第52話 魔獣使いの決意 (※リュカ視点)


 岩場の先端で釣りをしながらぼんやりしていると、背後に人の気配を感じた。


「「師匠、おはよう!」」

「……ああ、ニアちゃん、ヨヨちゃん……おはよう」


 振り返ると、二人は何か変な物を見てしまったかのような表情で固まる。


「師匠、どうしたの……? 何だか目がどんよりしてるの」

「はは……釣りしてるんだけど、全然釣れなくてさ」

「いつから?」

「えーと……今が朝って事は……昨日の夜から、って事になるかな?」

「……それ、餌取られてない?」


 ニアちゃんに言われて糸を手繰ってみれば、釣り針に付けたはずの海ミミズがいなくなっている。

 言われてみれば、考え事してる時何かちょっと手応えを感じたような、感じてないような――


「あ、イチがお腹空いたって怒ってるの」


 ヨヨちゃんに言われて足元を見ると、トゲアザラシのイチがぷっくり膨らんでいて分かりやすく怒りを表現している。


 いつから膨らんでたんだ? と思っていると、リュグルと海カモメのニーナが遠くからそれぞれ小魚をくわえて飛んできて、イチの前に落とした。


 イチはそれらを丸呑みしてもまだ物足りないらしく、首の辺りから尻尾の辺りまで生えるトゲがピンと張っている。


「トゲアザラシが大人になったら、真ん丸になってこのトゲで攻撃してくるっておじいちゃんが言ってたの」

「大丈夫だよ、イチは優しいもん! こっちが嫌な事しなきゃ攻撃なんてしてしないよ」

「でも今、師匠に怒ってるの」

「それは師匠がちゃんとお魚釣ってあげないからだよ……って、師匠、またどんよりしてる!」

「……昨日、お兄ちゃん達と話してた時は元気だったの。何かあったの?」


 昨日――そう、昨日のお昼ぐらいまでは大丈夫だった。


 村長に呼ばれて、またステラさんの家に果物入った木箱届けて、釣りしながらイチル君やサンチェ君と話して――その後青鯛が二匹も取れたから、差し入れに行って。


 その後。ステラさんがパーシヴァルって人と抱擁してるのを見て以降の記憶が殆どない事を告げると、二人は何か可哀想な物を見るような表情で俺を見つめてきた。


「師匠……本当に先生に告白しないの?」

「ヨヨちゃん……前も言ったけど、別の人に片想いしてる人に『一目惚れしました!』なんて言っちゃったら気まずくなるだろ? しかも、相手のお父さんから『君は娘も同然だ』なんて言われてるような家族公認の仲なんだよ? 告白なんかしたら困らせちゃうだけだよ」


 昨日の抱擁が頭を過ぎる度に、重いため息しか出ない。

 ステラさんがああして心を許せる相手がいるのは良い事なんだけど、ため息しか出ない。


「うーん……私、前に先生に師匠とアーティ様のどっちが好きか聞いた時、そんな感じには見えなかったんだけどなぁ……」

「カッコいいって思う気持ちと、好きって気持ちは違うの、ヨヨにはよく分かんないの。カッコいいって思うのは好きだからじゃないの?」

「ヨヨ……カッコよくなくても、好きって思う事はあるよ? 体が熱くなって、胸がドキドキして、キューってなっちゃうの」


 二人の話題が恋そのものに逸れた事に安堵しながら、針にエサを付け直して再び釣りを始める。


 日が暮れる頃に始めた釣りなのに、もうすっかり日が昇ってる。

 眠った記憶はない。ただ――過去の事を思い出しているうちにいつの間にかこんな時間になっていた。




 今からもう10年近く前。

 ローゾフィアとリアルガー領の境にある雪山で、リアルガーの公子に会ったのは偶然だった。


 俺達の村の農作物を荒らしていた魔物の中には繁殖力と記憶力が高く、群れの中の一匹でも逃せば、数年と経たずにまた農作物を荒らしに来る厄介な奴らがいた。 

 そいつらが襲ってきた時は追い払うだけじゃ駄目で、巣を見つけて群れを全滅させる必要があった。


 その時は俺が率いていた班で巣の探索をする事になって、リュルフ達の鋭い嗅覚で魔物達が来た道を辿って巣を探しているうちに、リアルガー領の山に入り込んでしまっていた。

 それでも巣を見つけて群れを全滅させる事ができたのはいいんだが、運が悪い事にその辺りは夏以外は常に雪に覆われているような豪雪地帯だったらしく。


 戻ろうとした時には一歩も前に進めないような猛烈な吹雪に巻き込まれてしまった。

 雪洞を掘って仲間とリュルフ達と身を寄せ合って吹雪をやり過ごしながら数日経った頃、リアルガーの公子達が迷い込んできた。


 息も絶え絶えで意識も朦朧としている彼らをどうするか――班長の俺に判断が委ねられた。


 俺は、殺せとは言えなかった。

 だけどそれは優しさなんかじゃない。


 リアルガー公爵家の人間真紅の魔力を持つ者を殺したら、どうなるか分かっていたからだ。


 ウェスト地方を統括するラリマー公爵家が紺碧の大蛇アズーブラウという色神に愛されているように、ノース地方を統括するリアルガー公爵家も真紅の巨竜カーディナルロートという色神に愛されている。


