第58話 想い人が抱えるもの・2(※リュカ視点)
「……あの子は、ステラの従姉妹だ」
その言葉を皮切りに紡がれたあの人の人生は、途中から聞き覚えがあった。
二人だけでウェサ・クヴァレに行った時に彼女の口から紡がれた、従姉妹の話と。
――従姉妹、には婚約者がいました。一昨年の、ウェス・アドニスの色神祭の時に、婚約者から『自分が守るから街に下りよう』と誘われて……でも、帰りに賊に誘拐されて……意識を取り戻した時にはもう全てが終わっていた、そうです――
その従姉妹は彼女自身だった。
婚約者から誘われて、街に下りて、誘拐されて――その一連の流れを、彼女はどんな気持ちで俺に語ったんだろう?
きっと色んな感情が心の中で渦巻いていたはずなのに、少し寂しそうに語っていた彼女を見て、俺は従姉妹の死を悼んでいるんだとしか思わなかった。
――その後、婚約者は一度も彼女の所に来てくれなかったそうです。そのうえ婚約者は彼女の妹と新たに婚約する事になり……絶望の中で従姉妹は自室から身を投げて……生涯を終えました――
絶望を語る彼女に、俺は何て返しただろう?
傷を抉るような事を言ってしまってないだろうか? 少しでも励ませるような言葉をかけてあげられただろうか?
思い返そうとしても、思い出せるのは彼女の儚い声ばかりで。
――あの方が……リュカさんみたいな人だったら良かったのに。
夜の焚き木に照らされた彼女の寂しそうな微笑みと、寂しさを帯びた声が、俺の心を締め付ける。
アーティ卿が実兄だったって事は、あの人の片想いの相手は――
「なあ、生誕祭のパーティーって……もしかして、婚約者だった人も出るのか?」
「コンラッド卿は今やウェス・アドニスの領主だからな。彼女の妹ともども出席するだろう」
大丈夫、だろうか?
絶望に突き落とした婚約者と、妹と、対面しても平気でいられるだろうか?
(自分を裏切って見捨てた男と、女に会っても……)
きっと彼女は微笑むんだろう。
心をズタズタに切り付けられても、痛みを堪えて綺麗に笑うんだろう。
痛みや辛さを、誰に打ち明ける事も無く――
それを思うと、いても立ってもいられない衝動に駆られる。
「何で、何でそこまでさせる必要があるんだ!? 何であの人だけ、そんなに苦しまなきゃいけないんだ……!?」
「そこまでするのを選んだのは彼女自身だ。彼女は今……私の娘の願いの為に動いている」
「願い……?」
村長は小さく吸った息を大きく吐いた後、諦めた様に言葉を続けた。
「……ステラは、とても我儘な娘だった。村の外に出たいと訴えて私に無理やり着いてきたり、灯台守をやりたいと言って勝手に灯台に籠ったりして私を困らせた。だが……システィナ嬢に託した願いに比べたらそれらはずっとマシだったと思う」
村長は近くにある椅子に腰かけると、俺達にも座るように促した。
村長から怒気が消えているのを察したゴーカ君も俺の背中から離れて、近くの椅子に座る。
俺もこのまま立っていたら拳を振り上げかねない。すぐ近くの椅子に腰かけると、再び村長の言葉が紡がれた。
「……人は、生まれた時点で大体の生き方が定められる。裕福な家で健康に生まれた令嬢の多くが煌びやかなドレスや装飾品を纏い、華やかな場で良き殿方と出会い、子を成した後穏やかな余生を過ごして死ぬように、貧しい村の病弱な娘として生まれれば、綺麗なドレスも美しい装飾品も身に着けられず、子を成すどころか伴侶を見つける事すら出来ずに瘦せ衰えて死んでいく……あの子はずっと、その事を恨んでいた」
窓の向こうを生気の無い目で眺めながら語る村長の声が、微かに震えだす。
「お姫様のような生活じゃなくてもいい……絵本に描かれた景色を実際に目にしてみたかった。素敵な仲間と冒険したり、色々な街を巡ったりしたかった……そんなささやかな道すら、私には選べないのだと、力の無い手で縋られた。色んな夢があるのに、全部叶わないのだと嘆く娘に、私は何もしてやれなかった」
今の村長の姿は、戦で大切な人を失った事を嘆く人達に似ていた。
