第64話 溺愛に気づく時・1


 大広間からマイシャ達が去った事で、徐々に賑わいが戻ってきました。


 その大半が野次馬の感想だと思うと耳を傾ける気にもなれず――というか目の前に公爵閣下がいるので、それどころではありません。


「あ、あの……ルヴィス公爵閣下、この場を騒がせたばかりか失礼まで働いてしまい、誠に申し訳ありません……!!」


 まずは先ほどの非礼を詫びなければと深く頭を下げると、思ったより穏やかな声が落ちてきました。


「……確かに、失礼この上なかったな。だが君を殺したら娘に一生嫌われてしまいそうだ……私に逆らった罪は水に流そう。顔を上げなさい」

「公爵閣下の海の様に寛大なお心に感謝いたします……! 心臓が張り裂けそうでしたわ」

「とてもそうは見えなかったが……私に真っ向から立ち向かう君の姿は殺すのが惜しいと思う程美しかった。君はこのパーティーにふさわしい人物だ。楽しんでいくと良い」

「ありがとうございます……!」


 凍り付くような冷たさと、穏やかな波のような温かさを併せ持つルヴィス公爵に改めて一礼すると、レイチェル様がルヴィス公爵の腕に手を添わせました。


「父上……私、一度スミフラシを見に行きたいですわ。とても可愛い生き物のようですもの」

「いや、いくらお前の頼みでも、それは……」

「……駄目ですの? たまには父上とゆったり海を見るのも良いかと思いましたのに」

「いや、駄目ではない。一節以内に都合を付ける」

「ありがとうございます。流石私の父上ですわ」


 誰もが恐れる怯える公爵をどう扱えばいいのか、完全に把握してらっしゃるレイチェル様には一生勝てる気がしません。


「そうそう、ステラさん……そのスミフラシのドレスと、透明なショール、私も欲しいですわ。どこに注文させればよろしいの?」

「ああ、注文はあちらのライゼル様に。ドレスもショールもこの方が経営されてるオルカ商会で作った物です」


 少し離れた場所で呆然と立っていたライゼル卿は自分に視線が集まった事で我に返ったのか、慌ててこちらに駆け付けてきました。


「し、シアークヴァレのショールもお気に召して頂いて何よりです……! こちらはアクアオーラ南部に生息する毒無しクラゲの皮を加工して作った物で、丁度これから広めていきたいと思っていたのです」

「クラゲ……! また興味深い素材が出てまいりましたわね……二人とも、今日はこの城に泊まりなさい。明日、詳しい話を聞かせてもらいます。では皆様、ご機嫌よう」


 凛とした笑顔を浮かべた後、ルヴィス公爵と腕を組んで去っていくレイチェル様の背中を見送った後、振り返ると、リュカさんとリアルガー公がホッとした顔で立っていました。


「皆様、ご心配をおかけして申し訳ありません……! 特にリアルガー公爵様には間に入って頂いたにもかかわらず、失礼な物言いをしてしまい……!」

「ああ、礼も謝罪もいらねぇよ。俺そういう堅苦しいの苦手だから。後、公爵様じゃなくてヨシュアでいいよ」


 カラッとした物言いと態度は公爵というにはあまりに庶民染みていて――呆気に取られているうちにヨシュア様の視線はリュカさんの方に向き。


「リュカ、俺も他の奴らに挨拶してくるけど……分かってるよな?」

「……ああ。逃げないって条件で入れてもらったんだ。逃げる訳ないだろ」

「ならいい。お前の村にはお前の事心配してる奴がいっぱいいるんだ。いい加減ケジメつけないとな。それじゃ、また後でな」


 颯爽と去っていくヨシュア様も見送っていると、リュカさんはライゼル卿の方を向き。


「えっと……ライゼル卿、少しだけステラさんと二人きりで話したいんだけど……連れて行ってもいいかな?」

「窮地を切り抜けて、ようやくオルカ商会最押しの商品をお披露目できるところで……と言いたい所ですが、城に泊まるように言われたので馬車を宿泊者用のエリアまで移動させねばなりません。その間話をする分には構いませんよ」

「ありがとう」


 エントランスの方に向かうライゼル様の背中は、先ほどのコンラッド様程ではありませんが、寂しそうに見えました。

 きっと、彼も今は一人の時間が必要なのでしょう。


「……私達も、移動しましょうか」



 リュカさんから「二人きりで話したい」と言われた時、驚くと同時に――かつてレイチェル様に案内された庭園を思い出し。

 記憶を頼りに向かうと予想通り、喧騒から離れた夜の庭園は解放されているものの人の気配がありませんでした。


 それでも、私達と同じように二人きりで話したい方々が来る可能性があるので念の為、防音障壁を展開します。

 オルカ邸にいる間に学んだ、音や声を遮る薄青の障壁が私とリュカさんを包みました。


「リュカさん……私と二人きりでお話したい事、とは?」

「あの、さ……俺……全部、聞いたんだ。村長から……君がシスティナさんだって事」


 伯父様から全て聞いた――全身から血の気が引いていくのを感じました。

 私の名前まで言われてしまっては、もう、誤魔化す事も出来ない。


(伯父様、どうして……!)


