第55話 ドレスを着るのは


「……と、言う訳で。マイシャ嬢はすっかりご機嫌を損ねてしまいました」


 事前に連絡も無く突然来訪したライゼル卿は家に入って来るや否や、アドニス邸であった事を話し出しました。

 くどくどと語るライゼル卿の勢いに飲まれ、途中で言葉を挟む事も出来ず。


「も……申し訳ありません。まさかそこまでマイシャ様に嫌われてるなんて……」


 ライゼル卿が一部始終を言い終えて一息ついた所で、深く頭を下げて謝罪しながらこうなった理由を考えてみます。


 お父様も兄様も、私がステラとして生き延びている事をマイシャに伝えていないそうです。

 口が軽いマイシャはいくら口止めしても私が生きている事を誰かに漏らす可能性があるからだと。


 この意見には私も賛成です。

 マイシャはお喋り上手で人を楽しませますが、言って良い事と駄目な事の判断が危ういところがありますから。

 私達が傍にいた頃はそれとなくフォローを入れられましたが、アドニス家に嫁いだマイシャをフォローする事は出来ません。


 もしメルカトール家が私の死を偽装した事が明るみに出れば、家の名誉は著しく貶められてしまいます。

 私への贖罪として払われた金銭を返還しろ、という話にもなりかねません。

 そうなればメルカトール家も、私も、ステラの願いも、何もかもが終わってしまいます。


 ですのでマイシャが嫌っているのは私ではなく、ステラ自身。

 そしてマイシャとステラが会ったのは、10年前の一度きり。


 私が覚えている限り、二人が喧嘩した記憶はありません。

 ただ、マイシャは少し離れた場所で私達を眺めていました。

 恐らくステラから漂う潮の匂いを嫌ったのでしょう。


 そしてマイシャがステラの舌を見て驚いて、ステラが泣きながら伯父様と一緒に帰って――マイシャはお父様に叱られましたが、翌日にはケロッとしていました。


(だけど、その後……私がステラに絵本を贈ろうとした時)



 ――何でそんな事するの? わたし、ステラのせいで叱られたのに。



 そう聞いて来たマイシャはとても不満げでした。

 私がステラに絵本を贈る事が余程気に入らなかったようです。


 ステラを気にかける私やお父様への怒りがそのままステラに転写され、それをずっと引きずっている。

 そう考えれば今回の拒絶は当然の事と言えるでしょう。


 嫌いな相手がちやほやされてたり、活躍している事が面白くない、という気持ちはのは理解できます。

 それはマイシャに限らず大なり小なり、誰もが抱える感情です。

 

 ですが――どんな理由があるにせよ、この話を断ればメルカトール家の面目が潰れてしまう事は分かっていたはず。


 本当にあの子が家の事を、メルカトール家の事を思っているなら断るはずがないのです。


 (全て……全て、詭弁だったのですね)


 せめてあの子の、「家の為に嫁ぐ」という言葉は信じていたかったのに。

 家の事を第一に考えてコンラッド様に嫁いだ結果愛が育まれてしまったのなら、私が口を出す事ではないと――


「ライゼル卿……ステラが手紙を送らなくなったのは、その頃病状が悪化して文字もまともに書けない状態だったからだ。けしてシスティナ様を見限った訳ではない。葬儀にも出られる状態ではなかった」

「という事は、マイシャ嬢が誤解しても仕方がない状態だったという事ですね?」

「それは……」


 考え込んだ私を助けようとした伯父様の助け舟もあえなく沈んでしまい、室内に重い沈黙が漂います。

 ここは食い下がるより、これ以上ライゼル卿の不快を買わないように動いた方がいいでしょう。


「ええ……確かに、誤解されても仕方ない状況です。私の不徳によりライゼル様に恥をかかせ、大切な商談を台無しにしてしまった事、誠に申し訳ありません」

「…………まあ、過ぎてしまった事は仕方ありません。今はそれよりマイシャ嬢の代わりにドレスを着てくれる人を探さねばならないのですが……」

「え?」


 ライゼル卿の予想外の言葉に思わず声を出てしまうと、眉を潜められてしまいました。


「……何です? その、意外そうな顔」

「いえ……これまでライゼル様の強烈な横恋慕熱い想いにあてられてきた身としては『マイシャ嬢に嫌われたくないので、この村との契約を破棄させて頂きます!』と言われても仕方ない状況だと思ってましたので……」


 伯父様が咳込む中、ライゼル卿は涼しい顔で肩をすくめました。


「商売と私情を混同するのは商人としてあるまじき行いです。そんな事をして上手くいった商人など聞いた事が無い。なので私は貴方とマイシャ嬢がどんなに憎しみあっていようと、貴方との付き合いを止めるつもりはありませんよ」

