第65話 溺愛に気づく時・2
ぎゅっと力が籠められたリュカさんの腕も、微かに感じる胸の鼓動も、とても心地よくて、全然怖くない。
でも――どうして私は今、抱きしめられているのでしょう?
状況が呑み込めずリュカさんに呼びかけようとした時、耳元でリュカさんがポツリと呟きました。
「……俺じゃ、あいつの代わりにはなれないかな?」
「あいつの、代わり……?」
問い返すとリュカさんの体が少しだけ、離れて――青白い星を背に私を見下ろす彼は、酷く寂しそうな顔をしていました。
「コ、コンラッドって人の事……ずっと好きだったんだろ?」
「え、ええ……確かに好きでしたが……」
「俺……公子様って言っても、あいつと全然違って貴族とは全然縁のない名ばかり貴族だし、代わりにはなれない、のは分かってるけど……もう君にさっきみたいな顔してほしくない。君が辛い思いをさせたくないんだ」
(どうして……どうしてこの人は、こんなに……優しいのでしょう?)
村の子ども達や、おばあ様、そして私。
色んな人に優しく寄り添うリュカさんに、私達はずっと助けられてきました。
けれど――
(……想い人がいる相手にそんな事を言われても、苦しいだけなのに)
今回ばかりはあまりに私の心を分かってないリュカさんにちょっと怒りが湧き出てきました。
「リュカさん、好きな人がいるんでしょう……!? それなら私にそんな事言わないでください……! 貴方が同情心で私に優しくするから、私……!」
「俺は同情心でこんな事しない……!! そりゃあ、誰か泣いてたら励ましたりするだろうけど……好きじゃない人にこんな事できない!!」
好きじゃない人に、こんな事できない――?
その言葉から導き出される答えは一つしかありません。
それに彼が私を見つめる目は私が出した答えを肯定するようにとても真剣で、真っ直ぐで。
その熱にあてられるように私の体も、顔も、どんどん熱くなってきます。
距離を取りたくても、リュカさんの両腕はしっかり私の肩を掴んでいて逃げられそうになくて。
「……君の事が、好きだ。ずっと……ずっと君の役に立ちたかった。君に幸せになってほしかった」
「……何で、旅の時……私にそう言ってくれなかったんですか?」
「あ、あの時は君がアーティ卿の事好きなんだと思ってたから……! 俺の気持ち押し付けて悩ませたくなくて……! 嘘いっぱいついてて……ごめん」
「いえ……嘘をついていたのは、私も同じですから……でも、リュカさん……私、貴方と出会った頃は、けして一目惚れされるような姿じゃなかったと思うのですが……」
そう。この人と出会った時の私は、痩せ細っていて髪や肌のツヤもまるでない、みすぼらしい姿でした。
だから、一目惚れの相手は私ではないと思っていたのです。
もしかして、そういう女性が好みだったのかしら――? とリュカさんの言葉を待っていると、彼は困った様子でちょっと視線を逸らしました。
「君の目に……惹きつけられたんだ」
「目……?」
「……そう。君が言った通り、初めて君を見た時はちょっと転んだだけで骨が折れそうな程痩せてて……ちゃんと栄養ある物食べてるのかな? って心配になった。でも君のその、夕暮れ時の高い空……澄み切った深い青のような目を見てから、もう目が離せなくなった。だから、一目惚れみたいなものかな、って」
そんな――私が、細く、みすぼらしい姿だった頃から、ずっとこの人は私を見ていてくれたというのでしょうか?
今のような美しさとは掛け離れた、価値を失っていた私の事を。ずっと、ずっと――
「俺……君がちゃんと食べる物食べて、恐怖心も乗り越えて元気になった姿が見たいって、ずっと思ってて。リュグルや子ども達に頼んで色々差し入れしたり、村の人達に君の事色々聞いたりして……警戒させてしまって、ごめん」
「……リュグルが私の傍に魚を落とした時はどうしていいかパニックになりました」
「うん……俺のした事、余計なお世話だった事もあると思う。それでも君は、俺を村から追い出そうとはしなかった。命だって助けてくれた。君と話す度に、どんどん君の事が好きになっていって……君と仲良くなりたかった。仲良くなればいつか、君が抱えている物を教えてくれるかなって……」
リュペンに蹴られて岩場に倒れ込んだ時の事、ウェサ・クヴァレへの行商、買い物、ニアちゃんが魔獣使いになった時の事――リュカさんの言葉に、村での色んな想い出が蘇ります。
「ずっと差し入れしてくれたのも、伯父様やおばあ様の頼み事を何でも快く引き受けたのも?」
「……うん。君と仲良くなる為には周りに好かれなきゃ、って下心があった。あ、でも、誤解しないでほしい。村長達の頼み事は全然嫌じゃなかった。俺がした事で誰かが楽になる事は、下心無くても嬉しいし」
「ウェサ・クヴァレの行商で私の護衛を引き受けたのも……?」
「それは……仲良くなれたらってのもあったけど、君を一人で行かせてもし何かあったら、絶対嫌だから……って、俺のこういう気持ち、村長にはとっくにバレてたんだろうなぁ」
「えっ……」
「子ども達にもバレバレだったし、当たり前っちゃ当たり前か」
そう言えば、リュカさんと出会った頃にニアやヨヨがリュカさんが私の事を好きだとか、私が誰の事を好きなのか、事あるごとに聞かれました。
あれは――リュカさんの気持ちを知っていたから?
(子ども達や伯父様が気づいてるリュカさんの想いを、私だけが気づいてなかったなんて……!)