 私が他人に成り代わっている事も、穢れている事も、全部――知られてしまった。

 知られたくない人に、知られてしまった。


「君がずっと、村の為に、ステラさんの為に頑張ってる事、全部聞いた」


 微かに震え始めた手を、また、リュカさんが優しく掴られて。

 血の気の引いた体に、彼の温かさが流れ込んでくる。


「それ聞いて、ただ村で待ってるなんてできなくて……せめてパーティーに出る前とか後に、少しでも元気づけられたらって思ったんだけど……何だか、場違いでごめん」

「い……いえ、いいえ! リュカさんが助けてくれなかったら、私……公爵様を前にあんな堂々と立てませんでした……! 私、リュカさんにはずっと助けられてます……! ずっと、ずっと……!」


 そう言いかけて――涙がボロボロと零れてきます。

 想いまで吐き出してしまいそうになるのを必死に抑えて。


「そっか……役に立ててたなら、嬉しいな。さっきの君は物凄くカッコ良かった。俺も見習わなきゃなぁ」

「そんな……あんな不躾な姿、絶対見習ってはいけません」

「そうかな? 俺はあの姿に勇気を貰えた。どんなに恐ろしい相手でもちゃんと向き合う君に、憧れた」


 私の方が、貴方のその笑顔に勇気を貰えたのに。

 貴方が柔らかく笑う姿は、私の心の凍り付いた部分を陽だまりのように溶かしてくれたのに。

 

 そう言ってしまったら、想いまで全部溢れ出てしまいそうで――


「俺……ローゾフィアに帰るよ」

「……えっ?」


 ローゾフィアに帰る――浮足立った心が一気に押し潰されるような衝撃を覚える中、リュカさんが言葉を続けます。


「ここに入れてもらう時、さっきの……ヨシュア公子、いやヨシュア公に交換条件でちゃんと村の皆と話し合えって言われた時は、正直どう話し合えばいいのか悩んでたけど……さっきの君を見て、俺もちゃんと向き合おうと思った」


 ――お前の村にはお前の事心配してる奴がいっぱいいるんだ。


 漠然とした思考の中、先ほどのヨシュア様の言葉が頭を掠めます。


 そう――リュカさんはローゾフィアの英雄。

 ローゾフィアの族長の息子という事は、ローゾフィア侯爵家の令息でもあります。

 そんな方が行方不明になれば皆さんそれはそれは心配するでしょう。


「……わ、わかりました」


 良かった。想いを打ち明ける前に思い留まれて。

 リュカさんは優しいから――きっと困らせてしまう。


「……あの。最後に、リュカさんの本当の名前……教えて頂けますか?」

「……リュカイオン」

「リュカイオン?」

「そう。それが俺の本当の名前。俺の村ってさ、名前呼び捨てにしていいのは家族だけってルールがあってさ……それをヨシュア公に説明したら『じゃあリュカって呼ぶわ』って言いだして……」

「それで……旅でも使おうと?」

「ああ。だから君のお父さんから名前言われそうになった時は胸から心臓飛び出すかと思った……!」


 大きな危機を乗り越えた少年のような話し方をするリュカさんに、あの時のぎこちない様子が思い返されて。


「……ふふ。確かにルカリオではなくリュカイオンと言われてたら私、疑っていたかもしれません」

「だろ? 本当、あの時は生きた心地しなかった」


 こうしてリュカさんと話すのが、楽しい。

 彼の穏やかな声と優しい眼差しを浴びているうちに体も心も温かくなっていく。


(……こうして、ずっと話続けていたいけれど)


 でも、それは許されない事はよく分かってる。


「……リュカイオン様。今日は助けて頂き、ありがとうございました」

「そんな、かしこまらなくていいよ。今まで通り、リュカで……」

「いいえ。ローゾフィア侯爵家の公子様に無礼な事は出来ませんわ」


 そう。この人は――この方は私よりずっと身分の高い方。

 私が手を伸ばしてもいい存在じゃない。


 それにリュカさんには想い人もいる。私の想いはこの人のかせになる。

 枷になんてなりたくない。悩ませたくない。


 この人とは――お互い笑顔で別れたい。


「……今まで、本当にありがとうございました。どうか……どうか、ローゾフィアでもお元気で。もう……私は……」


 もう、貴方がいなくても――なんて、本当は言いたくない。


 私が困っていた時、悩んでいた時、押し潰されそうになった時。

 いつも傍にリュカさんがいてくれたから、私はここまでこれたのに。


 言いたくない。でも、言わなきゃいけない。

 この人を私から解放してあげないといけない。


 両方の感情がせめぎ合って声が紡げなくなる中、涙まで零れ落ちて。

 きっと醜い顔になってしまってると顔すら伏せてしまった、その瞬間――リュカさんに抱きしめられていました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る