ああしてやればよかった、こうしてやれば良かったと――特に、子を失った親によく似ていた。
「病気は娘の体だけでなく、精神も蝕んでいった。そんなある日……ふと悟りきったかのよう言い出したのだ。『死から逃れられないのならばせめて私の名を、私が生きた証を残したい』と。『アクアオーラ領を作り上げた賢人侯が今なおその功績を語り継がれるように、自分も、この領土にいる誰もが知るくらいに有名になりたい』と」
「そんな無茶な……」
鍛錬を積んで強くなって冒険王になるとか、魔法をいっぱい勉強して大魔導士になるとか、そんな夢とは全く違う、病弱な女性の漠然とした夢に唖然としていると村長も小さく頷いた。
「そうだ。地位や才がある訳でもなく、歩くのもやっとなステラでは到底自分の名前を残す事などできない。だが……『頭が良くて、美しいシスティナ様なら、何とかしてくれるかもしれない』と、ステラは言った。あの方が令嬢として死んでしまったのなら自分の命をあげたいと。あの方はとても心優しい方だから、きっと私の願いを叶えてくれると……」
そこまで言いかけて、村長が両手で顔を覆った。
「……娘がおかしな事を言っていると、分かっている。ついに病魔が頭まで蝕んだのだと……だが、それでも、死んでいく娘の夢を踏み躙る事は出来なかった。せめて死ぬ前に、願いが叶うかもしれないという希望だけでも持たせてやれたらと……そう、思ってしまった」
酷い話――とは言い切れなかった。
俺だって、もう死ぬしかない兄弟達を、友達を、何度も見送って来た。
最後に食べたい物があるとか、伝言とか、そんな願い事をいっぱい聞いて来た。
だから、名を残したい、生きた証を残したいという願いも、馬鹿に出来なかった。
孤立した村で現状を恨みながら過ごしてきた病弱な人が最後に望んだのがそれなら――俺も叶えてやりたいと思う。
(あの人も、そう思ったから……)
だから、自分の心を後回しにしても願いを叶えようとしてるんだ。
目の前にいる命の恩人の為に。不幸な従姉妹の為に。愛する家族の為に――村の人達の為に――誰かの為に。
(……誰かの為に、か)
誰かの為に長になれなかった俺には、耳が痛いけど――
立ち上がると、村長が顔を上げた。頬には涙が伝った跡がある。
「……ウェス・セルパンに行くつもりならもう遅いぞ。生誕祭はもう3日後だ。馬に乗っても到底間に合わん」
3日――リュルフに乗ればギリギリ間に合うかもしれない。
そう思った俺に嫌な予感がしたんだろう、村長の目が鋭くなった。
「……会ってどうする? 止めるつもりか? スティが積み重ねてきた物を全て台無しにする気か……!?」
「いいや、これまであの人が積み重ねてきた物を崩そうだなんて思ってない……。ただ……ただ、俺が会いたいだけだ。深く傷つくだろう彼女を、このまま放っておけないだけだ……!!」
この村に来て、ずっとあの人を見て来た。
あの人がこの村を本当に大切にしているのはよく分かってる。
俺なんかが行ったって、何の力にもなれないかも知れないけど――せめて、あの人が痛みに耐えかねて泣いた時に傍にいてあげたい。
辛く悲しい夜も、騒がしいのが隣にいたら少しは気が紛れるだろうから――そう思ってドアに手をかけると、
「……待て。万が一間に合ったとしても、場所が場所だ。ラリマー領で最も美しいとされる場所にその服は似つかわしくない。少し待ってなさい」
立ち上がった村長がワードローブから取り出したのは、鮮やかな藍色で染まったコートとベストに水色のシャツと青灰色のズボン――
「……向こうに着いたら、これを着なさい。大分前に私の着古したコートや衣服を見かねたスティが買ってきてくれた物だが、着る機会も無くてな」
「……村長がステラ姉ちゃんの事スティって呼び出したの、入れ替わったからだったんだな」
「流石によそのお嬢様を娘と同じようには扱えんからな……お陰で勘の良い魔獣使いには疑われてしまったようだが」
俺を見据える村長の眼差しは、半ば呆れ気味で――でも、嫌な感じはしなかった。
「……いいんですか?」
「ステラの願いに捉われているのは、スティだけだ……私は、彼女にそんな事を望んでいない」
