第40話 片想い
コンラッド様――かつての婚約者に対する未練はもうありません。
ですが、何故一度も来てくれなかったのか? という疑問は、想いのように崩れ去ってはくれなくて。
そこにリュカさんの、傷一つ付けないとか、合わせる顔が無いとか、何気ない言葉が引っかかってしまって、つい――ずっと心に抱えていたそれを呟いてしまいました。
青白い星がぼんやりと地上を照らし、焚火にくべた薪の爆ぜる音が辺りに響く中、リュカさんから何の言葉も帰ってきません。
恐る恐る顔をあげるとリュカさんは――すごく、困った顔をしていました。
私の呟きに対してどう答えるのが正解なのか、必死に考えているみたいです。
彼が答えを紡ぐ前にはぐらかしてしまえばよいと、頭の中では分かっているのに。
そうしてしまったらこの疑問はずっと解決しないまま、誰にももう二度とこの話が出来ないまま、私の中で抱えていかなきゃいけない――そんな気がして。
「以前……私の……従姉妹が、賊に襲われてしまったんです」
せめてステラとして、この心を蝕む闇を打ち明ける事は許されないだろうか――そう思って重ねた言葉は、一度吐き出すと
「従姉妹、には婚約者がいました。一昨年の、ウェス・アドニスの色神祭の時に、婚約者から『自分が守るから街に下りよう』と誘われて……でも、帰りに賊に誘拐されて……意識を取り戻した時にはもう全てが終わっていた、そうです」
「それは……」
「……その後、婚約者は一度も彼女の所に来てくれなかったそうです。そのうえ婚約者は彼女の妹と新たに婚約する事になり……絶望の中で従姉妹は自室から身を投げて……生涯を終えました」
言い切ってしまえば、それだけの事。
人に説明するのに3分とかからないそれに、私は今もずっと苦しめられています。
「だから……今のリュカさんの言葉が、傷をつける事がそれほど罪な事なのか、合わせる顔が無いとはどういう意味かと、引っかかってしまったんです」
「ご、ごめん……」
「いえ……こちらこそすみません。リュカさんは何も間違った事は言ってないんです。平民でも貴族でも、娘は誘拐された時点で穢されたものとみなされて価値を失うのは一般常識ですし……」
「違う!! 俺はそういう意味で言ったんじゃない……!」
語気を強めた否定の言葉に思わず身が竦みます。
そんな私の反応にリュカさんは「ごめん」と小さく謝った後言葉を続けました。
「俺は……守るって言ったのに守れなかったら、自分自身が情けなくて恥ずかしいだろうな、って意味で言ったんだ。でも……」
「でも?」
「……俺、もしき……好きな人がそんな目に合ったら、絶対会いに行く。どんなに情けなくても恥ずかしくても、頭下げて謝って、一生かけて償う」
「それは義理や責任感……罪悪感から、ですか?」
「そういうのが全く無いとは言わないけど……そんなのより、何て言うか……好きな
その言葉を、本当に実行できるのなら素晴らしい事なのでしょう。
ですが――コンラッド様はそうしてはくれませんでした。
「……他の男に穢された女の傍に居続けるのは、辛くありませんか?」
「そりゃあ、自分が失敗した結果他の男に穢されたって事実は苦しいし、悔しいし、辛いだろうけど……でも、それは俺自身が背負う物だ。相手に背負わせるものじゃない。賊に犯された女性は価値を失うなんて、馬鹿げてる」
リュカさんの目は、真っ直ぐ私を見ていました。
その一切淀みのない目は、この人は綺麗事ではなく本気でそう言っているのだと分かる位本当に、真っ直ぐで――熱くて。
ただ見つめられているだけなのに、何故でしょう? 目の奥から涙がこみ上がってくるような感覚を覚えます。
「それとさ……取り返しのつかない失敗をしてしまったからって、じゃあもう何もしない方がいいのか? っていうと絶対違うと思う。俺が傷つけたなら、全部俺が受け止めたいっていうか……辛さも悲しみも苦しみも、俺に向かって吐き出させないと。どの面下げてって罵られても、蹴られても、俺はその人の傷に正面から向き合いたい」
「……相手が拒絶したら?」
「その時は……ちょっと離れたところから見守る! リュグルに頼んで毎日様子見に行ってもらう! それで、何か美味しい物とか花とか、届けてもらったりして……あーでも……こういうのって女性の気持ちも大切だよな。そういうのが負担だったり、本当にもう無理って感じだったら、そういう事しない方がいいんだろうし……難しいなぁ」
腕を組んで真剣に考えこんだかと思ったら悩みだすその姿が、何だか凄く――おかしくて。
「……ふふ」
「……ステラさん?」
「ごめんなさい……何だか、おかしくて。そうですね、リュカさんはそういう人ですよね」
さっきだって、聞こえなかったふりをして――あるいは自分に向けて言った言葉ではないと判断して、聞き流してくれれば良かったのに。
この人がこうやって私に向き合おうとしてくれるから、一生懸命考えてくれるから、つい言葉が零れ出てしまった。
「……あのさ、ステラさん。そういうの、抱えてる物があったら、何でも俺に話してくれていいから。こういうのってさ、吐き出す相手がいないとどんどん心を蝕んでいくんだって昔ばあちゃんが言ってた」