 実際に色神を宿しているのは公爵だが、その公爵の子どもを殺せばどうなるか――それはローゾフィア領一帯に代々伝わる言い伝えが物語っている。


 リアルガー家の怒りを買った部族は、真紅の巨竜に村ごと焼き尽される。


 だからリアルガー家に関わっていそうな奴らにはとにかく関わるなと教えられた。

 あいつらは魔物や賊、他の部族と勝手が違うから何をされても耐えろとも言われた。

 そうしてきたからこそローゾフィア俺達の部族は生き永らえてこれたのだと。


 殺せなかったから、殺さなかった。それは他の皆にも理解してもらえた。

 だけど俺は――放っておけば凍死してしまいそうなあいつらを、見殺しにもできなかった。


 目の前で人が死んでいくのは見慣れてる。この手で殺した事だってあるし、リュルフ達に殺させた事だってある。

 自分の手を赤く染める事を嫌がってたら生きていけないから。


 でもそれは相手が襲い掛かってくるからだ。殺さなければ殺されるからだ。

 無抵抗な人間が目の前で死んでいくのをただ見続けるのは――嫌だった。


 俺は班の皆と相談して、同意を貰った仲間の毛皮と食料をそいつらに分けた。


 ――敵対している人を助けるなんて、誰にでもできる事ではありません。リュカさんもそうですけど、ローゾフィアには心優しい方が多いのですね――


 ステラさんは心優しいなんて言ってくれたけど、優しさはいつだって正しいとは限らない。


 たまたまそいつらが俺のした事に感謝してくれたってだけで、逆に何の恩も感じず俺達の部族を襲いに来る可能性だってあった。


 『優しい』は『甘い』とも言い換えられる。その甘さが味方を死なせる事もある。

 俺の判断は寝首をかかれたり、味方の犠牲を増やしかねない危険な行為だ。



 案の定、吹雪を乗り越えて彼らと別れて村に戻った後、村の人達から責められた。

 そのまま野垂れ死にさせれば良かったのに、何故毛皮や食料を分け与えたんだと罵られた。


 真紅の巨竜に村を焼き払われた人を祖先に持つ人達や、リアルガー領の人間に酷い事をされた人の視線が、俺を痛烈に蔑んでいた。


 班の皆には助けた事を黙ってるように頼んだけど、皆に知れ渡ってしまった。

 班の中に真紅の巨竜に村を焼き払われた人の孫がいた事を知ったのは、その後だ。


(それだけなら、まだ良かったんだけどなぁ……)


 助ける判断をしたのは俺で。俺が班長だったから皆反対できなかっただけで。

 俺だけが責められる――俺だけが裏切り者、臆病者と言われるだけで済んだ。


 俺がそういう奴だと知っていた友人や仲間は変わらず接してくれたし、嫌な視線で蔑まれるだけで、石を投げられたりとかそういうのは無かったから耐えられた。


 耐えられなくなったのは、あの時。


 向こうが公爵父親に俺達に助けられた事を話したみたいで、公爵が真紅の巨竜に乗って直々に俺の村に酒をもってやって来て。

 親父と話して、酒を酌み交わして、意気投合して――和解に至った。


 リアルガー家とうちの部族が仲良くなった事で、賊や他の部族が村を襲ってくる事もなくなった。


 その結果、村の人達の俺への視線は一部は和らぎ、一部は一層厳しくなった。

 親や祖先の仇と仲良くしようだなんて、面白くないと思う奴らがいて当然だ。


 そんな状況で親父が俺に後を継がせるとか言い出したから、たまったもんじゃない。


 俺は雪山で吹雪をやり過ごしていた時にたまたま倒れ込んできたリアルガーの公子達を殺す事もできず、見殺しにもできなかっただけだ。

 俺自身は大した能力がある訳じゃない。腕力だって俊敏性だって体力だって、兄貴や弟の方が優れてる。


 『相手が襲い掛かって来たから』って言い訳ができないから殺さなかっただけの――言い訳が無いと敵一人殺せない俺がローゾフィアの族長になるなんて想像できなかったし、その上族長の一夫多妻。


 俺と添い遂げる女性はまだ故人を想ってるかもしれない。

 リアルガー家に村を滅ぼされた人の子孫だったら、公子を助けた俺を恨んでるかもしれない。


 それに、族長になる気でいた兄貴の立場は?

 俺がたまたまリアルガー家に気に入られたからって理由で族長にしようとしている親父の本心は?


 俺は全部――全部、受け止める事が出来なかった。


 ただ、俺がいなくなれば村の中の確執は消える。

 俺はいない方がいいと思ったから、俺は村から飛び出した――逃げ出したんだ。


 実際、俺がいなくてもリアルガー家と親父達は上手くやってるようで。

 侯爵なんて凄い爵位ももらってんだから、これで良かったと思ってる。


 ――昨日、パーシヴァル卿から俺の話題が出た時は身が凍るかと思ったけど。



(……名前、間違ってて良かった……)


 あの時の事を今思い出すだけでも嫌な汗が出る。

 ステラさんは頭がいいから、あそこで俺の本当の名前を言われたら絶対疑われてた。


 でもなら同一人物だとは思われない。

 パーシヴァル卿に伝えた人の発音が悪かったのが不幸中の幸いだった。


 何とか危機を乗り越えた――改めて安堵の息をついた所で竿に微かな手ごたえを感じ、今度はしっかりを我に返る。

 一気に竿を引き上げると、糸の先でそこそこ大きなアジが跳ねた。


 岩場でビチビチと跳ねるアジから針を外してイチにあげると、まだニアちゃんとヨヨちゃんが真剣な顔で座り込んでいた。


「あたし、アーティ様もパーシヴァル様も先生の事が本当に好きだったら、館に連れ帰ってると思うのよね……」

「駄目なの……アーティ様とパーシヴァル様が外に出てる間、先生一人ぼっちになっちゃうの。その間、意地悪な人達にイジメられちゃうの……!」

「そっか……確かに絵本にもお姫様と騎士の恋を邪魔する意地悪なメイドが出て来たもんね……」


 物語に出てくる悪役が実在するかのように真剣に語る二人に、そう言えば俺も村の爺さんの武勇伝とか真に受けてたっけなぁ――なんて子ども時代を思い出していると、


「うん、先生、口の中とか手足とか見られて、イジメられちゃうの……可哀想なの……」


 ヨヨちゃんが泣きそうな顔で呟いた言葉が引っかかった。

 確かにステラさんもこの村で暮らしている以上、あの手袋やブーツの下にはスミが着いてるんだろう。

 それを見られたらイジメられる、って理屈は分かるけど――


(そう言えばステラさん、何か薬もらってたな……)


 スミフラシのスミを消せる薬――まだ人体では試してない、父上に試してもらう、とか何とか。

 実際効果があるかどうか分からない内は村の人達には言わない方がいいんだろうけど――


(……毒性が無いと分かっている物なら、ステラさんが自分で試せばいいのに。何で村長に試してもらうんだ?)


 まあステラさんって自分より他人、って所があるから――でもそれならなおさら自分を実験体にする気もするんだよな。

 違和感を覚えつつ釣り針に新しい海ミミズを通していると、ふいに袖を引っ張られた。


「……ねえ師匠、まだこの村にいてくれる?」

「え?」

「先生に失恋して辛くなったからって、黙っていなくなったりしないよね?」


 なるほど、ニアちゃんは俺がステラさんに失恋して、この村から出て行く事を心配してるみたいだ。


「大丈夫、紋様入れてまだ日が浅い人達も何人かいるし……それに何か税金? っていうので問題抱えてるんだろ? それも気になるし……まだしばらくはこの村にいるよ」

「税金……お父さん達も話してたの。来年は仕方ないけど再来年どうするつもりなのか、村長も先生も聞いても教えてくれないって困ってたの」

「うちも。でも……先生のお陰でこの一年、防寒具も服も新しいのになったし、お菓子とか食べたりできたし、信じてみようって」


 そう、この一年――俺がこの村に来てから二年と経たない間に随分とこの村は変わった。

 ステラさんも出会った頃よりずっと元気になって、体も少しふっくらしてずっと綺麗になって、笑顔も多くなったけど――どこか悲しげで辛そうな、そんな印象はずっと抜けないままだ。


 リュルフもリュグルも、同じ印象をステラさんに抱いてるから俺の勘違いって事はなさそうだ。

 ただ、そこを追及するとステラさんは簡単に心を閉ざしてしまいそうで踏み込めない。


 踏み込んだ所で俺に出来る事なんて、たかが知れてるけど。

 求められてない事も分かっているけど。


 それでも――必死で笑顔を張り付けている彼女を助けてやりたい。

 あの人が抱える辛さを少しでも軽くしてやりたい。 


 想いが届くとか、届かないとか、そんな事より。

 俺は、ステラさんが心から幸せそうに笑う姿が見たいんだ。


 だから、まだまだこの村から出て行けそうにない。


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