第56話 恋する乙女


 準備があるから、と一旦ライゼル卿だけ馬車に戻ってもらい、私は必要最低限の物だけ鞄に詰めはじめました。


『……生誕祭のパーティーには顔見知りも出るだろう。本当に、大丈夫なのか?』


 伯父様は私がシスティナだと気づかれる事を心配しているのでしょう。

 確かにこのままパーティーに出れば、仲の良かった方々にバレるリスクはあります。


『伯父様……私、ここに来てから顔つきが少し変わったのです。化粧も以前と趣向を変えれば、別人を装えると思います。それに幸い、私とステラは従姉妹同士ですから……似ているという指摘はそれで誤魔化せると思います』


 このティブロン村で過ごす日々が私に強さを与えてくれました。

 深窓の令嬢、麗しく儚い花――そんな印象を払拭させてくれるほどに。


 今の私が持つ美しさは、持てば脆く崩れ去るような儚い物ではありません。

 この美をオルカ邸で過ごしている間に、どう伸ばし、どう活かすか――


『……あまり、気負わずにな』

『はい……伯父様こそ、体にはくれぐれもお気をつけて。おばあ様にもよろしくお伝えください』


 伯父様との短い別れを済ませて外に出ると、岩場にリュカさんがいるのが見えました。


(……リュカさんとも、しばらく会えなくなってしまうのですね)


 お昼時という事もあって皆家に戻っており、魔獣達だけがリュカさんの周りを囲んでいます。


(今なら、二人で話せる……長く話す事は出来なくても、挨拶だけはしていきたい)


 そう思うと、足がリュカさんのいる場所に踏み出していました。


 リュカさんはお昼ご飯を作っているようです。

 食欲を刺激する匂いに鼻をくすぐられていると、リュカさんがこちらに気づきました。


「ああ、ステラさん。今ちょうど群青アジの潮汁が出来たんだ。一杯食べていくかい?」


 誘惑の言葉にちょっと負けそうになってしまいますが、流石に人を待たせているのに一杯頂いている場合ではありません。


「いえ……これからウェサ・クヴァレに行く事になりました。紫の節までここに帰ってこられないと思います」

「えっ……!? ちょ、ちょっと待って、すぐ準備するから!」


 驚いたリュカさんは自分も行かなければならない、と思ったのか鍋と器を交互に見た後、慌てて口に潮汁を流し込もうとします。

 

「ご、ごめんなさい! 気持ちは有り難いのですが、オルカ邸でお世話になるので護衛は結構です……! できればリュカさんには私がいない間、父上の手伝いと、おばあ様に食料届けたりしてもらえたら……!」


 オルカ邸の言葉を聞いた瞬間、リュカさんの表情が固まり――ガックリと肩を落としました。


「そっ……そっかぁ……確かにあそこで寝泊まりが続くってなると、リュルフ達が大変だからなぁ……でも、どうしてオルカ邸に?」


 戸惑うリュカさんに事の次第を話すうちに、彼の表情が段々厳しいものになって。

 風の音や鍋がグツグツ煮え滾る音だけが漂う中、彼はゆっくりと口を開きました。


「本当に、大丈夫なのか……? ラリマー領の主都ウェス・セルパンは一度行った事あるけど、ウェサ・クヴァレより大きい都市だし、公爵の家なんて城みたいだったし……そんな場所で開かれるパーティーなら、男もいっぱいいるんだろ……?」

「ライゼル様も付き添ってくれますし、大丈夫です。それに……リュカさんのお陰で、大分男の人にも慣れてきました」

「……慣れてるように見えない」

「え……?」


 リュカさんの低い声に、戸惑っていると彼は真っ直ぐ、真剣な眼差しで私を見つめてきました。


「こんな事言ったら、ステラさん嫌がるだろうけど……君は俺や村長、アーティさん、パーシヴァルさん以外の男と接してる時、ずっと何かに耐えてるように見える。俺は……そんな君が心配で、放っておけないんだ」


 ああ。なんでこの人には気づかれてしまうのでしょう?


 以前は見透かされた事に不快感がありましたが、今はそんな気持ちは何処にもなく。


 誰にも心配かけたくなくてずっと無理矢理抑え込んでいる恐怖や不安を、こうしてこの人に突きつけられると、申し訳なくて、情けなくて――


 その上、そんな私を放っておけない、なんてリュカさん好きな人に真っ直ぐ言われたら、心臓が破裂しそうな位に――恥ずかしくて。


「だから、その……俺の前では、強がら」

「……ごめんなさい、私、もう行かないと」

「あ、せめて、行きだけでも付き添い」

「大丈夫です……! リュカさんが居なくても、私、本当に大丈夫ですから……!!」


 居ても立っても入れらない程の羞恥心が頭を占めて、リュカさんの言葉を遮り鞄を抱えて全力で駆け出しました。




 2年前――この村に来た時は杖をついてやっと歩けていた私が、今はこうして鞄を抱えて岩場を上手に走れるようになりました。


 男の人とだって硬直せずに話せます。

 魔獣を見たって怖くないし、かつての恋人が妹と結婚して子どもまで作ってる事にだって、もう一切動じません。


 強く――強くなったはずなんです。リュカさんが居なくても大丈夫なくらいに。


(だって、だってそうじゃないと……リュカさんはここを離れられない)


 彼はお人好しだから、村と私の事を心配して、ずっとこの村に残ってくれている。

 私達も彼に甘えている。でも、ずっとこのままじゃ私達にも彼にも良くない。


 彼には想い人がいる――引き止め続けたら彼が幸せになれない。

 だから。彼が、もう自分がいなくても大丈夫だって思えるようになってもらわないと――


(リュカさんが、笑顔でこの村を去ってくれないと……私も……私も、この想いを消せそうにない……!)




 逃げるように荷馬車に駆け込んだ私を、ライゼル卿が驚いた顔で見上げています。


「ステラ嬢……顔が真っ赤ですが、何かありましたか?」

「いえ、何も……何も、ありません……」


 荷馬車の隅で膝を抱えるように座り込み、頭を膝に埋めようとした時、


「そうですか。てっきりあの魔獣使いに引き止められていたのかと」

「ど……どうしてですか……!?」


 咄嗟に顔を上げて声を荒げてしまうと、ライゼル卿は面白い玩具おもちゃを見つけた子どものように笑いました。


「商売上、恋する乙女は星の数ほど見てきましたので。貴方は辺境の村の娘にしてはとても頭が良く、食えない方だなと思ってましたが、私同様、恋には不器用なようですね。少し、親近感が湧きました」

「まあ、悪趣味な方……!」


 くつくつと笑うライゼル卿に精一杯の嫌味を返すと、ふと疑問が思い浮かびます。


「あら、でも……それならコンラッド様を想い慕うマイシャ様を見続けるのはお辛いのでは?」


 システィナとしてパーティーに出ていた頃、たまにですが既に伴侶や婚約者がいる方相手に懸想している方の話を聞いた事があります。

 その方からは何処か儚げで、かつ艶めかしい独特の色気が漂っていました。


 想う相手は他人の物。手を伸ばしてもけして届かない、無理矢理手に入れても幸せにできない、そんな理性と感情がぶつかりあって作り出す哀愁の色気がたまらない――と貴婦人の方々は仰られていましたが、ライゼル卿からはそんな哀愁の色気は一切漂っていません。


「……あの方は誰も想ってませんよ。だから諦められないんです」


 彼が呟いた意外な言葉は、何とも言えない複雑な感情を私にもたらしました。


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