「ありがとうございます……そう言って頂けると、助かります」
私はこれまで、自分の中にある辛さを吐き出す事を恐れていました。
誘拐された辛さや苦しみを吐き出して、家族や友人に負担をかけたくなかった。
それで冷たい反応を返される事が恐かった。
励まされる事すら――慰められる事すら怖かった。
だから今こうして、自分の事ではないと言い訳して、他人事を装って吐き出したのに。
なのに、こんな温かい言葉を返してくれるリュカさんに――私は今、物凄く救われている。
(ああ……あの時の私も、コンラッド様にこんな風に寄り添ってもらえたなら)
例えどんなに情けなくても、恥ずかしくても、合わせる顔もかける言葉も無いような状態でも。
ただ、傍にいてくれるだけで――それだけで救われる物が、確かにあったはずなのだと、思い知らされます。
「あの方が……リュカさんみたいな人だったら良かったのに」
「えっ……ステラさんそいつと知り合いなの?」
「い、いえ……面識はないです! ないですけど……リュカさんみたいな人だったら、従姉妹も身を投げるなんて事はしなかっただろうな、と……」
「そっか。それにしても……争いや病気で亡くなった人の婚約者を長や兄弟が面倒見るのは分かるけど、生きてる人の婚約者を兄弟が引き受けるって何か、気持ち悪いなぁ」
予想外の言葉に慌てて誤魔化すとリュカさんはそれ以上追及してくる事はなく、別の事に関心が向いたようです。
確かに――誘拐事件のきっかけを私の我儘に仕立て上げて息子の名誉を守り、被害者ぶった上で私の妹を招き入れるアドニス伯は正直、気味が悪いとしか言いようがありません。
(……お父様が婚約を認めたのはマイシャが私の為にと煽ったから、とアーティ兄様から聞きましたが、アドニス伯がわざわざ根回しまでしてマイシャを迎え入れた理由は何なのでしょう?)
私に汚名を被せたのは、アドニス家を守る為――納得しきれない部分はありますが、システィナとして生きていた頃、アドニス伯にはとても良くして頂きました。
今回布や糸を買ったお金もアドニス家から私への慰謝料と思えば、あまり悪く思いたくないのですが――そこまで考えた所で、冷めた感情が心を覆います。
(……もう私には関係のない話です)
そう。私が考えて答えが出した所で今更メルカトール家の何が変わる訳でも、アドニス家の何を変えられる訳でもありません。
私は、私のするべき事を――私だからこそ出来る事を考えなければ。
「……俺は、誰に何と言われても好きな人と添い遂げたいな。政略結婚とか、一夫多妻とか……人から『この人と結婚しろ』って押し付けられるのは無理だ」
「ああ、赤系統の魔力を持つ人はその魔力の色の通り、燃えるような激しい恋をする方が多いとか……一目惚れ気質で一気に燃え上がる人が多いとも聞きますね」
幸い、リュカさんの関心もどんどん逸れていきます。
話を合わせるとリュカさんは少し驚いた顔をして、空を仰ぎました。
「一目惚れか……まあ、確かに、一目惚れって言われればそうだったのかも知れないなぁ……」
焚火に照らされながら、思い出したように呟くリュカさんの言葉を耳が捉えた瞬間、胸がチクリと痛みました。
「……リュカさん、奥様や恋人がいるのですか?」
「い、いや、奥様も恋人もいない……片想いって言うか……」
伴侶も恋人もいない――そんな言葉に安堵しつつも、チクリとした痛みは心の痛い所を分かっているかのように抉ってきます。
私、今でこそひとまずは見られる姿になっていますが、リュカさんと出会った時の私は本当に痩せ細っていて、みすぼらしくて――到底一目惚れされるような姿ではありませんでした。
リュカさんには一目惚れした人がいて、その相手は私ではない――ただそれだけの事なのに。
(……こんなに心が痛むほど、私の中でリュカさんの存在が大きくなってしまってたんですね)
自覚すると同時に彼の心には別の人がいると知るのは、何とも寂しい話ではありますが――またこのような想いを抱けた事自体は、前向きに捉えるべきなのかもしれません。
「す、ステラさんこそ、好きな人とか、いる?」
「わ、私は……」
ああ――寄りによってこんな時にリュカさんから、今一番聞かれたくない質問をされてしまいました。
そういう返しをされるような質問をしてしまった私が悪いのですが、何と答えればいいのでしょう?
マイシャであれば「たった今、失恋しちゃったみたい」と可愛らしく言えるのでしょうが――私には言えません。
(この気持ちを悟られたくない……リュカさんとの関係が壊れるのが、怖い)
好きな人がいるのに想いを寄せてくる女とこれからも村と都市を往復しなきゃいけないなんて、リュカさんも辛いでしょうし――
「……私も、片想いです」
「そ、そっか。片想いかぁ……辛いよな、片想いって」
「そ、そうですね……辛いですね、片想い……」
何だか気まずい空気が流れる中、リュカさんはそれ以上言葉を紡いでくれず、私もそれ以上何も言えず。
それから私達はスープとパンを食べ終えるまで、一切言葉を交わす事が出来ませんでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます