第57話 想い人が抱えるもの・1(※リュカ視点)
ステラさんがオルカ邸に行ってから、数節が過ぎた。
二週間ごとにイチル君やサンチェ君が商品を荷馬車に積んだ後、俺がいる所まで来てステラさんの様子を報告してくれる。
「先生、ここに居た時も美人だったけどさ、もっともっと美人になってくんだよ……」
「貴族の食い物ってすごいよなぁ……」
オルカ邸にいるステラさんが段々美しくなっていく、と聞く度に無理してるんじゃないか、困ってるんじゃないかって心配で会いたい気持ちが膨れ上がる。
けど、村長の手伝いやバルバラさんの食料を届ける役目を投げだしたら、ステラさんとの約束を破ってしまう事になるから、グッと堪える。
「もう……食べ物だけで美しくなる訳ないじゃない。貴族のお姫様は髪をお手入れしたり、お化粧したり、マッサージしてもらったり、美しさを保つ為に色々頑張ってるのよ!」
「そう、お姫様! 今の先生ってまるでお姫様みたいなんだよ。この間、綺麗なドレス着ててさ」
「ああ。俺もお姫様みたいだなぁって思った……けど、何か近寄り難くなっちゃって寂しいなぁ」
「もうすぐ青の節も終わるの。生誕祭が終わったら先生、帰って来てくれるの!」
ラリマー公爵家の生誕祭は確か、青の節の30日だ。一族が一番多く生まれるのが30日だから、って聞いた事がある。
俺の村じゃ一人一人ちゃんと誕生日を祝うから、まとめて祝われるのってどうなのかな――と思っていると、ニアちゃんが小さなため息を付いた。
「先生……本当に帰って来てくれるかなぁ」
「大丈夫だろ。この間も生誕祭終わったら帰るって言ってたし」
「でもライゼル様と楽しそうに話してるしなぁ……やっぱこんな所より大きな風呂があるお金持ちの家の方が快適だろうし……もしかしたら、ライゼル様と結婚」
「お兄ちゃん、余計な事言わないの!」
ヨヨちゃんが怒ると同時に子ども達とリュルフ達がいっせいに俺の方を見る。
「皆、俺の事は本当に気にしなくてい……って、あれは……!?」
とにかく注目を逸らしたい一心で、咄嗟に林の方を見て声を上げると、子ども達の視線が一気にそっちに向いた。
と言っても、馬に乗った貴族の身なりをした男が二人がこの辺りを見回しているだけだ。
ティブロン村がオルカ商会と専売契約ってのを結んでから、俺以外のよそ者もぽつぽつと村を訪れるようになった。
少し前にはスミフラシがどういう生き物なのか知りたいって学者とか、 その前にはうちにも商品を横流ししてほしいとかいう商人とか――商人の中には村人相手に内陸の食べ物やお菓子とか売りに来る人もいるから、悪い事ばかりじゃないんだけど。
今向こうに見える貴族の視察ってやつは特に気をつけないといけない。
下手にトラブルを起こそうものなら、この村に監視役を置く言い訳に使われる。
村長からその説明と一緒に「外で魔法を使わないように」と言われて以降、子ども達は外では大人しくしてるものの、よそから人が来る度に緊張するみたいで。
「……来年の税金、どうなるんだろうな」
「税金を満足に納めきれなかった村も監視役を置かれて厳しく管理されるってライゼル様が言ってたけど……ティブロン村もそうなっちまうのかなぁ」
「先生が何とかするって言ってたけど……もうすぐ青の節も終わるのに、本当に何とかなるのかなぁ」
ステラさんから色んな事を学んでる分、税金を何とかするのはすごく難しいだと子ども達も理解してるみたいで、不安の色を覗かせている。
そんな中、暗い雰囲気を払拭するようにイチル君が「そろそろ帰る時間だ」って声を上げ。
(注目を逸らすにしても、もっと別のものにすればよかったなぁ……)
反省しながら集落の方に戻る子ども達を見送った後、釣りを始める。
リュルフよりデカくなったイチは小魚を与えても与えても満足しない。
