第51話 親子の再会・2


『お前は……マイシャの事を恨んではいないのか?』


 商談の間にすっかり冷めてしまったお茶を温かい物に差し替えていると、お父様は眉を潜めて問いかけてきました。


 何故、私を絶望に突き落したマイシャを頼ろうとするのか――先ほどはライゼル卿がいたから聞けなかったのでしょう。


『正直、かつて愛した方を愛する妹に奪われた事実は、今なお私の心を締め付けてくる時があります……ですが私はあの子を恨んだり、憎んだりできるような立場にありません』


 元々は私がコンラッド様の街に下りる誘いをはっきり断っていれば良かった話。

 あの二人に思う事があっても、結局自分に返ってきてしまうのです。

 

『それに……今の生活も楽しいのです。色々大変な事もありますけど、その分達成感もあると言いますか……』


 子ども達への授業や、商売や取引はもちろん、お父様の前に置いたお茶もそうです。


 メルカトール邸にいた頃は自分で入れた事などありませんでしたが、こうして自分で入れるようになると、いかに好みの濃さに出来るか、香りを立たせられるかを考えたりして、上手くいった時にささやかな喜びを感じるのです。


『だから、言葉は悪いのですが……この生活を守る為にあの子を利用しようと思ったのです』

『生活を守る為、か……』


 そう。これが上手くいけば、私自身がマイシャやコンラッド様に関わる事なくライゼル卿から言われた「マイシャ嬢との仲を取り持ってほしい」というお願いを一応叶えた事になります。


 マイシャも素敵なドレスを着て生誕祭で目立つ事が出来ますし、スミフラシの布が売れてメルカトール家も潤う――誰もが幸せになれるのです。


『……税金の話はオズウェル殿から聞いている。こちらも援助できれば良かったのだが、ここにきてマイシャの散財がアドニス家の家計に思いのほか響いているようでな……』

『それほどの散財……アドニス伯は止めないのですか?』


 コンラッド様はともかく、ウェス・アドニスという都市を統治するあの方は家の財を食い潰すような行いを放置するほど愚かではないはずです。


『お前に償えなかった分、お前が大切にしていたマイシャに尽くす事で償いたいとの事だ。実際何を考えてるのか分からんが、あの子の散財の記録やあの子からの話を聞く限りこちらも強くは出れなくてな……来年からのアドニス家からの援助は断った』

『私も……それが良いと思います。私自身、死んでいないのにこれ以上の慰謝料を頂く事に抵抗がありますし……』


 何より、このまま援助を受け続けたら後で何と言われるか分かりません。

 私には関係ない事――と一度は切り捨てた疑念ですが、そこまでマイシャに都合が良い状況には流石に違和感を覚えざるを得ません。

 お父様もそう思ったからこそ、援助を断ったのでしょう。


『幸い、今年の援助金でようやくこれを見つける事が出来た。一度見つけてしまえば後はよその金に頼らずともやっていける』

『これは……?』


 お父様がテーブルに置いたのは、手の平に収まるほどの小瓶でした。

 手に取って見てみると、中には黄土色の粉が入っています。


『イースト地方の最果てにある、ルドニークという山に生える植物の根を粉にしたものだ。これでスミフラシのスミを落とせる』

「えっ……!?」


 予想だにしなかった言葉に、思わず声を上げてしまいました。

 イースト地方――ここから馬車で行くにしても半節以上かかる上に、私達と相性の悪い、黄系統の魔力を持つ人達が多く住んでいる地域です。


 わざわざそんな所の、しかも最果ての山に生える植物を探し出すなんて――長い時間かけて他の地方を探しつくした後でもないと、考えられません。


『お父様……これは、いつから探していたのですか……?』

『……お前達の母マデリンと出会った時からずっとだ。人前で常に手足や口元を気にかける彼女を救いたくて、ずっとスミを消せる物がないか探していた』


 いつも扇子で口元を隠していたお母様が脳裏を過ぎります。

 確かに、優しく微笑んでいるお母様の姿はいくらでも思い出せるのに、声を出して笑った姿を見た事がありません。


 お客様はおろか、私達の前でも、お母様は気を張っていたのです。


 他人に手足や口の中を見せないように振舞うのがどれだけ大変で難しい事か――同じように過ごしている私にはよく分かります。


『マデリンが亡くなった後、一度は探すのを止めたのだが……オズウェル殿やステラ嬢が気の毒で再び探し始めた。ただ、これを見つけるまでに本当に金も、時間もかかってしまった……その間お前にもマイシャにも寂しい思いをさせて、本当に済まないと思っている。あの子が商人嫌いになったのも私のせいだ。その負い目もあってお前に対して酷い事をしたあの子を見限る事も出来ん私を、どうか許してほしい』


 テーブルに手をついて深く頭を下げるお父様に、私は言葉が出ませんでした。


 確かに、お父様はよく商談や行商で家を空けられていました。

 土産話は楽しかったし、プレゼントも嬉しかったけれど、それだけでは埋められない寂しさもありました。


 お母様が亡くなられてからは一層寂しさが募って、でも負担をかけたくなくて我慢して。

 私は寂しさを紛らわせてくれる本に、マイシャはお洒落やお喋りにのめり込むようになって。


 マイシャがコンラッド様に嫁ぐと聞いた時、それを許したお父様に全く怒りを感じなかった訳ではありません。


 私室から身を投げる直前――価値を失くした私はお父様にも見捨てられたのだ、という絶望と怒りが確かにありました。


 でも――


『お父様……もういいのです。私も、お父様に商才が無いのだと思い込んで……勝手に見捨てられてしまったのだと思い込んで……本当に、愚かでした』


 そう。お父様の目利きは確かなのに、私が見ていた範囲ではとても仕事が出来るように見えるのに、何故いつも赤字にならない程度の利益しか上げられないのか。


 そこに疑問を持って調べれば、ティブロン村への援助だって、薬を探している事だって全部気づけたはずなのに。


『商才か……確かに、私にはスミで布を染めて売る、なんて発想は全く思いつかなかった。スミを消せる物をひたすら探し続けた私より、そのスミや村で採れる物を活かして村全体を活気づけようとしているお前の方が、遥かに商才がある』


 お父様は恥を忍ぶ私の肩に手を置いて、穏やかな声で励ましてくれました。

 その声と手の温かさに再び涙がこみ上げてきそうになりましたが、グッと堪えて微笑んだ所で、コンコンとドアをノックする音が響きました。



 さっとハンカチで眼元を抑えた後にドアを開けると、リュカさんが青く艶めく大きな魚を抱えて立っていました。


「ああ、ステラさん。今日は青鯛が2匹も釣れてさ。ステラのところお客さん来てるみたいだから、1匹差し入れしようと思って……」

「まあ、ありがとうございます……! パーシヴァル卿も夕食一緒にいかがですか?」

「そうしたいんだが……私もそろそろ戻らねばならなくてな」

「そうですか……」


 確かに、空はもう大分赤らんでいます。

 別れを惜しみながら振り返ると、既にお父様は私の傍に立っていました。


「パーシヴァル様、こちらはリュカさんと言って、ローゾフィアの……」

「ああ、アーティとオズウェル殿から聞いているよ。君がローゾフィアの魔獣使いか……そう言えば、ノース地方の公爵令息リアルガー家の公子を助けたローゾフィアの族長の息子も君のような使だと聞いているが……」

「あはは……それ、あちこちで言われるんですけど人違いですよ。燃えるような髪と目を持ってる奴なんて、俺の村にいっぱいいますから」


 リュカさんは頭を掻きながら、お父様の言葉を苦笑いで否定しました。


 殆どの人の目は、自身が持っている魔力と同じ色を宿しています。

 ですが髪も魔力と同じ、という人は滅多にいません。

 そしてそういう方々は皆強い魔力を持っている、という共通点を持っています。


 リュカさんは魔力が強い方ですから疑問に思いませんでしたが――そんな方々がいっぱいいる村、とても気になります。

 たまたま地毛がそうなのか、魔力の影響なのか、直接この目で見てみたい好奇心が沸き上がりますが、それより――


「あの……リアルガー家がローゾフィアと和解した事は存じていますが、その話は初めて聞きました。詳しくお聞きしてもよろしいですか?」

「えっ、と……ごめん、俺はあんまり知らなくて……」


 リュカさんに尋ねると、リュカさんは困ったように口をつぐんでしまいました。


(あ、そう言えば……リュカさんって、家族に黙って村を出てきたんでした……)


 リュカさんの表情が暗いのはその辺りの事情も関係しているのかもしれません。


「私も詳しく知っている訳ではないが、確か領境の雪山で遭難しかけていた公子を族長の息子が助けたらしい。族長の息子の名前は確か……ルカリオ、だったかな……?」


 私達の間に漂う気まずい空気を察したのか、お父様が助け船を出すように補足してくださいました。


「まあ……敵対している人を助けるなんて、誰にでもできる事ではありません。リュカさんもそうですけど、ローゾフィアには心優しい方が多いのですね……リュカさん?」

「あ、ご、ごめん。ステラさん……これ、何処に置けばいい?」

「あ、それじゃあキッチンの方に……」


 青鯛をキッチンの方に運んでもらう間も、リュカさんは何だか居心地悪そうで。

 お父様を見送った後、久々にゆっくり話せたら――と思ったのですがとてもそんな声をかけられるような雰囲気ではなく。

 残念に思いながら玄関に戻ると、帰る準備を終えたお父様が待っていました。


「リュカ君、戻るのなら私も途中まで同行していいかな? ローゾフィアの地理について2、3聞きたい事があるんだ」

「……俺に分かる範囲で良ければ」


 リュカさんの笑顔にいつもの明るさがありません。

 笑ってはいるのですが、影が差しているというか、辛そうな、何か抱えているような――


「スティ」

「は、はい!? おとっ……どうなさいましたっ!?」


 突然のお父様の呼びかけに思わず「お父様」という言葉が出かかりましたが、どうにか飲み込む事に成功しました。


「さ、先ほど渡した薬だが……スミフラシのスミが着いた布で確認しただけで、まだ人には試せていない。毒性がない事は確認済みなのだが……」

「わ、分かりました! ち……父上に、試して頂きます。もし上手くいった時はまたこの薬を届けて頂けますか?」

「……ああ、もちろん。手紙をくれればすぐにでも手配しよう。他にも私に出来る事があれば、遠慮なく頼りなさい……私は君を娘に等しい存在だと思っているから」


 まだバクバクと音を立てる心臓は、お父様の力強い抱擁を受けると驚く程静かになりました。

 そして何度されても温かくて、懐かしい抱擁に涙がとめどなく溢れ、手が自然と抱き返していました。


「ありがとうございます……パーシヴァル様」

「スティ……また会う日まで、元気で」


 お父様は優しい声を残して、リュカさんと家を出ていきました。


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