落ち込む暇は無さそうですね」


 肩を竦めて明るい声で笑うライゼル卿の本心は読めませんが「マイシャ夫人」と「失恋」と言い切る辺り、もうマイシャの事は諦めがついているようです。


「しかし、貴方は本当に人が悪い。そんな宝石を持っていたなら教えてくだされば良かったのに」

「申し訳ありません。これはここぞという時に使いたかったので……」


 ライゼル卿の視線の先にある、私の耳を飾るイヤリングに触れながら、先日の事を思い返します。




 パーティーの翌日、レイチェル様との商談にはルヴィス公爵も同席していました。

 愛する娘が好むなら認めはするけれど、他にどんな気持ち悪い物を売りつけられるのか、内心心配だったのでしょう。


 そんな公爵に海真珠のイヤリングを見せると「このように美しい真珠は見た事ない!」と大層お喜びになり。

  

 美しく艶やかで、他で見た事がない、海を写したかのような真珠――の為に大切にとっておいた甲斐がありました。


 「自分も是非海真珠の装飾品が欲しい……これはラリマー家が認めた者にしか身に付けさせたくない」と言って頂けたお陰で、私は最高の成果を得る事が出来たのです。




「もし公爵やレイチェル様がお気に召さなければ、オルカ商会との専売契約に海真珠を入れるつもりでいたのですが……」

「……まあ、海真珠の独占対価がティブロン村の割譲かつじょうなんて、こちらがいくら金を積んでも成しえない事ですからね」


 ティブロン村をアクアオーラ領の管轄から、ラリマー領の管轄に移す――それはウェスト地方を統括するラリマー公爵家でなければできない事です。


「ですが、領境でもない、争いが起きた訳でもないのに民が割譲を願い出るなんて前代未聞ですよ……アクアオーラ領の中に一部だけラリマー領がある、というのもややこしいですし、重税分を帳消しにしてもらうだけでも良かったのでは?」

「帳消しにするだけでは今後、アクアオーラ侯爵家に良いように扱われてしまう可能性もありましたので……」


 ラリマー領の管轄に入ってしまえば、もうアクアオーラ領に税金を支払う必要はなくなります。

 それを逆恨みしてティブロン村に嫌がらせしようものならラリマー公爵家に敵対するという意思表示になります。


 下に厳しく、上に媚びへつらうアクアオーラ侯爵家は今後ティブロン村に手を出して来ないでしょう。


「アクアオーラ侯爵家の税の取り立てには私も手を焼いてますが、向こうも生かさず殺さずの線は弁えてますよ……良いように扱われたとしても、スミフラシと海真珠の価値はそれを補って余りある利益を村にもたらしたはず……大人しく従っていればこれまでより良い生活が出来たはずです」

「いいえ。監査役がつけば、村の雰囲気は変わってしまいます……そうなればどれだけ裕福になっても、これまで以下の生活が待っているでしょう」


 スミフラシのスミと村の人達は切っても切れない関係にあります。

 肌が青白く、手足も口も真っ青に染まっているティブロン村の民達が今後、絶対に差別されないとは言い切れません。


 お父様が見つけてくれたスミを消す薬は、今後万が一のトラブルが起きた時や、村から出たい子ども達の為に役に立つでしょう。

 ですがスミフラシと共に生きる人達はその青から逃れられない。


 いくら衣食住の質が上がろうとも、嫌な空気が流れているようでは駄目なのです。

 村人達が今まで通り穏やかに過ごせるようにする為には、ティブロン村の割譲が最適だったのです。


「……皆で一生懸命働いて稼いだお金を税として納めるなら、今まで通りの生活を約束してくれる、信頼できる方に納めたい。それだけの話です」

「なるほど……確かに差別意識というのは厄介ですからね。しかし、貴方は本当に無謀な事をする……まさに、神を恐れない麗しの女傑だ」


 くつくつと笑うライゼル卿の手元にある新聞には、私とスミフラシの事も書かれていました。


 かつてアドニスの花と唄われたシスティナ嬢の従姉妹。

 システィナ嬢に劣らぬ程麗しく、美しい淑女は勇ましくルヴィス公爵閣下に物申し、スミフラシという生き物のスミで染めた鮮やかな青のドレスをレイチェル様に認めさせたと。


 これを書いた記者がスミフラシの事を好意的に書いてくださっている事は感謝しないといけませんが――<公爵に堂々と対峙した、神を恐れない麗しの女傑>という見出しは流石に恐れ多く、気恥ずかしさもあります。


「貴方とはこれからも良いお付き合いをしていきたいと思っていますが……貴方の傍にいたら私は心臓が幾つあっても足りない」

「ふふ……私も、あんな大博打、何度も出来ません」


 パーティーだって、あんな状況になるなんて思っていませんでした。

 まずレイチェル様にお会いして、スミフラシのドレスに興味を持って頂いて、レイチェル様を頼って公爵閣下に海真珠を見せる予定だったのです。


 リュカさんが傍に居てくれたから――勇気をくれたから、あの状況でも真正面から向かい合う事が出来ただけ。

 もしあの場所で私一人だったら、乗り越えられたかどうか。


(リュカさん……今頃ローゾフィアにいるのでしょうか?)


 リュカさんが家族達とどんな話をするのか、本当に戻って来てくれるのか、不安がない訳ではありません。


 ですが、彼はどんな結論を出したとしても、絶対に私にそれを伝えようとしてくれる。

 ちゃんと私と向き合ってくれる。だから――


(……どうか、ご無事で)


 このどんよりとした空に願いを込めて、届くかどうか分かりませんが――今はただ、彼が無事である事を祈るばかりです。


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