恥ずかしさのせいでしょうか? 心臓の音が一段とうるさくなって、思考がまとまりません。頭がグルグルしてきました。
「……だ、大丈夫か? あの、俺が勝手に君の事好きになっちゃっただけだから、嫌なら、嫌だってフッてくれていいから……!」
「ご、ごめんなさい、私、リュカさんの一目惚れは私じゃないんだって、諦めてたから、驚いて……」
「諦めてた……?」
うっかり零れ出た本音を、リュカさんはしっかり聞き取ってしまったようです。
「もしかして、君の片想いって……」
こんな決定的な言葉を聞かれてしまったら、もう言い逃れするのも難しいです。
目を輝かせてるリュカさんに本当の事を言えば、彼はきっと満面の笑顔で抱きしめてくれる。
でも――
「……でも、私は貴方にふさわしくありません」
否定の言葉を繋ぐ事ができず苦し紛れに出た拒絶の言葉。
リュカさんが今どんな顔でわたしを見ているのか――知るのが恐くて顔を伏せたまま、言葉を続けます。
「リュカさんは、ローゾフィアの公子です……私、ティブロン村から離れる事なんて考えられません……そ、それに、ま、前に話した通り、わ、私は、賊に、襲われてますから……リュカさんには、ふさわしく、ないんです……!!」
喉の奥から無理やり押し出したみっともない言葉が重い沈黙を作り出してから、どれくらい時間が流れたでしょうか?
「……俺は君が穢れてるとは全く思わない」
「でも」
「君が何て言ったって、俺にとっては君は誰より綺麗で、可愛くて、美しくて格好良い人だ。」
「……っ」
「何度でも言うよ。俺は君が好きだ。でも君の心の中に他の男がいるなら、せめて幸せの手助けが出来ればって諦めてた……でも今……君も俺が好きだって分かった今、ふさわしくないとか穢れてるとか、そんな理由じゃ俺は絶対に諦めない」
レイチェル様に負けないくらい率直で、真っ直ぐな言葉が、心に刺さって。
言葉を返せないうちにどんどんリュカさんの想いが籠った熱い言葉が重ねられて。
「美しさだけじゃない。君は俺よりずっと優しくて、落ち着いてて、頭も良くて、強くて、凛としてて……とにかく、素敵な人なんだ。そういう意味では俺の方がふさわしくないのかもしれないけど」
「そ、そんな事ないです……わ、私よりリュカさんの方が優しくて、落ち着いてて、頭も……」
リュカさんの熱にあてられてフラフラしそうになる中、リュカさんの顔を見上げると先ほどと景色の色合いが違う事に気づきました。
混乱していたせいでしょう。いつの間にか切れてしまっていた、私の薄青の防音障壁が消えていて。
代わりのように張られている、真紅の防音障壁――そして、視界の隅に映る、真っ赤な髪。
「どうした? 後ろに何か……って」
私が固まってしまった事に気づいたリュカさんが後ろを振り向くと、彼の表情も私と同じように固まりました。
「なっ……なっ……!!」
声にならない声を上げるリュカさんに、真っ赤な髪の主はくるりとこちらを振り返り。
「ん? もういいのか?」
「ヨシュア公……何で当然のようにそこにいるんだよ!?」
「挨拶回りが終わったから後はお前の用事が済むまで待ってたんだ。あ、別に俺の事は気にせず思う存分イチャつけばいいぞ。俺はそういうの、何も聞かなかった事にできる男だからな!」
人の好さそうな顔で笑うヨシュア公は善意で言っているのは伝わります。
でも、ただでさえ恥ずかしい状況なのに他人に見られていた事を知った頭が更に熱くなって、もう恥ずかしくて顔を上げられません。
「お前なぁ……もうちょっと気の利いた所で待っててくれよ……!」
「何だよ、気を利かせて防音障壁張って大人しく待っててやったのに我儘な奴だな……! ま、もういいんならさっさとローゾフィア行くぞ!」
ヨシュア公がグイッとリュカさんの後襟を引っ張った事でリュカさんの腕が私の肩から離れて。
そのままズルズルと連れて行かれるリュカさんに呆気に取られていると、
「ちょっ……ちょっと待ってくれ! もうちょっとだけ……!」
「本当我儘な奴だな……じゃあ後15秒だけ待ってやる! カーディナルロート! すぐ飛び立てるように準備しとけ!」
ヨシュア公の呼びかけに応じて彼の背後から突如現れたのは、大きな巨竜――夜空に大きな羽が広げ、全身から放つ真紅の光によって辺り一面が赤く照らされました。
これが
目の前に降り立つ巨竜に目を奪われていると、
「おい、後10秒だぞ!」
巨竜の首にまたがったヨシュア公の声で我に返った私達は、お互いに顔を見合わせて。
「え、えっと、ステラさん! 灯台に置きっ放しになってる荷物はそのまま置いといてくれ! どれだけ時間かかるか分からないけど俺、ちゃんとティブロン村に帰るから!!」
「えっ、で、ですが、ローゾフィアは……!?」
「大丈夫、今度こそ親父達説得して、ただのリュカとして戻って来る! 絶対に君の所に帰ってくるから!」
ああ、こういう時、一体何と返せばいいのでしょう?
突然の連続ですっかり気の抜けた頭では気の利いた言葉も思いつかず、リュカさんは軽やかに真紅の巨竜に飛び乗り、私は呆然と飛び立つ巨竜を見上げる事しかできなくて。
真紅に包まれた、小さな朱色が、まるで流れ星のようにあっという間に夜空に溶けていきました。
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