村長は服を畳んだ後、麻袋にまとめて俺に手渡してくれた。
「彼女は私はおろか家族だったパーシヴァル卿、アーティ卿に罪悪感を抱いている……彼女が心から安らげたのは君や子ども達の傍にいた時くらいだ。間に合おうと間に合うまいと、君の存在は支えになるだろう。村の事といい、子ども達の事といい……彼女には本当に色々助けられた。彼女自身が犯した罪など、もうとっくに償われている……娘の願いに捉われてしまった彼女を、どうか助けてやってほしい」
深く頭を下げる村長の声は、微かに震えていた。
「……ステラ姉ちゃん、もういないんだな」
村長に見送られながら外に出て、空を回遊していたリュグルに事情を伝えてリュルフを探してくれるよう頼み、テントを片付けようと岩場に向かって歩いていた時――後ろでポツリとゴーカ君が呟いた。
「……俺、装飾品作るようになったの、ステラ姉ちゃんに会った時に謝る為だったんだ。親父と母さんが喧嘩した時、綺麗な物渡して仲直りしてたから。でも先生、全然覚えてない感じだったし、蒸し返すのも怖くて言い出せなかったんだ」
振り返ると、ゴーカ君は右手に持った黄土色の粉が入った小瓶を眺めている。
家を出る前に「一度試してみて、その上で続けられるかどうか決めなさい」と村長に託されていた。
「もう謝れないなら、細工の勉強したってなぁ……」
「ゴーカ君……多分、本当のステラさんは君がした事に怒ってなかったんじゃないかな」
「え」
「許してなかったら村長に言いつけて、追い掛け回してもらえばいいだろ?」
その発想はなかった――と言わんばかりにゴーカ君がぽかんと口を開けている。
村長に言いつけるのは可哀想って思ったにしても、村長が今までずっと知らなかったのは本当のステラさんが誰にも愚痴らなかったから、って考えると、本当のステラさんがゴーカ君をそこまで嫌ってたとは思えないんだよな。
「それでも罪悪感が消えないなら、今までみたいにいっぱい装飾品を作ればいい。この村が有名になって発展すればするほど、この村を建て直した聖女としてステラさんの名がこの領に広がるかもしれない……そうなれば本当のステラさんが望みが叶う」
「……そうだな。俺も、ステラ姉ちゃんの願いに捉われない程度に頑張ってみるよ。ありがとう、リュカ」
死者の意志を勝手に解釈するのは良い事とは言えない。
だけど、本物のステラさんの明確な願いに沿った行いをする事はきっと償いになるはずだ。
ゴーカ君と別れて、テントを畳み灯台の一階に他の荷物とまとめて置いているとリュルフがやってきた。
「リュルフ……今からウェス・セルパンまで走れるか?」
『頑張る』
「夜通し走る事になりそうだけど……大丈夫か?」
『頑張る。その後、肉いっぱい食べる』
「ありがとう……! 向こうに着いたら、でっかい肉買うからな!」
リュルフに感謝しつつ、村長から貰った服が入った麻袋と最低限の食料だけ持って外に出ると、近くの森で休んでいるはずのリュゴンが目の前にいた。
『ウェス・セルパン、遠い。リュルフ大変。リュゴン手伝ってもらう』
「リュグル……リュゴンはもう俺一人を乗せる事すら辛いんだ。無理はさせられな」
『リュグル、嫌なら来なくていい言った』
リュゴンの頭に乗るリュグルから視線を落とし、リュゴンに呼びかける。
「リュゴン……いいのか?」
『飛べる所まで飛んでやる。後はリュルフと頑張れ』
「……ありがとう。何か、欲しい物があったら」
『何もいらない。他人を背負えずに逃げだしたお前が、他人の為に必死になる……その姿見られるだけで、嬉しい』
リュゴンの意志に同意せんばかりにリュルフとリュグルが頷いている。
彼らの細まった目は、優しさと温かさに満ち溢れていた。
「そっか。お前達には本当に……頭上がらないなぁ」
こみ上げてくる涙を拭って小さく鼻をすすった後、リュゴンの背に乗ると彼はゆっくりを身を起こし、大きな翼を羽ばたかせた。
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