小さなお魚ばっかじゃお腹満たされない! と言わんばかりに膨らんだ時のトゲも一層固くなってきた。
岩場を削る勢いの立派なトゲは長く、転がってきたら俺の足を容赦なく串刺しにしてきそうだ。
(これ以上大きくなったら、ニアちゃんや村人相手に事故を起こしかねないな……)
そう思った俺は一つ息をついて、なるべくやんわりと言葉を紡いだ。
「お前、そろそろ海に帰った方がいいかもなぁ……ここだと青鯛なんて滅多に釣れないけど、村の人達の話だとフカワニサメがいる辺りを超えたら結構いるらしいぞ?」
「……グァ?」
俺とイチはあんまり意思の疎通ができないけど、イチは俺が何を言っているのか理解したかのように僅かに体を萎ませた。
ニアちゃんはまだ子どもだ。もしイチが事故が起こして、村人からあれこれ言われる中で「海に帰って」って言わせるのは可哀想だ。
そういう事故が起きる前にイチ自身に(海に帰りたい)って思わせてやった方が良い。
ニアちゃんもイチが海に帰りたいと言えば、悲しみつつも受け入れてくれるだろうし、これだけ長く丈夫なトゲがいっぱい生えてれば、フカワニサメって奴が襲ってきても大丈夫だろう。
野生の生き物は人よりずっと危険に敏感だ。少しでも危ないと思えば逃げていく。
「青鯛はもちろん、
「グァ……グァ……!」
美味しい魚を思い出しながら(よし、もう一押し――)と思った、その時。
「おーい!」
聞き覚えのある声に振り替えると、ゴーカ君が立っていた。
俺と魔力の相性が悪い事もあってか、嫌悪感を表に出されたりはなかったけどあまり関わりたくない感じだったから、声をかけてくれるのはすごく珍しい。
竿を片付けてゴーカ君の方に近寄ると、ゴーカ君はちょっと言い辛そうに頭を掻いた後、
「村長が俺に用があるって言うから、今から行くんだけど……あんたにもついて着て欲しい」
「それは構わないけど……何でかな?」
「……村長にちょっと、聞きたい事があってさ。一人だと都合が悪いんだよ」
リュグルと近くにいたリュペン達にイチの餌を捕ってきてもらう様にお願いした後、俺達は村長の家に向かった。
「ゴーカ……何故、リュカ君と来た? 私は
「ちょっと村長に聞きたい事があって……親父がいると話しづらくて」
「……そうか。では、私の話から先に話しても構わないか?」
村長の問いかけにゴーカ君が無言で頷いた後、俺達は椅子に座わり。
村長は戸棚から見覚えのある黄土色の粉が入った小瓶を取り出した。
「これはスミフラシのスミを中和する粉だ。去年の桃の節にパーシヴァル卿から頂いてな……これを一つまみ溶かした水はかなり強い悪臭が発生するのが難点だが、毎日手や足につけていると、シミが段々薄まってくる」
「マジで……!?」
説明を聞いたゴーカ君は目を大きく見開いてマジマジと小瓶を眺めている。
去年の桃の節に見た時より粉が大分減っている。
(そう言えばステラさん、まずは村長に試してもらうって言ってたな……)
チラ、と村長を見ると丁度手袋を外しているところだった。
まだ青白い印象はあるけど、パッと見た限りじゃ青いシミなんて見当たらない。
「そして……口に含んで10分くらい耐えるのを何度も繰り返せば、今の私の様に大分目立たなくなる」
大きく口を開けた村長の口も、大分青みが抜けていた。
水に溶かすと発生する悪臭ってのがかなり気になるけど、これまで真っ青だった口が赤味を取り戻してる事に感動する。
「……ライゼル卿が、お前が青に染まっていなければ主都の細工工房に留学させたかったと言っていてな。もしお前も細工の事を学びたいと思ってるなら、次の桃の節で」
「あのさ……それ、先生にも使ったのか?」
ゴーカ君に言葉を遮られた村長は一瞬驚いた顔をした後、
「……ああ。使った」
「いつ?」
「私と同じ頃にだ」
そう答えると、ゴーカ君は俯いて歯を食いしばった。
どうしたんだろう? と村長と顔を見合わせると、
「……村長、昔、親父にスミあてられたんだってな」
「懐かしいな……あの時はスミ遊びしている彼らに迂闊に近づいた私も悪かったが」
ポツリと重く呟いたゴーカ君に、村長は遠い目で過去を懐かしむ。
ポーカさんが村長にスミ当てて、バルバラさんに追い掛け回されたって話は村の人から聞いた事があるし、バルバラさんも何度も話していたな――と思っていたら、
「俺も子どもの頃……先生にスミ当てちゃった事があるんだよ」
「……何だと?」
村長の声色が明らかに低くなったのと同時に、ゴーカ君が俺の後ろに回り込んだ。
「お、俺が4歳か5歳かその位の時の話でさ、何がどうなって当てちゃったのかは覚えてないけど……先生の膝の上辺りに、スミがベッタリついちゃった事はハッキリ覚えてる」
村長の顔が怖くて見れないんだろう。それも仕方ないと思う。
今の村長からは、包丁持ってたら刺しに来そうな位の圧を感じる。
「でも……行商で野宿してる時、テントで寝てる先生の足が見えてさ。あれ? って思ってちょっとだけスカート捲くったら……」
「えっ、ゴーカ君待って俺それちょっと聞き捨てならな」
「ちょっとだけって言っただろ! あんたが心配するようなエッチな所は見てない……! とにかく、ついてるはずのスミが消えてたんだよ……!!」
エッチな所――膝の上って十分エッチな所じゃないか?――とか、スミが消えてたとか、衝撃的な言葉が連なって一瞬頭が真っ白になる。
けど、村長の苦い物を噛み潰したような表情で現実に引き戻された。
「ゴーカ、それは……」
「俺が聞きたかったのはその事だ。さっき村長の話を聞いて、その薬で消したのかなって思ったけど……去年の桃の節なら違う。俺がそれを見たのは、オルカ商会と契約する前だ」
「……」
黙り込んだ村長にゴーカ君は言葉を続ける。
「なあ、村長……先生は一体何者なんだ? 何でステラ姉ちゃんに成り代わってるんだ?」
「……何故、成り代わってると言い切る?」
「スミは絶対に消えない、って皆言ってただろ? それに、ステラ姉ちゃん、病気で引き籠るまで俺の事ずっと避けてた……でも、先生は俺に普通に接してた。俺の事許してくれたんだって思ってた。けど……もう別人としか思えないんだよ」
ゴーカ君の涙声を最後に、部屋の中に重苦しい沈黙が漂う。
でも、俺が何か口を挟める話じゃない。
俺自身、戸惑いで頭がいっぱいだった。
(ステラさんが、ステラさんじゃない……?)
けど、そう考えれば、これまでの違和感が無くなる。
村長との何処かぎこちない親子関係も。
辺境の村に似合わない高貴な雰囲気も、子ども達に魔法を教えられる知性も。
スミを消す薬をまず村長に使おうとしたのも。
時折どうしようもなく感じる、彼女の悲痛な雰囲気も――
「村長……俺、この事を大事にするつもりはないんだ。あの人が悪い人じゃないってのは分かってるし。でも、何であの人がここに居るのか、本当のステラ姉ちゃんは何処にいったのか、俺、どうしても知りたくて……だから、父さんは連れて来なかった」
「だったら何故リュカ君を連れてきた」
「……だって、父さん、『オズウェルにスミ当てちまった時、バルバラ婆さん本気で俺の事殺す目してた』ってしょっちゅう言ってるし……俺もステラ姉ちゃんにスミ付けた事バレたら追い掛け回されるのかなって、怖くて……この人なら止めてくれるかなと思って」
(なるほど……俺、護衛として連れて来られたのか)
でも、こんな重要な事、俺が聞いちゃってよかったのかな――と思いつつ、聞かせてもらえた事に感謝しつつ。
苦笑いするしかない俺と、今なお俺の背中で震えるゴーカ君を睨んでいた村長は重いため息を付いた後、椅子に座ってポツポツと語りだした。
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