「それは、こちらとしてはありがたいのですが……私と関わり続けたらマイシャ様は機嫌を損ねたままなのでは?」

「……機嫌を取り戻して私の妻になってくれるというならともかく、ご機嫌伺取りの為だけに大金を生み出すこの村を手放すのはあまりに惜しい。それに、私もいつまでも手に入れられない花を想い続けている訳ではない……と知ってもらえれば彼女も危機感を覚えてくれるかも知れませんし」


 この村の価値を重視してくださっている事に感謝しつつ、後の妄言はいつものように聞き流していると、


「……大方、スミフラシの布が体液で染めた物と知って嫌になり、断る理由を探してたところに気に入らない貴方の名前が出て来て、咄嗟に使ったんでしょう」

「……そこまでマイシャ様の事を見透かしていて、何故」

「頭では駄目だと分かっていても、女に惑わされてしまう……それが男という生き物です」


 それは、偉人の伝記や歴史書にしばしば出てくる言葉です。

 数々の女性と浮き名を流す殿方や、評判の悪い女性に傾倒する方も同じような事を言っていました。


(「だから女性には迂闊に近寄らないように」という想いを込めて書いた本が「だから仕方ないよね!」という開き直りの言い訳に使われてると知ったら、筆者はさぞかしお嘆きになるでしょうね……)


 ただ、異性に惑わされてしまうのは男性に限った話ではありません。

 私も――頭では駄目だと分かっていても消せない想いには、心当たりがありますから。


「さて、話を戻しましょう……マイシャ嬢に断られた今、代わりにドレスを着てくれる女性が必要なのですが……私は貴方に着て頂きたいと思っています」

「なっ……!?」

「そこまで驚かれなくても。貴方は身分こそ低いとはいえ、一応は貴族の令嬢……美しさも申し分ない。生誕祭で間違いなく注目を集める事が出来るでしょう」

「し、しかし……生誕祭のパーティーは公爵家からの招待状が無いと参加できないはずでは?」


 招待状はラリマー家の親族や仲の良い家の他に公爵や侯爵、ウェスト地方の都市領主、その年に功績を残した貴族など、大分限られています。

 領主夫人になるマイシャはともかく、子爵家や男爵家が気軽に参加できるようなものではないはずなのですが。


「実は私、こう見えてアクアオーラではそこそこ名が通ってましてね。それに最近ちょっとしたツテも出来て、生誕祭に招待されそうなんです。その私の連れとして貴方を連れて行けば何も問題ない」

「ですが……ラリマー領のパーティーで他領の男爵令嬢が着飾っても、あまり効果は……」

「確かに、爵位の壁は大きい……ですが公爵の目に止まれば、その壁は脆く崩れ去る」


 そう――貴族の頂点に立つ公爵が気に入った者に、難癖など付けられるはずもありません。

 どんな高い身分の者でも、公爵の不快を買えば家ごと潰されるのですから。

 口を挟んだ家すら潰しかねない程の力を公爵は持っているのです。


「……パーシヴァル卿には既にこの事を伝えています。向こうは今回の件で完全にマイシャ嬢を見限ったようで、貴方が了承するなら異論ないと言っていました。こちらとしてもマイシャ嬢の事抜きにしても堅実で評判も良いメルカトール商会と良い関係を築きたかったので助かりました」


 お父様が完全にマイシャを見限ったという一言に胸が痛みます。

 確かに、娘の我儘でメルカトール商会とオルカ商会の商談に大きな亀裂を入れてしまったとあっては、見限らざるを得ないでしょう。

 そして、マイシャの我儘にはステラが利用されている。


「後は貴方次第です。ここで私情を言わせてもらうなら、貴方の提案に乗ってマイシャ嬢の心証を害してしまった私に対して本当に申し訳ないと思っているなら、是非とも協力して頂きたい」

「……分かりました。本当に申し訳ないと思っていますので、是非協力させてください」


 商売と私情は混同させないと言いながら商売の為に私情を利用する辺り、この方は根っからの商人気質のようです。

 そこに感心しつつ返した言葉にライゼル卿は笑顔で頷き、立ち上がりました。


「それでは、後の話は馬車で話しましょう。そのまま生誕祭までオルカ邸でお過ごしください」

「今から、ですか……?」


「ええ。早くドレスを仕立てなければなりませんし。貴方の髪もここの強い潮風で本来の美しさがくすんでしまっています。その上、日焼けした肌にスミフラシの青は映えない……生誕祭までの残りの3節、オルカ邸でその美しさに十分磨きをかけて頂きたい」


 ライゼル卿の突然の提案に、私と伯父様は困惑した顔を見合わせる事しか出来ませんでした。

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