第66話 再び絶望に落とされて(※コンラッド視点)
何故、こんな事になってしまったのだろう?
大広間から離れた後、私達に嘲笑を向ける貴族達を横切って足早に馬車へと戻る。
早々に戻ってきた私達に驚く御者に宿に戻るように伝えて、マイシャと共に馬車に乗り込んだ。
向かいに座るマイシャは子どもの様にグスングスンと泣きじゃくっている。
今までだってマイシャは拗ねたり泣いたりした事が何度もある。その度に慰め、励ました。
言いたい事を全て言わせて機嫌を良くした彼女が微笑めば、心底楽になれた。
だが――今は彼女に寄り添って声をかける気になれない。
(……終わった)
ウェスト地方を統括するルヴィス公爵から直々に『お前は領主の器ではない』と言われ、従姉妹を誹謗中傷し公爵の愛娘の感性を否定した妻は『暴れ馬』という最低最悪の烙印を押された。
これまで積み上げてきた物が一瞬で崩れ落ちていく。
その感覚は
目の前の元凶に対し、愛はおろか怒りも、悲しみも抱けない。
ただ、あの時と今とは決定的に違う物がある――不安と、焦燥感だ。
あの時の私は自分の地位を、名誉を失ってしまうかもしれない不安や焦燥感で押し潰されていた。
だが地位も名誉も失う事が確定した今は、もう不安も焦燥感もない。
暴れ馬を御する事が出来ず、公爵から領主失格の烙印を押された私が今更どう足掻いた所で、誰も見直してはくれないだろう。
システィナの一件で半ば見限っていた父上が、今回の件で私を完全に見限るのも目に見えている。
私は終わった。価値を失ったのだ。かつてのシスティナの様に。
光も色も感じない世界に再び私は突き落とされた。
「レイチェル様、酷い……! 皆気持ち悪がってたのに……! ちょっと権力持ってるからって自分の感性を押し付けて、人をイジメて何が楽しいの……!?」
ゆっくりと馬車が動き出し、夜空が照らす景色が城の外壁から街並みに変わった所でマイシャが涙ながらに恨み言を吐き出した。
自分だって全く同じ事をしていた癖に、どの口が言うのだろう?
「公爵様だって、気持ち悪がってたじゃない……! 私は何も悪い事言ってないのに、何で暴れ馬なんて言われなきゃいけないの……!?」
あれで悪い事を言っていないと本気で言っている事に恐怖を感じる。
システィナの妹とは思えない程浅はかで愚かな思考に、今更ながら落胆する。
「どうしてこんな事になったの……!? 何がいけなかったの……!?」
何もしなければ良かったのだ。いちいち噛み付かねば良かったのだ。
相手だって自分より上位の貴族に噛み付かれたら、迂闊に逃げる事が出来ない。
耐えるか、助けを待つか、地位と名誉を捨てて噛み付き返すか――ステラ嬢は最初、微笑んで耐えようとしていた。
マイシャの気が済むまで言わせて、波風立たせないように――それでも止まない中傷に耐えかねて噛み付き返した。
明らかな答えが出ている。だがそれを言えばまた激高されるのも明らか――
もはやマイシャに声をかける気力すらなく、漠然と窓の向こうに視線を移すと彼女の矛先がこっちに向けられた。
「そう、そうよ……コンラッド様が、あの女を姉様と間違えるから……!! 私、許せなかった……!! 大好きな姉様とあの女を見間違えたコンラッド様が悪いのよ……!!」
他人の為と言いながら自分の我儘を押し通そうとしたその口で、今度は自分の失態の原因を他人に押し付ける。
確かに、見間違えた私に原因の一端はあるのかもしれない。
だが――システィナと同じ声で紡がれた言葉が再び頭を過ぎる。
――マイシャはとても可愛らしいけれど、他人の為と言いながら自分の我儘を押し通す悪癖があって困っている――
今のマイシャを見ていると、システィナもマイシャの扱いに悩んでいたのだとよく分かる。
穏やかで優しく、聡明だった彼女の声に縋るようにステラ嬢の言葉を思い返す。
――コンラッド様の婚約者がマイシャ様に変わり、マイシャ様からは『お姉様にはもう、何の価値もない。わたしは家の為に嫁ぐから、姉様も家の為に決断しろ』と迫られたと――
それを思い返した時に過ぎったのは、今のマイシャからは想像できない程健気な言葉。
――わたし……星がよく流れる夜にお姉様ではなく、わたしがコンラッド様と添い遂げたい……そんな叶わぬ願いを込めた事があって……それが叶ってしまったのです――
そう――マイシャは、婚約が決まった時に、そんな事を言っていた。
私と同じようにシスティナに罪悪感を持っている彼女に、私は救いを見出し、システィナが大切にしていた彼女を生涯守る事で罪を償いたいと思った。
だが――マイシャは本当に私と添い遂げる事を願っただけなのだろうか?
――『お姉様にはもう、何の価値もない。わたしは家の為に嫁ぐから、姉様も家の為に決断しろ』――
――お姉様ではなく、わたしがコンラッド様と添い遂げたい……そんな叶わぬ願いを込めた事が――
(もし、ステラ嬢が言った言葉が真実なら、マイシャは……)
そのおぞましい結論に至った瞬間身が竦み、強い嫌悪感が込み上げてきた。
――システィナ様亡き後、一年も経たずにあの方が深く愛していたコンラッド様との子を宿した貴方こそ、よっぽど悪魔の所業ではありませんか?
ステラ嬢の蔑みは最もだ。
私だってマイシャと婚約した当初はすぐに子どもを作る気にはなれなかった。
だが、あの時の私は父上に強制的に表舞台に復帰させられ、マイシャ以外の誰もが私を冷ややかな目で見つめてくる中で苦しんでいた。
システィナが出てくる悪夢にうなされる私を、マイシャはいつも支えてくれた。
献身的に尽くしてくれるマイシャに甘えて、溺れてしまった結果子どもが出来た。
(……ステラ嬢は、私の事も悪魔だと思っているのだろうか?)
システィナにとてもよく似ているあの人に、そんな風に思われているとしたら、辛い。
あの人の一挙一動にかつてのシスティナの姿が重なった。
常に私の事を立てて一歩引いてくれた奥ゆかしい彼女と、公爵にも怯まずに立ち向かう強さを持つ彼女は違う。
だが、あの朱色の公子に手を握られた彼女が見つめるあの表情は――かつて私がシスティナに向けられていた物と同じだった。
そう。魔力は僅かに違っても、あの深い青の目は、あの銀の髪は、システィナが持っていた物と同じ。
頭では違うと思いながら――心では同じだと叫んでいる。
もしかしたら生きているかもしれない、という不思議な感覚が拭えない。
(彼女と……もう一度話したい)
彼女と二人きりで話せたら、真実が明らかになるかもしれない。
もし彼女がシスティナだったら、ずっと謝れなかった事を謝ろう。
そして今度こそ生涯をかけて償おう。皮肉な事に地位も名誉も失った今なら、それが出来る。
もしシスティナじゃなかったとしても――彼女ともっと話したい。
彼女が持つ、淡く優しい光に、縋りたい。
漆黒の闇の中でたった一つ灯る小さな光に吸い寄せられるように、私はもうその事しか考えられなくなっていた。
馬車の中で、宿の中で、マイシャが何を言っていても私の心には響かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます