第50話 親子の再会・1


 桃の節に入り、冷やかな風が吹き出した頃――ティブロン村の前に1台の荷馬車が停まりました。


 馬車から降りてきたお父様との二年半ぶりの対面はお互い少しぎこちなかったのですが、家の中に招き、他人がいなくなったところで力強く抱擁され。

 アーティ兄様と同じ事をしている、と涙交じりに伝えるとお父様は困ったように苦笑いしました。


 私が知ってるお父様はいつだって落ち着いていて、お母様が亡くなった時だって私達の前で涙を見せる事はなかったのに。

 今はその目が涙が零れ落ちんばかりに潤んでいて。


『お父様……親不孝な娘で、本当に申し訳ありません』

『謝るな……お前が私に謝る事など何一つない。私こそ子どもに寄り添ってやれなかった馬鹿親だ。もう二度と公の場で親子として接する事ができないのは辛いが、それでも……生きてくれて本当に良かった』


 自然と零れ落ちた言葉と同時に、お父様の頬を涙が伝い。

 それを見た私も、心が洗われるような想いと罪悪感でこみ上げてくる涙に耐え切れず、お互いにハンカチで目頭を押さえた所でノック音が響きました。


 伯父様がもう一人、大事なお客様を連れてきたのです。



「お久しぶりですパーシヴァル卿、ステラ嬢」

「ライゼル殿……手紙でも礼は述べたが、スミフラシの布を広めて頂いた事を改めて感謝する」


 毅然とした表情に戻って手を差し出したお父様に対し、ライゼル卿は実に機嫌良さそうに握手を返しました。


「いえいえ……こちらこそ貴家との縁が再び結ばれた事に感謝しております。これを機に今後も公私共に良いお付き合いが出来ればと思っております」

「ライゼル殿……公的なお付き合いは願ってもないのですが、私的な面は……」


 ライゼル卿の含みのある言葉に。お父様は反射的に手を引っ込めようとしたようですが――彼の方も引っ込める事を阻止するように力を込めたようで、引き抜く事が出来ませんでした。


「これは失礼……マイシャ嬢が二人目を妊娠しているからと我儘を並べ立てて贅沢三昧好き勝手しているという噂を聞き、これは離縁も近いかも知れないと思うとどうしても期待してしまう物で」


 伯父様がライゼル卿の隠す気配もない強烈な横恋慕を目の当たりにして動揺していますが、お父様は死んだ魚の目をしています。

 これは何を言っても無駄、と言わんばかりに諦めてる目ですが、私はライゼル卿の今の発言が引っかかりました。


「あの……ライゼル様は自分が築き上げた財をマイシャ様に散財されてもよろしいのですか?」

「ええ。私は金が大好きですが、金よりマイシャ嬢の方が好きですから。生涯金を稼ぎ続けて彼女を甘やかし、養い続ける覚悟はできてますよ」


 歪み切った慕情を真っ直ぐ言い切る姿はもはや清々しく、尊敬の念すら抱きます。

 こういう方が後世で英雄と語り継がれるのかもしれません。


 個人的には、商売の話以外では極力関わりたくない方ですけれど。


「さて、ステラ嬢……私に話があるという事ですが、先にこちらの用事から済ませてもよろしいですか?」


 ライゼル卿が嬉しそうな表情で差し出してきたのは、来年度の契約書。

 条件面に変化はありませんが、布や装飾品の基本単価が僅かに上がっています。


「スミフラシの布……当初は青色染料の高騰から仕方なしに購入していた方が殆どだったのですが、ドレスやスーツに仕立てると目が覚めるような鮮やかさに惹かれる方が多いようで。装飾品も年配の方に評判です」


 装飾品は物の質と同じ位、デザインや流行りが重要視されます。

 ですが貴族相手の商売に慣れた装飾職人と張り合えるほどのセンスは私にはありませんし、この村では若者の流行りを掴めません。


 なので周囲の目を引くような物でなく、綺麗に磨かれて形が整っている貝殻や真珠を連ねた物――年配の方に好まれるシンプルなデザインにした事が功を奏したようです。 

 子ども達には拾った貝殻や青真珠の大きさを細かく揃えてもらったりして、皆で頑張った甲斐があった、と思ったのですが、ライゼル卿は僅かに眉をひそめていました。


「ただ……私的にはもっと若年層に刺さる装飾品を出して頂きたいと思っています。ですので今日はゴーカ君の為にこれを持って来ました」


 そう言ってライゼル卿がテーブルに置いたのは、大分厚みのある一冊の本。


「これは……」

「紐の編み方や装飾品のデザインについて書かれた本です。ゴーカ君には技術もですがセンスもある。彼がイチル君やサンチェ君のようにスミに染まってなければウェサ・マーレアクアオーラの主都の細工工房で最先端の技術やデザインを学ばせたかったのですが……」


 手も足も、口すら青く染まっているような少年を人が多い都市に行かせたら勉強どころではないだろう、とライゼル卿は言いたいのでしょう。


 文字が読めれば、本が読める。

 本は何処にいる人達にも等しく物事を教えてくれる素晴らしい物です。


 ただ――実際に目にするのと本に書かれた物を読むのとではかなり違います。

 外の世界を知って私はその事を思い知りました。

 特に職人と呼ばれる方達の技法は、直接見てこそ学べる事もあるでしょう。


 読んで学ぶという手段を与えられた事を誇るべきか、見て学べる状態ではない事を嘆くべきか――


 礼を述べて差し出された本を受け取りつつ、何とも言えない複雑な感情が口からでないように抑えていると、ライゼル卿は再び取引の話に戻りました。


「ちなみに……高騰の原因であるインディグラスを栽培していた村がついに民を説得し、量を減らして柵を強化した上で来年から栽培を再開させるようです。また魔物に襲われるような事がない限り、青色染料の高騰は再来年辺りから落ち着くでしょう」


 つまり、再来年は単価が下がる可能性が高い――水が流れるように優雅に喋るライゼル卿の話を聞きながら契約書に目を通し、問題が無い事を確認してからサインします。


「ですので、高騰が落ち着く前にラリマー領にスミフラシの布を売り込みたいと考えています。今日パーシヴァル卿と直接お話しできるという事で、輸送経路と取引価格の相談が出来ればと……」

「ライゼル様、実は私、その件でお願いしたい事があるのです。本日お二方をお呼びしたのもその為です」

「……お願いしたい事とは?」


 お父様は温和な表情で私を見ていますが、ライゼル卿は警戒しているのでしょう、少し眉を潜めています。


「……私もライゼル様と同じで、高騰が落ち着く前にスミフラシのスミをラリマー領に広めたいと思っています。そこで来年……ラリマー公爵家の生誕祭でマイシャ様にスミフラシのドレスを着て頂けたら、と考えているのです」


 そう言い切ると、警戒していたライゼル卿の表情が和らいだ代わりにお父様の眉が潜まりました。



 アクアオーラ領、ラリマー領、もう一つ北にある領で構成されるこのウェスト地方を総括する一族――ラリマー公爵家は紺碧の大蛇アズーブラウに愛される唯一無二の青の魔力を宿し、青をとても重んじています。

 それ故に青の節生まれの方が多く、毎年青の節の末にはラリマー領の主都ウェス・セルパンにて生誕祭とパーティーが開かれます。


 公爵家と縁がある方々やラリマー領にある都市の領主はもちろん、他の地方の有力貴族も呼ばれる豪華なパーティーは公爵家の『美しい物が見たいので、主催者や上下関係に捉われず各自思いのままに着飾ってほしい』という意向の元、装飾品やドレスで着飾った己を披露できる最高の場とも言えます。


「なるほど……若く美しいマイシャ嬢が生誕祭でスミフラシのドレスを着て頂けたら、とても良い宣伝になりますね。いかがでしょう? パーシヴァル卿」

「……来年の青の節ならマイシャも二人目の出産も終えてコンラッド君の叙爵も済んで落ち着いている頃だろう。問題ないとは思うが……」

「叙爵……? アドニス伯はお体が悪いのですか?」

「いや……先日、アドニス伯に会った際、近々息子に家督を継がせて隠居すると言われてな。あの様子だと夏頃までには引き継ぐだろう」

「ああ、噂では館にいる時は常に孫の面倒を見ているとか……孫可愛さに家督を息子に譲るとは、アドニス伯も老いたものですね」


 物知り顔で話すライゼル卿に何故そこまで詳しく知っているのか聞きたい気持ちもありましたが、微笑みを浮かべ続けられる自信がないのでやめておきましょう。


「生誕祭でマイシャ様にドレスを着て頂くにあたり、パーシヴァル様にはマイシャ様の説得を、ライゼル様にはマイシャが着るドレスを用意して頂きたいのです」

「分かりました。マイシャ嬢が着るのであればオルカ商会が最高のドレスをご用意しましょう。ドレスにかかる費用もこちらで全て持ちます」

「ありがとうございます、ライゼル様」

「こちらこそ、マイシャ嬢と接する最高の機会をありがとうございます。スミフラシの布以外にもラリマー領に売り出したい生地がいくつかありますので、それも取り入れましょう。そうと決まれば一刻も早くドレス工房の予定を抑えなくては……」


 逸る気持ちを抑えきれないのか、独り言のように早口で言葉を並べ立てるライゼル卿にお父様が気を使って、


「ライゼル殿……もし急ぎなら輸送ルートと単価の見積もりは後日こちらから手紙を」

「いえ、それはそれ、これはこれです。輸送ルートも単価も今この場で決めてしまいましょう」


 マイシャの事となると熱くなるライゼル卿でしたが、流石に恋と仕事はきちんと割り切っているようです。


 地図と算盤、ノートを広げて議論するお父様とライゼル卿を前に色々勉強させていただく中、いつの間にか伯父様はおばあ様へ食料を届けに行ったようで。


 空が赤く染まる前に話を付けたライゼル卿が機嫌良さげに家から出た所で鉢合わせたと思いきや「ライゼル卿を見送ってくる」と言葉短かにライゼル卿の後につき――家の中は再び私とお父様の二人きりになりました。


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